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祭壇のような、無駄に装飾のあるだけの檻の中には色んなものがあったのに何もなかった。
寂しくてわけもわからず泣いた時にこっそりと人から隠すように抱きしめてくれていた女の人はいつの間にかいなくなっていた。どうやら人と流れる時間が違うらしいと気づいたのは、祭壇の中でみた子供が自分よりも早く大きくなっていた時だった。周りの方が早く年を取るから自分が残されている。だからきっとこんな場所に閉じ込められている。
時折やってくる子供は何故か親や祖父母の長寿を自分に願う。しかし、そんなことを自分に願ってもこの成長の鈍い体は決して良いものではない。言葉も遅かった上に必要ないと読み書きもできない。一度傷を負えばなかなか治らないからとここから出されることもない。健康や長寿を願う様な親を持っている心が知れない。口の軽い子供や親切な世話人から少しずつ言葉を覚える。外の話を聞くだけでも面白く、楽しかった。しかし、彼らはすぐにここを去っていく。どんなに願っても親が死んでしまうとか、檻の中の生き物に余計な知識を与えた罰、とかで。そこで自分の扱いを知る。人でもなくそういう生き物。だから逃げ出さぬ様知識を与えてはいけない。そう言うことだった。
だが長くいれば耳も言葉を覚え理解する。拝んで行く人たちはいつも何かを祈ってた。
窮屈な檻の中で過ごすうち、自分が何やら古い家系の分家の分家、端くれであると食事を持ってきた老人に聞いた。なぜ突然その話をしたかというと死なぬ子供の噂を聞きつけたご本家がお呼びなんだそうだ。なんでもここで自分に金を落とす人間よりもいい値段をつけた、とかそもそも力の強いご本家に逆らえるなどできないそうだ。つまり、近々そのご本家に移動させるからという理由で境遇を聞かせ、言った先で逆らうなよ、ということらしい。どうやって逆らうというのだ、という風に笑って首を傾げるとどうやら癪に触ったらしい。目の前に置かれた膳を蹴飛ばられる。久しぶりだったのに、と飛び散った汁の様なお粥を頭を下げて啜ると卑しい生き物めと頭を蹴飛ばれた。確かに、飢饉や疫病に侵されることも働くこともせずずっとこの中で生きているだけのものは、苦しんでいる人間からすれば楽な生活だろう。信仰と共に世話をする者の怨みも集め、自分はなんなんだろうと柵の外の変わりゆく山々を見て思った。
何年そうしていただろうか。人に崇められ、蹴飛ばされているうちどこからか噂を聞きつけてきた人に引きずられるように外へ出た。なんでも自分の生まれの遠いご本家の方々らしい。そういえば昔、どこかの古い家柄の分家だと聞いた気がする。ご本家の方々、というのは随分お力のあるようでいつもはニタリとした笑みを浮かべている顔を知った人たちが揃って緊張でこわばった顔つきをしている。本人の知らぬところで合意されたそれはどういった内容だったのか連れていかれたお屋敷で拷問の様に繰り返されるお試しは自分があまり使い物にならないという結論に落ち着いたらしい。拾った手前捨てられないのか駒使いと解剖用でそのままお屋敷に腰を据える。与えられた納屋は柵がついていないだけマシかもしれない。
この度お生まれになったご本家の嫡男様はずいぶん珍しい目と術式をお持ちらしい。らしいというのは小汚く五条家に寄生する生き物にあえて教えてくれる人などいないから使用人たちが口にするのを聞いただけだから。それに結局術式だの呪力などがいまいち理解しきれていないせいだ。知りたいという気持ちがなかったといえば嘘になるがお前には必要ない、理解もできんだろうとみなさまがおっしゃるのできっとそうなのだろう。まあ山々の緑が時期で変わること土や花で空気の匂いが違うこと人の暮らしはどんなものかを知れた今、呪力が、力が、権力がなどに魅力を感じないことも一因である。
