「人生はままならないな」
この2年で恐ろしく増えた墓石に、どうしてもそう呟いた。
「この世は苦しみに満ちていて、不条理だ」
漁村の民は善良であった。なのに、不漁続きで子供がほとんど死んでしまった。
「この世は諸行無常でできていますから」
弟はそう返した。
「兄様のおっしゃるとおりです。ですが、俺は…不謹慎なことに、今年も兄様と一緒に春を迎えられることがとてもうれしい」
「お前な…」
「後悔はいくらでもできます。兄様はこの村のために稼いできたお金をすべて米や野菜にして村人たちに施してきました。素晴らしいことです。だから今年は子供が10人も生き残りました」
理草が連の手を取ってそう言う。愛おし気に手を撫でられて、連は少しこそばゆい気持ちになる。
大切な弟だった。早くに両親を亡くした連にとって、理草はたったひとりの家族と言えた。
弟は仏門に入ったから結婚はしていない。連は結婚はしたが、妻は流行り病で早々に死去してしまった。
それでもいままで生きてこられたのはきっと、前向きで優しい弟がいたからだ。
理草は、連にとってたった一人の、かけがえのない家族だった。
「苦しい、苦しいことばかりです。どんな苦しみも乗り越えたさきにこそ、極楽が待っています。それが仏教の教え方です。──ですが」
たった一人の家族ははにかむように、それでいて困ったように笑んでみせた。
「その道すがらに転がっているものが、きっと幸福というものなのでしょう。──ああ、今年も、兄と過ごせて俺は幸せです。かみさまに感謝します。しあわせなんです」
──ああ、俺も幸せだった。
俺は死んだ。弟も死んだ。
己は鬼へと堕ち、弟を蘇らせはしたものの、結局は人の道を外れただけに他ならなかった。
弟と生きたい。
それはもう叶わない願いだ。
過去を変えたい。
持ってはいけない願いだった。
人を殺めた己は地獄行きだ。
それを横で傍観するしかなった弟も。
本当は、弟は天国へ行くはずだったろうに、俺が引きずり落としたも同然だった。
「供に修羅に堕ちましょう」
弟の声がする。
たった一人の家族の声がする。
「すまない…俺のせいで、お前まで。すまない!」
「何を謝る必要があるのです」
弟が困ったように笑った。
「すまない」
「もう。謝らないでくださいよ。俺が悪いみたいじゃないですか」
弟が俺の口を柔い手でふさいだ。
「ふふ、死後も、家族と過ごせて俺は幸せです。かみさまに感謝します。しあわせなんです」
いつか見た笑顔で、弟は目を細めた。
「喜んでお供しますよ。たった一人の家族じゃないですか」
気が付けば見覚えのない天井が見えて、沙耶はしばし茫然とした。
体を起き上がらせたがやけに重い。節々は動かす度に軋んで軽い痛みを訴える。
畳の部屋で、障子の向こう側が明るい。日中だと察せられた。
「起きたか」
男の声がして、ぎょっとして見やれば部屋の隅に冨岡が座り込んでいた。
周囲を見渡して、やっとそこが村の寄合だと気が付いた。
「私、供養をしていて、そのあと…。ああ、そうだ、ちゃんと祝詞、言えてましたか…?」
「小夜が言うには、すべて終えてから意識を失った」
「…そう、ですか」
ほっとした。
慰霊はできたようだった。
「そのあと、この村まで戻ってきた」
「あ、そうなんですか…」
どうやって戻ってきたのだろうか。彼の中で色々と端おられている気がする。
「お前は村の女たちにここで寝かされた」
「そ、そうなんですね。寝間着といい、あとでお礼しなくちゃいけませんね。…ところで小夜はどこでしょう…」
ふと視線を巡らすが、どこにも小夜の姿がない。
どこかへ出かけてしまったのだろうかと思っていれば、すっと障子が開いて桶を持った小夜が顔を出した。
沙耶が起きたのは気配で察していたのだろう、小夜は沙耶をじっと見つめると沙耶の隣に座って桶を枕元に置いた。
手を伸ばして、沙耶の額に手を当てる。
「…うん、熱はないね。からだ、痛いんじゃないの」
額にあった手は首筋にするりと移動した。おそらく心拍数を測られている。それからリンパの腫れ、腕を掴んで肩の動きも確認する。
おそろしくテキパキしている。
こんな子供、普通はいない。冨岡の目の前だというのに、小夜は少しも子供ぶるつもりはなさそうだった。
「どうなの」
「あ、えと、痛いですね…」
唖然としていると、小夜が返事を催促してきたので慌てて解答した。
「筋肉痛の範囲?」
「た、たぶん」
「視界はどう?かすんでない?耳鳴りや変なものが見えるとか」
「な、ない…ないです…」
