キリスト誕生の朝に寄せて

ふわふわと湧き上がるぬくもりに胸がくすぐられる。
もぞもぞと足を動かすと、何やら冷たいものに足の先が触れた。
そのぴりぴりと神経が痺れるような刺激に、ぱちりと瞼が開いてしまった。
のそり。
身を起こそうと腰に力を入れるが何やら強い力に阻まれて起き上がることができず、そのままだらりと毛布の中に身を横たえた。
だるい、眠い。
ぼけっと自らの動きを拘束する青白い腕の先へ視線を移すと、藍色と漆黒の中間色のような長い髪が彼の首から肩にかけてのラインを飾っていた。


「…腕どけてよ、」


自分の身体を覆い包むように回された腕をぺしぺしと小突く。
しかし、当の細っこい腕の持ち主は、一向にその色違いの瞳を見せようとしない。
ぴちりと閉じられたそれを無理やりに開いてやろうとしたが、煩わしそうな唸り声をあげてはねのけられてしまった。
あの六道骸が無意識下でこんな庶民じみた芸当をするのか、といささかしみじみしてしまう。
この男も一応は人間だったのだ。
整いすぎている外見や薄気味の悪い両の目と幻術などはむしろ、人ならざるものに近いような気もするが。


「おい、起きろよおばけ」


封じられた動きの中で、最大限に足をじたばたさせてみたものの、まったく意に介さないと言わんばかりにすやすやと寝息を立てている。
おい、起きろよマジで。
私の方は目が覚めて時間が経ったせいか、だんだんと空腹感が仕事をし始めたらしい。
ぐるぐると胃の鳴る音が聞こえる。
脳内では、今朝は少しお散歩がてらに近所のカフェで朝ごはんを食べようかという優雅な計画が持ち上がる。
イタリアの朝は穏やかで、賑やかで、その雰囲気が好きなのだ。
しかしながら、それもこの三年寝太郎をたたき起こすミッションに成功してからの話。


もう、早く起きてよお、お腹すいたんだけど。
ごろんごろんと寝返りを打って振動で揺り起こす作戦に出ようとはした。
とはいえ、自力でこの男の腕を動かせそうもなく。
筋力的には問題がなくとも、骸はとにかく長い。
体格差がすぎて、そうも簡単にこの厄介な男の腕から抜け出すことは叶わなかった。
ふむ、と考える。
自分にろくな考えが浮かばないことは自覚していたが、今回とてやはりまともな案は出ず。


「……、」



ちう、と薄い唇に吸いついてみた。
ぱちり、その直後に至近距離でかち合う視線。
思いのほか簡単に瞼をあげた骸におはよ、と声をかけてみれば、目を覚ましたばかりの彼は未だ覚醒しきらぬようなとろんとした瞳でなにやら一言つぶやいた。
イタリア語だったのか、何を言ったのかは分からない。
骸には、時にぽろりとイタリア語が口をついて出る瞬間がたまにある。
それは例えば、発熱にうなされた時であったり、眠い時であったり、今回のように寝起きであったり。
要するに、彼の頭が十二分の働きをしない時にその異国の響きは姿を現す。
当然、わたしには彼が何を言っているのかは分からない。
しかし、きっと今朝のそれは「おはよう」的なニュアンスの言葉だったのだろうと一人で決着をつけ、にへら、と笑ってみせた。


「…まだ寝ていなさい、」


どうやら、さっきのイタリア語は「おはよう」ではなく「寝ていろ」の意だったらしい。
不機嫌げに細められた瞳が、睡眠の邪魔をするなと語っている。
寝起き特有の、低くかすれた声を鼓膜が拾ったと思いきや。
むぎゅう。
再び腕の中に捕らえられ、やや乱暴にシーツに押し付けられた。
ちょっと、ちょっと!上を見上げれば、低血圧のおばけは再び瞳を閉じてしまっている。
くそっ、こいつ!
このまま二度寝に入るつもりか!
カフェで優雅に朝ごはんを食べる目論見がこのままでは潰えてしまう。
このまま精神世界の散歩に戻らせてなるものか、と骸の耳元で「お腹空いた」を連呼してやった。



