*艦これぱろ
*秋刀魚イベあたりの話
すう、と。自然と手が空中へ伸びる。気が付くといつもそうだ。
何一つとして論理的な思考回路を通らずに、この手は空を掴もうともがく。
視界はいつも気が付けばコバルトブルーと白。
人間が水や食べ物を求めるように、艦娘が燃料や弾薬を求めるように。
わたしたちは空を求める。
きっとそれが、空母の本能なのだ。
艦載機を飛ばすことはできても、自分の身で飛び立つことはできない。
それなのに空に一番近い場所にいて、いつ沈むかも分からない身体で飛び立つことを夢見ている。
きっと、わたしはこうして沈む瞬間も空へ手を伸ばすのだ。
「みょうじ?」
隣でまどろんでいたはずの提督が、ふと私の顔の前でひらひらと手を振る。
それに、はっと視線を合わせれば、怪訝な色をした瞳とかち合った。
「君、変ですよ。いきなり空中を見上げたかと思いきや、こちらが何を言っても反応しない。どうかしたんですか」
「いや…別に。なんでもないけど。」
そうですか?提督の赤い瞳が、探りを入れるように私を映す。
なんでもないってば、もう一度同じことを言っても、さして効果はないようだった。
「…よく上を見ますよね。君たちは。」
ふと、提督がそんなことを言ったのは、先ほどのやりとりから数十分経ったころだった。
遠征組も第一艦隊もまだ帰ってこない。
こうして鎮守府内から出て、消波ブロックに座ってみんなの帰りを待っていることにも、飽きてきた頃。
提督は、つぶやくようにぽつりと口にした。
「よく気づいたね。」
「気がつきもしますよ。君だけでなく、他の空母もそうでしょう。ぼんやり空ばかり見ている。」
空母の癖か何かですか。
提督の問は的を射ているようでそうでないような、わたしにも何とも答えがたいものだった。
癖、と言われれば近いような気もするし、違うような気もするのだ。
本能…、いや、ただの癖なのかな。
本能だなんて、そんなに大それたものではなくて、ただ空に憧れているだけの癖なのかな。
「わたしにもわかんないけど、」
馬鹿馬鹿しい―、そんな提督の嘲笑を避けるために前置きをする。
「ただ、わたしは…地上ではすごく苦しいの。」
ざぱん、そう大きくない波がブロックにぶつかって砕ける。
同時に、ばさばさとゆりかもめの羽根音が聞こえた。
「わたしはね、空母の本能だと思う」
別に、他の空母とこういうことについて話したことがあるわけではないから確かではないけれど。
「わたしたち、きっと他の子よりも空に対する執着心が強いの。」
提督は、ほう、と興味深そうに相槌を打った。
ひとまずは一笑に付されずに済んだことに安堵し、そしてまた驚きもした。
変なの、いつもは忙しいからってわたしの話なんか真面目に取り合ってくれないのに。
「空への執着心、とは?飛びたいとか、そういう欲求ですか?」
今日は本当に暇をこじらせすぎたらしい。
こんな取り止めのない話に乗ってくるだなんて、きっと表には出さないけれど提督もよほど退屈なのだ。
ざぶん、ざぶん、波が打ち寄せては消えてゆく。
それでも、わたしと提督の暇はまだまだ消えそうにない。
「うん。飛びたい。艦載機を飛ばすだけじゃなくて、自分で、自分の身体だけで。」
「……、」
「なんかね、変なの。提督に建造してもらってから、一度だって空を飛んだことなんてないはずなのに、身体は覚えてるっていうか…。とにかく、ワケわかんないの。昔は飛べたのに、急に飛べなくなったみたいな。」
「よくわかりませんね。」
「だよね…。」
分かってもらえないのは、最初からわかっている。
わたしだって普段は彼のケッコン艦として、秘書艦として、一番の理解者であるような顔をしているけれど、提督のことを全て理解しているわけではないのだから。(というより、お互いに完全な理解に至っていないから私と提督は喧嘩が多いのだろうし…。)
弱ったなあ、どう説明すれば雰囲気だけでも掴んでもらえるだろうか。
うんうんと頭を悩ませていると、隣で提督が藍色の長い髪を揺らして、もしかしたら、と口を開いた。
「パラレルワールドの自分の記憶かもしれませんね。」
パラレルワールド。
聞いたことはある。
提督たちが会議をしている間、食堂で航巡の黒川や雷巡の笹川とそんな記事が載っている雑誌を読んだことがある。
