車輪は回る
セバスチャンの消えた後を探すにも飽きたのか、劉は楽しげに暴走しつつある窓外の馬とその制御に汗を流しているグレルを眺めている。
同じく、自身の執事が奮闘している様を呆れたように見ていたマダム・レッドは、グレルがどうやら遠回りをしたらしい雰囲気を感じ取り、やれやれと腰深く座り直した。
ハァ、と収拾のつかない事態に嘆息をしてシエルの方へ向き直る。


「セバスチャンはああ言ったけど……」
「うちの執事がやると言ったんだ、必ず何か掴んで帰ってくるだろう。僕らは紅茶でも飲みながら待っていればいい。」


頬杖をついて興味もなさげに過ぎ行く景色を視界に流しているシエルをチョイチョイとつつき、マダムはニヤリと悪戯めいた瞳で彼ら姉弟を見つめた。
劉も劉で、マダムがファントムハイヴ姉弟をからかおうと笑みを深くしたのに気がつき、目敏くその黒曜石のような瞳に彼らの姿を写す。
相変わらず、自身に愉悦を与える事態には敏感な男である。

 
「えらい信頼してるのねぇ……。名前もずいぶんセバスチャンのこと気に入ってるようだし。」
「はっ……!?そ、そんなことはありません!!別に気に入ってなんて……」


これは完全にシエルがからかわれる流れだと高をくくっていた名前は不意打ちを喰らい、先程までの澄ました態度を一変させた。
慌てて叔母へ視線を差し向け、直前の彼女の言葉を否定するように白いレースの手袋に包まれた両の手の平を表にしてぶんぶんと振る。
その度に、彼女が手首に滲ませていた百合のパルファムが車内を飾るように香った。
ほんのりと彼女の頬が赤く染まっているのは、恐らくはマダムの言があながち間違いでないことを自身でも自覚しているせいであろう。
その様子に劉とマダムは図星だと口角を上げたが、この流れを気に召さなかったらしいシエルは、姉が顔を赤らめてごにょごにょと弁解を続けるのを不機嫌げに遮った。


「別に、僕も姉さんもそういう訳じゃない。……ただあいつは嘘だけはつかない。絶対に。」
「ーそう、」


ここですかさず意味もなく格好をつけはじめたのは劉である。
瞬時に彼のまとう空気がきゅっと引き締まり、先程までの悪ふざけの跡すらも見失う。
ゆっくりと重々しく薄い唇を開く様は、おおかた根拠も確証もないデタラメを言うのだろうと予測はできていても、思わず視線を向けてしまう怪しい魅力があった。


「彼と伯爵の間には長い時間を共に過ごしてきた分、ゆるがぬものがあるのさ。
いつでも彼は伯爵に連れ添ってきたー、まるで影のようにね。」


中国服の袖をたわませて腕を組むその様子には、何故か逆光になって所々と深い影を落としているようにすら感じる。
雰囲気作りの上手さ故かー、
もしかすると、飄々と嘘をつき場の空気を作り替えることに長けている劉は役者に向いているのではないかとすら思う。
とはいえ、名前は決して褒めているのではなく、相変わらずのてきとうな発言に呆れているのだが。
なにせあの忌ま忌ましい執事がシエルに仕えはじめたのは、彼女が学校のあるフランスから英国へ戻って来る一年ほど前、ざっと二年ほどのことである。
これには弟も興味なさげに頬杖をついたまま、姉の思考と重なる事実を言葉に変えた。



「セバスチャンは僕に仕えてまだ二年だが?」
「あ、そうだっけ?」




先程までの役者然とした態度はもはや跡形もない。
砕けた口調での返答と、茶化すように両手を軽く上げてみせたその動作に、マダムと同じく名前も呆れて嘆息した。
まったく、本当に掴み所のない方ー、と窓の外へ何気なしに目をむけて、名前ははっと目を見開いた。
上質のベロア生地のカーテンの裏側に広がる風景に、ちらりとガラスの煌めきが映りこんだのである。
美しく円を描く天井に、建物の内側で飾られているらしい深い緑色の植物の影すらも瞳の端にちらつく。
過ぎ行く車窓にあっても、一際に目を引く建物。
あのまばゆいアーチ状のガラス張りの建物は、まさか。



「あ、あの……窓の外にクリスタル・パレスが見えるのですけど……」



グレルさん、とんでもない道をお通りではありませんか?
そう続けようとした瞬間、マダムは車窓に乱暴に寄り掛かり、荒々しく四角張った窓を開け放した。
ガシャン!横開きの窓のガラスが馬車の車体にぶつかり、馬のいななく声が耳にこだまする。
この騒音に驚いたのか、先程から混乱気味に足並みの揃わなかった馬たちは、余計にその歩みを乱してゆく。
ガタンゴトン、と揺れる車内に、名前のドレスのスカートもゆらりゆらりと裾がはためく。
そっと、向かいに座るシエルが何でもないような顔をして彼女のスカートのフリルがめくれないように押さえた。
その仕種一つを取っても弟が英国紳士に恥じぬ成長をしていることを実感し、彼女はぽっと頬を紅潮させて喜びに浸っていたが、マダムの方は甥と姪の微笑ましい一面に和む訳にもいかなかったらしい。
ギンっと御者席に座るグレルに赤い睨みを効かせ、ガミガミとお説教を垂れはじめていた。


「なんでクリスタル・パレスが見えるのよ!こっちはシティじゃない!ファントムハイヴ邸はサザークにあるのよ!」
「はっ、はい!!すみません!!すみません!!」
「あ〜!そっちの角曲がったらノッティングヒル方面じゃない!!戻って!!」
「ひい!!すみませ、すみません〜!」


これは定刻通りに屋敷に着きそうもない。
図らずも目線を合わせた劉、シエル、名前は、一様に微妙な表情を浮かべた。
ーこれはもう少し馬車に揺られる必要がありそうだね。
劉が誰にいうでもなく呟いたその言葉に、シエルは無言のまま純金の懐中時計を取り出した。
時刻は十四時を少し過ぎた頃。
アフタヌーンティーの時刻である。
加えて、今日は昼食を取るタイミングを失っている。
おやつの時間が待ち遠しいとばかりに、シエルも小さく脱力した。





(車輪は回る/Book of Jack the ripper \)



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