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 経験上ノックであるスコッチ、ライ、バーボン、キールとは関われないまま時間だけが過ぎいつのまにか随分と髪の毛が伸びた。伸びて鬱陶しくなった髪をジンは俺を座らせて丁寧に乾かしてくれる。切らないことに意味はないが、ただ時間だけがすぎたことを実感してあまり好きではない。1人、また1人と組織のメンバーが変わっていくのに何もできない不甲斐なさと、何もできなかったと嘆く場面に出くわさないでよかったという安堵感。結局自分が1番可愛いのだ。


 噂やジンに入ってくる話で何人かが入れ替わっていくのを聞くが今度はライらしい。ライは確かスコッチを殺した後にヘマをしてFBIってバレたんだっけ?それで、結局逃げられて、キールがノックの疑いをかけられた時にジンの目の前で死んでみせるって感じだった気がする。そういえば、あの時確かに車には死体があったんだっけか?その作戦を考えた奴はなかなか残忍なことだな。ベルモットが望んだ通りシルバーブレットになった彼の作戦だろうか。今回はまだライがノックだったとバレて逃げられただけの様で、あまり終わりには向かっていない様だ。ただジンがかなり荒れてたからそのとばっちりを食らう立場にある俺は嬉しくないけど。ジンは、本当に鼻が効く様でノックじゃないかと睨みを利かせている奴は以前大体どこかの捜査員として組織に乗り込んできたメンバーなので日々冷や冷やして過ごしているが、バーボンとキールは今のところはまだ“疑い”ですんでいる様だ。


 そこまで考えて、時系列でいうとスコッチが既に死んでいることを思い出す。繰り返すうちに人の死に鈍感になっている事実が急に目の前に差し出されて目の前が真っ暗になった。あんなに、恐ろしかったはずなのに。俺の玩具で人が死んだと初めて聞いた時、あれほど胸がつかえるほどの衝撃を受けたはずなのに。慣れてしまう自分が怖い。このまま何も感じることなく人を殺す様になるんだろうか。繰り返すうちに人間性を失っていく。人じゃない何かになるんだろうか。中身だけでいうともう立派な化物か。だって死んでもどうせ繰り返す。だから自分の首を切るのだって怖くない。痛いことに変わりはないけどまたいつのまにか地に足をつけている。それなのにいまだ人の死が自分のせいであることが怖いだなんてその方がおかしいんだろうか。こいつらだって、死んで次の瞬間笑ってる。何も覚えてないから。じゃ、俺はなんで忘れない?何が足りない?どうして壊れない?どうして、壊れられないのだろうか。何年も繰り返しているから年数だけでいうといい歳になっているはずなのに精神年齢は子供のままだという自覚がある。妙に冷めているけど本当はいつだって誰かに許して欲しい覚えていて欲しい必要として欲しい。死にたい。消えてなくなりたい。うそ。死にたくない。薄暗く狭い与えられた部屋の隅で小さい自分が泣いている姿が消えない。泣くな。諦めろ。どうしようもない。喚いたってどうしようもないんだ。


「はっ、はっ、はっ」


 いつまでも忘れられない繰り返してきた人の生き死にや自分の死んでいく映像が脳みそで止めどなく繰り返されて、いつの間にか呼吸ができなくなる。指先が震えて力が入らない。ポタリとどこからか垂れてきた血が手に落ちる。背中に冷たいものが走って必死で拭おうとすると消えるどころか塗り広げされる様に赤に染まる。擦り合わせる手が血で滑ってぬるつく。なんで取れないんだ。俺のせいじゃない、俺は言われた通りに設計図を写しただけ、セーフハウスの住所を写しただけだ。拭っても拭っても血がどんどん垂れてくる。濡れた手に色な人の指がしがみつく様に絡む。離して、離してくれ!俺のせいじゃない!俺は悪くない!やめろ!


「ッ!」


 虫が這う様な感覚に手を振り払う。それでもべっとりと付いた血が取れなくて引っ掻く様に手を拭う。爪がひ離れない。俺には何もできない。何度も試した。お前たちが勝手に俺を置いて死んでいくだけだ。俺は、

「おい、スイ。何をやってる」


 急に声が聞こえて全身がびくつく。けれど内容までは入ってこなくて、どうにか呪いの様にへばりついて離れない血を、絡みつく手をなんとかしなければ。ああ、そうか。呪いか。これは、俺の呪い。俺のせいだ


「おい」


 腕をぐっと意識ごと引かれる。見慣れてしまった色白い不健康な肌に、長い銀色の髪。訳もわからず短い息をしていた喉がヒュッと音を立てて狭まる。ばちりと音がしたかの様に獣の様な鋭い瞳。はっと自分の手を見る。いつも通りの筋肉の少ない貧相な白い腕。血はついていない。『はぁ』とようやく息を吐き出すことができた。心臓の音も、もう煩くない。