噂の嫡男様はすくすくと成長されたがその成長に伴いそれをよく思わぬ者たちから賞金をかけられているそうだ。幼子の命に金がかかっている様な世界では子供たちは生きづらいだろうなと思う。そんな折、地下にいる私に盾としてのお役目が回ってきた。洗われ髪を結われ小綺麗な着物を着せられご当主様の前に突き出される。隣に座る随分珍しい髪色の子が嫡男様だそうで深々と頭を下げたまま盗み見る。
「失礼のないようにせよ。お前はこれの為にいつも側に控え命にかえてでもお守りしろ。それ以外に使い道のないお前をずっと置いてやっている恩を忘れるな。これの為に生き、これの為に死ね」
「もちろんでございます」
本家の方に連れられた嫡男、悟様は何を言ってるのかわからないとでもいう様に首を傾げた。うやうやしく首をたれる私も勝手に連れてこられただけで恩など感じてはないなと思いながら小さく首を傾げた。
「よろしくお願いいたします、悟様」
「うん。名前は何?」
「太郎とでもお呼びください」
「太郎!今日から俺の護衛?」
「左様です。お好きにお使いくださいね」
昔、時折やってきていた子供を思い出して頭を撫でてしまったがこれは無礼な振る舞いになるだろうか。手を退けようとするとその下の顔が随分嬉しそうだったので良しとする。どんな家に生まれ力があっても子どもは子どもなのだ。
が、悟様の盾となってからも別段私の扱いに変わりはなかった。このお屋敷の中で1番価値のない人間なのだから仕方ない。一応は悟様の近くにいなければならないと皆知ってるので顔や人目のつく場所の傷は随分と減ったが減っただけで無くなりはしない。時折折檻だといって離れの地下、呪霊を溜めた肥溜めの様な場所へ落とされる。狭い部屋に長年閉じ込められ退屈な呪霊は都合よく落とされた玩具が随分お気に入りらしい。内臓を撒き散らし四肢を捥がれ逃げるする姿は呪霊も人間も好きらしい。泣きながら縋るボロを見て可愛いのうと歪む顔は本当に人間だろうか。
ただあまりにもボロ雑巾の様な姿で悟様の前に出るわけには、といつの間にか覚えたやり方で傷を治す。これが便利で、傷治りが遅い自分との相性が良かった。相性が良すぎたのか古いものと深かったものを残す以外跡形もなく消してしまう。まるで最初からなかったことの様に。そんなことができてしまう自分が気持ち悪かった。
そんな私にも一番近くにいる人間に悟様は懐いてくれた。ご本家や使用人の不満を言っては頬を膨らませる。神童と言われる彼も普通の子供なんだと微笑ましい。触れていると怒られるが小さな頭を撫でる。
「あまり無茶をおっしゃってはいけませんよ」
「えー、俺が悪いんじゃねーし」
そう不満気な子供に、いつか遠い山での記憶が引き出される。いつの世でも子どもが育つ様は早く、愛おしい。撫でる手を振り払わず心なしか嬉しそうな顔に安心する。大きく健やかに育って欲しい。出来ることならいつかの子供達の様に自由に。
しかし、そう上手くはいかない様で。
「お前、何もできないんだってな!」
『太郎!太郎』そう言って嬉しそうに話しかけてくれた悟様が自慢するように笑顔で仰られるので「そうでごさいます」としか言えなかった。震える肉塊を見て笑う人たちが脳に浮かぶ。何を今更傷ついたのだろうか。悟様が嬉しそうに名前を読んでくださるから元々の役割を忘れてしまっていたのか。ご本家の卑下た笑いが脳内に響き渡る。
そう言っていた矢先、呪詛師に襲われた。本来のお役目よろしく悟様を結界に押し込んでありったけの呪力を込める。何重にもしてあるので禪院の坊ちゃんくらいじゃないとたぶん破れないとは思うけどそれくらいしかできないので結界の外にハリボテよろしく立っている私は野菜の様に斬り刻まれ肉の欠片と血が宙を舞う。風を操って鎌鼬の様に攻撃してくるが物理攻撃なので傷ができた端から治していけば問題ない。精神的な攻撃じゃなくてついていた。肉が斬れるくらいならどうにでもなる。切っても切っても迫ってくる男が余程恐ろしかったのか呪詛師は恐怖に染まった顔でところ構わず切り裂いて術式で跳ね返すとあっさり死んだ。血走らせた目を見開いて斬られて死んでるから私が悪いことをした様で顔を背ける。
