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軽く桜ににらまれても、立花は軽やかに笑っているだけだった。

穴に落ちたときに鉢屋が助けてくれたと、そこだけ桜が説明すれば、立花がまたくすっと笑った。
「それはまた、ずいぶん好都合な登場だな」
まるで狙っていたんじゃないかというような口振りに、今度は鉢屋が顔を顰める番だった。
「新実先輩が穴に落ちるのを待っていた、とでも言いたいんですか?」
問えば、そうは言ってない、とあっさり返された。
だが、確実に腹の中ではそう思っていそうだった。
「私は風呂上がりで、月を見ていただけです。新実先輩が、あの時間に通るなど、微塵も知りませんでしたが?」
時刻も時刻だったし、何より鉢屋がいたのは五年の長屋だったのだ。
桜が通るとは、考えられるわけがなかった。

どうだかな、と立花が茶化すように言ったことに、鉢屋はかちんと来たが、それまで口を挟まずにいた食満に、先手を打たれる。
「やめないか、二人とも。桜を蔑ろにして、熱くなる話じゃないだろう?」
いつの間にか、立花はからかう相手が変わってしまっているし、途中から別の感情も入ったような会話に、食満は呆れたようなため息を吐く。
やれやれと言いたそうだ。
「それに、そもそも桜は……」
「留三郎」
さらに何事か言いかけた食満は、桜に制するように遮られ、ハッとして言葉を止めると、すまん、と言ったきり、続きを言おうとはしなかった。

「そもそも桜は……何だ?」
聞き咎めた立花が問い返すが、食満は打ち消すように首を横に振る。
「何でもない、忘れてくれ」
そう食満は改めて言ったが、いまの口振りからすると、他に想う人がいるとか、相思の相手がいるといったように聞こえた。
「好い人がいるとは聞いたことがなかったが……違うのか?」
食満が口を割らないと悟ったのか、桜に視線を戻し、立花は質問する。
真っすぐに向けた立花の視線が居心地悪かったのか、桜は落ち着かなげに俯いた。
「そういう話じゃないわ。でもいまは……言いたくない」
反応が気になるのか、目線を外したままそう桜が言えば、立花はスッと目を細めたが、それ以上を聞くようなことはなかった。

これ以上ここにいて、また立花に何かを言われるのは御免だったし、桜の様子がわかっただけで充分だったから、鉢屋は早々に退散することにした。
「……では、私はこれで。新実先輩、ゆっくり休んで下さい」
それくらいは言うべきじゃないかと思ったので口にし、鉢屋はスッと立ち上がると、木戸に手を掛けた。



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