We Wish your Merry Christmas

毎年、クリスマスになると国内外から親戚や父が親しくしている友人が集うのを、今年までは毎年楽しみにしていた。
アン叔母様も、アレクシス叔父様もフランシス叔母様もエドワードもリジーも、そしてディーおじさまも。
私の大好きな人たちが一同に会して賑やかに過ごす日を、これまでは何の不満もなく指折り数えて待っていた。



「.......、」


クリスマスらしいジンジャークッキーや靴下のオーナメントに彩られた窓際で、彼女は大きく息をついた。
窓の外は見事な吹雪。
イヴの昨夜から今朝にかけて降り積もった雪と、北風に煽られて家々に吹き付ける雪が一面を銀色に覆う。
ほんの数フィート先も見えない降雪にしょんぼりと肩を落とすと、名前はそうっとマグカップの淵に口をつけた。


実は、こっそりと彼が自宅の前まで会いに来てくれるのではないかと期待していたのだ。
湯気と共に浮き立つ甘い薫りを浴びて、舌の上でマルドワインをとろかす。
淀むように甘いアルコールは舌から喉を滑り落ちて、熱の塊となって身体の底へ落ちて行った。
じわ、と発汗にも似た微熱が足元から胸へと競り上がり始めれば、身体中がぽかぽかと温まってくる。
ほう、と漏れ出た白息で窓を曇らせて、名前は小さく窓面に彼の名前をなぞり書いた。


「.......何してるんだ?」
「ッ、!!!!!!」


前触れもなく背後から掛けられた声に、彼女は飛び上がるほど驚いて肩を震わせた。
ばくばくと喘ぐ心臓のあたりに手を当てて、ゆっくりと振り返ると同い年の従兄弟が大きなジョッキを持って不思議そうに彼女を見ている。
“ダサいセーター選手権“にでも出場してきたのかと疑わんばかりの悪趣味なセーターを着た彼は、大急ぎで窓の曇りに書かれた“彼“の名前を手で擦って消している名前にもう一度“何してるんだ?“と訝しげな視線を向けて彼女の隣に落ち着いた。
彼は簡単に作られた円イスに腰掛けて、男らしくジョッキからアルコールを煽って頬をうっすらと赤くしている。
ようやくと落ち着いた名前は、エドワードのセーターの図柄(LIZZIE LOVEと緑地のセーターにデカデカと赤字で編み込まれている)に呆れと軽蔑の入り混じった光を瞳に湛えて、“なんでもありません!“と言葉を返した。


「こんなとこで何をヘソ曲げてるんだ。毎年クリスマスははしゃぎ回っているクセに。」
「別にヘソを曲げてるわけじゃ.......、ちょっと人酔いしてしまっただけです。」


名前はもう一口、とワインを身体に流し込んで憂鬱げな吐息をついた。
外はいつまで見張っていてもひどい吹雪。
晴れ間など、一向に現れそうもない。
ポケットに入れていたiPhoneを開いて、数時間前に届いたメッセージをもう一度読み返す。

“少しでもお会いできないことは残念ですが、クリスマスは家族の日ですから仕方がありませんね。ご両親やご親戚とのクリスマスを楽しんでください。“

─彼は、今頃どうしているだろう。
自身の素性については多くを語らない彼だが、前に一度だけ“家族はいない“と聞いたことがある。
英国中が家族と暖炉を囲んでいるこんな日に、彼はたった一人であのアパートにいるのだろうか。
そこはもしかすると、洒落た間接照明が災いして薄暗かったり、東向きの窓が災いして寒かったりはしないだろうか。
彼はせっかくのクリスマスも、ブルーライトに瞳を晒して一人寂しく仕事などをしてはいないだろうか。
そんなことを考えていると、聖なるクリスマス気分に浸れるはずもない。

─ああ、この吹雪が止みさえすれば。


瞳を伏せて、あの静かな低音に胸を浸す。

─きっと家を抜け出して、少しだけでも彼に会いに行くのに。







「.......おい名前、お前ほんとに変だぞ」
「貴方のセーターほどじゃありませんっ!」



しんみりと瞳を閉ざして思考を深く切なく泳がせていたというのに、この従兄弟は本当に乙女心が分かっていない!
名前はむっと頬を膨らませるとエドワードのダサいセーターを指差して反論した。
しかし、平素と様子の違う従姉妹を心配して声をかけたつもりのエドワードは、突然の逆ギレをくらってしまいこちらこそ“訳が分からない“と言わんばかりに眉根を寄せている。
しかし自分が身に纏っているセーターがダサいという点については言い訳の余地もないらしく、ヤケクソ気味に口を開いた。