「無事ですか、悟様」
振り返ると大事に思っていた子供が転がっている人と同じ顔でこちらを見ていた。
屋敷が汚れるという理由で臓物を撒き散らさぬ様酷く叱られた。惨たらしい対応の仕方だったせいか悟様も以前の様に寄って来られない。せっかく与えられた役割だったのになと思うが幼子に見せるべきではなかったと反省もしている。結界の中を見えない様にするまたは逆に中から外を見れない様に出来ないかと色々試しているが才能がないのだろうなかなか上手くはいかない。
一方の悟様は着実に自分の力を扱える様になっており良くも悪くも畏れの対象となっている。術式が強いから、呪力が多いから、五条だから、そう言って世界に縛りつけられていく姿が少しばかり自分に重なって無理に誘って広い庭へ出かける。
「もう子どもじゃないんだけど」
「もちろんですとも。お付き合い頂いて嬉しい限りでございます」
少し不貞腐れた様に言う表情は私の周りを走っていたころと変わらないのに身長も随分伸びて顔つきも大人びてきた。早い。早すぎのではないかと思う。もう少し子供でいてもいいはずだと勝手に悲しくなって彼が小さかった頃の様に手を握って歩く。私が目の前で切り刻まれて以降あまり触れなかった手は振り払われなかった。
そして術式のほとんどを扱いこなし、一体自分が何者なのかを詰め込まれた彼は呪術師として歩むべく高等専門学校へ通う運びとなった様だ。悟様は次期当主となるべく作法や呪術訓練、実践などでほとんど家をあけるようになった。それに無限を上手く扱える様になってからは誰に襲われてもその攻撃がほとんどの確率で肉体を傷つけることがなくなりわざわざ貫通するかもしれない肉壁が存在せずとも自分のことは守れる様になった。つまり私は名目上は悟様の盾であることには変わりないがいらなくなってしまったのである。特にすることもなく屋敷をあるけば使用人に叱られ、ご本家方の目にとまればこの身で遊ばれる。そんなお屋敷を離れたくてどうにかならないとか掛け合った呪霊討伐をこなしていた。もうこのまま悟様とお会いすることもないのだろう。と思っていた。
「悟様の盾であることは覚えているか」
「はい」
「五条家の手を離れ東京へ行かれる。お前みたいなのでも居ないよりはマシだ。全てをかけてお守りしろ」
「かしこまりました」
「それに多感な時期だ。寄ってくる女も多かろうが悟様の種は五条家の物だ。無闇やたらと血族を増やしてもらっても困る。相応しい者に使い次を繋いでもらわねばならん。しかし男であれば欲が溜まる。何、お前は今と同じことをすればいい。良いな」
「はい」
一度も頭を上げないまま母屋を出る。どこへ行っても扱いは変わらないらしい。きっと悟様は嫌がるだろうなと思うが決定権がないので最低限の荷物をまとめる。とりあえずお屋敷からは出てるので目標としては本来の呪霊退治でもらえると言う報酬を御本家ではなく自分自身に入るようにすることである。教えてくれる外部の人がいるだろうか。1人では何もできない。さすが天下の五条家、ご本家方や悟様が仰ることは間違いない。
「実家に言われて来てるやつが何言ってんだウゼー。大した力もねぇ癖に意見しやがって鬱陶しい。俺はお前みたいな雑魚と違って怪我なんかしねぇんだよバーカ!チッくそ気分わりー」
足で寮のドアを蹴り談話室から出ていくのを
見送る。後ろを追いかけていくだろうと思っていた夏油君がお茶を淹れてそのまま腰を据えるので少し驚く。
「太郎は腹が立たないの?いつも君にはあんな態度だろう」
