We Wish You a Merry Christmas
現代パロ





2018年12月24日のイングランド、ロンドン郊外リッチモンドの街。
窓の向こうには、目映い粉雪がちらついていた。

「まあ……、」

暖かいスープで身体を温めながら、名前はほう、と小さく息をついた。
北風の吹きすさぶ冬にあってもミニスカートを押し通す彼女も、さすがに今朝の降雪には臆したか、さすさす、と無意識に露出された膝小僧を擦る。
まるで、暖かい室内にまで入り込んできそうな荘厳な冷気。
クリスマス・イブに相応しい凛とした外気は、クリスマス用に模様替えをした賑やかな窓際を凍り付かせる。
彼女はいそいそと愛用のiPhoneを取り出すと、大好きな彼にメッセージを送った。
"おはようございます。今朝は雪まで降ってとっても寒そうです!暖かくしてお仕事がんばってくださいね*"


「うふふ、」
「姉さん?どうかしたんですか?」
「あら、おはようございます。」


ダイニングに降りてきた可愛い弟は、部屋着にブルーのガウンを羽織ったままの格好で朝食の席についた。
名前の向かいに腰かけると、タナカが持ってきてくれたスープボウルでかじかむ指先を温めて、姉に倣って窓外へ大きな瞳を向ける。
その星空のような美しい眼は未だ眠たげに淀んでいたが、ちらつくパウダースノーを映した途端、それは大きく大きく見開かれた。
しかし、すぐさま大きな瞳を伏せると彼はぶるりと震えて”最悪だ”と一言。
寒さも暑さも苦手な彼にとって、雪空というのは歓迎に値する天候ではないらしい。
彼はもう一度ぶるりと震えると、ボウルの縁にそっと唇を当てて腹の底に暖かいポタージュを流し込んだ。


「坊っちゃん、朝食の付け合わせはどういたしますか?」
「温かいやつ」
「トースターに入れればどれも温かいわよ。さあ、何にする?トーストか、スコーンか、それともクランペット?」


タナカと共に朝食の準備をしていた母は、からりと笑うと“スコーンは昨日、私とタナカさんが焼いたものだけど“とバスケットいっぱいに詰められたスコーンを軽く掲げて息子に見せた。
ぎっしりと生地の詰まった小麦色のスコーンは、どれもこれもずっしりと焼けていて美味しそうだ。
彼は照れ隠しのようにふいっと顔を背けると、ぼそりと聞こえるか聞こえないかくらいの声量で口を開いた。


「……じゃあ、スコーンで」
「はいはい。タナカさん、温めてあげてくれる?」
「かしこまりました。」

少々、反抗期気味といえばよいのか、ここ最近はあまり母や姉に甘えなくなった彼の自立心を尊重するつもりなのか、レイチェルは息子のぼそぼそとした声音について特に言及することもなくバスケットからスコーンを取り出してタナカに一つ、渡した。
チン!と高い鈴の音が響くと、トースターに入れていたクランペットが勢いよく飛び出てきたのをうまく皿でキャッチして、バターの欠片を垂らす。
それをコトン、と名前の前に置くと、レイチェルは自らもテーブルについた。
後の朝食の仕度をタナカに任せることとして、赤々と燃えている暖炉の火にダイヤモンドのピアスを輝かせて席に腰掛ける。
彼女はティーカップを美しい所作で手に取ると、一息つくように紅茶に口をつけた。
母の手に握られたティーカップはクリスマスらしい柊のデザイン。
昨年のクリスマスに弟が経営するファントム社で販売した限定のカップである。
名前は冬の朝もきちんと美しい母に見惚れながらほくほくと湯気を立てるクランペットを行儀よく手でつまんで、ぱくりとかぶりついた。


「あら、そういえばシエルはまだ起きてこないの?」


ティーカップから唇を離したレイチェルは、寝間着にガウンを引っかけたままの息子の顔をはた、と見つめて口にした。
その問に、彼はスープボウルから口を離さずにふごふごとくぐもった声で答える。


