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投げ出された身体を起こしていた桜は、立ち上がるようなことはせず、半身を起こしたままの体勢で土に寄りかかり、またしてもため息を吐く。
蛸壺に続いて、落とし穴に落ちた自身に、自ら呆れているのかもしれなかった。

「……新実先輩、大丈夫ですか?」
今度こそそう聞けば、桜はその体勢のまま首だけ動かしてこちらを見上げて来る。
穴の中が暗いせいか、桜の顔は泣き出してしまいそうにも見えたが、意外にも気丈そうな声が戻って来た。
「大丈夫よ」
穴に落ちているわけだから、まるきり大丈夫というわけにもいかないだろうが、本人はどうやら大丈夫そうだった。

「いま、手を……」
お貸ししますよ、と続く筈だった鉢屋の言葉は、桜によって遮られる。
「気にしないで? せっかくお風呂に入ったのに、汚れてしまうわよ?」
それなりの深さだし、勢いよく引き上げたら鉢屋も泥だらけになるかもしれない。
それくらいは予想が付く。
だから、桜がそんなふうに言うのも、わからないでもなかった。
「……この先は一人で平気だから、もう戻っていいわよ。送ってくれてありがとう、鉢屋くん」
急にそんなふうに言われるが、この状態で放ったまま戻れると思っているのだろうか。
もしかしたら、普段の鉢屋なら戻っていたかもしれないが、いまはそういうわけにはいかなかった。

送ってくれてありがとう、と桜は言ったが、礼をもらえるようなことなど、何もしていない。
二回も穴に落としては、送った意味などない気がして、鉢屋は落ち着かなかった。
あのとき、なぜ自分が送ると言ってしまったのかはわからないが、自分で言った以上、中途半端は許せなかった。
それにさっきから一つ、気になっていることがある。
どうしても解せないことがあるから、はいそうですか、とは聞けなかった。

土に寄りかかったまま動けない桜を見て、鉢屋は考えていたことを確信に変える。
「……新実先輩。どうして穴から出ようとしないんです?」
そう聞いてみると、桜はさっきみたいにこちらを見上げることはせずに、ただ口を動かすのみで答えてくれる。
「疲れたみたいだから、少し休んでから出るわ」
ゆっくり息を吐き出しながら言う桜は、確かにどこか疲れているように思えた。
「……せめて、穴から出てから休まれては?」
ぶっちゃけてしまえば、桜がどこで休んでようと鉢屋には関係ないことなのだが、さすがにこんな夜では気になって仕方がない。



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