ちょうど親離れの時期と鬱陶しいほどの五条家からの圧から離れられると思えば余計なコブがついてくるのだから悟様の態度も尤もだと思う。
「言ってることは大体合ってるから。それに私もご実家は少しやりすぎだと思うしね」
夏油君よりも長いだけの傷みきった髪を束ねて自分の分もお茶を淹れる。
「全然話は変わるんだけど非呪術師について考えたことってある?」
「唐突ですね。無いけど。何か思うところがあるの?」
「呪霊って非呪術師から生まれるだろ。で、それを祓うために呪術師は命をかけてる。自分たちが生み出したものに殺されていくのを阻む大義ってなんだろうとちょっと思っただけ」
「大義って。大それたこと思うんだな、最近の子は。『まるでこの世界の仕組みってどう思う?』って疑問と同じ気がする」
「喧嘩売ってる?」
「まさか」
眉間に皺を寄せる若い彼はきっと本気で悩んだんだろう。湯気が立つお茶を見て考えを巡らせるけど上手く言葉にできるだろうか。
「どうも思わないですよ」
「え?」
「非呪術師といっても一般の人の中にも呪霊が見える人はいる。その中でたまたまそれを祓う力があって仕事があるって呪術師がそれに当たるってだけでそれ以上は何も。呪霊を1匹も作らせない世界にしようとすれば人類のほとんどは死ぬし私は仕事がなくなるし、スーパーもコンビニもない世界になってしまう。まぁ逆に多すぎて手に負えなくなるとそれはそれで困るだろうけどね」
最近任務終わりに寄ってもらうコンビニが好きだから機能しなくなると困ってしまう。
「呪術師なんてそれしかやったことない人間の方が多いんだから社会性を失う方が早いと思うよ」
ご本家の方々が権力や政治以外の仕事をしようだなんて考えたこともないだろうし他の古い家もそうだろう。呪術師しかいない世界で祓うべき相手もいないのにずっと政治で争ってると思うと想像するだけで胃が重くなった。そんな世界で生きるなら呪霊になった方がマシかもしれない。
「あんまり悩んでもしょうがないのでは?非呪術師でも呪術師でも救いようのない人間はいますよ」
私の知ってる呪術師なんてのは『呪霊にやられたのか、可哀想に』って肉に指を入れて傷を広げてくるような人間だよとは言わないでおいた。
湯呑みを持って考え込んでしまった夏油君の頭を労う様に撫でる。空になった湯呑みを簡単に洗って自室へ戻る。寝床へ転がりもし非呪術師になったら、とかもし非呪術師が消えてしまったらご本家の方は位が違うと思ってた人たちが消えるから偉そうにできないなと考えているうちに意識は眠気に拐われた。
この前ご本家に呼ばれていつも通りお勤めをしていたらそろそろ悟様に使っていただけたのかと聞かれた。無論一度もないので素直に答えると男はニタリと粘着質な笑みを浮かべてお前の役割は盾になること、そして御正妻を迎えるまで五条家の種を他所へ撒かないようにすることだと忘れたのかと散々殴られ蹴られた後に芋虫のように疼くまる体を開かれ使い方をご指導いただいたので早速悟様の部屋の前に来ている。
小さい頃から知る子に足を開くのは惨めで情けない。男の、それも小さな頃から見知った人間ならば余計悟様も嫌だろうと思う。そもそもそんな気が起きるのだろうか。
昔は居ないものとして扱われて居たからこんなことをさせられはしなかったのに。廊下の冷気をすって足の指が冷たい。
寮生なのでどうにもならないけれど壁が薄いとかは気にされるだろうか。自分の声はどうにでもなるだろうけど世間では男色は少ないと聞いたので仲の良い夏油さんに聞かれるのは嫌かもしれない。まぁどの道使っていただけないとまた折檻されてしまう。叱られて罵られるだけならいいのに。離れの地下がある限り部屋に戻るという選択肢はない。何やってるんだろう。大きく息を吐く。
「失礼します。私です」
「あー?なんだよ」
小さくノックすると意外にも部屋に上げてくださったので遠慮なく入り、そのまま服を脱ぐ。
「なんの用?」