「まだ寝てますよ。昨日の晩も遅くまで何かしてたみたいですし」
「そう……。今日はミサに行く日だから早めに起こさなくちゃ。貴方、朝食を食べたら起こしてきてくれる?」

彼は面倒くさそうな表情を繕いもせず、”はい”と低く唸った。
どうやら、降雪のせいで昨日よりもいくらか寒い今朝の気温にすっかり参っているらしい。
ガウンの袖を引っ張って、指先を覆って外気に触れさせまいと健気な努力を続けている。
レイチェルはそんな息子を愛おし気に見つめて、彼の冷たい指先に自身のティーカップを握らせてやった。

「貴方も紅茶でも飲んで温まったら早く着替えてしまいなさい。」
「.......はい。」

照れ隠し的に短く言うと、弟はぐっと紅茶を飲み干した。
向かい側から立ち上るこの柔らかな香りはアッサムか。
くんくん、と早朝の空気に溶け込む紅茶の香りを物欲しげに嗅いでいると、気の利くタナカがすぐに彼女にも紅茶を注いでくれた。


「そういば、名前はどうして制服なんて着ているの?」


“ありがとうございます“と、嬉しそうに執事に微笑みかけて暖かい紅茶に口をつけていると、テーブルに頬杖をついた母が彼女の首元に結ばれた深紅のリボンを不思議そうに見つめて言った。
大振りのリボンに、くすんだクリムゾンのジャケットとチェックスカート、冬でもタイツでなくハイソックスを貫くのは、女子高生としての矜持である。
しっかりと足元にスクールバッグまで置いて完全に通学モードの彼女を訝しげに見つめて、レイチェルは娘の髪をそっと指先で掬った。
“もうクリスマスホリデーでしょう?“と、よもやこの娘は休暇中であるということも忘れているのではないかと疑うように口にしたレイチェルに倣って、弟もテーブル向かいから同じく猜疑の瞳を向けて来る。
そんな二人の懸念を悟ったか、名前は苦笑い気味に眉を下げて笑った。

「やだお母様ったら。いくら私が忘れっぽくたって休暇中だってことを忘れなんかしませんよ。」
「あら、私は忘れないわよ。貴女、夏休みなのにお休みだってこと忘れて学校に行ったことがあるじゃない。」
「そ、それは小学生の時の話ですから.......!!」


思わぬところで過去の恥ずべき歴史を掘り起こされ、彼女は暖炉で燃えている薪のように顔を火照らせた。
そんな娘の様子を見て、母はくすくすと笑っている(弟は“そんなこともあったな“というような顔で呆れていた)。
名前は気を取り直すように紅茶を飲んで気を落ち着けると、くるりと表情を一回転させてふにゃふにゃと情けなく眉を下げて制服を着ている理由を説明した。


「実は、期末テストの成績が悪かったので........」
「ええ、」

知っているわ、
どこか厳しい母の相槌が飛ぶ。
彼女は鋭くなりはじめたレイチェルの視線から顔を逸らして、小さく縮こまるように肩を丸めた。

「あの、成績が悪かった子は.......クリスマスホリデーに補習があるのです........」
「......まあ、仕方ないわね。」


母は大きくため息を吐き出して亜麻色の髪を揺らした。
グサっと胸に鋭く刺さる嘆息であるが、こうして成績のことで母にため息を吐かれるのに名前は慣れっこなのである。

今朝とて一瞬はしょんぼりと肩を落としたが、トン、トン、と階上からダイニングへと上品な足音が響くと、彼女は文字通り態度を一変させた。
ぱあっと顔色を明るくしたかと思うと、ぴょこんっと跳ねて席を立つ。
あまりの変わり身の速さに、母は呆れて肩を竦めていた。
さきほどまで反省の色を見せていたものの、名前の反省は長くは続かない。
本人の楽天的な性格に依るところも大きいが、それ以上に“彼“の影響がダイレクトに効いているのは誰の目にも明らかであろう。

