クリスマスを直前に控えた12月は、可愛い双子の一年のうちで最も好きな月であった。
14日に控えた誕生日に、25日のクリスマス。アドベントカレンダーをめくれば一日おきに小さなぬいぐるみやフェーヴが手に入る。
12月に入れば忙しい父もいくらか仕事が落ち着くようでほとんど毎日屋敷にいたし、母は言わずもがな彼らと毎日一緒に遊んでくれた。
学習室での勉強は相変わらずであったが、それも目前に迫る誕生日やクリスマスのことを考えれば乗り切れるというもの。
楽しい嬉しい12月。窓外をちらつく粉雪は美しく、教会から聞こえる聖歌は荘厳ながらもどこかロマンティックで雰囲気がいい。
優しい両親と囲む暖炉、暖かくて甘いホットミルク。
賑やかに飾り付けられるヒイラギのリース、大きなクリスマスツリー。
12月ほど楽しい月などこの世に存在しないと、幼い彼らは本気でそう思っていた。
ただ唯一、不満を上げるとすれば―、
大好きな姉が、帰ってこないことであろうか。
「姉さん、やっぱり今年も帰ってこないみたい。」
どうしてそんなことが分かるのかと聞けば、シエルはつまらなさそうに瞳を陰らせて一言、口にした。
「手紙にそう書いてあったんだって。じいやとお父様がさっき話してたの聞いちゃったんだ。」
ふうん、と相槌を打つ。
それがどうも淡白に聞こえたのか、シエルはキッと瞳を吊り上げて”お前は姉さんがいないまま誕生日を過ごすの、寂しくないの”と頬を膨らませている。
彼は急いで”寂しいに決まってるよ”と兄に同調して、視線を足元へ落とした。
何となく察していたことではあるが、やはり今年も姉は帰省しないと聞いて心はどんどんと暗がりへ落ち込んでゆく。
今年こそは、帰ってきてほしいと。
昨日まではそんな希望に縋っていた。
フランスからどっさりプレゼントを持って、自分やシエルに”おめでとう”を言うためだけに帰ってきてくれるのではないかと、そんな望みを必死で抱いていた。
じいやに履かされた冬向きのショートブーツの真紅に姉の瞳の色を思い浮かべる。
姉さんのあの暖炉の火のような穏やかな灼眼を、どれほどの間見ていないだろう。
彼女は、昨年も帰らなかった。
一昨年のクリスマス休暇には帰省してきたが、それ以来はまったく屋敷どころか英国にすら帰っていない。
今頃、彼女は13歳になるのだろうか。
「……フランスって、学校って、そんなに楽しいのかな」
ぽつりと、シエルが隣で泣き出しそうな声で呻く。
「……僕たちの誕生日を忘れるくらい、楽しいのかなあ」
「シエル……、」
同じく足元に視線を置いていた兄は、そんなことをぽつりと呟いて泣いていた。
ぼろりぼろりと、大粒の涙がその星空のような瞳からいくつも零れ落ちる。
”泣かないでよ”
兄の肩を持って、慰めようと口を開く。
けれど、その自分の声もシエルと同じようにひどく歪んでいて─。
彼は、自分も兄と同じように涙を流していると気が付いたのであった。
「残念だけれど、姉さんは今年も帰ってこられないんですって。」
「しかし、その代わりに名前様から坊っちゃんたちにたくさんプレゼントが届いておりますぞ!」
「はは、名前ときたら一体いくつプレゼントを送るつもりだろうね?ぬいぐるみにお菓子にシャレードに……ほらご覧、新しいバイオリンも送られてきたよ。」
お母様、じいや、お父様。
姉が帰ってこない二人の弟を慰めこそすれ、”なぜ姉さんが帰ってこないのか”を教えてくれる大人は誰一人としていなかった。
誰に聞いてもみな一向に首を振るばかり。
お父様だけは寂しそうに笑って、”勉強が忙しいんだよ”と尤もらしいことを言ったが、とりわけ姉を可愛がっていた父のあの表情を見れば、それが嘘だとすぐにわかる。
姉さんが帰ってこないのには何か深い理由があるんだろうかと、シエルと夜通しベッドで話し合ったこともあった。
”きっと姉さんはフランス皇帝に見初められたんだ!。皇帝陛下の花嫁になったんだよ”
”フランスにはもう皇帝はいないって、この間習ったばかりだろ”
”あ、そっか……じゃあ、だれかフランスの貴族のお嫁さんになっちゃったのかなあ”
”花嫁なんかじゃなくて、もしかしたらヒーローになったのかも。きっとフランスの街を守るのに忙しくて帰ってこられないんだ。”
”スカーレット・ピンパーネルみたいに?”
