「月子殿、顔が白いですが…」
「知ってます…」

見張り兵にすごく心配された。理由は簡単で、これから登城して吉法師に会うからだ。吉法師がどの程度の地位の人間なのかは知らないが、この清洲城の人間であることくらいは知っている。そしてかなり(暴力的な意味で)やばい人間であることも察している。
何故そんな奴のために登城せねばならないのか。苛立ちと恐怖で頭がおかしくなりそうだった。
相手は城のそれなりに権威ある人物。私は人質の従者。……逆らえる訳もなかった。

「………見張りさん」
「なんでしょう?」

竹千代は城のすぐ傍…それこそ張り付くような場所にある邸に住んでいる。城門は歩けば10分程度で見えてきて、そこがこの清洲城の最も外側の門になる。お掘の上に質素だが立派な橋が架けられている。その橋の欄干に似つかわぬ人影を見つけて足を止めた。物凄く帰りたい。

「あの派手な人なんだと思います?」

紫色を下地とした着物だ。鮮やかな刺繍が離れた位置からも確認できた。まるで女性が着るようなきらびやかな着物を纏った男性が欄干に背を預けて立っていた。髪は戦国時代なのにチョンマゲとかではなく、現代にもありそうな短髪で無造作だ。後ろ姿だけで、物凄く嫌な予感をくすぐるオーラを放っていた。
不躾にもそれを指さして問うた私の指をやんわりと下ろしながら見張りがか細い声で答えた。

「………前田家の三男坊ですね。吉法師様に近しい方です」
「…………………つまり?」
「彼がお迎えでしょうね……」

見張りが肩を落としてそう言った。そうか、アレがお迎えか。…そうなのか。
思わず遠い目をした私は悪くないはずだ。暴力を暴力でねじ伏せる吉法師の、見た目から暴力的なチンピラ風の遣いの武家の子。

「吉法師って何者なの……」
「『様』を付けなさい『様』を。織田家嫡子であらせられるんですから」
「……えっ」

織田って、ひとつの勢力の名だ。その、嫡子。

「はい???」

つまりあれだ。城主の子。次代の織田を担う男。
それが、あのスマートに徹底的な暴力を行使する上総介という男。
知らなかったんですか、と呆れた目で見てくる見張り兵。いやだって、そういうの今までだれも言わなかった!あ、だから本持ってきたとき、家人がてんてこ舞いだったんだ!そういうことか!!…もしかしてまじで織田信長じゃないだろうな。
さっといやな予感がよぎったが気付かぬ振りをした。なんかそうだと思ったら現実になってしまう気がした。
さっきより明らかにスピードダウンした足取りで橋に近づくと、気配に気付いたのか女物の着物を着た男が気だるそうに振り返った。

「あんたか、月子っつうのは」
「えーと…」

素直にはいと答えられなかった……。

「あ゛?違うのかよ」
「いや、あってます。月子です」

答えたら今度は舌打ちが返ってきた。ちょ、なんなのこの不良!!
すぐ答えなかった私にも非はあるあるけれど!!ぶちぶちと血管がキレそうな、不良を前にして意味の分からない恐怖を感じるような、なんかもう意味が分からない。
動揺はぐっと押さえて、私はただひたすら男の言葉を待った。

「とりあえず付いてこいよ。吉法師様に頼まれてっしな」
「…はい…」
「お前…なんで呼ばれたんだ?」

知るか!!
心底不思議そうに見る男に、そう返したいのを耐えて、私は必死に笑顔を作って見せた。

「あはは…少し前に町でお会いしたときに、色々あったので、その所為でしょうか…」

ああ、いろいろあったな、とあの5分にも満たない一部始終を思い返した。
……正直心底会いたくない。関わっていると頻繁に血を見そうだ。
男はふぅんと興味なさげに返事をした。興味ないなら訊くな。
城内は思ったより複雑で、門をいくつか抜けてひときわ警備が厳重なところへ出た。大阪城のような天守閣があるわけはないが、立派なお屋敷がそこに悠然と佇んでいて、そこが城の中心だと何となく察せられた。
男はある部屋で足を止めた。屋敷の中まで複雑なので、もう帰り道なんてわからない。ああ、帰りもこの男のお世話になるのかな、なんて気が遠くなることを考えているうちに男が「吉法師様ー」と呑気な声で呼びかけたので、そこが吉法師の部屋なのだと悟る。
すぐにスタンと開かれた襖の先から、昨日も御対面した吉法師が出てきた。

「やっと来たか、遅いぞ」
「いやまだ朝早いですけど…」
「お前本当に躾役を送り付けてやろうか」

おっとしまった本音が…。ぱっと口元を押さえていれば、案内の男と見張り役の顔色が悪いことに気が付いた。あ、やっぱりまずかったです?
吉法師はわずかに顔を顰めた後、男と見張りに追い払うように手を振った。

「お前達は席を外せ。後で呼ぶ」
「ええー。俺も聞いてちゃだめなんですか」
「あまりいい話でもないのでな。必要なら言う」

いい話じゃない、だと…。戦慄する私の横で、おそるおそると言った風に見張りさんが手を上げた。とっても恐々と手を上げている。顔真っ青だけど大丈夫かこの人。

「わ…私は目付なのですが、離れていた方が…」

見張りさぁああん!!まるで神様を見るような気分で見張りさんを見上げた。もうほんといい人だわこの人!!思っていたのもつかの間、その見張りさんの言葉すら遮って、冷たい声が振りかけられた。