ダイニングへと近づく靴音は、少しずつ大きくなって鼓膜に響く。
待ちきれないと言わんばかりにくるりと短いチェックスカートを翻して一回転すると、名前はガラス張りの扉を開けて廊下へと下りてきた人物に抱き着いた。


「お父様!」
「おっと.......、おはよう、名前」


扉から飛び出してきた娘を、ヴィンセントは目を見開きながらもしっかりと抱き止めた。
ふにゃりと転がり出てきた娘の体は、朝食のスープや紅茶や赤々と燃える暖炉のお陰かぽかぽかと暖かい。
廊下の底冷えのする冷気にぶるりと身を震わせると、ヴィンセントはぬくぬくとした娘の身体をぎゅうっと抱きしめて唇にキスをして、ダイニングへと足を踏み入れた。
ガチャン、
冷気を追い返すように、扉はしっかりと閉める。
一歩ダイニングへと身体を滑り込ませると、ぼんやりとした暖気がまずは頬を撫でて心地が良い。
ヴィンセントは妻におはようのキスをすると、続けて娘(二回目)と息子の頬にも同じようにキスを贈って席に着いた。
べったりと腕に張り付いていた名前は、パタパタと軽やかにキッチンへ駆けて行ってタナカからヴィンセントにサーブする紅茶を受け取っている。


「みんなおはよう、と言いたいとこだけど.......、一人足りないようだね。」
「シエルならまだ寝てますよ。僕が後で起こしてきます。」
「そうか.......、いや、寝かせてやればいいよ。せっかくの休暇だし。」
「あなたね、そうやってすぐに子供たちを甘やかすんだから.......」
「まあまあレイチェル。いいじゃないか、クリスマス・イヴなんだし。ねえ?名前。」
「はいっ」


大好きな父に暖かい紅茶をサーブするのは名前の毎朝の習慣であった。
とはいえ、タナカがティーカップに注いでくれた紅茶を父の元に持って行っているだけで名前本人は茶をいれたり茶器を温めたりなどの作業は一切しないのであるが、父は飽きもせずに毎朝名前の頭を撫でて“お前は優しいね“と褒めてくれる。
今朝とてきっぱりとスーツを着こなした父の前にティーカップをそっと置くと、ヴィンセントは彼女の頭を優しく撫でて優雅に紅茶で身体を温めた。


「あなた、たまには名前に厳しく言ってやってちょうだい。せっかくのクリスマス・イヴなのに、この子ったら期末テストの成績が悪かったから学校で補習なのですって。」
「ほんとに?こんな冬の日に補習?」


父は軽く目をみはって隣の椅子に腰掛ける娘を見つめた。
気まずそうに視線を逸らした彼女の頭をぽんぽん、とレザーの手袋で覆われた掌で撫でると、“可哀相に“と表情を歪ませる。


「イヴに補習だなんて、先生方はひどいことを考えるものだね」
「はい.......、ひどいのです.......」
「そうか.......、うん、でもサボらずに学校にいくなんて名前は偉いね」
「ちょっと、あなた、」
「頑張り屋さんの名前のために、今日は俺が学校まで車で送ってあげる」
「ほんとですか!?」
「ちょっとあなた、厳しく言ってちょうだいっていったでしょう」


呆れ果てているレイチェルに軽く肩を竦めて、ヴィンセントは“こんな可愛い子に厳しくなんて言えるわけないだろう“と娘バカも甚だしい言い訳を並べている。

─付き合っていられない。
そんな父と母の姿を見て、次男である彼は小さくため息をついて兄を叩き起こすために階上へと上がって行ったのであった。









「お勤め終了。12月24日まで学校で授業を受けてる勤勉な学生はイングランド中探してもアタシ達だけだったかもね」
「まあ、テスト前に勤勉じゃなかったからこうして今日、勤勉にならざるを得なかったんだけど。」