”そうだ、きっとそうだよ!政府に目をつけられた可哀想なパリ市民をこっそり守ってるのさ。”
ああでもないこうでもないと話し合ったが、いくら姉さんが”帰ってこられない理由”を話し合っても、それで気分が晴れるわけではなかった。
二人とも、こんなことを話しながらも頭の片隅ではしっかりと理解していたのだ。
姉さんは、フランスでの生活があまりに楽しくて屋敷に帰ってくる気にならないだけなのだと。
13歳。
9歳の自分達にとって、13歳というのはひどく大人であるように思えた。
きっと姉さんは恋人などを作ったり、社交や旅行に勤しんで帰ってこないのだ。
僕たちの誕生日なんかより、そちらの方がずっと楽しいのだ。
「……ちゃん、坊っちゃん、」
「…っ、」
「おはようございます。本日は良いお天気でございますよ。」
目を覚ます、という感覚をいつも不思議だと思う。
瞳が光を取り込むと、いつも決まって契約印の刻まれた右目だけ視界が鈍い。
その鈍さで以って、毎朝自分が悪魔と契約したことを痛感する。
特段、後悔をしているわけではない。
ただ何となく、自分の身の振り方に関して不思議な因果を感じるというだけだ。
「……、」
「本日は坊っちゃんのお誕生日でございますから、名前様は昨夜からせっせとパーティの準備をなさっておいでですよ。お召し替えを済ませて、お早くお姉様にお会いになってはいかがですか?」
「……ああ。」
執事の皮を被った悪魔は、整った微笑みを浮かべてブラウスの用意をしている。
今朝は逸る気持ちが多少疼くのか、自分でも不思議なほどアーリーモーニングティーを楽しもうとか、今朝の新聞をチェックしようとか、そういうルーティーンをこなす気は起らない。
セバスチャンはそれを察していたのか、あえてティーカップを供したりアイロンをきっちりとかけた新聞を渡したりなどすることもなかった。
よくできた執事だと思う反面、こういう自分の子供じみた興奮を悟られていると思うと幾分不愉快ではある。
しかしシエルとなった自分は、おとなしく立襟フリルのブラウスに袖を通したのであった。
こういう些末事で執事と争って時間を食う方が不愉快だと、13歳となった自分は知っていたから。
「ああシエル!!お誕生日おめでとうございます!!」
朝食を摂るべく執事を連れてダイニングへ赴くと、待ち構えていたように姉は豊満な胸を揺らして華奢な彼に飛びついてきた。
自分と揃いのブルーグレーの髪が揺れると同時に、優しい薔薇と百合の香りが彼の可愛い鼻先を擽る。
ぼふん、と押し付けられた柔らかい胸と、身体、春の訪れのようなソプラノの響き。
”Happy Birthday!”の言葉はセキレイのさえずりのように高く天井まで螺旋を描いて響き渡る。
優しい体温に包まれて、彼はそっと瞳を閉じた。
「お誕生日ですからね、夜は盛大にパーティを開きましょう。お料理はちゃんとセバスチャンが用意してくれていますし、リジーやエドワードには招待状を出しています。シエルのパーティ用のスーツはこっそり姉さんがニナに注文しておきました。後で一緒に出来上がったものを見に行きましょうね。」
朝食のメニューは、スコーンにポーチドサーモン、冷たいハムにキドニーのソテー、彩の美しいサラダ。添えられたプティ・フールはクランベリーとチョコレートのケーキ。
豪勢な朝食の折、姉はクロワッサンを楽しみながらシエルの手を握って今晩の予定を当人以上にはしゃいで話す。
ひとしきり嬉しそうな声が止むと、対面したダイニングテーブルで姉は執事が注いだカフェ・オ・レを大きなマグで楽しんだ。
朝食は紅茶ではなくカフェ・オ・レ。付け合わせはスコーンやトーストではなくクロワッサン。
英国へ帰ってきてからも、姉の生活には随所でフランス風が顔をのぞかせる。
それは時にシエルの機嫌を窺うようにおそるおそる現れるときもあれば、今朝のように何の気負いもなく無邪気に発揮される日もある。
彼はそんな姉の優雅なフレンチスタイルの朝食を見なかったことにして、彼女の語る誕生日パーティーの予定に大人しく頷いた。
「お食事中失礼いたします。坊っちゃん、お手紙が届いております。」
セバスチャンが銀盆にいくつか手紙を載せてやって来る。
彼はそれを受け取ると、宛名を確認して知り合いのからの物だけを懐へ仕舞い込んで他の分は処分するよう執事に伝えた。