そういって振り返った悟様はどんどん服を脱いで下着一枚になった私を見て固まった。そうなるだろうなと頭の片隅が笑う。
「使って頂きに参りました」
そう言って下着を脱ごうとした瞬間、頭が揺れた。平衡感覚を失って倒れこむと時差のように頬に痛みがやってくる。熱をもった痛みからすると握り拳だった様だがなんでだ。ご本家の方々に言われたように役目を果たしにきただけなのに。倒れ込んだ私の体をまたぎ、上から頬を掴まれる。口の中が切れてしまったのか少し鉄の味がする。何やら怒り心頭と全身から伝わってくる。ご本家の方とはやはり違う威圧感。特別な方なのだ。こうした痛みには慣れているはずの体が威圧され全く動かない。恐ろしいと言うよりは凄いなと思った。
「どういうつもり?」
「私は、ただ体を使って頂きに参りました」
「僕は望んでないよね」
「ご本家の意思でございます」
「お前の意思は」
「これが役割なのだと言われて参りました」
普段なら頬を掴む手に枝垂れかがるところを返事をするだけで精一杯だ。ご本家で叱られる。そしたら絶対離れの地下だ。玩具の様に投げられ詰られ肉の様に血を這う。それがどうしても嫌で怒り心頭といった様子の悟様に続ける。
「どうか、使っていただけませんか」
絞り出した声がまるで物乞いの子供のようだ、と頭のどこかで思った。情けない。仮にも男が自分よりも年下の子供に出す声ではない。みっともない声。よほど哀れに写ったのだろう。下がれ、とおっしゃる声に先ほどまでの怒りはなかったように感じた。服を着たところで廊下に押し出される。どうしよう。これではご本家に叱られてしまう。でも一応私からはお願いしたわけだし。結局もう一度戸を開ける勇気もなくジンジンと脈打つように痛みを訴える頬を抑えた。
反転術式のおかげでどうにか割り振られる任務をこなしている。悟様とは違って特級に勝てるほどの力はないのに嫌がらせの様に強い呪霊の討伐、もしくは面倒な力を持って呪詛師の身柄拘束ばかりが回ってくる。都合のいい駒だと言っても上手に動けるわけではない。毎回どこかに傷を受けては任務中一度死んでしまった方が回復が早い時はこっそりバレないように自分の心臓を弾く。作業的な自死を何やってるんだろうと自問しないことも無いがお屋敷にいる時とは違って任務での報酬が自分にものになると思えば頑張れた。
学校に慣れるにつれ単独任務も増えた。悟様は無限を使いこなしておられるから盾としてもあまり役に立たない私を視界に入れたくないのであろう。おそらくご本人の意思によって別任務なのだと思う。おそらくこの前、私の勤めを知ってから余計に近くに置いておきたくないようだ。罵詈雑言の嵐だったのが嘘のように関わるのも嫌なようで高専でさえあまり出くわさない。それこそ盾としての役割さえ成り立たないので怒られそうなものだがご本家に呼び出されることもなくなったので悟様が何かを仰ったのだと思う。
まぁ昔から一緒にいた男が急に裸で迫って来たら誰だって混乱するよな。ご本家の意思だと盲目的に思っていたけれど冷静になればそもそも私が彼らに従う理由はなんだっただろうか。家もなく利益もなく昔可愛がった子から蔑まれなんの為に搾取されているんだろう。
雑な盾が本家内でどういう扱いになっているのかはわからないが、ご本家に行かなくても済むならありがたいことはない。しかし、いつまでも顔を合わせずに同じ高校に通うこともできず寮で出会したり同じ任務になると雑魚、愚図、本家の犬とおっしゃるのを大変申し訳なく思いながら聞いている。本当のことであるし、私としては悟様にご不快な思いをさせない様に顔や姿を隠していたいのだけれどその様な術式も力も持っていないのでどうしようもない。うまいこと神隠しというか姿隠しの術とかないだろうか。そう言うと夏油さんも家入さんも呆れた顔で見ているが一応側に控えていなければと任務外や高専内にいらっしゃるときはなるべく気配を消している。呪術って万能じゃないなと残念に思う。