補習授業はせめてもの慈悲か、午前のうちにそのカリキュラムを終えた。
ぐっと背筋を伸ばして帰り支度を始める補習仲間は、無事に授業が終わった開放感からかそんな軽口を叩いている。
名前は“そうですねえ“とおっとりと返事を返して、自らもテキストやペンケースをスクールバックに押し込んで帰り支度を始めた。


「っていうか、名前はともかくとしてロリーナまで補習くらってるなんて意外だったな。アンタ、期末テストこけたの?」


そそくさと荷物を纏めたエイミーは、学校指定のチェックコートに袖を通しながら名前の隣で帰り支度をしているロリーナに問い掛けた。
暖房の温風にミルクティーブラウンの髪を靡かせて振り返ったロリーナは、心外だと眉根に皺を寄せている。
校内屈指の優等生で、彼女たちの学年においては恐らくは誰よりも真面目な彼女である。
期末テストとて、そつなく学年一位の座に座っていたはずだ。
ロリーナが休暇中の補習に呼ばれるなどという事態は、普通であれば卒業まで見られなかったに違いない。
彼女はむうっと頬を軽く膨らませると、のろのろとコートを羽織っている名前に恨みがましげな視線を向けて静かに口を開いた。


「補習皆勤賞の名前が“一緒に来てください!!“って泣きついてきたから、呼ばれてないけど自主参加しただけよ。」
「ああ、なるほど。名前のお守りにきたわけね」
「そういうこと。」
「そういうことじゃないのです!!!」


名前は大袈裟に反論したが、教室内にいた少女たちの誰もがロリーナとエイミーの言になるほど、と頷いていた。
名前とロリーナは入学して以来の大親友であるが、親友同士であると同時にとろくさい名前の面倒を何かと見てやっているロリーナ、という側面がなくもない。
先程の数学の授業でも、当てられた問題の答えがわからずにおろおろと泣き出しそうだった名前に隣の席からそっと答を書いたメモを渡してやったロリーナの姿を皆ひそかに目撃している。
それを指摘され、言い返せずにぐっと言葉を詰まらせた名前にからりと笑って、エイミーは名前とロリーナの肩に腕を回した。
暖かかった教室を出て、ひやりと冷える廊下に差し掛かる。
教室との温度差に、三人は揃って肩をすぼめた。


「うぅ〜寒いです.......」
「ほんと。雪もまだ止まないわね」


品の良いコーラルピンクのマフラーに顔を埋めた三人は、廊下の窓から見える雪降るロンドンの街へと視線を向けた。
ちらつく雪は今朝よりも鋭く、重たく空から降り注ぐ。
“これは外に出るのも億劫かも“と呟いたエイミーにうんうんと二人して頷いて、三人は揃いのハイソックスから覗く素足をのろのろと気重そうに歩ませた。





「ひゃ〜、やっぱ外はもっと寒い!!」


エントランスを出て(先程、彼女達の補習数学の授業をしていた教員に出くわし、名前とエイミーは“頼むから休暇中にしっかり復習してくれよ“と懇願された)、正門をくぐるとやはり朝方よりもかなり冷え込み始めた様子。
すりすりと手をすり合わせてみたが、一向に効果は表れず指先は痺れてゆくばかりである。
玄関ホールに飾られていたクリスマスツリーもすっかり雪を被って、まさしく聖なるクリスマスに相応しい装いとなっていた。
ロリーナは“寒い寒い“とぎゃあぎゃあと騒いでいる二人を尻目に、名前とお揃いの腕時計の文字盤をちらりと見遣った。


「ねえ、ちょっと寄り道して帰らない?ちょうどランチの時間だし、いつものカフェでランチしてホットチョコレートでも飲めば寒さも和らぐかも。」
「おー!さすがロリーナ!超賢い!」
「いいですね〜」


