領内の教会から、パイプオルガンの音が聞こえる。
寒々とした冷気すら感じさせる荘厳なその音色は一音一音が主旋律へと編み込まれ、次第に彼女に「silent night」と曲目を感づかせるに至った。
"silent night…holy night…"と聖歌隊の子供達の歌唱まで聞こえるような気がして、名前は背筋を伸ばして遠く響くオルガンの音に耳を澄ませた。
ぴし、と指先を伸ばし、自らの目前に並べられたカードから一枚に瞳の照準を合わせ、するりと抜き取る。
「まあ!またブラックレディだわ.......わたし、運が悪いのでしょうか.......」
精神統一、Silent Nightの響きに身を任せて隣のエドワードの手札から一枚引いたものの、またもやブラックレディ、スペードのクイーンを引いてしまった名前は、がっくりとうなだれた。
これで名前の失点はマイナス100点。
彼女が最下位と決まってしまい、ここでゲームの幕は下ろされることとなった。
クリスマスのディナーの後、暖炉と燭台の火のみがゆらりと揺らめく談話室で和気藹々とカードゲームに勤しんでいた彼らであるが、何もゲームをすること自体に意味があったわけではない。
これはいわば、順序決め。
誰が一番最初にクリスマスツリーの下に置かれたプレゼントを選ぶかという一種の闘いだったのである。
名前は最下位。プレゼントは最後の残りものを選ぶしかない。
がっくりとスカートの裾を握っている彼女を置いて、執事がサラサラと各々の失点数を記録し、計算を始めた。
ドキドキとセバスチャンの方を見つめるエリザベス、自分が一位であると確信しているのか涼しい顔で紅茶に口をつけているシエル、そして“シエルにだけは負けない!!“とメラメラ燃えているエドワード。
各人の様々な思惑と期待の視線を一心に受けたセバスチャンは、計算を終えて羊皮紙と愛用しているペンを机に置いて口を開いた。
「第三位はエドワード様。失点数は83点でございます。」
「はあ!?」
がたん!と立ち上がった彼は、“俺はそんなにブラックレディを引いていたか!?“と驚愕に目を見開きつつ吠えたが、セバスチャンの記録に拠れば彼もゲームが終わるまでに相当数のクイーンを引き当ててしまっている。
しまいには、“お嬢様がそれ以上にクイーンを引いておられましたからあまり目立ちませんでしたが“の一言で、彼もがっくりと椅子に倒れ込んだ。
ゲームでシエルを倒すという目標は果たされることなく終わってしまい、ハウスコートに誂えられたきらりと輝く金のボタンもへなへなと元気を無くしてしまっているように見えた。
「ってことは、わたしかシエルのどちらかが一番なのね!」
きゃあきゃあと純粋に嬉しそうなエリザベスのはしゃいだ声ににっこりと微笑みかける。
自分が最下位であったことは残念であるが、仲良くシエルとエリザベスがワンツーフィニッシュを飾れるのであれば、そう悪い結末ではないかもしれないと名前はほっこりと胸を暖めた。
無論、エドワードは妹と一位二位を独占できず地の底まで落ち込んでいるが。
ぱちぱちと暖炉の薪の爆ぜる穏やかな音、ぼんやりと明るく照らされた室内はこれ以上ないくらいにほの暖かく、末端の冷えの酷い名前のつま先もぽかぽかと温まる。
ヤドリギと赤いリボンの装飾やキラキラと輝くガラスの妖精飾りがつり下げられたツリーの下では、彼ら四人が持ち寄ったプレゼントたちが己を一番に選び取る者を今か今かとおとなしく待ちわびていた。
