時政小夜。そう名乗る子供は痩躯と小さな身長が特徴的である。しかしその身には似合わぬ怪力とも言うべき力がある。人より外れた体力と怪力で、鬼を含め多くの異形を屠っている。それは凡そ人知の範疇ではない。
「へえ、鬼、ですか」
先日小夜に聞いた、やたらと回復力の高い異形のことを思い出した。
「うん。詳しくは聞けなかったけれど」
「『彼ら』と違って、何処を斬ってもすぐに再生したあの、異形ですよね」
「ああ。刀にあなたの霊力を纏わせて首を斬ると死んだ」
死ぬ時は呆気なかったが、その呆気ない殺し方が分からないがために、1体目の討伐には難儀した。
そもそも、本来ならそんなものを小夜が討伐する理由もなかったのだが、その鬼に目をつけられたのだから倒さざるを得なかった。
2体いたようなので、小夜を配して1日1体ずつ討伐した。
「彼ら、たぶん、専門の討伐隊」
「ええ…片付けてしまったのは早計だったかもしれませんねぇ」
「そうかもしれない。きっと獲物が消えたって不審がってると思う」
鬼を勝手に屠ってしまった。
人には勝ち目のない異形だったが、小夜からすればあっけないものだった。
痩躯、小さな身長。しかしその身には似合わぬ恐るべき戦闘力を持つ。
故に、鬼の討伐は小夜にもすんなりと行えた。
とはいえ、まさかこんな子供が討伐した等とは夢にも思うまい。気をつけていれば、その討伐隊に気取られることもないはずだ。
沙耶はどんよりと首を落とした。
「私の下調べ不足です…以後気を付けますね…」
そう落ち込んでいれば、くいと手を引かれて沙耶は二の足を踏んでその場にとどまった。見れば、小夜が警戒心をあらわにして沙耶の右手をきゅっと握っていた。
小夜の視線は進行方向ではなく、来た道に向いている。その視線を追えば、そこには若い青年が一人、ぽつりと立っていた。
さっきまでは、道には沙耶と小夜しかいなかった。はるか後方に他の人影があったわけでもない。居たら気が付く。
つまり、この男性は唐突に現れたと言ってよい。
都心でしか見ないような詰襟の黒い服の上から、左右で柄の違う羽織を着ていた。
年のころは沙耶と近いように思われた。しかし何分、表情がないので彼に悪意があるのかないのかを読み取ることはできなさそうだ。
「この先には村しかない。鬼退治に来たの?」
小夜が声をやや大きくして問いかけたその内容に驚いた。つまり、彼が小夜の出会った鬼を討伐する者らしい。
「……かもしれない」
長い間の後に青年が呟くように返した。そそに鬼がいる可能性があるということだろうか。
冨岡義勇と名乗ったその男は鬼については詳しい様子だったが、会話はどうにも要領を得ない。
色々と興味があるふりをして聞きならべてみたがいまいち掴みづらい。
曰く、太陽に弱い。
曰く、残虐。
これしか分からなかった。
ちょっと詰め寄りすぎたかもしれないと反省する。
今後は各地で鬼について聞いてみようと決心した。
話を聞いているうちに目的の村に着き、また鬼について教えてほしいと念押しだけして冨岡とは別れた。
村は連絡こそ取れなくなったが流行り病で封鎖されたわけではないようだ。ただ、近所で熊が出たから行き来していないだけだと言う。
え、それ鬼じゃないですよね。思ったが言わないことにした。鬼なんて言えば、気違いを疑われるのが関の山だ。
男手は漁に出たようで、和気あいあいと女たちがいろんなことを教えてくれたが、別段不穏な気配はない。
一通りの入り用な販売を終えると、沙耶はさっさと帰り支度を始めた。
冨岡の言が正しければ日が暮れるまでに帰った方がいいだろう。女たちも口々に気を付けて、と別れの挨拶をしてくる。
滞在時間は1時間にも満たなかった。
「そういえば、さっきの方はどこへ行ったんでしょうね」
