みていろ竹千代。現役大学生が勉強の仕方というやつを教えてやるからな。
めらめらと炎のように燃えた私は、その日はほぼ寝ずに机にかじりついた。レポート提出期限が1時間後に迫った大学生のごとく机にかじりついて本の中身と意味を調べ続けた。
そしてやってきた翌日。眠さを押し殺し、ないものとして扱いながら竹千代の部屋を訪れた。
さあ、計画実行である。

「たけちよー」

明るく声をかければ、竹千代は不思議そうに首を傾げた。

「はいこれ」
「…あ」
「借りてたよ。とぉってもおもしろかったぁ」

ニッコリと笑って言えば、竹千代が驚いたように目を見張った。

「よ、読めたのか…!?」
「もちろん!」

どや顔で言い切ってみれば、竹千代は信じられないとでも言いたげにおそるおそる孫子を受け取った。それからぺらりと表紙を開けたが、「うっ」と言葉に詰まってしまった。

「でもね、実は途中までしか読めてないんだぁ。だから一緒に読もう。ずっとひとりで読んでると暇なんだ」

そう言えば、竹千代が嬉しそうに笑んだ。

「わしも読む!」
「いいよいいよー。じゃ最初からもう一度読もうかな。どれどれ」

机にぺらりとめくった一番最初の文字。

「ええと、『孫子曰く、兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり』…?死生の地ってどういう意味だったかな?竹千代知ってる?」
「わ、わしは知らん…」
「困ったなぁ…。!いいこと思いついた!ちょっと待っててねー」

そう言って私は部屋を飛び出した。
我ながら随分とわざとらしい演技だとは思う。正直恥ずかしくて仕様がないのだが、それもこれも竹千代のためだ。私のためにも竹千代のためにも、強くなってもらわねばならないから。そのためにはまず知識だ。竹千代の脳はまだからっぽでスポンジのように吸収率が良く、しかも成長の可能性すらあるのだ。まさしく無限の可能性を秘めた子供なのだから、今のうちの教育は何よりの大事だ。しかもそれをできるだけのかんきょうが揃っているのだから利用しない手立てなどない。

どん、と置かれたそれは分厚く、冊数がとても多かった。

「月子…それなに…?」
「魔法の本だよ」
「魔法の本!?」

完全に混乱した様子の竹千代を目の端に、私はその魔法の本…もとい漢和辞書に手をかけた。

「ええと…『地』『地』『地』…あった!なになに?意味は…地面?ううん、なんか違うなあ…」

私が何をしているのか察したらしい竹千代はおそるおそる辞書をのぞき込んできた。

「これは?「下地」って意味」
「下地?死生の下地…兵は死生の下地…!なるほど、生きるか死ぬかは兵で決まるって意味だね!」

星でも飛ばしそうな声が出た。実際にちょっとテンションが上がったのは事実だ。竹千代が!竹千代が辞書に興味を持ったぞ!
こうして1時間かけて1ページを読み進めるという非常に進行己遅い読書を行った。しかしその間にも竹千代は分からないことは辞書で調べるということを覚えたようで、進んで辞書を開くようになった。さすがにまだ読めない漢字が多いので、それらは私が補助したが、分かると楽しいのか嬉々として漢字を覚えていく。えん、将来が有望すぎる。
子供の集中力は1時間だとよく言われる。故にそれで切り上げて、私は孫子と辞書を持って退室した。竹千代は少々物足りなそうだったが、明日を楽しみにするのも悪くないだろう。それに私は夕食の準備手伝いがある。

「月子!また教えてくれ!」
「うん、もちろん」

ひとまずは及第点だ。
私はにっこりと笑む。私の竹千代教育はまだ始まったばかりなのだ。

しかし、竹千代という子供を導く(というほどでもないのだけれど)には、私自身もしっかりを知識を身に着けておかねばなるまい。携帯の辞書からあらん限りの意味は絞り出しておこうとスリープ状態の形態をオンにした。

「…あれ?」

充電が80%に増えていた。何故。60%が見間違いだった?似た数字ではあるが、見間違るものだろうか…。私はタップしていた手を止めて、携帯を持ち上げた…。と、との時だ。携帯の隅っこがわずかに発光した。充電のマークだ。じゅ、充電しとる…!?
思わず机の上に戻したが、そうすると消える充電マーク。うそだろ持つと充電だなんて…。恐る恐るつまんで持ち上げてみれば充電マークは出なかった。
不思議に思って掌に乗せてみたがやはり出ない充電マーク。どいうことだ、と唸って形態を見つめた。…まさかと思うが、充電口に手が当たって初めて充電とかじゃあないだろうな。おそるおそる充電口を触ってみれば、案の定だった。充電マークが出た。

「…まじか」

おかげ様で優秀な知識ストックを手に入れたわけだが、心はちょっと微妙だった。なんだか静電気体質だと言われた気分になった。勝手に充電されてたのは、きっと手に持った時に充電口に指が当たっていたからだろう。

「って…本来の目的忘れてた…」

そう、携帯を開けたのはほかでもない。孫子の予習だ。今日のテンションを持続させようとは思っていないが、中身は把握しておく必要がある。私は携帯の漢和辞典と広辞苑を広げつつ、孫子を一人読み進めたのだった。

 
ゆりのやうに