セバスチャンはナイトドレスの裾を揺らして結末を楽しみにしているエリザベスに社交辞令的な笑みを向けて、再び口を開いた。
「第二位はエリザベス様。失点は50点でございます。」
「ってことは!」
両掌を合わせて、エリザベスがぺリドットの瞳を輝かせる。
彼女にとっては自身が二位であったこと以上に婚約者が華々しく優勝を飾る方が祝福すべき事案らしい。
隣の椅子に腰掛けるシエルの腕をぎゅうっと握り、紡がれるべき勝者の名を求めて、執事の穏やかな朱色の瞳をじいっと見つめた。
その視線に応えるように、彼もふっと口元に笑みを浮かべて小さな主に向き直る。
「ええ、優勝は坊ちゃん。失点は5点のみ。お見事です。」
「すごーい!!すごいわシエル!!」
“ぐえ“っとエリザベスに抱き着かれた拍子に弟が内蔵の潰れたカエルのような声をあげたことには、もはや言及すまい。
名前はあらあら、とおっとりと微笑みながら愛おしい弟と従妹の抱擁(但し一方的ではあるが)を瞳の奥で暖めた。
なんだかんだと言いつつエリザベスの突進にも似たハグを拒まないのだから、彼もきっと悪い気はしていないに違いない。
ふふ、と嬉しげな吐息をこぼした名前の隣では未だエドワードが“リジーは俺よりシエルに勝って欲しかったのか.......“などと鬱々と吐き出しているが、その声は妹にもシエルにも届いていないようである。
名前はいくぶん彼が哀れになり、ぽんぽんとその肩を叩いてやった。
「まあまあ、そんなに落ち込まなくてもいいじゃありませんか。せっかくのクリスマスですのに。」
「お前に分かるか、この絶望が.......俺にはわかる、あのツリーの真下に置かれたピンク色のリボンの包み.......あれはリジーが用意したプレゼントにちがいない.......俺は!!一位で抜けてあれが欲しかったんだ!!」
「あのピンクの包みは私が用意したものですけど.......、」
「なんだと!?」
コメディアンのような会話を繰り広げている二人にクスクスと執事が笑っている隙に、再びシエルに飛びついたエリザベスは彼をツリーの真下まで誘導していた。
そしてひょっこりしゃがんだ彼らは、ああでもないこうでもないと四つのプレゼントのどれを選ぼうか神妙に審議している。
誰からのプレゼントが当たっても恨みっこなし、が基本ルールであるが、内心ではエドワードはエリザベスの用意したものを、そして名前とエリザベスはシエルの用意したものを欲していることは、火を見るより明らかであった。
「お嬢様が用意されたものがあのピンク色のリボンのもので確定として、エドワード様がご用意なさった包みはどれなのです?」
こっそりと、椅子の背もたれ越しにセバスチャンが名前とエドワードに耳打ちをする。
彼も内心ではどのプレゼントが誰の元へ選ばれてゆくのか─、とりわけシエルが用意したものをエリザベスが選び取れるかどうか、気にしているらしい。
こそこそ、と話し掛けられたエドワードは同じようにこそこそ、と背後のセバスチャンに囁いた。
「俺が用意したのはあの青いリボンの包みだ。リジーはシエルの好きな色で包まれた物を選ぶだろうと思ってな─、」
「決まったわ!」
蕾の弾けるような歓声と同時、彼らの方へ振り返ったエリザベスとシエルは、手に一つずつ小包を抱えて姉兄へと駆け寄ってきた。
相も変わらず婚約者に引っ張られているシエルはややげっそりしている風に見えないでもないが、小包を一番に選んでいくぶん得意そうだ。
