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この世界へ来てからは目まぐるしく、ゆっくり考えている暇はなかったけれど、仲よく話す山田親子を見ていたら、急に父親が恋しくなった。
いま現在、学園に入るために父親代わりとしてもらっている山本ではなく、桜の実の父親のほうだ。
もう長いこと顔を見ていないし、そもそもこの世界から帰れない限り、父親とはこのままずっと会えなくなるのだと、いまさらながら気がついた。

「ん、桜? こんなところで、ほうき片手にどうした?」
ほうきを手にしているのだから、掃除をしていると取られてもいいものだが、桜は全く掃除をしていないのだから仕方がない。
声をかけて来たのは土井先生だったようで、桜が振り返れば、何やら難しそうな顔をしてあちこちに首をめぐらせていた。
何かを探しているようにも見えるが、状況把握なのだろうか。
「……父親でも恋しくなったか?」
少し向こうに仲のいい山田親子がいるからって、本当に土井先生の理解力には頭が下がる。
ずばり、その通りだったけれど、桜はわざと訂正する。
「恋しくなったのは父ではないですけどね」
正しくは離れて暮らす兄だと誤魔化しつつ、桜はいまの状況に我慢できなくなる。
本当のことが言えないのはともかく、桜には帰るところそのものがここの世界にはない。
それが桜には悲しかった。

「……土井先生。胸貸して下さい……」
これではホームシックにかかったみたいで、さらにはそれで泣きそうになる自分が恥ずかしく、桜はそれだけ言うと、土井先生の胸に顔を埋める。
土井先生の背が高いのか、桜が低いのかは知らないが、ちょうど胸の高さに頭があるのだ。
本当は涙を見られないようにと、零れないように堪えようと思っただけなのに、土井先生が背中をぽんぽんとやさしく叩くから、我慢が利かなくなって涙があふれ出す。
一度泣いてしまったら、もう止めるのは難しくなってしまい、桜はそこでしばらく泣いてしまった。
始めから思っていたことだが、本当に土井先生はよき兄のようだと、尚更強く感じていた。



父親とは、もうすぐ夏休みだから会えるということで、とっさに離れて暮らす兄と言ってしまったわけだが、家族構成は雑渡たちと決めてあったので、特には困らなかった。
しかし、土井先生に隠していてもらったにも拘らず、桜が泣いたことを知っている人が数人いて、非常にばつが悪かった。
忍者は情報が早いのかと思ったが、正門の前で泣いていたのだから当たり前だと言われてしまえば、返す言葉もない。



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