挿話



「毎年、こんなに暑いんですか?」
そう桜が言ったからか、時間を見つけて雑渡が屋敷から連れ出してくれた。
きっと桜の時代よりは暑くないのだろうが、それでも暑いと感じる自分が軟弱なのだろうか。
雑渡にも抱えられて出て来たが、桜とは裏腹に、雑渡は涼しい顔をしていた。

何か用事があったのか、あとでまた迎えに来るからと言って雑渡がどこかへ行ってしまったので、桜は連れて来てもらった木立の中の一本の木の根元で、時間を過ごすことにした。
木陰なので凌ぎやすいし、時折吹き過ぎる風が気持ちがいいので、気にならなさそうだった。
ああ、でも多分、誰かいるなあ……。
目を閉じると、少し離れた場所に人の気配を感じたので、雑渡が部下の人を残して行ってくれたのかもしれなかった。

さらさらと風が草を撫でる音や、鳶が鳴きながら旋回する音なんかが聞こえるだけの静かな時間が続いていたが、まるで思い出したかのように蝉が一斉に鳴き出したことに、桜はビクッとして飛び起きた。
ミーンミンミンミー、と主張するように強く鳴く蝉が一匹いるだけでも凄いのに、次から次へと隙間なく鳴いているところからすると、何匹かいるのかもしれない。
木の根元に座り込んでいる桜からでは、蝉の姿は一匹くらいしかわからなかった。

そのうち、ジワジワと鳴く油蝉まで加わって、静かだった辺りは蝉の鳴き声だけで埋め尽くされる。
自分がいた世界で、こんなに大合唱している蝉の鳴き声を聞いたら、ただただ暑苦しくてうるさいだけだったが、いまの桜は気にならなかった。
きっと蝉時雨というのはこういうのをいうのだろうかと、感心にも近いことを思いつつ、降ってくる蝉の声を思ったよりも心地よく感じながら、桜はゆっくり目を閉じた。

「……眠い?」
目を閉じていてもまぶしかった木漏れ日が遮られ、暗くなったような気がしたと同時に、すぐ近くからそう声をかけられた。
眠っているかそうでないかは、呼吸の仕方でわかっていると知っていたから、桜はすぐに目を開ける。
「蝉の声を聞いていたんです」
おかえりなさい、と声をかけてから桜が言うと、雑渡はフッと一つ笑っておかしそうに言葉を返してくる。
「そんな真剣に聞かなくても、嫌というほど耳に入って来るのに?」
雑渡にとってはきっと何でもない、よく耳にする瞬間なのかもしれなかったが、桜にとっては、こんなに蝉の声を聞くことなど滅多になかった。
「こんなふうに蝉が鳴くのを、初めて聞いた気がするので、心地よくて」
そう桜が言えば、雑渡は仕方なさそうに息を吐いて、やさしい提案をしてくれた。
「それなら、もう少しだけ、聞いて行くといいよ」
あんまり時間はないけどね、と言いながらも、急く様子はなかったから、そんな雑渡に礼を言うと、桜はまた目を閉じた。



End.




















**
蝉時雨が書きたかっただけの話。
雑渡さんの登場が少なくてすみません。



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