しかし、今度の任務ではそうは行かない様だ。星漿体の護衛には人数を掛けよ、ということらしい。それに星漿体は呪術界をよく思わない連中から高額な賞金を首にかけられている様で値段が張るものには強力な者が集まるということから本来の盾としての仕事が回ってきた。ああ、これで役に立つかもしれない。
星漿体が同化の為、東京へ戻る。それを狙う呪詛師集団と宗教集団に雇われた人を薙ぎ倒す。星漿体や天元様にそこまで執着する根源はなんだろうか。呪力を込めつつ体術で出来る範囲を制圧する。先に進んだ星漿体は悟様と夏油くんが護衛しているので大丈夫だろう。
と思った瞬間。
圧倒的な力と真っ黒な髪、しなやかな無駄のない筋肉の動き。
「禪院の坊ちゃん?」
そんなまさかと声をかける。どうにか受け流した拳が骨まで響き痺れる。土煙の中にやりと浮かぶ笑みにあわてて体勢を立て直す。
「あんたは変わんねえな。どういう仕組みだ」
「体質と申しますか...」
簡単に繰り出される重く急所を狙ったか蹴りや殴りを必死で避ける。いくら治るといっても坊ちゃんの力で殴られれば血が出るどころか肉もろともいってしまう。
「坊ちゃんはご存じかもしれませんが私の術式は結界です。呪力の量によって大きさと個数を変えられますが明確な想像がなければ成立しません。また呪力で強度を増すため自分より強い呪力を持つ人を閉じ込めるのは難しく結界ごと消滅させることはできません。逆に力の弱い者であれば結界の中にいる時のみ共に消滅させることが可能です。強度をかえれば移動手段や攻撃を跳ね返すことも可能です」
「ご丁寧にどうも」
術式の開示によって底上げした呪力でも甚爾坊ちゃんの体の速さに結界の生成が間に合わない。上手く顎へ向けて勢いよく作った結界を伸ばすのに研ぎ澄まされた五感で避けられる。こちらに向けられる拳の向きを変えるだけでも汗が滲む。
「それと今は禪院じゃねえんだわ。伏黒って呼んでくれ」
ニヤリと笑う顔が昔のむくれた顔を思い出させる。
「は?」
呪力がないだけでそれ以外は最強だといっても過言ではない坊ちゃんを禪院が捨てた?呪力がないから?そんな理由で?
「それは禪院が?」
「いや、俺の意思だ」
その言葉に息を吐く。
そうか、彼は禪院を抜けれたのか。
抜けた故のこの仕事いうことか。それにしても呪詛師以外にできることはあっただろうに。それでも
「坊ちゃんが生きやすそうでよかったです」
心の底からの言葉だった。一切の呪力を持たずして禪院家に生まれた彼の扱いは五条家にいらした時でも明らかだった。
「そう見えるか」
「以前よりは」
進行方向や攻撃の向きに仕掛けた見えないはずの結界をその身体の力によって破壊する。足や関節を狙って体勢を崩させ直接攻撃を受けない様にするのがやっとだ。それほどの力を持っている。
「ちなみに子どももいる」
「えっ」
驚きすぎて生成中の結界が作ろうとしていた高さの半分ほどで止まる。それにちょうどよくつまづいてくれたので後頭部を狙って勢いよく結界を出すが何を察してか咄嗟にしゃがまれて攻撃できずに終わる。
「男のガキだがもしかしたら相伝かもな」
ちょっぴり嬉しそうで悲しそうな顔を見てその頭を無茶苦茶に撫でてやりたくなる。嫌がる顔でされるがままだった小さな頭。彼の子は頭を撫でさせてくれるだろうか。
「今幸せですか、坊ちゃん」
「あそこに居たころに比べりゃあな」
「...そうですか」
じゃあいいか。ここで頑張ってもしょうがない。呪詛師だろうがなんだろうが小突かれ蹴飛ばされていた子どもが好きに生きてるのだから。
呪術界にも特に未練があるわけでもない私が彼を止める理由もないと気づいた途端力が抜ける。底上げし体を覆っていた呪力も抜け自分の周りに張っていた結果も解ける。
「あ゛?」
「あ」
