「いいんですか?本当に?」
沙耶は穏やかな笑みを湛え、小首を傾げながらそう言う。
暗闇が晴れた村に、漁に出ていた男達が戻ってきた。
戻ってきた男たちは一様に沙耶らを見てあからさまに怪しんだ。身分を検めると拘束を受けそうになり、義勇は抵抗するか否か本気で悩んだ。
そのとき、そう声高らかに言うので村の男たちの動きが不思議そうに止まった。
「私の名は時政沙耶と申します。私の身分は内務省へ問合せてみてください。この子供は私の連れで小夜と言います」
そのあと、沙耶が義勇を見た。思わず肩が跳ねた。優し気な顔、朗らかな雰囲気。虫の一匹の殺せない空気のあった女からは想像もできないほどに凛とした──そう、まるで刀のように研ぎ澄まされた、逆らい難い空気があった。
「こちらは冨岡義勇」
沙耶は村人に対してにっこりと笑って見せた。
「私の護衛です」
「いや、俺は」
鬼殺隊だ、と言おうとしたら、沙耶がすかさず足を踏みつけてきた。義勇は思わず黙った。
とっさの時に手足が出るところが胡蝶に空気が似ている。
「そして、拘束する前にこの人を見てください」
不審そうに男たちの視線が冨岡に集まった。
視線が集まって居心地が悪い。沙耶はそんな義勇のことなどどこ吹く風で、つらつらとその容姿について述べる。
「あなた方は見る機会は少ないでしょうが、詰襟と帯刀。特に詰襟の布地が特殊なものであることは何となくわかるでしょう」
帯刀には、さすがの男たちのぎょっとしたようである。
廃刀令が出て久しいこの時世で、白昼堂々とした帯刀。また、詰襟の服は士官学生か、軍人や官人以外には有り得なかった。つまり、傷付けるとまずい相手(権力者)だ。
「それから、もう一度言います。私の名は時政沙耶。私の身分は内務省へ問い合わせてください」
内務省。
中央官庁で、行政の大部分を担う。鬼殺隊も、そこの一部官僚と繋がりがある。そこが後ろにあるのなら、時政沙耶はとんでもない身分の人間である。
男たちの顔色がだんだん悪くなってきた。恐る恐ると沙耶に視線が集まる。
「いいですか?これはアドバイスです。注意喚起。あなた方のために与えたヒントです」
唐突の外来語にはさすがの義勇も驚いた。はったりかとは思ったが、見せびらかされたこの知性からすると、内務省との関係もあながち嘘ではないかもしれない。
「本当に我々を拘束してもいいのですか?」
場所を移動し、村の寄合所。
その床の間で沙耶は村長と向き合っていた。年の頃は30後半で、村長としては若輩の男だ。
義勇は小夜とともに沙耶の少し後ろに控えていた。
ただの薬売り。だとは思う。しかし、どうにも無視しがたい何かが沙耶にはあった。故に何も言わずにただ沙耶の後ろを追従してきた。鬼の情報を仕入れることができるかもしれないという理由もある。
「公的機関。私は政府が秘密裏に作り出した組織の者です。理由は機密に触れるため申し上げられませんが、政府が追う反国主義者が生み出した鬼がこの村に潜伏している可能性が浮上しています」
「……鬼」
村長が戸惑うように呟いた。
そう言えば、沙耶は鬼のことをなんの抵抗もなく受け入れていたなと思い至る。すんなりと弟が遭遇したという鬼のことを信じていた。
この村長のように、実際にそれと遭遇しないことには、信じきれないはずだ。
「…本当に、あの鬼は倒せるのか」
「結末のお約束は正直難しいんですが、私は一応、ああいうのを消し去る実績を積み重ねてここにいる、とだけ伝えておきましょう」
「死なない保証はないが人喰い鬼なら斬れる」
「不安しかないんだが!!」
村長が吠えたが沙耶と義勇はそれを黙殺した。
沙耶にそんな能力があるようには到底思えないが、義勇は鬼殺が生業だ。少なくとも義勇の言に偽りはない。
「耐えるのも一つの手です。ですが、いつまで耐えるのですか?赤子は泣く。泣くのが仕事です。ですが泣くと狙われます。食われるともう帰らない」
顔に、手に、首筋に、沙耶が言葉を重ねれば重ねるほどに脂汗が浮いて流れ落ちた。
「この村の子供は、きっとそのうちいなくなる」
「っ…」
「そしてこの村は地図から消える。その運命を享受しているのですか?この村の全員が?」
「そんなわけないだろっ!!」
いつの間にか息も止まっていたらしい。村長はぜーはーと息を荒くして沙耶を睨みつけた。
「では話してください。この村を守りたいのでしたら。どんなに些細なことでも構いません。私たちはとにかく、あれを打ち破る情報が欲しいんです」
荒い息の音だけが響いた。何も言わない村長に、沙耶はそれならばと問いかけた。
「あんな風に、唐突に夜がくるのは昔からですか?」
「………。半年前から」
「え、そんな前からいたんですか」