そうと決まれば、とエイミーが他の友人にも集合をかけようかとSNSアプリを起動する。
かじかむ手ですいすいとスマートフォンの画面上に指を滑らせているエイミーをわくわくと見つめていると、隣でロリーナが“あ、“と声をあげた。


「ロリーナ?」
「名前、あそこ」
「?」


親友の指が示す先、学校前の大通りの向こう側に見慣れたブルーブラックのファントムZが停まっていた。
雪の降りしきる中、サテンクロム塗装に暗いブルーが艶っぽく光る。
さすがはロールス・ロイスといった圧倒的な存在感と、それでいて上品な佇まい。
フロントドアに軽くもたれてゆったりと煙草を吸っているのは、やはり予想通りに父であった。


「お父様!」
「えっ、嘘、あれ名前のお父さん??イケメン過ぎない??え???」
「エイミー、落ち着きなさいよ」


凛とした12月の空気を伝って響いた“お父様!“の響きは、父の耳に届いたようであった。
ぼうっと中空を見つめて白煙を吐き出していたヴィンセントは、優雅に車道の向かいに視線を送ると、煙草の火を消して可愛い娘にひらひらと手を振ってみせる。
名前はふにゃふにゃと蕩けるように頬を緩ませると、軽く積もった雪をサクサクと踏み締めて父の元へ駆けて行った。
それに慣れっこだと言わんばかりに落ち着き払って名前の後を追うロリーナと、どこか緊張気味についてゆくエイミー。
ヴィンセントは娘の友人ににこりと微笑んで、“やあ“と手を上げた。


「ロリーナ、久しぶりだね。名前から聞いたよ、期末テストも学年一位だったそうじゃないか。お父様は鼻高々だろうね。」
「お久しぶりです、ファントムハイヴ伯爵。お褒めいただきありがとうございます。」
「.......名前、そちらのレディシュのお嬢さんは?」


早速と父にべったりくっついている名前は、赤毛を揺らして固まっているエイミーに軽く手を翳して“同じクラスのお友達です“と父に紹介した。
エイミーはほうっと惚けるようにヴィンセントを見ていたが、横からこっそりとジト目のロリーナに肘を小突かれ、弾かれたように勢いよく頭を下げる。


「はっ、はじめまして!!エイミー・マーチと言います!名前とは、入学してからずっとほ、補習仲間で.......!」
「はは、なるほど補習仲間か。」
「は、はい.......!」
「娘と仲良くしてくれて、ありがとう。」
「はい.......」


色っぽいヴィンセントに微笑みかけられて、エイミーはぼんっ!と頬を赤くして俯いた。
“イケメンの過剰摂取は危険“というのが常々周囲に語っている彼女の持論である。
今日はもうキャパオーバーなのか、エイミーはポニーテールに結わえた赤毛にふわふわと粉雪を纏わせて、そそ、とロリーナの背後へと隠れてしまった。
そんな彼女に呆れたような目線を送っていたロリーナであるが、父にべっとりと張り付いている名前に目を向けると小さく残念そうに肩を竦めた。
この調子では、おそらくヴィンセントは名前を迎えに来たのであろう。
優しそうに見えるが、ヴィンセント・ファントムハイヴという人は娘が父より友人を優先することを決して許さない人間だと、聡いロリーナは薄々と理解していたのである。


「君達、お屋敷はどこかな?迷惑でなければ送っていくよ」


ヴィンセントは車の扉を開けて彼女達を暖かい車内に迎え入れようとしたが、ロリーナは礼儀正しく断りを入れて頭を下げた。


「いえ、結構です。実はこれからカフェに行こうって話していたので」
「あっ、そうでした.......」


ふと思い出したように名前が口元に手を当てる。
しかし、父が迎えに来てしまった以上は“私もお友達とカフェに行きたい“などとワガママは言えない。
それによくよくと考えてみれば、今朝、出掛ける際に母から“ミサへ行くから授業が終わったら寄り道せずに帰ってきて“と言われていたのを忘れていた。
名前は髪にかかる雪をぱしぱしと払いのけると、気まずそうに二人に切り出した。