「俺は2人に離れていろと言ったつもりだが」
「ひい!ですよね!はい!」

駄目だった!!ていうか見張りさんにやけに冷たくないかこの人!!
派手な男とともに去ってゆく見張りの背中を見つめてみたが、彼が振り返ってくれることはなかった。世は無情なり。
その背を見えなくなるまで見送ってしまったのは無理もない。完全にその姿が消えたところで「さて」とお声がかかった。びくりと肩をはねさせ、恐る恐る振り返れば飄々とした上総介がいた。彼はくるりと身を返すとさっさと室内へと戻っていった。

「入れ。見せたいものがある」
「…見せたいもの、ですか」

一体なんだと思って繰り返してみたが、この場で答えてくれる気はなさそうだった。吉法師の後ろをついていけば部屋の端の机の上に整然と何かが並べられているのを見つけ、それに目を止めた。
……のが悪かった。

「ひぃいいいいい!!!!」

整然と畳んで並べられた私の服。ところどころ破けたり、落ちきらなかった血のあとが見られる。けど、問題はそこじゃない。

「(したっ…下着ぃいいいいい!!!!)」

まるで商品のようにポツリと置かれたブラジャーとパンツ(※可愛げゼロ)。そりゃ悲鳴もあがる。男性の前で並べるものじゃない。

「だっ……」
「だ?」
「男性が見ていいものじゃないんですぅうううううう!!!!」

ほかの服はそっちのけでとりあえずブラジャーとパンツだけ抱え込んで吉法師の視界から隠した。まじ無理。人生終わったに近い。
真っ赤な顔で隠す私に何か察するものがあったらしい。僅かにばつが悪そうな顔をしたが、それも一瞬のことだった。

「そんなことより」
「そんなことより!?」
「その裁縫技術、どこのものだ」
「……────」

思わず黙り込んだが、そのあとに「あ、やばい」と思いなおす。この反応はあまりに怪しい。だからと言って、どこで作られ、どんな技術なのかを伝える知識も方法も持たない。説明の仕方に困窮して、私は冷や汗を垂らす。
じっと私を見下ろして無言で答えを待つ吉法師に私は冷や汗の量を増やすほかなかった。
どれほどの時が経ったか。しびれを切らしたのか、吉法師が一歩こちらへ歩んできたのを皮切りに、滑るように私の口が動き出した。

「うああああ正直作り方なんてわからないんですよぉおだって町に普通に売ってるものだしいいい!私のいたところじゃ普通なんです!ホントに普通なんですううう!」
「ほう、どこの国だそれは」
「…………あーーーー…」

言えるわけがない。

「と…遠いことは分かりますが…なんというか、はい…」
「ほう」
「ごめんなさい、こればっかりは…」

だって未来から来たとか頭おかしいとしか思えない。普通は信じない。少なくとも現代の私なら迷わず通報を決める。この時代の上総介なら手打ちだろうなと途方に暮れた。
上総介は僅かに考える素振りを見せると、思い至ったように視線を合わせてきた。こわい。

「子供。お前の名はなんだったか」

覚えてないのかよ!!

「月子ですけど」
「月子」

凛とした声がひびいた。蘭と光る眼は少しの濁りもない。鋭くどこか柔い光が私を見つめていた。

「後にも先にも今だけだ」

何が?
そう聞きたかったけれど、水を打ったように静まりかえった部屋の中では声を発することができなかった。
部屋の中から見た吉法師は外の光を一身に背負う神のような風体だった。圧倒的な存在感を前に、私は一言として言葉を発することができなかった。
吉法師の薄い唇がくい、と弓なりにしなった。

「今ならお前が男だと言おうが信じてやるぞ」

まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。子供とは言え、どこからどう見ても女と分かる私にそれを言うのか。
それは無条件の信用だった。
おそらく、吉法師は私の下着や衣服を見て、その技術や柄の出所を必死に考えたのだろう。そしておそらく、調べさせもした。それでもその出所や技術が出てこなかった。だから私に聞いた。

当然だ。これははるか未来の技術なのだから。

「──…」

動かそうとした唇がわずかに震えた。言うのか、と。

この衣服の調べはつかない。再現もきっとできない。そして、その張本は彼自身の常識の外にある。
吉法師はそれを恐らく知っている。その答えを私が知っていることも。…それが人知を超えた答えであることも。
だが、答えを知っていてもその過程を私は知らない。
だから、未来から来たなどとは到底言えなかった。

「とても、遠い場所です。それだけは分かっているんです」
「如何ほど遠いのか」

どれほど遠いか。
まさか未来から等とは言えない。だが今、この状況で『嘘をつく』ことは許されないと感じだ。嘘をつかず、だが未来を覆い隠すにはどうすれば良いか。

「悠久の時をかけて、やっと辿り着ける場所」

ただ一つの、精一杯の真実を込めたその言葉を紡いだ。

 
ゆりのやうに