左近×シェリー×今夜は貴方に全てを捧げます


 島さんの声が聞こえた後、ドアについている鈴が鳴った。最後のお客様が帰ったようだ。グラスを拭く手を一旦止めて、ホールに出る。バッシングを手伝おうと思ったのに、島さんがカウンター越しに取ったグラスだけで片付けは終わったようだ。手持ち無沙汰になった私は、そのまま最後のお客様がいた席に座った。

「お疲れ様」
「閉店時間ぴったりに帰ってくれて有り難いね」
「島さんが言うと嫌味っぽく聞こえるよ」
「そりぁ失礼。そういうつもりで言った訳じゃないんだけどね」
「閉店時間過ぎても帰らないお客様もいるんだから、それに比べたら今日はまだマシ」

 遅い時間まで営業している店は終電後にお客様が増える。終電を逃して帰れない人や、純粋に飲み足りないから来る人。理由はさまざまだけど、バーという性質上、遅い時間に盛り上がるのだから仕方がない。それにうちのバーは結構人気のあるお店だから、平日であろうが混むときは混む。そんな状況の中、閉店時間ぴったりに店を閉じられるのはかなりラッキーな方だ。

「今日で最後だね。お疲れ様」
「ああ、あんたと一緒のシフトだったから、大変な思いもしないで良い最後になったよ」
「それはよかった」

 島さんは今日でこのバーを辞める。辞めて東京の方に店を出すそうだ。このお店でも十分にやっていけるのに、わざわざ激戦区である東京に店を出すなんて、島さんの性格を考えてもかなり挑戦した方だなと思う。どうしてという気持ちと、島さん程の腕があるならやっていけるだろうという気持ちが入り混じって複雑な気持ちだ。つまり、晴れやかな気持ちで見送ることができそうにない。それは独立の話を聞いた時からずっと思っていたことで、最終日には気持ちよく見送ろうと決めていたけど、さっき島さんにお疲れ様と言った時、ちゃんと笑顔で伝えられただろうか。急に不安になってきて、肘を付いて顔を落とす。島さんは片付けたグラスを洗いながら、口を開いた。

「最後にあんたからのアドバイスかなんかくれると嬉しいんだが」
「え?」
「腕の良いあんたからの言葉をちゃんと聞いたらあっちでもやっていける気がしてな」
「よく言うよ」

 確かに島さんと私はこのお店ではベテランの部類に入るバーテンダーだけど、何でも完璧にこなす島さんに伝えることなんか思いつかない。私は何かないかと考えた後、絞り出すように答えた。

「……カクテル言葉」
「カクテル言葉?」
「そんなに重要じゃないかもしれないけど、カクテル言葉を知っていたらより楽しくサービスができると思う」
「そういえばあんたはカクテル言葉をよく勉強していたな」

 この世界に入り、カクテルにも花言葉みたいな言葉があると知ってから、私はカクテル言葉に魅了されていった。注文が入る度にそれを伝えるわけじゃないけど、お客様の注文したカクテルからお客様の関係性を考えるのは楽しかったし、若い女性のお客様なんかにはカクテル言葉の話をするだけでもうけたりした。私はそんな接客を心掛けていたし、島さんはとにかく腕の良いバーテンダーとして活躍していたから、ある意味お互いに無いものを補うように働けていたと思う。それが無くなるなのだから、私から島さんにアドバイスをするとしたらこれしか考えられなかった。

「島さんからは私に何かないの?」
「あんたは何でもできるんだから、俺からアドバイスすることなんかないだろ」
「自分だけずるい。考えるのが面倒なだけでしょ」

 私が悪態をつくと、島さんは否定せずに笑っていた。島さんの笑い声が止むと、店内には有線の音楽だけが流れた。最後のお客様が帰ったらすぐに切るようにしていたけど、今日は切るのを忘れてホールに出てしまった。その有線の音楽が終わり、次の曲が流れる時、島さんに声をかけた。

「何もないなら、最後に1杯作ってよ」
「お安い御用で。何が飲みたい?」
「シェリー」

 そう答えると、島さんは一瞬動きを止める。それもそのはずだ。シェリーはカクテルではなくてワインだから、グラスに入れたら終わる。そんなものを最後に頼むなんて、と思ったかもしれない。そう思うならそれでいい。
 手前にあったグラスを取り、シェリーを注いでいく。お客様に出すわけじゃないから見た目なんてどうでも良いと思ったのか、並々注がれた。少し傾けたら零れそうなそれを、島さんは器用に私の前に差し出す。

「どうぞ」
「ありがとう」

 お礼を言うと、島さんはいつもの顔で笑った。これじゃあ島さんがどう思っているのかわからない。私にとって、シェリーはカクテル言葉にはまるきっかけとなったお酒の一つだった。カクテルを利用して関係が深まるなんて映画みたいなことは実際に起こらないと思っていた時に、目の前でそれが起こったのだ。女の人がシェリーを飲み終えると、隣にいた男の人とお店を出ていった。シェリーのカクテル言葉を知った後に起こった出来事だったから、私は興奮気味に島さんに話したけど、その時の島さんはあまり興味がなかったのか軽く流されてしまった。だからシェリーの持つ意味なんて忘れているかもしれない。最後に私がシェリーを飲みたがった。島さんがそう思ったならそれでいい。もう島さんと一緒に働けなくなる寂しさをシェリーで流し込んでしまえば良いのだから。

20220213

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