Lurid pinky chocolate 2
【悪夢の14日!聖バレンタインデーの悲劇!!】
なんとおぞましい凶行か!
2月14日、バレンタインデーに届いた“シークレット“の恋人からの贈り物のチョコレートに手をつけたばかりに命を落とそうとは、誰が想像し得たであろう。
ジェーン・ホルボーン(21)は14日午後、自分宛てに届いたぺールパープルのチョコレートボックスを手にしてすぐ、不可解な死を遂げた。
彼女の仕える屋敷の主人がスコットランドヤードに通報した頃には、可哀相なジェーンは口から泡を噴き眼球は眼窪から飛びだし、見るにも耐えられない有様であったという。
本紙の調べによればボックスに敷き詰められたチョコレートが一つ減っており、ジェーンはこのチョコレートを口にしたばかりに塗布されていた毒が回って死亡したのではないかと推測される。
このような事件が14日に多発しており、毒物入りと思われるチョコレートボックスを受けとった淑女は現時点で40人いるとされている。うち、チョコレートを口にした35名が死亡。
被害者はロンドン周辺からサフォーク周辺、さらにはグラスゴー地域と広域に渡るものの、被害者のほとんどはロンドンの在住者であると報告されている。





「これは……、」
「お嬢様に贈られたものと同じでございますね。」


翌日、15日のロンドン・タイムズを覗き込んだシエルは、神妙に眉根を寄せて呟いた。
執事の言う通り、被害者に贈られたチョコレートボックスは昨日姉に届いたものと同じパープルのハート型。
新聞の一面にでかでかと載せられた見覚えのあるボックスのフォトグラフにため息をついて、彼は指を組んだ。

「姉さん宛てに届いたチョコレートボックスと同じ─、シャボネル・エ・ウォーカーのバレンタインデーギフトだな」

昨日、セバスチャンが命令通りに調べ上げてきた情報をチョコレートのように舌の上で溶かす。
シャボネル・エ・ウォーカー、ロイヤル・ワラントを戴く格式高いチョコレートショップである。
パリの職人がロンドンに出店した店で、姉もこの店のコンフィズリーを好んで口にすることから犯人はてっきり、姉にのみ照準を合わせて敢えてこの店のチョコレートを選んだものだとばかり考えていたが、どうも推理の軌道修正が必要らしい。
シエルはふむ、と顎に手をやって紙面をもう一度と視線でなぞった。

「被害者は現在判明している分だけで40人、うちチョコレートを食べた35人が死亡。……この分だと、今日中にはもう少し被害者が増えるだろう。概算だが、50人くらいはチョコレートが贈られているだろうな。」
「となると─、犯人は王室御用達のチョコレートボックスを40個以上用意し、さらにチョコレートの表面に毒を塗布して被害者にお送りしたと。」
「あの高級店のギフトボックスを40以上用意するとなると、それなりの資産家でないと難しい。まず疑うべきは貴族か医者か弁護士か、貿易商だろうな。」
「昨日私がお調べしたところでは、お嬢様宛てのカードは英国のものではございませんでした。フランスの出版社が発行したものです。」


調査の結果を印した羊皮紙をめくりながら、セバスチャンが言う。
シエルは腕組みをして一つ考え込むと、やれやれと立ち上がった。

「被害者が集中しているのはロンドンだったな」
「はい。恐らくは調査の舵を取っているのもスコットランドヤードであると思われます。」
「……仕方ない。本格的な調査をしようと思えば、ロンドンへ行く他ないな。」


ぐっと伸びをして、シエルは執務室の大窓から曇りがちの空を見上げた。
王室からの正式な調査命令は出ていない。
そのうちに女王陛下から手紙が届くかもしれないが、バレンタインデーに乗じた愉快犯のターゲットに姉が据えられた以上、ファントムハイヴ家の当主として見過ごすわけにはいかなかった。
2月の英国の空は重たいグレーの雲に覆われ、陽光すら差し込まぬ閉塞ぶり。
霧の都・ロンドンはそれ以上に重たい煤煙とスモッグに覆われて霞んでいるに違いない。
まるで、この悪質な犯人の姿を霧中に隠しでもするように。



「どこの誰かは知らんが、今に見ていろ。」

大きな瞳から、少年らしからぬ鋭い眼光が空を射る。
眼帯の下で怪しく瞬く契約印の疼きを感じながら、彼は凄味すら感じさせるアルトで呟いた。


「姉さんに手を出したことを後悔させてやる。」







「うふふ、ロンドンへ出られるなんて予想外の出来事です!」


ロンドン、ウェストミンスター。ファントムハイヴ家所有のタウンハウス。
その応接室では、危うく殺されかけたなどとは露知らず、名前が呑気に暖炉の前で紅茶を楽しんでいた。
久しぶりのロンドンということでめかし込んできたのか、明るいピンクとレッドのドレスに薔薇のブーケのような洒落たハットを合わせている。
グローブは美しいホワイトシルク。手首のあたりでは深紅のリボンが可愛らしく揺れている。
すっかりお洒落をして上機嫌の名前であるが、その向かいで暖炉の火に当たっているシエルはむすっと瞳を伏せていた。