二人の腕の中におとなしく収まっている包みは、エリザベスのものがピンク、シエルのものがブルー。
名前、エドワード、そしてセバスチャンは思わず顔を見合わせた。
「ふふ、この可愛いピンク色の包みは誰からのプレゼントなのかしら!」
ぎゅうっとシエルを抱きしめる時のように幸せそうに包みを抱きしめるエリザベスに、名前は思わずいたたまれない気持ちになってしまった。
彼女が密かにシエルからのプレゼントを狙っていたことは火を見るより明らか。
それなのに、自分がさもエリザベスの好きそうなピンク色のフリルリボンで包みを装飾してしまったがために、惑わされた彼女は望んでもいないであろう名前からのプレゼントを選択してしまった。
名前はしれっと彼女から視線を逸らした。
そして、同じくシエルから気まずげに視線を逸らしたエドワード、そして執事とも視線がかち合う。
よもや、エリザベスが名前のプレゼントを選択し、シエルがエドワードのプレゼントを選択してしまうとは─、
これには、さすがのセバスチャンもフォローできかねるようだった。
やれやれ、と言わんばかりに大きくため息をついている。
「姉さんたちも、早くお選びになったらどうです」
三人がこそこそと視線を巡らせあっているのを不思議そうに、そして怪訝そうに見ていたシエルは、ちょいちょいと名前のドレスの袖を引っ張ってプレゼント交換の続きを促した。
はっと彼に視線を差し戻した名前は歪に取り繕ったような笑みを浮かべて、“え、ええ!さあ先にお選びになって、エドワード!“と無理矢理にテンションを上げている。
エドワードもその声にあたふたと立ち上がり、“よし!!気合いを入れて選ぶぞ!!“と頬を自らの両手ではたいて、クリスマスツリーの根本へ鋭い視線を投げかけた。
「名前、あの残りのプレゼント─、どう見る」
ツリーの下に残された包みは二つ。リジーとシエルがそれぞれ姉と兄のものを選んだ以上、そこに残るのはリジーとシエルからのプレゼントである。
包みは、一つが黒のシックなリボンで包まれた一際小さなものが一つ、そしてもう一方は白の可憐なレースリボンで包まれたもの。
正直、どちらがどちらからのプレゼントであるか判別は付きがたい。
しかし、予測を立てることは容易である。
名前も同じくすっくと立ち上がり、エドワードの隣にしゃがみ込んだ。
「順当に考えて、白い方がリジーではないでしょうか.......」
「だろうな、リジーなら可愛い包装に可愛いプレゼントを入れて俺に“クリスマスおめでとう!“とことさら可愛い笑顔で言うに違いない。」
暖炉の火に照らされたエドワードの瞳は真剣である。
ひとまず名前は“クリスマスおめでとうまで言うかどうかは分かりませんけれど“という言葉を飲み込んで、エドワードの選択を待った。
神妙にひそめられた眉がぴくりぴくりと小刻みに動く。
しかし、エドワードが迷っている時間はそうは無かった。
騎士らしく鍛えられた腕をすうっと伸ばすと、彼は黒い方の包みを手に取った。
「これだ、俺はこちらを選ぶ。」
「あら、でもそれは.......」
「きっとこちらがリジーの用意したプレゼントだ。そうに違いない。白くて可愛い方と見せかけ、実は“シエルは大人っぽいほうが喜ぶかと思って“というオチに違いない。そうだ、きっとそうだ!喜べ名前!俺が残したそのプレゼントはシエルの用意したものだぞ!」
果たして本当にそうであろうか─。
名前は半信半疑ながらぽつんと残された華やかなホワイトの包みを腕に抱えた。
