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鬼の元に辿り着いた義勇は、その容姿を確認する前に躊躇なく抜刀した。
ぐっと距離を詰めたそこに、顔に『死反鬼』と書いた面布をした鬼がいた。
なるほど、村人はこの面布を見て『仕返し鬼』と呼んだらしかった。

その首目掛けて刀をふるおうとした時、唐突に暗闇に覆われて鬼の姿が見えなくなった。

「あっははははっっ!見えないだろっ!何も見えないだろっ!?こいつは、こいつは夜を、闇を連れて歩く!人の視界なんてすぐ奪えちまう!」

鬼の笑う声がする。
足元の感覚は確かだが、視界が全て黒に支配された。自分の手足すら見えない。
刀を握る感覚はあるが、切っ先も見えない。
どこからか聞こえる鬼の声と、直前まで見えていた景色をよく思い出して立ち位置を把握する。
しかし足場はおそろしく不安定で、どこで体制を崩すか知れない。

「怖がるなよ…!すぐに食ってやるからなぁあああっ!!!」

声がすぐ近くにきた。その方角に刃を震えば、手応えがあった。
ふざけんなふざけんなと怒声がする。感覚的には、肩が胸あたりを斬ったはずだ。
声がしなくなった。声を出していれば居場所がバレると思ったのだろう。
目が見えない分、義勇はとにかく気配を掴むことに集中する。
感覚を掴みきれなければ、死へと直面しかねない。

そのとき、猛烈な速さで近寄ってくる気配があった。足音はない。何かが近寄ってくる。
鬼ではないが、人とも判断がつかないそれがすぐ近くまできたとき、義勇の目は淡い確かな光を捉えた。

一閃。
一瞬のことだった。一直線に暗闇を斬り裂いたその鋒は彗星の如く光を宿して暗闇を照らしだした。軌道は淡い燐光を残して一瞬にして霧散する。しかし、辺り一帯が目に見えて明るくなり、数歩先に佇む鬼姿をも照らしだした。

「斬って」

闇を斬り裂いた本人──小夜が小さくそう呟いた。
言われた通り、鬼に斬りかかったがまた黒い闇に掻き消えた。義勇は立ち止まる。
小夜から半径3メートル程度だけが、うすぼんやりと明るい。小夜が光っているというわけではないが、彼の周りだけが闇が晴れて足元も確認できた。

「意味がわからない」

あまりに、異質だった。
この子供が、およそその痩躯からは想像もできないほどに戦いに長けているのは、泥に入る前、修羅と戦う姿を見て知っていた。
沙耶が小夜を護衛と言ったのにも納得がいく。
小夜といい、沙耶といい、義勇にとってあまりに異質だった。
小夜は猫のように丸い目を義勇に向ける。静かな目からは、特に感情を読み取ることは出来なかった。

「僕からしたら、鬼の方が意味がわからない」
「……そうだな」

そこは同意だった。
きっと最も理解し難い生き物だ。

「僕、勝手にあの鬼はいなくなった神主なんじゃないかって思ってた。泥は、あの鬼の異能なんだよね?」
「そうだろうな」
「すごいな、こんなことできちゃうんだ」

闇はただ周囲に佇んでいた。鬼の気配はする。近くにいるんだろう。
だが、姿は表さない。

「ねぇ」

小夜が問いかけた。

「見えないと斬れない?」
「──見えなくとも斬る」

斬らねばならない。
小夜は「そう」と小さく呟くと、身を低くしてふっと姿を消した。
ぎゃああああ、と鬼の悲鳴がする。隠れていた鬼の気配がハッキリとわかる。その気配を、義勇は見失わないようしっかりと追いかける。
その一方で、足元の感覚にも集中する。この場で体制を崩すのは命取りだった。

小夜の周囲だけは明るい。鬼も見える。
ぐっと鬼に近付いたそのとき、やっと鬼の姿が見える。
首を狩り取ろうと刃を振るうも、直前で黒い霞が現れてはその上を刃が滑るだけだった。首はどうにも、斬れない。正確には、黒い靄が。

「黒いの、邪魔だね」

いつの間にか近くに来ていた小夜がそう呟く。

「お前でもあの黒いのは退けられないか」
「僕じゃ今が限界」

言い方が少し引っかかった。
他の誰かなら、もっと闇を退けられるかのような言い方だった。
黒い靄のような闇がどうにも斬れない。それが鬼の首もまもるものだから、倒すに倒せない。

「闇は修羅なんだな」
「うん。どうしてか、形はないようだけれど、励起された何かではある。普通はさっき、村で見た奴らみたいに実体を持って顕現するんだけれど…」
「ただの靄だな」

実体がないからか、攻撃はしてこないものの、こちらから攻撃もできない。

シャンッと澄んだ鈴の音が響いた。ほんの少しの間を置いて、また鈴の音が響く。
「あっ」と小夜が焦ったように声をあげた。

「何をしているんだあの人…!」

すっと夜の闇が薄くなった。日は沈みきったが、空に薄く月の影が現れていた。
小夜のまわりほどでは無いが、鬼の位置も、足元も義勇に確認できるようになった。

彼女がいたのは、義勇らからは離れた所だった。
そこで、沙耶が鈴を持ってゆらゆらと揺れている──舞っている。
鈴を右へ振り鳴らす、左へ降って、鳴らすどこか険しい顔で、真剣に舞っている。視線は真っ直ぐに鬼を睨みつけた。
ただ左右へ鈴を振っても音はしない。沙耶の自在に鳴らしているようで、鳴らない間は衣擦れの音だけがふさりふさりと聞こえる。