結界をぶち破るつもりで放たれた坊ちゃんの拳が胸に突き刺さる。肋骨をへし折り体内へ入った拳は鉛のように硬く重い。体格のいい彼の拳で支えられる様に宙ぶらりんな足の先から血が流れ落ちしていく。
白目の多い大きな目を見開いたあと似合わない丁寧さと優しさで瓦礫にもたれるように横たえさせられる。ぐちゅりと音を立ててゆっくりと抜かれる腕に肉片や内臓の欠片が付いていて気持ち悪いだろうなと申し訳なくなる。
「何やってんだよアンタ」
「いやぁ、気が抜けました」
嘘ではないと笑って見せると呆れた顔をされる。まぁ戦闘中とは思えない気のぬきようだと自分でも思う。
「甚爾坊ちゃんの邪魔をする理由を見出せなくて」
「そりゃ星漿体のお守りだろうが」
わかってますよと首をすくねる。でも任務自体は悟様と夏油くんに来たもので私自身はおまけのおまけだ。それに本当になんの為に立って戦ってるのかわからなくなった。自分の知っている人とわざわざ対峙する意味が。甚爾坊ちゃんと悟様が戦うところを見たくなかったっていうのも少しある。どのみち甚爾坊ちゃんの攻撃をいなすのがやっとの私が悟様の近くに居ても邪魔だろうし生き残っても盾の役割を果たせず言及されるだろう。要は自分勝手な責任逃れでもあるのだ。
すぐ星漿体の方へ行くと思っていたが最後を見てくれるらしい。彼は反転術式を使えない程弱った私の横にその巨体を丸めてしゃがみ顔を覗いてくれるが逆光で見えない。その顔を確かめたくて手を伸ばすと血で汚れるのに避けないで触らせてくれる。優しい子なのだ。あんな扱いをされる謂れはない程、優しく強い子なのだ。そんな子が前に進み自分なりに歩んでいる。それなら世界がどうなろうともどうでもいいと思えた。
「甚爾坊ちゃん」
元気で。血と泡と唾液に塗れた言葉は届いたかどうかわからない。このまま静かに命を終えればいいのに。折れた骨が内臓や肉を貫いて痛い。拳が抜けた分中身を風が直接冷やす上にいつまでも流れ出る血が体温を失っていく。それでも横に自分のものではない体温を感じてよく眠れる気がした。
硬い床で目が覚める。体を軋ませながら起こす。血まみれの制服からボロの着物に変わっている。ああ、戻ってきてしまった。狙ったかの様に納屋の戸が開き眩しくて目の奥が痛い。逆光になって人相がわからない誰かが入ってくる。
「お前は死んだことにしてある。本当に役に立たないな」
ああ、これはまた折檻部屋だと思ったが癖とは凄いもので顔は申し訳なさそうな笑顔を浮かべてすみませんと口から音が出た。おそらく悟様が止めておられたお勤めも私自身が死んだことになってるので無効ということらしい。薄手の着物がなんだかひどく重たく全身に枷をつけられたように感じた。
暗く、湿った地下には折檻用に飼われている呪霊がいる。等級は低いものの、何も与えられず放り込まれた生きるだけの私にとって彼らは十分に脅威だった。高いところから必死で逃げ惑っている私を笑う声がする。やれ捕まっただの、逃げ足が早くなったなどと歪んだ声を耳に入れる余裕があったのは最初だけだ。息が上がる。捕まって握り込まれた左足がバキッだのメキョなど音を立てて潰れる。気まぐれに持ち上げられ叩き落とされた私に投げて落とされたのは酒瓶だった。瓶の割れた鋒で呪霊に向かうも闇に紛れていた別のものに叩かれる。たったそれだけで壁にめり込むように潰れた私が目を覚ますとご本家の方々に囲まれていた。人間の残虐さというべきか、傷んだ私でもお役は務められるらしい。前後に揺さぶられ傷をえぐられる。痛みで歪んだ顔をいじらしい、可愛らしいと覗き込む方々から目を逸らし、遠くへ意識を飛ばした。
暗い部屋から離れのなやへ上がると時々出くわす奥様方や娘様方に叱られる。こんななんの役にも立たぬ人間の、しかも男に旦那様や息子様が取られてしまうのは腹立たしいことなのだ。最近のご本家の女性方々はお言葉だけで熱湯をかけられたりしないだけお優しいのだと思う。