「起きてすぐだけれど、立てる?それから壁まで歩いて戻ってきて」
「は、はい」
言われるがままに布団から起き抜けると着流しのままてくてくと歩いて壁まで行く。踵と返して小夜のところまで戻った。
戻ると、何となく布団の上で正座した。
小夜は座る沙耶を見て桶に入っていた手ぬぐいを絞って差し出す。
「顔を拭いて。髪はあとでいいね」
「あ、はい」
汲んだばかりの井戸水なのだろうか。ひんやりとして気持ちが良かった。
気持ちはよかったが…。
顔を拭き終えると小夜が手ぬぐいをさっさと取り上げた。めちゃくちゃ世話をされている。
冨岡はその様子を部屋の隅でただ見ているだけだった。
「あの…小夜…」
「なに」
声が低い。
「お、怒ってまヒエ…」
ぎん、と小夜が沙耶を睨みつけた。
怒ってますか、と聞こうとした沙耶は思わず小さな悲鳴を上げた。
「貴女はイタコじゃないんだ」
小夜がぴしゃりと言い放つ。
小夜の怒る理由に身に覚えがあった。
「あろうことか死者をその身に降ろした。耐性があるかどうかもわからないのに。下手をしたら死んでいた。分かるよね」
「わ、分かります…」
「結果鬼は心が揺さぶられて弟の名前を呼んだ、闇は晴れた。貴女は無事だった。けれど貴女はこんなところで命を落としてよかったのか」
「良くないです…」
呆れ切った小夜がこれ見よがしに息を吐いた。
「身の程はわきまえて」
「反省します…」
一通り言いたいことは言ったらしい。
小夜は桶を手に持つと飲み物を取ってくると言って席を立った。
残された沙耶は部屋の隅を見る。依然冨岡が幽霊のように座り込んでいた。
冨岡の正面まですすり寄っていけば、冨岡は少し驚いたようだった。
「この度は御助力ありがとうございます」
頭を下げて礼をする。
相変わらず表情のひとつとして動きがない。
表情筋が文字通り死んでいて何を考えているのか全く読めない。恐ろしく口が悪いが、この人自身は悪い人ではないのは何となくわかる。彼の組織はわからないが。
「鬼殺隊…でしたよね。私のことを伏せておいて頂く…というのは、できない相談ですよね」
「報告した」
「………」
取り付く島もなかった。というか、事後だった。
鬼殺隊。上手くいけば身を隠すのにちょうどいいだろう。だが、沙耶はそういった組織というものに関わらないように生きていた。大きな組織はメリットも大きいがデメリットも大きい。今のところ、沙耶には鬼殺隊はデメリットの方がおそらく大きいように思われた。
「お前は鬼を知らない」
「そうですね」
「だが鬼はお前を知ったかもしれない」
「え?」
「鬼は全て鬼舞辻無惨という男を通して繋がっている」
「きぶつじむざん…?」
「鬼の首魁」
いや鬼が、みんな繋がっている?
「つまり、私のことが全ての鬼に知られているということですか?ていうか鬼って何体いるんですか?」
「たくさん」
「たくさん」
抽象的すぎて分からないです。たくさんって、どれくらいたくさんですか???
わざと端折ってはなしているのだろうか。となると、聞いたところでまともな回答が来るとも思えない。
「お前たちはなんだか変だ」
「変」
「御館様に相談した方がいいと判断した」
「御館様……」
もはや冨岡の言を一部再生するだけの機械となった沙耶。冨岡が何を言っているのかがいまいち理解できない。
というか、変とは。これ如何に。
「変だから御館様に相談…アッ、もう報告したんですよねぇ!?」
こ、この人なにをどんな風に報告した!?
今までの話しぶりを見るに、壊滅的と言っていいほど説明は下手だろうことは察せられる。
なにをどんな風に伝えられたか考えるだけでも恐ろしい。
「とっ、とんでもない報告してませんよね!?」
「……」
冨岡がわずか…ほんのわずかにだけ首を傾げた。口で答えろと思わなくもない。
「例えば私がお化け見えてるみたいな!」
「書いた。魑魅魍魎の類に詳しい妙な目を持った女だと」
「私それ人間じゃないみたいじゃないですかぁ!!!」
あんまりだ。その報告訂正してください、と詰め寄ったとき、カァ!と烏の鳴き声がすぐ近くでした。みれば、襖の隙間から入り込んだらしい烏が畳の上に降り立ったところだった。
よたよたとバランス悪く歩いて近寄ってくる。沙耶はこの時、当然ながらこの烏が既に沙耶の命運を運んできたとは知らずに意識を富岡に向けた。烏はあとで外に出してやれば良い。
…様々な意味で直ぐに烏へ意識が戻るのだが。
「カァ〜…!不思議ナ女ハ、藤ノ家紋ノ家ニ連レテクンジャア…」
「え、うっっそぉ」
烏が喋った。