これが本当にシエルの用意したものであったなら嬉しい。
しかし、リジーを差し置いて自分がシエルの用意したプレゼントを受けとることは、何か彼女に悪い気がした。
リジー本人には自分の用意したプレゼントを掴ませてしまっただけに、余計に。
華やかな赤色のナイトガウンを羽織りなおし、名前は椅子へと戻った。
ふかふかの椅子の上では、リジーがはやくプレゼントの中身が見たいとにこにことはしゃいでいる。
その姿がやはりどこか可哀相に見えてしまって、名前は目を逸らした。
「じゃあ、せーのでみんな一緒に開けましょう!いくわよ、せーの!!」
名前はえいっと腕に抱えていた包みのリボンの先を引っ張った。
する、とリボンが解け、包装紙にくるまっていたプレゼントの外箱がその姿を見せる。
“FUNTOM.co“
ファントム社の刻印が刻まれた箱の上部が目に入って、どきりと彼女の心臓は早鐘を打つ。
ファントム社─、そしてこのウサギのロゴは、ファントム社の玩具ラインのマーク。
これがシエルからのプレゼントであると確信した彼女は、嬉しさと同時に複雑な気持ちを抱えてリジーの方へちらりと視線を送った。
「わあ!もしかして、お義姉様が引いたのがシエルが用意したもの?」
きゃっきゃと嫌な顔一つせず、名前にすり寄って“お義姉様、はやく中を見せて!“と笑う彼女にやはりずきんと心を痛めて、名前は冷たい指先で箱を開けた。
ぱか、と箱の蓋を取り去った中には、キラキラと輝く宝石のような美しさがしまい込まれていた。
しかし、ファントム社の商品は一通り目を通している彼女にも、中身がなんであるかイマイチよく理解できない。
中にはガラスの人形のような、小さな駒のようなものがいくつも収められているが、いかんせん小さく暖炉と蝋燭の光のみの薄明るいだけの室内ではその造形がはっきりとは判別がつかなかった。
名前は輝く駒のようなものを眩しさに目を細めて一つ、取りだした。
「あら、」
「わあ!チェスセットね!でも、普通のと違ってとってもきれいだし小さくて可愛い!!」
それは、まさしくエリザベスの言う通り、チェスセットであった。
美しい駒はガラスだろうか─、燭台の火に瞬くその光沢は、ガラスのようにも宝石のようにも見えてとても美しい。
普通のチェス駒とは違って小さいのも、装飾として十二分の働きをしてくれそうで好感が持てた。
うっとりと指先でつまんだルークの駒を眺めていると、セバスチャンが彼女の背もたれの後ろからしげしげと興味深げに箱の中身を眺めていた。
すると名前の背後から箱の底にしまわれたガラス製のチェス台を取り上げて、彼がふむ、と呟く。
「なるほど、最近坊ちゃんが熱心に商品の開発をしてらしたのはこのチェスセットだったのですね。」
「あら、そうなのですか?」
エドワードを挟んで右隣に座るシエルの瞳の青を覗き込むと、彼はやや得意げに商品説明を始めた。
その姿はたとえ寝巻のナイトシャツを着ていたとしても、一企業の社長そのものである。
腕を組んでチェスセットからナイトを取りだしたシエルの指先に輝くファントムハイヴ家当主の指輪のきらめきをその身に感じながら、彼らはシエルの言葉に耳を傾けた。
「台はガラス、駒はダイヤだ。しかし小さいからそう値は張らない。ちょっとしたプレゼント用に使えるかと思って開発してみたんだ。もちろん、普通にチェスボードとして使うこともできるし、チェスを嗜まない女性や子供相手であっても、これだけ装飾的であればインテリアに映えるだろう。」
