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 前にも増して施設に缶詰をしている。ジンと行動し始めて初めてと言っていいほど研究室と資料室にいる時間が長い。飼い主様も忙しいようで時折施設内で顔を見るくらいにしか会っていない。代わりにウォッカが様子を見にくることが増えた。ウォッカがくれる情報ではジンは大活躍なようでまたノックを嗅ぎつけたらしい。どうなってるの、その鼻。ジンに限らず名前付きはどいつもコイツも忙しいらしい。普段は外に出ていることの多いベルモットやバーボンまで組織を出入りしている。特にバーボンは目の下に隈を作っていた。大詰めも近いのだろう。次に会う時の彼はバーボンじゃないかもしれない、そう思っていた矢先だった。


 研究室の与えられた一角で黙々と必用な情報をバレない程度飛ばして記入しているとノックもせずにズカズカとやってきた銀髪に目を丸くする。


「こい」


「え」


 腕を掴まれて椅子から強制的に立たされる。そのまま引きずられるように部屋を出て廊下を突き進む。施設の端、タバコを吸いに出る人間しか使わないだろう非常口の前に来てようやく腕が解放される。


「何?」


 ジンが俺の扱いに関して人目を気にするような人間ではないのはわかっている。それなのにわざわざ人目が届かない場所まで移動する意味はなんだろうか。


「近々ここに強制捜査が入るらしい。必要なものを持ってさっさと出ろ。テメェは撃ち合いも逃げ足も遅い。いるだけ邪魔だ」


「場所は?」


「いつものホテルでいい」


 この場合のいつものはセーフィ用のホテルだろう。


「何か準備するものは?」


「ない」


「わかった」


「2、3日空けて合流する。連絡がなければ1人でも次へ移れ」


「うん」


 前々からもしもの時はどうするかは教え込まれてきた。組織の方針としては無駄にいろんな情報をもついい餌なので『逃げろ、それが難しければ自害』なのだが、ジンの方針では『立て直しの場合に必要な情報を持ち、なおかつ最終的には売れる餌』なので第一優先は逃げることだった。そこに飼い犬への情があるかは考えないようにしている。


 俺の返事に満足したのか振り向いてズカズカと歩き去る背中を見送る。こんなところまで引っ張り出して来たのに元の場所には戻してくれないらしい。まぁ開発部の人間とか研究員気質な奴が多くてジンが来るたびにビビり散らかしてるから一緒に帰らないほうがいいんだろうけど。とりあえず、部屋に戻って荷造りしなくては。持っていくものはそんなに多くなかったはずだが、抜け出すタイミングも見計らわなければ。


 その日、と言うのは本当に突然やってくる。近々って言うから2、3日とか1週間後だとか思うのは俺だけじゃないと思う。それがまさかその日の午後だとは聞いていない。


 荷造りの最中、やけにうるさいなと思っていたらドアを蹴破って流れ込んできたのはお揃いの防弾ベストを着た集団だった。研究員の何人かは逃げ出したようで見当たらない。せっかく荷物を持ってもう出るだけだったのに。今回はここで終わりだろうか。非戦闘員である他の研究員に倣って両手を上げる。流れ込んできた集団を見るとpoliceと書いてあるから今回は警視庁だけで乗り込んできたのか、はたまた手分けをしているのか。彼らの指示に従って大人しくしていると忙しそうに耳元を押さえて指示を出している人間にどうやら見覚えがある。


「バーボン」


 呟いただけなのに鮮やかな金髪は聞こえたかのように顔を上げ目が合う。耳がいいな、と思って少し笑うとズンズンと距離が詰められる。怖い。それじゃなくても苦手なのに。


「こんにちは、スイ。いや、初めましてですかね。あなたがこんなところで1人とは珍しい。忙しいみたいですね。久しぶりなので仲良くお話と行きたいんですが今用事があるのはあなたの飼い主のような名前を振られた幹部なんですよ。だから、どこにいるか知りませんか」


「残念、最近捨てられたんだ。俺も探してるんだどバーボン、知らない?」


 饒舌な口に圧倒されながらも乗ってやる。すると細められて目にあきらかな敵意が乗り、体を焼く様に突き刺さる。仮にもスパイだったのだからもう少し上手く隠してくれてもいいのにと思うがもうその必要もないからこそなのかもしれない。


「もし一緒にいても元々弾除け用の犬だからどのみち置いていかれたよ」


「どうですかね。彼は随分熱心に躾けていたようですから。でも居ない人間の話をしても仕方ないですね。どうですか?僕に協力しません?そうすれば刑が軽くなるように交渉しましょう」