「いいんじゃない、関わらないほうがよさそうだったよ」
村の出口へと歩きながら、ふと思い出した青年のことを口にしてみれば、小夜は途端に刺々しい空気になった。それもそうかと小夜の言葉に相槌を打った時、沙耶は視界の端に赤いものが見えて視線を向けた。小さくも立派な赤い鳥居が見えた。
「わあ、神社です。我々は余所者ですからね、ご挨拶だけでもしておきましょうか」
その神社は村の中でも小高い丘の上に鎮座していた。こじんまりとした拝殿があり、その向こうには開けたわずかばかりの土地があり、その先は崖だった。視界は良く、拝殿からは広がる海と数キロ先にある小さな突起した島が見える。
おそらくその島を遥拝するのがこの神社なのだろう。
振り返れば村を一望できるこの場所は、村に恵みを齎すであろう神を拝むにはこの上ない立地であった。
よく清掃されていて、村人から大事にされている様子だった。
参拝を終え、帰ろうかと小夜を促したとき、何気なく村に目を向けた。
「いいところですね」
潮の香りが滲む風が吹く。ここはなんの変哲のない漁村で、細々と人が暮らしを繋いできた。
そんな長閑な村の一角に突如として暗闇が訪れたのを見た。
それは直径15メートルほどの円を描き、淵は波打つように蠢いている。中の民家たちは黒く塗り潰された訳ではなく、ただ夜のように色を失っている。
目がおかしくなったのかと疑うような光景であった。
あれはなんだ。思わずそちらへ行こうとした沙耶の手を小夜が強く引いた。
「だめだ!」
「なにを、あそこには村の人だって」
「それでも、だめだ。行くなら僕だけがいく」
小夜が険しい顔でじっと暗闇を見つめる。暗闇はしばらくそこに蠢いていたが、不意にその身を爆発的に大きくした。
一瞬にして村を飲み込み、神社の鳥居をも飲み込んだとき、小夜が沙耶の手を掴んだまま身を返して猛烈に走り出した。
あの場にとどまっていれば、間違いなく数秒後には闇に飲まれている。
背後には拝殿と崖しかなく、その横には鬱蒼とした森が広がる。小夜は迷わず森へと突っ込み、木と低木の間を器用に縫うようにして離れてゆく。
半ば引きずられるように小夜に引かれた沙耶は不意に空を見て、信じられぬ光景を目にする。
ぞぞ、と色を塗りすすめるように青い空に暗闇が襲い掛かる。青空は瞬く間に飲み込まれ、あたりは暗闇に支配された。
そこで初めて小夜が足を止めた。肩で息をして、悔しげにぎゅうと沙耶の手を握った。
「飲まれた。逃げきれなかった」
沙耶は改めて当たりを見渡す。暗闇に支配された森は暗く、まだ暗闇に目が慣れないためか何も見えない。
しかし見上げてみれば、木々の間から星が瞬いているのが見えた。
──夜だ。
「小夜」
俯いているらしい小夜に、沙耶はその頬に手を這わせ、努めて明るい声を出した。
「大丈夫です。私も貴方も生きています。戻ってみましょう、何かわかるかもしれません」
小夜は少し考えたようだった。
暗闇から逃れる方法は分からない。離れると昼に戻るかもしれない。しかし、戻らないかもしれない。
何が起きているのかもわからない今、無闇に距離を取るのも憚られる。その考えに至ったのか、小夜はやがて小さく頷いた。
「それでは、私を村まで連れて行ってくれますか?私の目では周りの木すらあまり見えません」
「分かった」
そろそろと小夜が沙耶を導いた。そこまで距離は離れていなかったからか、少し歩けば月明かりが強く照らす神社が見えてきた。
小夜に手を引かれて境内に入り込んだ。月明かりが強く、足元の影がやけに黒い。
拝殿に背を向け、10段程度の階段をおりる。そっと鳥居を抜けるとすぐそこに民家がある。
「人の気配はある?」
「ある。みんな中に隠れてる」