チェスを嗜まない女性、子供、という響きに名前はぴくりと耳を動かした。
自分はチェスを嗜まない女性にも、子供にも当てはまらない。そして、エドワードも同じ。
この場で彼が行った条件をすべて満たしているのはー、
ちら、と機嫌を伺うようにリジーを見る。
彼女だけだ、この場で“チェスを嗜まない女性、子供“に該当するのは。
やはりこのプレゼントは、密かにシエルがリジーにあげることを想定して作ったに違いない。
シエルの姉として、彼女はそんな気配を察してしまった。
「わたしが貰ったプレゼントは─、わあ!可愛いお菓子!!」
名前が罪悪感に胸を痛めてガウンの胸のあたりを握ったと同時、リジーはピンク色の包みを開けて、弾けるような色彩の奔流に目を輝かせていた。
中身は色とりどりの美しいコンフィズリー。名前がフランスから取り寄せた、パリの一等地に店を構える人気店の菓子詰めである。
花を模ったキャンディーに甘い匂いのキャラメル、ボンボンなど、どれもこれも少女が好みそうな可愛い色合い。
赤や青や黄や、ふわふわとしたピンク色が目にも楽しい。
エリザベスはにこにこと微笑んで、“包みにフランス語が書いてあるわ“と口にした。
「これは名前義姉様からね!ありがとう!」
ぎゅうーっと頬を寄せられて、名前はやや瞳を陰らせながら“どういたしまして“と彼女の下ろされた髪を一撫でした。
表向きは喜んでいるようだが、本当はがっかりしているのではないか。
リジーはいい子だから、シエルからのプレゼントがもらえなかったとしてもその悲しみを態度には出さないだろう。
名前はそうっと、リジーにごめんなさいの意を込めて抱きしめかえした。
「どれ、僕のは─、って!なんだこれは!?」
リジーの背を撫でていると、シエルがガサゴソと包みを解いて中を暴く音が聞こえていた。しかし彼が頓狂な叫び声を上げて、名前とエリザベスはびっくりと彼の膝の上の包みへ目をやった。
「あらあら.......」
「わー!かわいーい!」
「可愛いかもしれんがなんだこれ!?」
シエルがうろんげな目で見つめているそれは、ユニコーンのぬいぐるみであった。
白いふわふわの毛、首もとに巻かれたピンク色のリボン、キラキラと輝く大きな瞳。
一目見て“女の子向け“と分かるプレゼントに、名前はじっとりと贈り主であるエドワードをジト目で見つめた。
すると彼は、“リジーが受けとる以外の未来が思いつかなかった“などと軽く肩をすくめている。
相変わらず、妹中心に世界が回っているらしい彼にいくぶん呆れの気持ちを織り交ぜつつ、名前はため息をついた。
背後で執事も腹を抱えて笑いを堪えているし、シエルにとっては散々なプレゼントになったことだろう。
「エド、貴方のプレゼントは何だったのです?」
「そうだわ!お兄様、はやく見てみて!!」
妹にせっつかれ、彼はでれでれと笑いながら“楽しみだなー!!“と包みを開いた。
すると中身から顔を出したのは、小さな小さなベルベット地のボックス。
一目見て、名前はその中身がブローチか何か、宝石の類だと予測を立てた。
「楽しみだ!中身は何だろうな!」
ぱか、とボックスの蓋を上へ押し上げた先には、まばゆいペリドットの洒落たブローチが収められていた。
銀で縁取りをされた華奢な剣を模した洒落たデザイン。
勇ましさもありながら、細い細い剣先は少女の脚のように細く、どこか可憐さも伺える。
そして何より、剣の柄の部分や刃に散りばめられたペリドットの美しいこと!