「ははは」


「なんです?」


 あきらかにムッとしたバーボンに嘘つきと唇だけ動かす。お前は俺が憎くて仕方ないはずだ。どうにかできたかもしれないスコッチを助けなかった男。人を殺す道具を言われるがまま作り組織に貢献した男。数々のノックを見つけて消してきた男と一緒にいる、救いようのない人間。必要な情報を吐き出させるだけ吐き出させればわざわざ刑を軽くしてやるような価値もない悪党だ。警視庁から今度はFBIにでも身柄を流すんだろう。そんなに憎い男にもこんな軽口が叩けるのだからやっぱりスパイ向きなのかもしれない。彼は思ってもみないこと、相手が望む言葉をそれらしく話すのが得意なのだ。ジンが胡散臭いと言っていたのはたぶんそこらへんなのだろう。


「これ以上協力するの?」


「はい?なんの話です?」


「なんでもないよ」


「まぁいいです。大事なのは今からだ。たくさんの人を救う手伝いをしてください」


ほら、口がうまい。


「ところでバーボン、ライは元気?」


 今までの経験上ここにくるときは大体セットなので生きてるだろうという憶測でいう。ジンが目の前で死んだのを確認したはずだから俺は生きてることを知らないはずなのに知っているというサプライズ、ちょっとした仕返しだ。


「何故それを」


 綺麗な顔を歪めるバーボンの中で俺への怪しさが高まっただろうところに施設から出るつもりでドアの近くに立っていた俺の後ろから銃声と共に乗り込んできたのは埃と血で汚れた長い銀髪だった。逃げたと思っていたのに。


「スイ、来い」


「行かせると思いますか」


 この部屋は制圧したと思っていた他の捜査員達は別の部屋に行ってしまたり、研究員を連行していったのでバーボンだけがジンに銃を構える。ふらふらと吸い寄せられるようにジンの方に行こうとすると「動かないで」とバーボンに静止を呼び掛けられるが、どっちに撃たれてもいいやと思っているので一瞬止めた足を進める。すると何を思ったのだろう、引き金を抑えていない方の手で、長く伸びた髪を掴まれ体がつんのめる。ああ、やっぱり髪は短い方がいいのかもしれない。それをみたジンの腕に力が入るのが見える。バレッタの火花が。





 そう思ったのも遅かった。つい。反射で。勝手に。


 バーボンの方に体を寄せてバレッタと彼の間に入ってしまった。咄嗟の行動って怖い。自分でも何故こうしたか分からないから初めて見るような間抜けな顔をしていると思う。ジンの見開かれた目を見るのも初めてだけど。そういえば、今回の人生でジンが誰かに向かって銃を撃つところを見たのは初めてかもしれない。人が体温を失っていくのが怖い俺に配慮していたのかそういう仕事に連れて行かれたことはなかった。


 腹が熱い。踏ん張れないほどじゃないから立ったままつい熱く脈打つ場所を押さえる。ぬるりとした慣れた感覚。


「バカが」


 俺もそう思う。絞り出すように放たれたそれにはいろんな感情が乗っているような気がするけど俺には理解できない。バーボンも俺が自分を庇うなど思ってもみなかったのか後ろで固まっていたがジンの声に反応して俺の髪を離して両手で銃を構える。まだ俺が間に立っているから随分邪魔そうだ。発砲したジンに彼は容赦なく打ち返すだろう。だから死ぬまでは立っていられるまでは退くつもりはない。目の前で誰にも死んでほしくないのだ。どんなに俺を憎んでいる相手であっても、どんな悪党でも。


 必死に何かを言ってるバーボンの声が遠くに聞こえる。いいところに入ったのか腹にしては出血が多いようだ。視界もなんとなくブレる中でジンと目が合う。縋るように笑って目を閉じる。ゆっくり目を開くと伝わったのだろうか、ジンも笑っていた。


「Good night dogs.Sweet dreams」


 バーボンにだけ聞こえるように言うがずっと何かを言ってるから聞こえたかどうかはわからない。まぁいい。別に意味があるわけじゃない。さようならだ。今回はもう幕引きでいい。思い残すことばかりだがそれがあったからといって何になるわけでもない。できればこれで全部、全て、何もかもが終わりますように。


「先に逝ってろ」


 先ほどとは少しこちらにずれたバレッタの銃口が火花を散らす。後ろに体が傾く、そう思った後には何もわからなくなった。


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