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 全ての準備は整った。何が不信に思ったのかアバラスタに戻ってもずっと世話をしてくれている従者が時折こちらを見ている。聡い子だ。でも、こちらに連れてくるつもりはない。このままここで雇って貰うか、知り合いの屋敷にも話は通して、私の自由になる金のうち半分は彼にいくようにしてある。彼には幸せに暮らしてほしいのだ。あとは実行に移すだけ。失うものなど何もなかった。元々、何も持っていなかったのだから。


「やあ、ペル。国の復興について話があるんだ。まだ現実的ではないから話だけでも聞いてほしくて」


 にっこりと人好きのする笑みを浮かべて話しかける。上手くなったのは愛想笑いだけだ。彼は目を大きく見開いたあと目を背ける。やめてくれ。『分かりました』と素直についてくる彼を先に部屋に入るように促す。すっと先に入った彼の背後から逞しい腕に手錠をかける。


「太郎様⁉何を‼」


 流石この国の守護神。ペルは反応は素早く手錠を外そうと振り返り腕を振るうが脱力し床に崩れ落ちる。信じられないと言う目。悪いな、それ「海楼石なんだ」


 床に沈んだまま後ろ手にはめられた手錠を外そうとガチャガチャ音が聞こえる。『何故、どうして』声が聞こえてくるような必死の形相でこちらを見上げてくるから随分悪いことをしている気になる。いや、十分悪いことなのだけれど。


「なぜ!こんなことを」


 何故。きっと必然だったからだ。手錠を外そうと必死な音がガチャガチャと響く。なぜ、なぜだろう。こうすることが正解だから。もう他にどうしようもないから。
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「いい加減、この国から離れようと思ってね。国の都合の良いように消えるにはどうしたらいいのかとずっと考えていた」


ガチャガチャ


「ほら、私は昔から頭は良く回るだろう?それで私が死ぬか最初から居なかったことになればこの国に不利益は被らないだろう」


 そう思ったんだよ。そう続けると手錠の擦れる音がやむ。居心地が悪くてペルの背後に座り込む。昔、この背に憧れた。色んなものを守れる力を持っている背。私もこの背のように強くなりたかった。妹のように乗せて空に連れて行ってほしかった。


「でも自殺したら良い噂はたたないでしょう。病んだ王子が自殺だなんてああやっぱりって思われておしまいかもしれないけどね。役に立たないまま死んだ王子と悪評が立つのはこの素晴らしい国の王族に相応しくない」


「太郎さま」


 私か、それとも自分自身を落ち着かせようとしているのか穏やかな声で呼ばれる。どんな顔をしているかは見えない。視線が怖くて見れない。部屋を見渡して気を紛らわせながらペラペラと軽快に喋る。こういう時のためによく回る舌を持って生まれたのだ。


「だから、小さくても事件を起こせばこの国に最初から王子なんていなかった。存在していなかったと、そういう扱いをしてくれるんじゃないかと期待してるんだ」


 そのために全部捨てたのだから。体を捻ってこちらを見るペルの目には涙が溜まっている。なんの涙だろうか。申し訳なくて目を逸らし手錠を触る。ついでに触れた手は硬くて細かな傷がたくさんあった。


「チャカでも良かったんだけれど、彼は警戒心が強いだろう。お前の方が部屋まで来てくれそうだったから。ごめんね。そして、わざわざ話した意味がわかるね?」


 触れ慣れない他人の体温にどうして良いか分からず手錠から手を離す。大きな翼でどこまでもいける彼。何もかもに縛られ結局何も出来なかった自分。自由な翼をもつ彼とそれに載せてもらえる王女がうらやましかった。優しい彼に縋るわたしの哀れさが自分でもよくわかる。申し訳ない。どこまでも役に立たなくて本当に申し訳ない。どうか最後にわたしの望みを叶えてほしい。


「いつか、あなたの翼にわたしも乗せてもらうんだと昔はなぜか確信めいて思っていたよ。」


 変身すれば翼が生える背中を触る。この大きな背に守られているみんなが羨ましかった。みんなを守れるこの大きな背が羨ましかった。誰かを守りたかった。彼を、国民を、父と妹を。彼のように。チャカの様に。父である王のようにみんなを守りたかった。


 ちらりと視界に入ってしまったペルの目から涙がこぼれ落ちる。こんな人間に無遠慮に撫で回されれば嫌にもなるだろう。あわてて手を引っ込める。ごめん、ごめんね。もういなくなるから。申し訳ない。


 ドアの外では廊下をバタバタと駆ける音がする。事前に声をかけていた兵がやってきたのだろう。さあ、仕上げだ。誰かに貰ったお守りの鉱石で出来た小さなナイフを取り出す。わたしにお守りは必要ない。振り上げたナイフに息の飲む声が聞こえた気がした。


「さぁ、気張れ。この国の守護神よ」


 祈る神もいないのに目を瞑ってからゆっくりと無防備に転がったペルの腹に向けてナイフを振り下ろす。思ったより血が出なくてナイフを掌に数回突き刺す。そしてドアを開けようとする音が聞こえてそのまま血が溢れた部屋に飛び込んでくる兵士。


「ペル様⁉血が‼太郎様は何を‼」


 横たわるペルの耳に口を寄せて「すまない」と呟く。カッと目が見開かれてわたしを見るからどこまでも優しい人だなと情けない笑みが浮かぶ。バタバタと取り囲む様に増える足音にゆっくりと立ち上がる。手に持った血に濡れたナイフを落とす。


「見たままだよ」


 にこりと笑って兵を勢いよく押し退け港に向かうカルガモを用意した城の端へ逃げる。走っている途中にペルの叫び声が聞こえた気がする。


「太郎様‼お待ちください!太郎様‼この国にあなた様は必要です!もう誰も目を逸らしはしません‼太郎様」


「大丈夫ですか!」と声をかける兵士の間からもがく様な何を訴えている声。何もかもが手遅れだよと目を閉じて前を向く。


 城の端に用意していたカルガモのうち一羽に飛び乗り10匹で一斉に走り出す。港に付くと用意していた小さな船を確認する。息をずっと止めていた様な閉塞感を覚えて深呼吸をすると磯の香りがした。


「ありがとう、みんなの元にお帰り」


 頭を撫でて城の方へ戻っていくのを見守ると船に乗り込んで海へ出る。疲れた。島が見えなくなったところで船の上に寝転がる。これからぢうするかは全く考えていなかったが酷く眠たかった。


屋根のない小さな舟で横たわると日差しがジリジリと責めるように私を焼く。眩しくて開けられない目の奥で思い出すのは砂漠に反射した日の光。波に合わせてゆっくりと沈む意識のなかで早くに亡くなった母上がある砂漠の国の子守唄を歌ってくれた。ごめんね、母上。ダメだった。母は悲しそうに微笑む


 日に焼け、敗れや塗りつぶしているために所々読めなくなっている手記はそこで終わっている。



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