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 目が覚めると男はいなかった。ガンガンと痛い頭が外に出ようとする体を押さえつける。腹が減った。それだけが頭を巡る。

血の滴るような肉が食べたい


 頭の中にもう1人誰かがいるような。肉が食べたいと叫んで離れない。耳を塞ごうが頭を打ちつけようが声がやまない。


 何か、食べなければ。わずかに残った理性で考えるが口からは獣のようなうめき声しか出なかった。まさに獣のように保存食を食べ尽くした。それでも声は聞こえる。


腹が減った。腹が減った。


 暴れ回った家の中はぐちゃぐちゃだった。欲求に振り回されて涎が止まらない。家から出てはいけない。きっと人も獣も分からず襲ってしまう。頭を自分で何度も壁にぶつける。気が狂ってしまいそうだった。


 暴れる体力も無くなってくるとより一層空腹だけに意識が入ってしまう。ふと、自分の足が目に入った。包丁を持つ。布を咥える。


 自分の足が、生えた。おかしい。俺は足を、だって着物も血に濡れて。それでも空腹は満たされず。生えた足に視線を落とす。そうか。布を噛む。包丁を持つ。布を噛む。包丁を、...切れ味がおちてきた。


 何度も繰り返してようやく思考が戻ってきた。家の中は傷と血だらけで、爪と髪が異様に伸びていることがわかった。何が起こったというのだ。まるで化け物じゃないか。何度となく足も手もはえてきた。


 肉が急速に再生する感覚を思い出して吐き出す。うずいてこそばゆいような、虫が這うような、気持ち悪い感覚。しかしそれでも血肉を求める空腹感。あれでは人を襲ってしまう。どうすれば。涙と鼻水と唾液でぐちゃぐちゃで、もう何も考えたくなかった。あの無惨という男は俺に何をしたのだ。


 人を殺してしまう前にと自分で死のうと思ったがそれも叶わぬこととなった。死んだ、と思った端から再生する。本当に化け物になってしまった。


「爺さま、婆さま」


涙と鼻水と血でぐちゃぐちゃの顔で空を見上げて縋る。2人ともとうに死んでいて誰も俺の声に反応しないと分かっていても誰かに助けて欲しかった。

そうだ、あの男、無惨を探そう。俺をこうした張本人なら何か知っているかもしれない。人に戻る方法や、死ぬ方法を


 夜更と共に家を出る。家を燃やそうと思ったが爺さまと婆さまが大事にしていた思いが詰まっていてそれは出来なかった。そんな家を離れなければならなくなったのも全て無惨のせいだ。あの男を、無惨を見つけ出して全てを聞き出したら殺してやる。


何もかもあの男のせいなのだ。気が狂いそうな飢えに何度も何度も自分を刻むことになったのも、大好きだった山から離れなくてはならないことも、ヒトではなくなったことも。


暗闇のなか爛々と光る赤い瞳を思い出す。


 どうか、誰も殺しませんように。どうか、誰か俺を殺してくれますように。どうかあの男が惨たらしく死にますように。


「太郎」
赤い目を細めてにんまりと笑う男の声が聞こえた気がした。


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