「………しぃ」

鬼が何かを小さく呟いた。

「忌々しい、」

ガリ、と鬼が自分の頭を引っ掻いた。すぐに治ってしまうからか、またガリガリと引っ掻いては直しを繰り返した。

「忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい…!!!」

ガリガリとなんども引っ掻いて皮膚を裂いては回復する。
シャンシャンと鈴が鳴る。
沙耶が鳴らす度に、鬼の目は沙耶だけを捉えるようになった。


「忌々、しい…!!!」

たっと鬼が沙耶へ駆け出したのと、小夜が地を蹴ったのはほぼ同時であった。

「ぉどるなァアアアアアアア!!!!!」

薄くなった闇。
小夜らへの警戒を忘れた鬼の首を狙うのは簡単だった。問題は、その首を守る靄で。
小夜を追って義勇も駆け出していた。沙耶が非戦闘員なのは義勇とて分かっていた。止めなくてはならない。

ほんの一瞬、瞬くような速さで鬼に追い付いた小夜が大きく短刀を奮う。首元を掠めたとき、吸い取るように首を守っていた黒い靄が払われた。

いまだ、今しかない。

義勇は持てる限りの力を足に集中して鬼との距離を詰める。

「全集中 水の呼吸_壱ノ型」

鬼が驚いたように小夜を見た。小夜は勢いが余ったのか鬼を追い抜いた所にいる。
義勇に背を向けた、好機だった。

「水面斬り」

強固に守られようが斬り落とすその技を、繰り出した。




──鬼じゃ、鬼が悪さをしておる!鬼が魚を遠ざける!さあさあ皆の衆!鬼を狩れ!

火が躍る。
舞い立つような小さな火の粉が儚く爆ぜては消えてゆく。
ああ、人の命みたいだ。一瞬のきらめきを遺してあとかたもなく消えていく。

「(なんだこれ)」


鬼は思案した。
走馬灯のように過ぎる記憶。
記憶だとわかる。
わかるのに、鬼にはこんな過去に覚えはなかった。
ない、はずだった。


──さあさあ狩れ!さもなくばお前の家族が餓死してしまうぞ!


弟は神様を信じていた。かみさまに祈りが届かないから、だから漁村は潤わないのだと信じていた。
恐ろしいのは、それを漁村の民も信じていたことだった。

太鼓の音が身を震わす。どおん、どおんと鳴る度に体も打たれているかのようだった。


──ああ、憎い。悪さをする鬼が憎い!!そうだろう、そうだろう!
鬼が問う。鬼がどうじゃどうじゃと問いかける。
そうだそうだと、誰かが返した。

弟は仏門に下ったくせに…否、仏門に下ったからこそだろう。
弟は神様を信じていた。

だから弟はその身が削られるのを厭わなかった。


本当ならあの日、

……あの日?

あの日って、なんだっけ。



鈴の音が鬼の耳を揺らす。
頭が割れそうに痛む。

──■にさ■、■■か■■しの■を…!

誰かの声がした気がする。



鬼は舞手の女を見る。

何故お前がそれを踊っているんだ。

何故踊れるんだ。

それは、『あの日』俺が踊るはずだった舞なのに。
並ぶ松明の中心で、1人ぼっちで踊らねばならなかったのに。




「今の祭りって、簡略化されたものらしいですね」

いつだったか、弟がそう言った。
俺は思わず顔を顰めた。

「おまえ、勝手に古書を読んだな」
「村の歴史には興味があります」

はぁぁぁ。大きくため息をつけば、弟はからからと笑った。
あまり人目に触れていいものでは無い。
ただでさえ、腥いことが多く書かれている。
たとえば、年に一度の祭りの、本来の姿、とか。

「いやまさか。祭りがもともと生贄の儀式だったなんて思いもしませんでした」
「昔の、今よりもっと、盲信的に神様が信じられていた頃の話だな」
「うーん、それが当たり前だった、てことが正直恐ろしいですね」

火を焚く松明で檻を作る。
檻の中で、男手で鬼を囲う。ここまでは今の祭りと同じだ。
だが男たちは樫の棒わ持つ。鬼は檻の中を縦横無尽に踊って回る。男たちは1歩として動くことは出来ないが、目の前に来た鬼を打つことはできた。鬼は力の限り踊り続け、力尽きれば拾い岩で眠りにつき、神に仕える。
本来の鬼役は村の若い男性が担ったが、いつしか神主が鬼役を演じ、男手は鬼を打つでなく押すだけになった。

「でも、拾い岩の周辺はいいものしか流れ着きません。魚介の恵み、換金すればそれなりに値打ちの出るもの。死体が流れ着いたと思いきや、家族が探しに来て、遺体を供養して埋葬したことを知った家族がお礼にたくさんの米を送ってきたこともありました」
「あったな」
「ふふ、拾い岩の恵みは、本当に素晴らしいと思います」

今思えば、弟が古書を読んでいなかったら、こんなことにはならなかったのかもしれない。




ああ、弟はまるであの聖なる篝火の火の粉のようだった。

とても力強くて、少しくらい離れたところに火を移してしまうほどに影響力のある人であったのに、その実ふわりと飛んでは瞬きの間にかき消えてしまう儚い命っだった。

ああ、憎い。

人間がにくい。

神を信じる人間が、この村が、弟を殺したすべてがにくい。

──あにさま、どうかわたしのなを…!

愛しい、この声を奪った運命が、憎い。
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ゆりのやうに