「あの、ごめんなさいロリーナ、エイミー。家族でミサへ行かなきゃいけないのをすっかり忘れてました.......」
「仕方ないわ。また今度一緒にランチしましょう。じゃあ、伯爵。お気遣いありがとうございました。(ちょっとエイミー、しっかり挨拶くらいしなさいよ)」
「あ、あり、ありがとうございました〜!!!!!」



カクカクとロボットのように挙動不審なエイミーと普段通りの礼儀正しさのロリーナに小さく手を振って、名前とヴィンセントは車に乗り込んだ。
運転席の窓が静かに開けられ、“放課後のお楽しみを邪魔してすまないね。また名前を誘ってやって“と眉を下げてフォローの一言を残し、ブルーブラックのファントムZは颯爽と去って行く。
開いた助手席の窓から名前が手を降っているのに二人はひらひらと手を振り返していたが、それもそのうち車が角を曲がってゆくと友人の姿も見えなくなり、ロリーナは静かに手を下ろした。


「い、いや.......いいイケメンを見たわ.......」
「よく言うわよ。あなた緊張してロクに話もできてなかったじゃない。」
「そうなんだけどさ.......っていうか名前いいな〜、あんなかっこいいお父さん.......お父さんっていうかあんなのほとんど彼氏じゃない?」
「.......ちょっと言っている意味がよくわからないけど.......」


雪を払うことも忘れたエイミーは、頭の上にこんもりと雪をのせて興奮気味に話した。
ロリーナは意味が分かるようなわからないような彼女の言葉をてきとうに受け流し、コートのポケットからiPhoneを取り出して自宅に連絡を入れている。
それを横目に見て、エイミーはふと思いついたように彼女に問い掛けた。


「っていうか、今日12月24日だけどロリーナはミサ行かなくていいの?」
「ああ、うちは空飛ぶスパゲティモンスター教だから」
「マジで!?」
「嘘。」










車内は嫌な消臭剤の臭いもせず、品の良い父の香水の香りで満たされていた。
春先の庭のような華やかで穏やかな、少しだけ色っぽい若い匂い。
父は年齢に似合わず若い香水をつけるが、それがまたこの容姿の整った父を魅力的に見せる。
車内に流れる音楽はクリスマス・キャロル。
ぶるりと震えてマフラーを引き上げると、父が運転の隙を見て暖房の温度を上げてくれる。
名前は皮張りのシートにぐでんと頭を預けると、“補習しんどかったです.......“と疲労の色を隠せずに呟いた。

「補習終わりのカフェ、行けなくて残念だったね」
「いいえ、ミサのことをすっかり忘れていた私が悪いので.......」

名前はえへへ、と照れるように口元を両手で隠し、ハンドルを握っている父の横顔をうっとりと見つめた。


「それに、お父様がお迎えに来てくださってとってもうれしいです」
「それはよかった。」


車体は一路、込み合うロンドンの中心地を避けてサザーク方面へと走る。
運転をしている父の色っぽい横顔をにっこにっこと見つめていると、ヴィンセントは“そんなに見られてると恥ずかしいよ“と困ったように言った。


車窓は未だ雪景色。
煉瓦作りの建物にはうっすらと薄く雪が積もる。
街並みはどこもモミの木やスノーマンや、サンタクロースの赤に彩られて賑やかしくクリスマス・キャロルを歌う。
車内で流れているのは“We Wish You a Merry Christmas“
ぶるりとコートのポケットに入れていたiPhoneが震えると、新着のメッセージが一件。
ぽちぽちとiPhoneを操作してメッセージボックスを開くと、"Merry Christmas"の文字とともに大好きな彼から、今朝に送ったメッセージの返信が届いていた。
"おはようございます。コートを着込んでキュー・ガーデンまで行ってみましたが、あの青い芝が一面雪に覆われていましたよ。貴女も暖かくして風邪をひかないように。"
メッセージには、銀世界へと装いを変えたキュー・ガーデンの写真が添えられていた。
明日に控えたクリスマスの高揚が一面英国を覆っている気がして、名前も無意識に小さくクリスマスソングを口ずさむ。
彼とこうして同じ天候と同じ寒さと同じ24日という日を共有できていることが嬉しくて、名前はくすりと瞳を細めた。