「うるさい!俺だって好き好んでこんなセーターを着てるんじゃない!」
「早く脱いだ方がいいですよそれ.......、本当にダサいですし.......」


“何より、リジーが恥ずかしがるでしょう“
悪目立ちする赤の毛糸で編まれた“LIZZIE LOVE“の文字を横目に見て、彼女はぼそりと言った。
すると彼も、頭を抱えて“全くだ!“と悪態をつく。


「チェスロックのやつ!よりにもよってこんなクソダサセーターを送ってきやがって!」
「頂き物なのですね.......それにしても、着なければいいのに.......」
「クリスマスホリデーに入る前に、チェスで負けた方は相手が送ってきたセーターを25日の間一日着るってゲームを奴としたんだよ!」
「まあまあ.......」
「ぐっ.......こんな.......緑と赤の悪目立ちセーター.......こんな悪趣味な配色のセーターにリジーの名が刻まれるとは.......リジーもこの配色センスの悪さに呆れているのか今日は一日俺と話してくれないんだ.......」
「.......それは、配色以前にデザインの問題だと思いますけれど.......」


完全に問題の中核を捉え損なっているエドワードは、大ジョッキに注がれたシードルをがばりと大口を開けて飲み干した。
もう相当酔いが回っているのか、頬を真っ赤にしている。
名前は居間の奥で弟たちがチェス勝負をしているのを真ん中に座ってきゃっきゃと応援しているリジーに視線を送った。
艶の美しいブロンドをツーテールに結わえた彼女は、今夜もフリルやレースが効果的に添えられたロイヤルブルーのワンピースをさらりと着こなしている。
あれほどオシャレに気をつかっている彼女にとって、この意味不明なセーターを着た兄はなるほど無視の対象ではあろう。
ぐにゃりと窓枠にへたり込んで“リジー.......リジー.......“と譫言を呟いているエドワードに仕方なしにブランケットをかけてやり、名前は円イスから立ち上がった。

相変わらずの妹馬鹿を発揮するエドワードに呆れてしまったという理由もあるにはあるが、何となく、こうして家族の輪の中にいるのが居心地が悪くなったのである。
家族で楽しむのがクリスマスの正しい楽しみ方。
その点、エドワードは正しいクリスマスホリデーを楽しむ標準的英国人といえるだろう。
広いリビングルームを見渡してみれば、チェスに興じる弟たちとリジーに、医師から止められているにも関わらずシャンパンを開けている母と叔母たち。
ウェストン・カレッジ時代の話に華を咲かせている父と叔父とディーデリヒ。

家族で過ごす時間というのは不思議だ。
不思議とそこには色恋の話題を差し挟む余地がない。
柔らかい両親の羽の下に潜り込んで行けば、そこは暖かくて賑やかでリラックスができて─、
それでも、時に息が詰まりそうに潔癖である。
特に、こんな切ない夜には。


心は表面的には平静であるものの、水面下では落ち着かずに終始ざわざわしている。
エドワードとこんな取り留めのない話をしていても、父にべったり甘えてみても、アン叔母様の社交界のお話を聞いていても、何をしても逸る胸の違和感を抑え切れない。
頭の奥でヒソヒソと囁きのように彼の声が響くのだ。
まるで、“会いに来て“と誘っているように。


「.......わたし、本当に彼がすきなのですね.......」


自室へ向かって、トントン、と階段を登る。
自覚してみると、自分は限度を超えて彼を好いている気がしてならなかった。
これまでは、世界は家族を中心に回っていた。
大好きな母と、弟たちと、そして彼女の世界の規範であり支配者だった父。
その父に昨日釘を刺されたにも関わらず、こうして未練がましく彼との逢瀬を望んでいる。

こんなことは、これまでにはなかったことだ。
父の言葉に反する望みを抱くことなど、きっと身体が朽ちるまでないと思っていた。
底から冷えてゆく廊下は凛と背筋を伸ばしたくなる冷気に満ちている。
清らかな空気が火照る頬を突き放すように冷まして、名前はほう、と一つため息をついて窓の向こうを見渡した。