まさしく男女両用というデザインには、セバスチャンも“センスがよろしいですね“と感嘆していた。
無論、エドワードなどは感激にうち震え、言葉も出せないでいる。
「誰の手に渡ってもいいようにと思ったけどー、もしかしたら、このブローチはお兄様が一番似合うのかも!」
照れたように微笑むリジーに、隣に座っていたエドワードがずるずると椅子からずり落ちる。
彼がどれほど喜んでいるかは、くすんだ金髪の一本一本がぷるぷると震えているところを見れば一目瞭然であろう。
名前が“良かったですね“と声をかけると、エドワードは喜びに顔を伏せたまま、無言で親指を高く掲げてその感動を全力で顕した。
「おや、もうあんなに月が高い……皆様、そろそろお休みになるお時間でございますね。」
セバスチャンはシエルとエドワードを寝室へと案内すると言って、二人を連れて出ていった。
"おやすみ"をお互いに言い合って、彼らのクリスマスパーティーはここで幕引き。
楽しいクリスマスの続きは、明日の朝食の席へと持ち越しである。
そして薄暗く暖かい室内に残されたのは、エリザベスと名前の二人。
二人の就寝の準備は今頃メイリンが整えているはずである。
ベッドが整えば、こちらへ呼びに来るだろう。
名前はぼんやりとそんなことを考えた。
「ゲームもプレゼント交換も楽しかった!ね、お義姉様!」
にこにこと至極満足げに彼女の膝へより付くエリザベスに"そうですね"と微笑みかける。
可愛いリジーは彼女の妹も同然。
シエルと同じく、彼女の幸せを名前は切に願っている。
名前は、決心したようにぐっと手のひらを握り込んだ。
その腕の中では、華やかな白い包みが大人しくちょこんと鎮座している。
そのリボンの細やかなフリルがやはりエリザベスに似合う気がして、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ねえ、リジー……、このプレゼント……受け取っていただけますか?」
柔らかく口元を緩めた名前の手が、プレゼントをエリザベスの方へ差し出す。
すると自らに包みを差し向けられた彼女は、ぱちくりと瞳を瞬かせてプレゼントと義姉を交互に見つめた。
「ね、貴女が受け取った方がシエルも喜ぶと思いますから……」
「だ、ダメよお義姉様!!」
つんつん、とプレゼントをつつくように名前の方へ押し返して、"ダメよ!交換会の結果なんだから!"とあわあわと断りを入れるエリザベスであるが、頑として名前は意志を曲げない。
慌てるように掌を振るエリザベスの瞳を真っ直ぐに射ぬいて、"いいえ"と唇をつーんと尖らせる。
その気迫に押されたか、エリザベスはチラチラと義姉の瞳へ視線を送って惑っていたが、彼女はようやくとその華奢な指先でちょいちょいと白いリボンを掴みかけた。
エリザベスはいつになく頑固な義姉を申し訳なさそうに上目で見つつも、名前がにこりと唇を半月形に緩めると、おずおずとシエルが用意したプレゼントを受け取った。
「きっと、あの子はリジーに渡ることを想定してこの商品を考案したのでしょうから………ね、私が持っているより貴女が持っている方が、シエルも喜びます。だからそんな顔はなさらないでください」
「お義姉さま……」
「私が贈ったコンフィズリーでも召し上がりながら、シエルにチェスの打ち方を教えてもらいなさいな」
エリザベスはやはり眉を下げていたが、名前にぎゅうっと腰のあたりに抱きつかれてじわじわと朝日を受けて花が開くように表情を綻ばせた。
「ありがとう」
エリザベスの幸せそうなソプラノが暖炉に暖められた室内の空気を伝って名前の鼓膜を優しく揺する。
ふわふわとしたエリザベスの巻毛が名前の首筋をくすぐって、こそばゆいと共に気分がいい。
目映い金の髪から名前が使っている物と同じシャンプーの香りが匂い立って、彼女はさらりと従妹の髪をすくように撫でた。
"クリスマスですもの"
エリザベスを抱き締めて名前が呟く。
"いちばん幸せな顔の弟と妹が見たいのです"
すり、とエリザベスの頬に唇を寄せて親愛のキスを贈る。
すると、未だ年若い従妹から右頬に同じようにキスを贈られて、名前は照れ笑いを浮かべた。
「宜しかったのですか?せっかく引き当てた坊っちゃんからのプレゼントをエリザベス様に差し上げてしまって。」
私室へ戻ると、セバスチャンが扉の前で待っていた。
長い脚を丁寧に揃え、名前を室内へ導くと開口一番にそんなことを言う。
彼女はにっこりと執事に微笑んでみせ、着ていたガウンを脱いで彼に手渡した。
「ええ、シエルもそうすることを望むでしょうし。私はあの子達が一番幸福な形でクリスマスを迎えられればそれでよいのです。」
ガウンを脱いだ彼女は、やや行儀悪くぼふん!とベッドへ飛び込んだ。
いつも通りの白いナイトドレスのスカート部分がシーツの上に大きく広がる。
同時に彼女の青みがかった髪もばらばらとシーツに乱雑に広がった。
その、ややレディとしては貞淑さの欠ける行為にセバスチャンは眉をつり上げたが、珍しくお姉さんらしさをみせてプレゼントを譲った名前を労る気分になっているらしく、小言を吐き出すことはなかった。
セバスチャンの口煩さはただ瞳を閉じて小さな嘆息を吐き出したのみに止められ、彼はやれやれといった風に天蓋付きのベッドにぐうたらと寝転がる彼女に音もなく近寄った。
「…なんです?」
「いえ、お一人だけ何のプレゼントもないというのはあまりにお可哀想かと思いまして」
「?なあに?貴方が私に何かプレゼントしてくださるの?」
自分で口にしたことながら、あまりにおかしなことで名前はふっ、と噴き出してしまった。
悪魔のセバスチャンが!クリスマスにプレゼントを贈る!しかも自分に!
