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 検査結果に異常がなかった彼はすぐに退院する運びとなった。チームや監督、スタッフと本人、それから医者のアドバイスによりチームへの練習は記憶のなくす前のように行うこととなった。その練習後は今の部屋へなじみのない彼を迎えに行くことも新しい俺の日課になった。

 退院前に

「ずっと仲が良くて、交通の便とお互いの家事の分担からルームシェアをしている太郎です」

 と一から説明した時は不安を与えないようになるべく笑顔でいようと思ったがたぶん、ぎこちなかっただろう。それでもチームメイトや同級生、後輩に囲まれて安心したのか「そっか。親からも聞いてる。よろしくお願いします」と笑顔で受け入れてくれて一安心した。

 そして今のところ、プロチームの練習は2軍に落ちたものの、楽しそうにバレーをしている姿を見ることができている。

 彼の迎えと平行して、机にしまった指輪を一人の時こっそりと眺めてなぞることが日課になっている。これを見て、もしかして思い出してくれないだろうかなんてディズニー的な考えが浮かぶ日もある。恋人だって名乗れもしないのにこんな「ペアです」という感じの指輪を見せることなんてもちろん出来ないけど、共有スペースの2人の大事なもの入れにしまったこの指輪に未練がたらたらで、無性に泣き出してしまいたくなる日もある。しばらく眺めたり指でなぞって遊んだ後またそっと同じ場所に戻す。ごめん、出番はまだまだ先みたいだ。

 最初は2人暮らしに戸惑っていた黒尾も段々と慣れてきたようで、記憶が戻るいい刺激になるのでは、とチームメイトや高校の知り合いがあちこち連れ出したり遊んだりと家を開ける日も増えてきた。

 「恋人の俺を置いて遊びに行くの」なんて口が裂けてもいえない。笑顔で見送る。

 そんな俺を赤葺や月島が訪ねて来てくれることも増えた。買ってきてくれた酒の勢いを借りて愚痴を溢す。

「こんなことになるならみんながいた酒の席で黒尾が『じゃあ俺らもそろそろ籍入れるか』って言ってくれた時に笑ってないで準備していればよかった。嘘。しなくてよかった。だって記憶をなくした上に知らない、しかも男とパートナーだなんて黒尾を余計に混乱させる。でもじゃあ俺はどうすればよかったの。あんな指輪買うんじゃなかった」

 缶チューハイを飲みながら思いの丈をだらだらと吐き出す。解決方法なんてありはしないので、言いたいだけだ。2人それを静かに聞いてくれる。こうやってストレスを発散させる場をもうけてくれるいい友達を持てたと心の底から思う

「大丈夫ですよ。太郎さんにべたぼれでしたからね、あの人。何回惚気聞かされたか」

「記憶が戻ったら泣きながら謝ってきそうだよね」

「で、そのあと太郎さんに謝る作戦会議に招集されるんですよ、僕たち」

「それは面倒くさいな」

 こうやって以前の彼の話をしてくれるお陰であれは現実だった、ちゃんと恋人だったと実感する。大丈夫、大丈夫。黒尾が落ち着いて、俺とも信頼関係ができて、だんだん記憶が戻ってきて、それからこういう話にアイツも混ぜよう。

「ありがとう、2人とも」

 お陰で少し落ち着いてきたというと2人とも笑ってくれた。

 けれどやっぱり、本人を目の前にすると「太郎さん」と他人行儀に話す彼と「太郎」と優しく微笑んでくれる黒尾が一致しなくて一緒に住んでいる筈なのに、顔を合わせる機会が少しずつ減って、最初は彼が出かけるたびに「どこにいくの」「誰にあうの」などと聞いていた俺もだんだん怖くて聞けずに小さく「いってらっしゃい」としか言えなくなっていた。

 『太郎、本当に好きだ。こういうの慣れてなくてむっちゃハズいんだけど!伝えとかなきゃ気がすまなくて!』

 叫ぶような宣言を聞いて、こっちまで恥ずかしくなったがそれ以上に嬉しくて幸せだったことを覚えている。お互いはにかみながら言った「愛してる」。記憶の中の優しい黒尾の声がだんだん思い出せなくなる。

 彼との距離を測りかねていた矢先

「太郎さん、俺今日彼女のこと行くから飯いらねーわ」

 彼の口からでた言葉は頭をバットで思い切り殴られたような衝撃となって脳に届いた。上手く理解できなくて聞き返すと

「今のチームのマネージャーの子でさ、ずっと好きだったって。可愛いし、彼女とかあんまり考えたこともなかったけど、記憶をなくす前は付き合ってたとか言われるともしかしたら思い出せるかもしれないじゃん?」

 はにかみなながら笑う彼に理解が追いつかなくて、足元が揺らいで地面が崩れていくような感覚に耐えて絞り出した言葉は、「そっか」それが精一杯だった。

 そのあとどんな顔で彼を見送ったかも、どう電話して仕事を休んだのかも覚えていない。

 カッと立ち上がってリビングの中央の台の棚を開ける。小さなピローケースを握りしめて大きくふりかぶり投げて壊そうとするが、力を入れた手を何度か振り下ろして結局力なく座り込む。

ねえ、俺はどうすればよかったの


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