紺碧の闇の向こうに沈む粉雪はいつしかちらつく程度にその勢いを潜ませていた。
家々を取り囲むカラフルな電飾がぼうっと浮かび上がる25日の夜。
どの家の中にも暖かな家族の営みがあって、それでもきっとこの瞬間も彼は一人だ。
このロンドンの寒空の下で、一人きり。
それがどれほど苦しく虚しい運命であるか、彼女には想像もつかない。
絵に描いたような幸福な家族に囲まれて育った自分には理解できるはずもない孤独。
しかしそれは想像の及ばぬ世界であるが故に、その暗い孤独はこれ以上もなく恐ろしいように思えた。

星の瞬きに呼応するように、クリスマスの電飾が赤に緑に忙しなく輝く。
そのまばゆさに、そっと瞳を細めた。
人通りのまばらなストリートに、青い月影が落ちる。
ふわんとぼやけるように明るみが生まれたストリートに翻る黒は、彼女の幻覚であったか。
静かな聖夜のストリートに立ち尽くす一つの影。
すらりと背の高いシルエットを望んでいた自分が見せた幻覚─、
彼女はそう断じて大人しく部屋へ下がろうと視線を外したが、しかしその影がぴたりと立ち止まると世界は一時、その時を止めた。


「.......!」


カップの底に溜まった紅茶のような明るい紅の瞳。
すうっと通った美しい鼻筋と夜に溶ける黒髪。
ふわりと粉雪を浴びたその影は、じっと階上の彼女を見据えていた。
その視線の解逅に、カチリとはまったパズルのピースの音が響く。
幻覚─、などではない。
それは紛れもなく実体を伴った男の姿であり、その身を包むスマートな外套には確かに見覚えがあった。
あのコートの内側にふざけて潜り込むと、色っぽいジャスミンの薫りが優しく包んでくれると知っている。
彼の身体にはぴったりでも、自分が着てみると袖も裾も引きずってしまうくらい大きいと知っている。




「.......!」


そんな都合のいい展開があるはずがない、
冷静に囁くもう一人の自分を黙らせて、気がつけば彼女は玄関の扉を開け放していた。
バタン!と乱暴に閉められた扉の音は、もしかするとリビングの父や母に聞こえてしまっただろうか。
扉から駆け出してゆく自分の姿を、リビングの窓から誰かが覗いてはいないだろうか。
そんな現実的な憂慮すら玄関先の吹きだまりに投げ捨てて、暗い夜の玄関ポーチを駆け下りる。

ひゅうっ
と火照った頬に吹き付ける凍風にも構わず駆け出すと、星の瞬きがきらりきらりと彼女の碧髪に落ちる。
慌てて引っ掛けた学校指定のローファーがかぽかぽと夜の世界に間抜けな音を立てて名前の脚を縺れさせるが、そんな事はどうでもいいとばかりに彼女は精一杯にその腕を伸ばした。

ぎゅう、と見知ったコートを掴む。
知りすぎてしまった男の薫りが雪に紛れて嗅覚を擽って、彼女はほわ、と頬を赤くして背の高い男の顔を見上げた。



「セバスチャン、さん.......、」



孤独な夜を過ごしているであろうと思われた彼は、やや驚いたというように瞳を見開いたが、彼女がぽろりとその名を零すと困ったように眉を下げて微笑んだ。


「.......見つかってしまいましたね。」


静かにそう言ったセバスチャンは、上等なレザーの手袋に覆われた両掌でふにゃりと彼女の頬を包んだ。
つるりとした皮手袋の感触がするりと頬を滑るのに、犬のように頬を寄せて瞳を閉じる。
彼の手は、グローブ越しとはいえやはり冷たい。
それでもその冷気が心地好いというようにすりすりと頬を寄せて、名前はもう一度彼の名を呼んだ。


「寒さで頬が真っ赤じゃありませんか。コートも着ないでこんなところへ出てきて.......」


もこもことしたピンク色のニットワンピースを身に纏った彼女を暖めるようにそうっと腕の中に抱いて、彼は呆れにため息をついた。
しかし、吐息とは裏腹にその面立ちはどこか満足そうに口角がゆるりと上がっている。
名前はぎゅうっと彼の細い腰元に抱き着いて、歯の根をカチカチと鳴らしながらもへらりと微笑んだ。


「まさか、会いに着てくださるとはおもいませんでしたから.......」
「会いに来たわけではありませんよ。貴女は家族でクリスマスパーティを楽しんでいる真っ最中でしょうし、邪魔をするつもりはありませんでした。」
「まあ、邪魔だなんて.......」