そんなことが起こってしまったら、神は卒倒して寝込んでしまうに違いない。
悪魔がイエスの降誕をお祝いして人間にプレゼントを贈る。
まるでパンチの挿し絵になりそうなくらいナンセンスに過ぎる展開である。
もっとも、神など存在しないと名前は知っているのだが。
ひとしきり笑った名前は、"うふふ、"と最後に掠れた笑声を漏らし、寝転がったままセバスチャンに視線を向けた。
「貴方が気にする必要はありませんよ。私はお姉さんですから、プレゼントがないくらいでむくれたりはしません」
くすくすと口元に手をやって言う彼女に、セバスチャンは怪訝な視線を絶やすことなく、ジレのポケットに手を突っ込んで何かを取り出した。
名前は、どうせまた銀時計を取り出して「もうこんな時間だから寝ろ」と時計の文字盤を見せられながら言われるのだろうと呑気に考えていたが、彼が実際に取り出したのは、繊細な蔓草とラベンダーの印刷がなされた美しい小箱であった。
「包装も何もありませんが、よろしければ」
差し出された小箱を恐る恐る手に取ると、彼女は滑らかな質感の上等な箱を掌でなぞって玩んだ。
美しい柄の印刷されたボックスの下部には、"YARDLEY OF LONDON"のブランド名が印字されている。
かぱりと箱を開けてみると、中身は洒落たガラス瓶であった。
その内側は薄紫色の液体で満たされている。
くん、と匂いを嗅いでみると、優しいラベンダーの香りがした。
「イングリッシュラベンダーのオイル…?」
「ええ、お嬢様は眠りが浅くていらっしゃいますから……、ラベンダーは安眠をもたらすとも言いますし、どうぞ」
セバスチャンは名前からオイル瓶を取り、その蓋を丁寧に開けた。
すると、途端に瑞々しいラベンダーの香りがふわりと辺りを舞う。
鼻孔を通り抜ける爽やかさと仄かな甘みのある香りは、さすがはヤードレー製。
安いラベンダーとは違う、はっきりとした香りが空を滑るように寝室中を覆った。
悪魔がイエスの降誕をお祝いして人間にプレゼントを贈る─。
ナンセンスだと笑った展開が現実に訪れ、名前は目を白黒させて起き上がった。
ふかふかのシーツに脚をとられながらベッドの上へ座り直すと、恭しく執事が彼女の手首をとる。
その動脈のあたりにオイルを少量垂らして塗り込まれて、更に名前は混乱したまま"ありがとう"を口にした。
「悪魔からプレゼントをいただいたかと思えば、塗油まで受けるなんて」
「ああ、終油の秘蹟ですね」
聖書には、イエス・キリストとその使徒が病者を癒したという節がある。
教会の長老たちは病者にオリーブ油を塗布し、彼の平癒を祈ったとも言われており、塗油はカトリック教会の秘跡の一つである。
人々は死期が近づくと天へ召される前に神父から香油を塗って、後顧の憂いなく天へ昇ることができるように祈りを授かるのだ。
それは、カトリック教会でいわれるところの聖なる儀式。
しかし、聖なる塗油をセバスチャンが名前に授けるとは、またもやおかしな話であった。
「悪魔が塗油の真似事なんて、罰当たりですね」
「よく仰る。貴女も信仰心などお持ちでないくせに。」