あの時は、ありえねえわ!と少々馬鹿にしていたのだけれど、こうして物知りの提督がそんなことを言うと、少し信憑性を感じてしまう。
「もしかしたら、パラレルワールドの君には自分の身で空を飛ぶ能力があったのかもしれませんね。」
「なにそれ〜、そんなの空母どころか艦娘ですらじゃないじゃん。艦娘じゃないなら、パラレルワールドのわたしは何やってんの?烈風だったり、流星改だったりするの?」
「そうですね…、」
ふむ、と白い手袋に包まれた指を軽く顎にやって、考える。
提督が物を考える姿は好きだ。
薄く伏せられた瞼と藍色のまつげで目元に落ちる影が色っぽい。
ゆらゆらと潮風に揺れる髪も美しい。
そんな彼の姿を視界に留めながら、すう、と潮風を肺にため込むように深呼吸をする。
秋口の少し冷たい空気が身体の内側からわたしを冷やしてゆく。
これだけ夏から気温が下がれば、秋刀魚も大漁だろうか。
「もしかしたら、」
提督が先ほどのわたしの問への解答を口にしたころには、私の脳内は戦艦のMMや重巡のクロームが獲ってくるであろう秋刀魚のことでいっぱいだった。
朝方、熟練見張り員や探照灯を山ほど積んで北方へ出撃した僚艦たちの姿を思い浮かべてにやにやとしていた最中、突然に提督の低い声が耳元で聞こえたものだから、驚いて背筋が伸びる。
「…もしかしたら、君も人間なのかもしれませんね。」
「パラレルワールドのわたし?」
「ええ、」
「え〜、人間なのに空を飛べるの?ありえなくない?」
思いのほか、提督の解答が突飛だったことに笑みがこぼれる。
珍しいことだ。
生真面目で口うるさくて常識人の提督が、こんなファンタジックなことを言うなんて。
暇で頭でもやられたのか。
けれど、くすくすと笑うわたしとは裏腹に、彼は真面目くさった顔で海の向こうを眺めている。
「…、君はそうやって笑いますけどね。」
静かに両の目を閉じて、ぽつりとこぼす。海は相変わらず荒れるわけでも波が止むでもなく、ただただそこに在るだけ。
水平線のあたりで、どこかの鎮守府が演習でもしているのか―、砲撃の音が聞こえたと同時。
左手をきゅっと弱い力で握られて、思わず黙ってしまった。
「…もしかしたら君も人間で、僕と同じ年の頃で、一緒に学校に通ったり、勉強をしたり、休みの日にはどこかに出かけたり…、そんなことがあるかもしれない。」
「は、」
なにそれ。
そんなこと、なんで今いうのかな。
なんでそうやって、幸せそうにしちゃったりするのかな。
「…ばかじゃない、夢見すぎだってば」
「夢…、でしょうかね。そんなパラレルワールドも、あるとは言い切れないがないとも言い切れない。」
ふ、と。
この世の幸福を吐き出すように笑む提督が憎らしいと同時にいとおしい。そんなことを言われたら、どうしていいかわからなくなる。
普段はわたしのことなんかほったらかしで、ММのご機嫌取りに走ったり、クロームのことばかり愛でているくせに。
どうして、他の子がいないときに限って。
ちら、と隣を見てみれば、提督はふいと顔をそらしてしまった。
しかし、結わえられた髪の向こうから除く耳は、うっすらと赤みを帯びていたのが丸見えだった。
「ねえ、提督。」
「なんです、」
「…もしかしたら、さ。わたしが人間だったり、提督とわたしがおなじ学校に通ってたり、そんなことがあったらさ、」
そんな夢みたいな世界があるだなんて、ありえはしない。
パラレルワールドなんて、きっと都合のいい妄想でしかないのだろうけれど。
想像の限りは、この飛べないわたしの身体も完全に自由だ。
「…わたしと骸は、どんな関係なのかな。」
どうでしょうね、
彼の返答はそっけなかったけれど、やや強引に抱き寄せられた肩から伝わる熱と、傾き始めた太陽の赤い光と、それから。
やわく触れた唇の熱で、彼の言いたいことは通じてしまった。
日の沈みかけた水平線の向こうでは、第一艦隊の帰投を告げるラッパが鳴っている。
きっとこの先もわたしは飛べないままで、この地上の息苦しさは何も変わらないのだろうけれど。
それでいいのだ。
提督がこうして、たまにでも私を大切にしてくれるのなら。
(それが幻だとしても/六道骸+10)