幾日か、幾年か過ぎ暗い地下と食事と風呂の為の納屋だけを行き来する。高専に行かせていたけたことがどんなに幸運だったのか身に沁みた。唯一の救いは痩せぎすのボロは性欲の対象にはならなくなったことだろうか。時折、昔はかわいそうだと思ったのだろう女中が手当て用の包帯や甘味をくれた私の為に泣いてくれた人がいたなと、小さな思い出に浸っていたからだろうか、ご本家の方に本邸に呼び出された。急いで風呂を浴び、着物に袖を通す。座敷の畳から額を上げられない私に告げられたのは再び高専へと赴くことだった。
「最近の悟様の行動は目に余る。伝統と家計を重んじてきた御三家にあるまじき行動だ。禪院の子供を引き取り自分の手が届く範囲に置いて行くなど言語同断である。いくら六眼と術式を継いでおられてもそれら全ては五条家に貢献すべき能力だ。引いてはお前は長期に渡り監視と報告ができよう。一度顔を知ってる人間故悟様も何か漏らすやもしれん。動きを探り本家に報告せよ。それに忌々しいモノが受肉し悟様がそれを保護下へ置いた。呪霊を腹に飼うものにまともな人間はおらん。この格式高い呪術界に何かあっては遅い。わかるな」
声だけでも悟様を煩わしがっているのがわかる。元々神童だの呪術界の宝だのと高貴な者として扱われ皆その力を欲していたのに。私が下にいた間に何かが変わったのだ。それが何かを聞くこともできず頭を下げ続ける。禪院を捨てたと言っていた甚爾坊ちゃんの顔が浮かぶ。塵でも宝でも手に余れば扱いは同じかと嫌気がさす。
「重々」
そう返事をすれば、身一つで東京へと送られた。
悟様は結局私を使っては下さらなかったし、役に立たない雑魚と常々おっしゃり本家の犬だと嫌っておられた。東京へ行ったとて必要な情報を私に漏らすとは思えない。それに一度は死んだと報告されているはずの人間が突然現れて受け入れられるだろうか。結局情報を漏らせるほどの信頼関係がない私はこの命をきっと成功させることはできない。そうなればまた同じ処遇を受けるだろう。隙があるとすればこのご本家から遠ざかる今しかない。
この間に上手く死ねばいいのだ。甚爾坊ちゃんと戦って良かったのは死んだ事実を利用して逃げれるということだ。事実死んだことにしてあるとあの時ご本家方が言っていた。
懐かしい制服に袖を通し、話は通してあるという学長に案内され高専内にいらっしゃる悟様へご挨拶にむかう。久しぶりにみた同じ顔を酷く哀れそうな目で見る学長にはご本家が無理を言ったようだ。何も聞かれないのでなんとなく事情は察しておられるのかもしれない。
校舎から出て校庭へ続く廊下を進んでいくと人の声がする。どうやら悟様は1人ではないらしい。何人かの生徒に囲まれているようで立派に教職を務められているようだ。記憶の中の悟様とは少し雰囲気が違う気がする。
「はーい、悠仁はもうちょっと呪力の扱いを覚えること。恵は体力だね」
生徒たちにアドバイスをされている姿は私の知っている彼ではないような気がしていつもそうではあるけど下にいる間に世界は変わってしまうと思い知らされる。
「五条、今日から入る転校生だ」
「ああ、この子が言ってた!僕は五条悟、よろしく、えっ、いや、は?」
「ご無沙汰しています、悟様」
私の顔を見て固まる姿は記憶のものより背が高く最後に見た時より刺々しい気配がなりを潜めていた。きっとあの時よりも随分強いのだろう。じっと見ているわけにもいかないので恭しく頭を下げる。
「え?先生知り合い?」
先程まで投げられていた明るい髪の男の子がケロリと起き上がってきて尋ねる。知り合いといえば知り合いだが彼にとってはどうだろう。曖昧に微笑んで誤魔化す。
さぁ私を殺してください。今度は上手に逃げてみせますので。
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