この聖夜においても、彼らの皮肉の応酬が止むことはない。
それはラベンダーオイルでほんの少しだけ神聖な香りを含ませただけの、見せかけ。
悪魔に見入られた彼女に信仰心などあるはずもなく。
塗油の真似事は真似事のまま、セバスチャンの細い指は彼女の手首へ丹念にオイルを塗り込んで行く。
悪魔である自分が塗油を授けるというナンセンスを全身で楽しんでいるらしいセバスチャンの愉快そうな顔をちらりと見つめて、名前はおずおずと口を開いた。
「あ、の…、そういえば私、貴方に何もプレゼントを用意していないのですけど……」
「結構ですよ。お気遣いいただかなくても。」
セバスチャンはさらりと言ってのけて、オイルを塗られた名前の手首をむにむにとマッサージをするように血管に沿って指先を滑らせる。
なんだかぽかぽかと血行が良くなった気がして、名前は気持ち良さに瞳を蕩かした。
「─ああ、でも。」
「なんです?」
マッサージを続けていたセバスチャンが、ふと手を止めた。
わざとらしく"さも今思いついた"と言わんばかりの表情に名前は怪訝そうに眉を深めたが、当のセバスチャンはにっこりとよそ行きの笑顔を見せて彼女の顎をつるりと掬う。
くいっと細長い指先に顎をとられ、彼の方へ視線を向けさせられると、セバスチャンは牙を見せて笑っていた。
「もしも何か─、クリスマスのお祝いにいただけるのであれば。お嬢様を戴きたい。」
手袋越しに、彼の契約印が怪しい光を灯して静かに存在を主張していた。
半月形に歪められたセバスチャンの瞳に映る自分と視線がぶつかる。
ぱち、と瞬きを一つする。
彼の赤い光に象られた自分も同じように瞬きを一つ。
すると名前は勝ち気に微笑んで、負けじとセバスチャンに言い返してみせた。
「悪魔がクリスマスに営業回りとは、感心しませんね?」
ぷいっとそっぽを向いた名前は、ベッドに寝転がり、完全に眠る態勢に入ってしまった。
しっしっ、とセバスチャンを追い払うように手を振って、"おやすみなさい"と投げ掛ける。
すると彼は、一つ苦笑いをして肩をすくめ、燭台の明かりを吹き消して部屋を後にした。
彼が去った後に残るのは、しいんとした暗闇と、手首から香るラベンダーのみ。
くん、ともう一度鼻を鳴らして手首から芳香を吸い込むと、名前は満足げに口元を緩めて眠りについた。
"嬉しくってたまらない"といった風に、にっこりとした寝顔を浮かべて。
窓の外は深い闇と月光のコントラスト。
しゃんしゃんしゃん、と鈴の音とトナカイの蹄の音が聞こえたのは、眠りの底に脚を踏み入れかけた彼女の幻聴か。
ラベンダーのオイルのお陰でみるみるうちに眠りの国に引き込まれた彼女が幻聴を聞いたとて、なんらおかしなことはないだろう。
しかし、確かに名前は窓際を過ぎ去るサンタクロースのソリが風を切る音を聞いた気がした。
もしかしたらそれは、セバスチャンがいつものように侵入者に向けて放った銀器が空を切る音であったかもしれないが─。
今日はクリスマス。
誰もが一番幸せになってよい日なのだから、名前の満足げな寝顔を壊す必要はなかろう。
(Joyeux No*l /sebastian,elizabeth)