そんなことはない、と続けようとした名前の唇にそうっと人差し指を置いて黙らせる。
セバスチャンは以前として眉を下げて、暖炉の火のように煌々と燃えている彼女の瞳を覗き込んだ。



「ただ、少しカーテンの隙間からでも貴女の姿が見られないかと.......、そんな期待をして道を通り掛かっただけです。それがまさか、こうして外へ出てきていただけるとは。」


自嘲気味に続けた彼にぎゅむ、ともう一度抱き着いて、名前は“この人はなんと孤独なのだろう“と瞳を潤ませた。
きっと、彼は寂しかったのだ。
せっかくのクリスマスなのに、一緒にお祝いをする家族もなくて一人寒風に吹かれるしかなくて。
だからこうして、彼女の姿をちらりとでも見られないかなどと切ない望みを抱いてしまったのだ。
こうして彼が一途に自分を求めてくれることがうれしくもありながら、名前はそういう彼の身の上が可哀相でならなかった。
セバスチャンは自分よりも一回りも年上で、一流の大学を出て一流の企業に勤めていてルックスも整っているのに、クリスマスを共に過ごす家族や暖かい家庭の時間だけはどう足掻いても手に入れられない。
そんな彼がどこまでも可哀相で─、
そして、愛しかった。


「わたし、呼んでいただければいつでもお側に行きますから。姿だけを見られたら、なんて.......そんな悲しいこと、言わないでください」
「いいえ、貴女には貴女の家族がありますし.......クリスマスは家族で過ごすものですから。そこまで我儘を言ったりはしませんよ。」
「でも.......、」
「.......今すぐにではなくとも、私にも家族と過ごす時間はいずれやってきますから平気です。」
「?」
「いずれなってくださるんでしょう?私の家族に。」


彼女の頬を掌に包んだまま言った彼は、悪戯な少年のような光を瞳に燈して彼女を見つめた。
名前は驚きにぱっと開いた口元を掌で覆ったが、ゆっくりと頬に朱を差すとおおきく首を縦に振った。
へらりと幸福を体言したような笑顔を彼に向けて、もう一度大きく頷いてみせる。
セバスチャンはそんな彼女の呑気そうな笑顔に一つ微笑をこぼして、首に巻いていたマフラーをするりと抜き取った。



「さあ、家へお入りなさい。ご家族にバレてしまう前に。」



ゆるりとブラックのマフラーを彼女の寒そうな首元に巻いてやる。
名前が恐る恐るとふわふわの毛糸の感触を指先で弄んでいるのをほんの少し寂しげに見つめて、彼はくるりと踵を返した。



「セ、セバスチャンさん!!」


背後からの呼びかけにくるりと首だけを向けて、男物のマフラーをぐるぐるに巻いた彼女に視線を向ける。
タイツに包まれた膝をすりすりとすり合わせながら外気の冷たさに耐え忍ぶ彼女は、小さな口を大きく開けて夜の静寂に華奢なソプラノの音を響かせた。



「また、電話しますから」


何か気の利いたことが言いたかったに違いない。
そういう彼女の心遣いとかいうものがピンク色の甘いニットの上から透けて見える気がして、彼は軽く片手を上げてそれに答えた。

シャリ、シャリ、と僅かに積もった雪を革靴で掻き分けてストリートを東へ歩むその間、通りの曲がり角を曲がるまでずっと、背後に暖かい彼女の眼差しを感じていた。
くるりと駅へと向かって角をまがると、遠く、ファントムハイヴ邸の電飾に紛れてピンク色の人影がぼんやりと見える。
彼は可笑しくてたまらないと言ったようにふっと軽く地面に笑い捨てて、遠くに見える彼女に手を振った。




“わたし、呼んでいただければいつでもお側に行きますから。姿だけを見られたら、なんて.......そんな悲しいこと、言わないでください“


「本当に呑気な娘ですね」


ヒトの尺度というものは不思議で、家族を持たない独身の男を哀れだと思うようにできているらしい。
セバスチャンは天使のようなあの少女を脳裏に浮かべて、くつくつと喉を鳴らした。
彼に家族がいないことに、彼女はまるで我が事のように心を痛めて今日一日を消費していたのだろう。
あの様子では容易に想像がつく。
きっとうじうじと“セバスチャンさんは今頃一人かしら“などと想像をしては落ち込んで、折角のクリスマスパーティーも存分に楽しめていないに違いない。
人間のちっぽけな物差しで悪魔である自分の暮らしぶりを計られるのは虫酸が走るほど腹立たしいが、それでもそうして同情という重たい鎖で彼女の生活を縛ることができるのならそれも悪くはなかった。