問えば返してくる。正直義勇は驚いていた。なんて交渉上手なのかと。斜め後ろから見る沙耶は相変わらず、虫の一匹とて殺せないような優し気な女だ。まっすぐに村長を見る目から意志の強さだけが分かる。
「その前後に変わったことは?」
「とくに、ない」
やけに歯切れが悪い。
それは義勇にも分かった。
「ほんとですか?」
「…。その前後のかわったことではないが、今年は祭りを行っていない」
「祭り?」
「神主が消えたからできない」
「神主?いつ消えたんですか」
「消えたのはずっと前だ、ちょうど1年前」
ええと、と村長は記憶を掘り下げるように考え込む。言葉を選んでいるのか、もごもごと口を無意味に動かした。
それから、空いた襖の向こうに見える海──そこにたたずむ小さな島を見た。
「毎年、今の時期には祭りをする。2年前までは最悪だった。4年前の祭りの時、祭祀の弟──理草っつって、仏門に下っていたんだが、その理草はその祭りの最中に神器の一つを落っことしたんだ」
「神器?どんなものですか」
「拾い岩──あの岩島に祀ってある。カンダカラっつってな、神に田んぼの田、貝殻の殻で神田殻。そのガキくらいの子供ならすっぽり入っちまうほどの大きな、宝みてえに綺麗な貝殻だ。キズがついたんだ。そうすると、その年と次の年は酷かった。魚が全く獲れねえんだ」
「そんな極端な不漁が?」
「実際、魚なんてその日を食い凌ぐにも足りなかった。今までにこんなことは有り得なかった」
沙耶が少し考えたようだった。何かに思い至った様子だったが、顔は険しい。
「それでは、昨年は?」
「大豊漁だった」
「なにかしたんですか?」
たまに聞く話だ。唐突の凶漁と、大豊漁。自然の不思議なところであり、恐ろしいところだ。
「何もしてない」
「え、本当ですか?まるで祟りのような不漁に見舞われたのに?」
「ほ、本当だ!いつも通りの祭りだった!あれさえ…」
必死の顔から一転し、はっとしたように村長は口を噤んだ。
「あれ?何があったんです?」
「…………。事故で」
そこで村長は黙った。言いたくないらしい。
そこで沙耶がちらりと小夜を見た。小夜が僅かに殺気を出した。大したものではない。だが、この小さな子供が出すにはあまりに研ぎ澄まされている。
「神主の弟の」
やがてぽつりと村長が こぼした。
「仏門の、」
村長が口をぽつりぽつりと開く。しかし、言う度に顔色が悪くなる。言いづらいらしいが、何となくこの先は想像がつく。
ならば、問題は理由の方にあるのだろう。
「手伝いの理草が」
そういえば、この村には神主がいない。行方不明だと聞いた。
「亡くなったんですか?」
沙耶が言うと村長はしばらく黙り込み、やがて諦めたように深く俯いた。
「…年に一度、豊漁を願う祭りがある…。神社の拝殿の前の広場で、神主を中心にして、男手で囲う。神主は鬼に扮して踊る。男だけの祭りで、鬼役が1人。男は鬼を囲い、鬼が近寄る度に押して追い返す。そうすると、その年の漁に悪いことは無いと言われてる」
「なるほど、鬼を払う祭りですね?」
「ああ。去年は、神主が体調をくずしていたから…理草が鬼役を務めた。理草は年に何度も帰ってきていて、祭りの季節には必ずいたから、鬼役を務めることが出来ると」
「どのようにして亡くなったんですか?墓は?」
「墓は…嘆いたむら…神主が、拾い岩に埋葬させてくれと言うので、拾い岩へ。あそこは歴代の神主が眠る。亡くなったのは…踊りの終わり頃、階段から落ちたから…。打ち所が悪かったのだろう」
ええと、と呟いて村長はちらりと沙耶を見た。
「神主は、その後に姿を消した…、村人総出で探したがいない。その約半年後に、夜が来た。夜が来ると、必ず現れたのがいる、それが、シカエシオニ」
「そういえば、村の方がそんなこと言ってましたね」
そろそろ仕返し鬼が出る、と。そいつのことだろう。
「どんな姿だ」
ここで、義勇は初めて声を上げた。
「見た目は、変わった風体の男だ。黒い狩衣に布面をしてる。その布面に仕返しと書かれてる」
「…布面…ね」
「だから、その鬼は理草なんじゃないかって…。理草が死んだのは確かに事故だけれど、俺たちの不注意も原因の1つだから…」
「何人食われた」
義勇の言葉に、村長は顔を顰めた。
「この半年で、10人ほど…。だいたい、夜の間に姿を消す。昼間の夜も含めて」
沈黙が降りた。情報が出揃ったと判断したのか、沙耶が義勇を振り返った。
「なにか聞きたいことは?」
「ない」
そうですか、と頷いた沙耶は今度は宿の交渉に入ったようだった。
食料の提供は不要だから、この寄合所で寝泊まりだけさせて欲しいとだけ言うとなんとも簡単に了承された。
村長が村の寄合を出たときに確認した太陽はほとんど傾いていた。
斜陽の影が濃い。もうすぐ夕暮れだ。