「隠れてる?」
「息を殺してる」
つまり、この唐突な夜は今回が初めてではないようだ。
民家の間を縫って中心付近まで来たが物音ひとつしない。息の音すら聞こえてこない。消しているはずの沙耶の足音がざりざりと響く。
最初にこの暗闇が出たあたりは、もう少し南側だったか。ついさっき見た景色を思い浮かべつつ歩を進めているとき、小夜がハッとしたようにクイクイと沙耶の手を引いた。
民家の裏手に沙耶を押し込むと、その角から1歩離れたところで小夜はしゃがみこんだ。腰元に隠していた短刀を迷いなく引き抜き、角の向こう側の様子をじっと伺っている。
「何かいるの?」
「近寄ってきてる。口を開かないで」
小夜は気配に聡い。人より、目も耳も感覚も鋭い。
言われたとおり数十秒待てば、ずるずると絶えず何かを引き摺る音が聞こえ始めてきた。段々と大きくなる音はその引き摺るものの質量が大きいことを知らしめた。音が次第に大きくなり、すぐそこまで迫る。
沙耶は息を殺した。
民家の影の外側、月明かりで明るいはずの所が唐突に黒く塗り潰された。
大きな何かが角の先に立った。蠢くその影はあまりに大きい。近付いてきているのか、それともただ民家の前を通りすがっただけなのか判断がつかない。
存在を知られれば、この影は襲いかかってくるのだろうか。
ここから動くべきか、ここで息を殺し続けるべきか。
迷いに迷った時、紙を切り裂くような音が響いた。
一瞬だけ響いたその音は、一瞬の間をおいて長く大きく響き渡り始めた。──いや、あれは音じゃない。声だ。子ども、幼児──もっと小さい、赤ん坊の泣き声だ。
すぐにその声がくぐもった。声がくぐもったのは、親がその口を抑えたからだろう。それでも声は漏れ聞こえる。
「──音が…!」
小夜がさっと顔を青ざめさせて立ち上がった。
いつの間にか、ずるずると引き摺るような音はとんと消えていた。赤子の泣き声だけが無性に響く。
その時、ぱっと目の前の影が消えて明るくなった。
次の瞬間、重い衝突音が響く。木のひしゃげる音や木材や瓦礫の落ちる音が耳を突いた。それは、間違いなく民家が破壊される音だった。次いで響くのは女性の絶叫のような叫び声だった。
「小夜!!!」
沙耶の意を汲んだ小夜はたっと軽い踏み込み音と共に姿を消した。追うようにして民家の影から飛び出し、音源の方へ向かう。それは今しがた隠れていた民家の向かいの家だった。そこにいるモノに、沙耶は足を止める。
──あれは、なんだ。
まるで真っ黒なヘドロが意志を持って動いているかのようだった。引き摺る音がしていたのはそれに足と言うべきものがないからだ。ただ人よりも大きなその影は手も足もない。
突然、その向こう側から、ぐるりと赤子を抱き上げる白い手が現れた。腕を真っ直ぐに伸ばし、黒い者から我が子を遠ざける手だった。
ふわりと、その手から赤子を受け取る手があった。小夜だった。
小夜は泣きじゃくる赤子を沙耶に渡すと鞘を払い、猛然と黒いものに斬り掛かる。どぷりと重い水音がした。水面を斬ったように小夜の斬撃は通らなかった。かわりに白い手を掴んで引き抜こうと強く引っ張るが、小夜の足に黒い影が伸びてきてその足を掴む。
それが小夜の手を、脚を飲み込んでいく。
──小夜までが
そう思い始めたとき、一筋の耀きが真っ直ぐに小夜に飛んでいった。
切っ先は流水を描き、淀みなく小夜の手足にまとわりつく泥を斬り落としてみせた。切り込みがおそろしく深い。そして、はやい。
「水の呼吸 一の型」
地に足を着けたその男は、幻のような流水をその身に纏ったまま、身を返して足を強く踏み込んだ。
「水面斬り」
穏やかだった流水が、弾けるように姿を変える。月の光をその身に宿した刃が一直線に煌めいた。