「おい」


 手ばかりを凝視していると前髪を力一杯掴まれて目が合う様に上を向かせられ「うっ」と思わず声が漏れた。髪と共に引っ張られる頭皮の痛みに顔をしかめていると、不快感を隠そうともしない顔を鼻先がつきそうな程寄せる。嗅ぎ慣れた重いタバコの匂い。漂っていた意識を無理やり引き寄せられた様にジンの顔がはっきりうつる。


「ジ、ン」


「お前。俺に許可なく死のうとしてんじゃねぇ。死ぬときは俺に向かってくる鉛を弾く時だけだ」


 長い髪と痩けた頬、吊り上がった目。こいつの顔を見て安心する日がくるとは思わなかった。そうだ、手が。手を見ようと顔を動かすと髪を掴まれていたことを忘れていた。痛みに眉を寄せてから手を目線の高さまで上げる。赤くない。大丈夫、俺はまだやれる。このループから抜け出せる。


「うッ!?」


 返事をしないことが気に入らなかったらしい。突然鼻先を噛まれて声が出る。甘噛みどころではない歯形がついたのではという痛みに驚きすぎてさっきまであった手のぬるつく感覚も消え、曖昧だった空気と自分の体との境界線がはっきりする様だった。涙の膜を張った目で『何をするんだ』とジンを睨む。


「わかったか」


「わかってる」


「じゃあわざわざ確認させるんじゃねぇよ」


 品定めする様に俺を見てハッと鼻で笑うと一度グッと引き寄せてからようやく髪を離された。頭皮がじんじんと脈打つ様に痛む。前髪だけハゲたらどうしてくれるんだ。頭皮が薄くなったり、髪が白くなるほど生きたことはないけれどあることに越したことはないと思う。放ったらかしで伸びた髪もこうして掴まれることを考慮するなら切ったほうがいいかもしれない。肩甲骨あたりまで伸びた髪を乾かす係の飼い主は勝手に切ると起こるだろうか。すでに俺への興味を失ったらしい飼い主はテーブルに置いておいた俺が淹れたコーヒーを飲みながら何やら携帯電話に向かって相槌を打っている。近々別の組織との取引があると言っていたからその電話だろうか。


 コツコツ


「アニキ」


 ドアをノックする音が聞こえて低いウォッカの声が聞こえる。ジンの方を見ると顎で出ろと言われたので裸足のままドアの前までいき鍵を開ける。


「スイか。アニキは?」


「電話中。今から出るの?俺もいる?」


「いや、ベルモットの奴と情報交換に出るだけだから多分いらないと思うぜ」


「そう」


 今日は一日オフだと言われたからずっと部屋着だったのでついに着替えなければならないのかと思ったが俺に用はないらしい。まぁ俺自身に用がある奴の方が珍しいけど。ベルモットに会うと服装は適当と言うわけにもいかないからよかった。前にベルモットについていた時もそうだったが彼女は他人の服装にうるさい。女優だからだろうか。俺のファッションセンスが壊滅的だったせいだろうか。着れればなんでもいいから与えられたものを着ているだけなので今回の服は全部ジンに言われたウォッカが買ってきた物だったり、ジンのお下がりばかりだ。


「おい。車を回せ」


「ウス」


 電話を終えたジンがコートを引っ掛けてズカズカと玄関で立ち話をする俺たちに割って入る。避けるどころか押し退けられるのはいつものことなので廊下の壁に向かっておとなしくしていると顎を掴まれて顔を上げさせられる。


「お前はここにいろ。2時間ほどで戻る。」


「わかった」


 今度は最初からしっかり目があっているからだろうか。ふんと鼻を鳴らして解放されるがもうちょっと丁寧に扱ってくれないもんだろうか。…ジンの丁寧な対応って気色悪いな。ジンが靴を履いて玄関から出るまで見送ってから鍵を閉める。ホテルでも徹底的な施錠を仰せ使っているのでドアロックも。こんな商売をしている連中の方が一般人よりよっぽど防犯意識が高い。厳重に施錠せよという本人が鍵を持ち歩かないので俺はあいつが帰ってくるまで起きて待っていないといけないのだけれど。


 1人だと無駄に広い部屋のベッドに寝転ぶ。大きく弾むスプリングはいつもいた部屋のベッドにはなかった。繰り返していろんな発見をすることもある。ノックの人数や組織のメンバーの数。メンバーの内情。銃のばらし方。バレない運び方。人を殺してもバレない方法。ロクな知識をためてないな。暗く深い沼に沈んでいく様な感覚な中、工藤新一はいつだって光を追いかけている。俺も光を追い続ければいつか救われるだろうか。この繰り返しに差し込む光とは、なんだろうか。俺は何をすればいい?絶望も、とりあえず死んでからでいい。何をすべきか考えろ。まだ脳味噌は死んでないはずだ。バーボンとキールを誘導しろ。追手から逃れたライも上手く使ってまだ試したことのない最後を迎えるために


 







 


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