「明日は、何の予定もないよね?」
「え?」

父はクリスマスソングに象られた車内で、突然にまっすぐ前を見つめてそう言った。
何の予定もないよね?
はて、と首を傾げる。
ヴィンセントは視線だけを助手席の娘に遣って、“補習とか友達付き合いとか“と口を開いた。


「クリスマスは家族で過ごすものだろう?明日は出かけないようにね。」
「はい。」
「そう、例えば.......うん、ロリーナやエイミーと遊ぶくらいなら許せるけど、まさか彼氏と予定があるなんてことはないよね」
「.......!」


追求にも似た父の鋭い勘に、きゅうっと心臓が縮こまる。
彼氏─、半年ほど前にできた年上の彼には、事前にきちんと“クリスマスは絶対に一緒に過ごせない“と言ってある。
それは成績不良が招いた補習のせいでもあり、父がこうして釘を刺して来ることを予想した上での予防策であった。
名前は冷や汗をたらりとこめかみに汗を流してわざとらしく大きくクリスマスキャロルを歌った。
─もしかして、さっきのメッセージを見られたのでしょうか……。
不安は拭えない。
彼氏がいるなど、そしてその相手が自分より一回りほど年上であるなど、絶対に父に悟られてはならない。
自分と彼と、そして父の平和な生活のためにも。



「お父様、明日はお友達との予定もありませんし彼氏だなんて.......そんな、そんな人は私にはいませんよ。」


渾身の力を振り絞って口にしたその言葉は、かすかに震えていたせいで説得力があったかどうかはわからない。
しかし父は満足げに頷くと赤信号におとなしくブレーキを踏んで、車を停止させた。
横断歩道を渡って行く人々の群れをぼんやりと見つめて、なんとか父を欺けたらしいことにほっと息をつく。
手にしたままのiPhoneが彼からのメッセージを伝えて震えはしないかと、少しだけ恐ろしくなりながらも彼女はばくばくと高鳴る心臓に手をやった。
すると、ふ、と顔のあたりに影がかかる。
何かしら?とちらりと上目遣いに見上げると、父が運転席から身を乗り出して助手席のシートに手をついていた。



「お前はいい子だね、名前」
「.......はい、」

─ああ、これは確認のキスだ。
思考が早いか唇同士が触れあうのが早いか、気がつけばふにゃりととろかされていた。
触れた唇は、父の方がいくらか冷たい。

「……ん、」

かさつきのない滑らかな唇にふにゃりと下唇を軽く吸われて、小さく声を漏らす。
彼女が苦しそうに瞳を閉ざしたそのときには、ヴィンセントはぱっと身を引いて再びハンドルを握っていた。
赤から青に変わった信号に従って、アクセルを踏む。
車が走り出せば、一瞬の隙に見せた父の口づけはすっかりクリスマスの街並みへと消えていってしまった。


「ミサの後、空港にディーを迎えに行こうね。彼、今年のホリデーもうちで過ごすらしいから。」
「はい、」


すっかり普段の優しい父に戻ったヴィンセントは、ハンドルをきって楽しそうにそう言った。
名前はへらりと笑って相槌を打ち、"まあ、楽しみです"と社交辞令的に言葉を返す。
動き出した車の揺れに紛れて、彼女はこっそりiPhoneを胸に抱きしめた。
会いたくても会うわけにはいかない、Sの欄に登録された彼の名を思い浮かべて。





(We Wish You a Merry Christmas/Vincent)




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