姿だけでも見られれば、など。
そんな非効率な行動を彼がとるはずもない。
初めからきちんと彼女に自分の存在を気付かせて、きちんと自分の元へ駆け出して来るよう振る舞うつもりであった。
例えば、粉雪のちらつく中でキスの一つでもしてやろうかと考えてはいたところだが、あの場ではああして何もせずに離れることが何よりも名前に自分とのクリスマスの逢瀬を印象付けるだろうと、ふとそう思って何も手を出すことなく別れたのだ。
時と場合によってはあのまま自宅へ彼女を攫ってやることも悪くはなかったが─、


「今夜はああするのが正解だったでしょうね。」


彼はまるで駆け引きでも楽しむように笑うと、静かに住宅街の暗闇へと消えて行った。
後に残ったのは、天からこぼれ落ちて来るパウダースノーと教会から聞こえて来る聖歌の音だけ。
一匹の悪魔は少女の甘い同情にぺろりと舌なめずりをして、“次はいつ会いに行きましょうか“と聖夜に低く囁いた。












「お嬢様、どちらへ行かれていたのですかな?」


ほくほくとした気分と共にどこか切なさを抱いて玄関をそうっと開いた時には、玄関口でタナカが待ち構えていたように立っていた。
目敏く名前の首に巻かれたメンズのマフラーを一瞥して、丸い眼鏡のフレームをきらりと光らせる。
名前は“うっ、“と言葉を詰まらせると、もじもじと指先をすりあわせて執事をちらりちらりと盗み見た。



「あの、お父様はもしかして.......私が外へ出たことにお気づきですか.......?」
「いいえ、旦那様は気づいておられません。」



返答を聞いてほっ、と息をついたのも束の間。
タナカが意味ありげに片眉を吊り上げたのを見て、名前は慌てて姿勢を正した。
ヴィンセントが気づいていなかったとはいえ、タナカから父に報告されてはどうしようもない。
じいやは基本的に、父の利となるよう動く。
名前がメンズのマフラーを巻いて外から戻ってきたなど、タナカにとっては報告すべき案件でしかなかろう。
名前はきちんと履けていなかったローファーをかぽかぽと鳴らして脱ぐと、ルームシューズに履き替えてタナカを上目遣いに見上げた。
“お願いですからお父様には黙っていてください“
言外にそんな願いを託して、老齢の執事の瞳をじっと見つめる。


「.......」
「.......」
「.......じいや.......、あの、」
「お嬢様、早くそのマフラーはお部屋に持ってお上がりになってはいかがですか」
「.......!」


タナカは悪戯っぽく口角を上げると、名前に一つウィンクをして居間の方へ視線を向けた。


「旦那様はお酒を召し上がっておられますから、隠されるのなら今のうちに」
「.......はいっ!」



名前はぱあっと頬を緩ませると、とたとたと階段を昇って自室へと駆けていった。
首元のマフラーに鼻先まで埋めてみると、セバスチャンの香りが優しく彼女の身を包む。
もったりと甘いジャスミンと、ほんの少しのスパイスと、ホワイトティーのような上品な残り香。
今夜はこのマフラーを抱いて眠ってみようか。
そんな思いつきに乙女心が弾け出す。
あの孤独で、寂しげで、それでも大人な彼に抱かれて眠る夢が見られそうだ。

名前はそわそわと窓の外を見遣って、彼の住むキュー・ガーデンの方へと紅の視線を差し向けた。
もしかすると、彼も今頃は部屋に置きっぱなしにしていた名前のハンカチなどを抱いて、その残り香で胸を満たしているかもしれない。
寂しい一人のクリスマス、そこに変化が訪れることはないにしても─。
こうして、私たちは繋がっていられる。
私たちはいつか、同じ香りを纏って家族になれる。


名前はすっかり螺旋の階段を昇りきると、品の良いマフラーにもう一度顔を埋めて、“えへへ“と頬を紅潮させたのであった。
自分を見初めた相手が、よもや悪魔であったなどとは露知らず。
パステルピンクの夢だけを抱いて。




(We Wish your Merry Christmas/Sebastian)
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