「お腹空いた」
「……」
「お腹空いた」
「……」
「お腹空いた!!」
「……」
「おーなーかーすーいーた!!!!」
「うるさい!!」



がばっ、寝坊助おばけが耳を手で塞いで身体を起こす。
ふふん、ここまでくればもうわたしの勝ちだ。
目を覚ました骸は、やれやれと呆れたように額に手をやっている。
分かりました、分かりましたよ、と。
遂に惰眠を貪ることを諦めたらしい。
がしがしと長い髪をかき上げるように頭を掻いて緩慢な動作でベッドから足をおろした彼に満足して、私もベッドから飛び下りた。







「君、化粧をしないと本当に中学生みたいな顔してますよね」
「若くて可愛いって意味だよね、ありがとう」
「とっても可愛いですよ、慎ましやかなその胸のサイズといい。」




うるせー、胸のサイズはほっとけ。
無言で骸の皿から生ハムを強奪してやる。
昔から必ず冷蔵庫にハムをストックしておくほどの男だ。
サラダのハムをくすねられて、みるみる内に眉間にシワを寄せている。
それを華麗にスルーして、私は優雅にカフェ・オレに口をつけた。
シンプルな陶磁のマグカップの中で揺れている珈琲は程よい甘味とミルクの豊かさが舌に嬉しい。
こくん、と嚥下すれば、寝起きの身体がゆっくりと覚醒する心地がした。



「僕のハム、」
「意地悪なこと言うからでしょ。自業自得。」
「せっかく君のわがままに付き合ってこんなところまでやってきた僕に対しての扱いが酷すぎませんか」


コンコン、とカフェの机を小突く。
オーク材のナチュラルな可愛さのあるテーブルの上では、生ハムだけが欠けたサラダが骸を嘲笑するように無言のまま佇んでいる。
無言でじっとりとこちらを睨んでくる骸の赤い方の瞳が、ぐるんぐるんと数字を変えていた。
あ、こいつ結構怒ってるな。
こんな朝のカフェで幻術など使うつもりは毛頭ないのだろうが、それにしてもうっかり能力を使ってしまいそうになる程度には腹が立っているのだろう。
食べ物の恨みはげに恐ろしきかな。
なんだかその分かりやすい態度がおかしくて、私は自分の皿にあったソーセージを彼の皿へ移してやった。


「はい、これでおあいこ」
「はあ?僕はハムが好きなんであって、ソーセージは別に好きではありませんよ」
「しょーがないじゃん、わたしもう食べちゃったんだから。」
「......なら、帰りに市場に寄りますよ。ハムがないとこの気持ちが収まらない。」
「あんたどんだけハム好きなの......」



黙々とサラダを口に押し込んでゆく彼を眺めつつ、私はもう一度カフェオレを胃に流し込んだ。
そこで、ふと珈琲豆がきれていたことを思い出す。
そうだ、市場でついでに珈琲も買っておかないと。
それからハムと、ああ今晩の夕食用に食材も。
一つ思い出せば、それからは次々に必要なものが頭の中から飛び出してくる。
これは骸にちょっとがんばってもらわないとなあ。
私はイタリア語がまだ不自由で、買い物一つすら満足にできないのだ。
このあたりは、わたしだけでなく一緒にイタリアに移ってきたツナや山本も同じだからボンゴレ本部ではそう問題ではないけれど。
それでも一度仕事を離れてプライベートの生活となると、私一人ではどうにもならない。
骸がいてよかったのかもなあ。
ふいにらしくない感情が沸き上がる。
いつもケンカばっかりだし、ムカつくことの方が多いけど、こうして異国の地でなんだかんだと私の面倒を見てくれているのだから、すこしは骸に感謝しなければいけないのかもしれない。



彼も食事を終えたのか、窓の外などを見ながらコーヒーを口にしていた。
外は快晴、安息日に相応しい穏やかな日差しが石畳に射している。
大通りの方から賑やかな市場の声が聞こえて、胸がわくわくし始めた。
休日なのだ、家で寝ているだけなんて勿体ない。
優雅にモーニングを楽しんで、市場で買い物をして、その後は何をしようか。
ちゅんちゅんと小鳥のさえずる音と、午前の太陽と、澄んだ街中の空気。
どれも骸は嫌いだと聞いた記憶があるけど、たまにはいいじゃない。

街路樹は青々とその葉を空に広げ、あちらこちらのカフェからは芳ばしいコーヒーとパンの薫り。
日の光に満ちた通りへ彼を連れ出すのが待ち遠しくて、腕時計を確認した日曜日の午前10時のこと。





(キリスト誕生の朝に寄せて/六道骸+10)


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