誕生日というだけあり、普段よりは届いた手紙の数が多い。
しかし、その大半は話をしたことがあるかどうかも覚えていない貴族からの社交辞令的なバースデーカードである。
目を通す必要がない。
シエルはさっとエリザベスからカードが届いていることだけを確認して、淡々と朝食に戻った。
「シエルのお誕生日は、毎年すごい数のカードが届きますねえ。貴方が幼い頃によくタナカがぼやいていたでしょう、顔も知らない方からカードが届くって。」
”きっとあなたが可愛いからですね”
満足げに言ってまた一口、カフェ・オ・レを口に含んだ姉。
弟が周囲に愛されていて、嬉しくてたまらないといった表情である。
─知らないくせに、と思った。
自分達がどれほど貴女からの祝いの言葉やカードを待ちわびていたか、誕生日の日に自分達に会いに来てくれることをどれほど望んでいたか。
知らないくせに、よくもその他大勢からのカードを目にしてそんなことが言えるものだと、どこか鈍い頭の奥で"シエル"の声がする。
─お前ばかりずるいぞ
冷たい子供の声の矛先は、次第に自分へと向けられた。
─どうしてお前だけ姉さんと誕生日を過ごしているんだ。
無理もないことだ、と彼は瞳を伏せて紅茶に口をつけた。
"シエル"がそうして自分を恨むのも、無理はない。
あの10歳の誕生日も、"シエル"の最期の日も、彼は姉さんに会えないことを嘆いて嘆いて、そして死んでいったのだから。
「……ごめん」
呟いた一言は、"シエル"に届いたろうか。
ごめん、"シエル"。
ごめん。
でもきっと、今日こそ姉さんに仕返ししてやるから。
僕たちがとれほど寂しい思いをしたか、分からせてやるから。
「……姉さん、」
「なぁに?」
サラダと、ハムと、キドニーソテーと、スコーン。
そしてクロワッサンを隔てた向こうで、名前が微笑む。
暖炉の火のような穏やかな灼眼。
その灯火に自分の姿が映されることを、彼も自分も、この数年間ずっと待っていたのだ。
「……パーティの後、少し相手をしてくれませんか。チェスかカードゲームか、姉さんがお嫌なら読書でも構いません。」
告げた一言に、姉の唇が薔薇の蕾が綻ぶように緩む。
内側からじんわりと灯るように紅潮する頬。
嬉しそうに細められた瞳の瞬きに紛れて、彼女は大きく首肯する。
「ええ、もちろん。姉さん、あまりゲームは得意ではないですけれど………今晩は頑張ってチェスでも打ってみます。」
─ごめん"シエル"。
姉さんに会いたかったのは僕も同じなんだ。
そんな言い訳のような言葉で冷酷にも響く"シエル"の恨み言を掻き消す。
だから、この人に甘えて一夜を過ごすことくらいは赦してほしい。
そっと椅子から身を乗り出してテーブル向いに姉の柔らかな頬へ口づけると、彼女はくすぐったそうに笑った。
「あらあら、甘えん坊さんですね」
何とでも言えばいい。
後ろで執事が嘲笑しているのだって気にならない。
貴女が12月14日にここにいて、僕の誕生日を祝ってくれる。
手紙やカードや贖罪のように送られた多くのプレゼントなどでなく、貴女自身がここにいてくれることがどれほど嬉しいか。
僕以外には、きっと誰にも理解できない。
「あら、左の頬にもキスしてくださるの?なんて可愛い子─……っ、ん、」
わざとマシュマロのような頬を外してぷくりと華開く唇に口付けたことを、姉さんはなんと思うだろう。
視界の端でセバスチャンが嘲笑から一転、大きくティー・アンバーの瞳を見開いているのが心地よい。
姉が驚きのあまり、マグカップを取り落としていることさえその華奢な少年の身に優越感を抱かせる。
「っ……ん、ふ……シ、シエル?どうし……っ、ん、」
─姉さん、この口付けに二人分の恨みと辛みと寂寥と、そして歓喜が込められていることに。
貴女は気がつかないでしょう。
姉が落としたマグから、薄いブラウンのカフェ・オ・レが流れ出す。
それは積雪のようにテーブルを覆った白いクロスを汚して、ぽとりと床に伝い落ちた。
唇を離した時には彼女は喜びとも羞恥とも恐れとも判別のつかない表情で顔を真っ赤に染めていた。
しかし、若き少年伯爵は満足げに唇の端を舌で拭って、テーブルクロスと床を汚したカフェ・オ・レの雫を"ざまあ見ろ"と嗤ったのだった。
(貴女がここにいること/Ciel)
HAPPY BIRTHDAY!Ciel!