「……姉さん、今からでも屋敷へ戻ってはどうです」
「あら、どうして?せっかくフランシス叔母様がお買い物に誘ってくださったのに帰るなんて……勿体ないですよ。」

姉はにこりと笑って、鼻歌などをうたい始めた。
ただでさえ年中お花畑のその頭中は、もはや叔母との再会でいっぱいに埋まってしまっている。

なぜこのタイミングで、とフランシスを恨めしく思っていたシエルは静かに息を吐いた。
本来なら、姉を連れて来るつもりは無かったのだ。
ロンドンに被害者が集中しているということはつまり、犯人はこのグレーター・ロンドンに潜んでいる可能性が高いということ。
木を隠すなら森の中。人を隠すなら人の中、である。
世界有数の人口を誇るこの街に潜まれなどしたら、いくらセバスチャンでも犯人を探すには一筋縄では行くまい。
そのわずかな隙をついて、姉がまた危険に曝されでもしたら……。
そう考えるだけでゾッと背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
無論、セバスチャンが万に一つも失敗するとは思っていない。
あれは不思議と(人間にしては)姉を気に入っているようであるから、名前に怪我などは絶対にさせないと理解はしていた。
しかし、身体が無事だったとして精神の方は?
危険にさらされ怖い思いをして、それであの泣き虫の姉が影響を受けないはずがない。
ただでさえ血生臭い仕事の絶えないこの家柄、これ以上は─姉の不眠症を悪化させるような事態は引き起こしたくないとういうのが、この少年が常に心の底に置いている一念なのであった。

「お嬢様、侯爵夫人がいらっしゃいました」
「はぁい。ふふ、さすが叔母様ですね、約束のきっちり5分前なんて。」

玄関口から顔を覗かせたセバスチャンの呼びかけにるん、と跳ねて、姉は立ち上がった。
手に洒落たハンドバックを持ち、香水を一振りして応接室からるんるんと出て行く。
彼女の愛用している薔薇と百合のパルファムの香りがシエルのかわいい鼻先をくすぐった時、姉はすでに玄関口で叔母との対面を果たしたようであった。
彼も渋々と肘掛け椅子から重い腰をあげて玄関ホールへと足を踏み出した。


「ファントムハイヴ伯爵、久しぶりだな」
「お久しぶりです……侯爵夫人。」


叔母はいつも、出会い頭にはかっちりとした挨拶をする。
なんとなく堅苦しいいつもの叔母の空気を肌に感じながら、シエルは“姉を頼みます“と彼女に軽く会釈をした。(余談ではあるが、この時すでにセバスチャンはまた前髪をオールバックに整えられていた)(先程フランシスの到着を知らせに応接室へ顔を出した時はいつも通りの“だらしない“前髪だったはずだが)(一体、いつの間にあの髪型に整えられたのであろうか)


「うむ、悪いが名前は借りるぞ。リジーの誕生日プレゼントを用意するのに、若い娘の意見が聞きたい。」

フランシスはすっきりとしたシルエットの外套を身に纏ったまま、腰元に手を遣って答えた。
堂々たる肉体と美貌の叔母も、それなりに歳を重ねている。
とりわけ可愛いもの好きのリジーの感性に合わせる自信はさほどないということであろう。
シエルは頭の片隅で(そろそろ自分もリジーの誕生日に合わせてカードとプレゼントを用意しなければならない)と考えながら、連れだって馬車へと向かってゆく叔母と姉を見送った。
よほど叔母と買い物に出られるのが嬉しいのか、ぶんぶんと大きく手を振って“お土産を買ってきますね!“とはしゃいでいる姉と、それを“はしたない“と窘める叔母。
二人に“お気をつけて“と呟いて、彼は瞬きをした。
彼女たちの後ろに控えるポーラが、少年のつぶやきの真意も知らず“お任せください“などと礼をして、重厚な玄関扉を閉める。

ガチャン、と金属の擦れ合う音と共に閉ざされた扉。
ガラガラと馬車の車輪が石畳の道路を削ってゆく騒音。
それらすべてが、まるで緩やかながらも有無を言わせぬ嵐のように姉を外界へと連れ出してしまった。
まるで少しの猶予も与えられず、彼女を屋敷へ追い返す手段を講じることすら許さずに。
心配だとはっきりと隻眼に写して、シエルはガシガシと後頭部の髪をかきあげた。


「坊ちゃん。心配なさるのはごもっともでございますが、侯爵夫人がお嬢様のお側にいらっしゃる以上、お嬢様は御安全かと。」
「分かってる。“あの“叔母様だしな……しかし、姉さんの間の悪さととろくささは折り紙つきだ。いくら叔母様でも守りきれないかもしれん。……そうなる前に、一刻も早く卑劣な犯人を殺す」
「……ヤードに引き渡す、の聞き間違いだと信じております。」


よりにもよって番犬としての仕事に一切として関わっていない姉を狙われたとあって、完全に頭に血が昇っているらしい主人に苦笑してセバスチャンは懐から懐中時計を取り出した。
時刻は午後二時。
この時間帯にはあの男が昼食休憩とティータイムを兼ねて庁舎の外へ出るとすでにリサーチ済みである。
セバスチャンはふっと軽く笑んでコート掛けから漆黒のケープを手に取り、主人の首もとで青いリボンを引き結んだ。
木を隠すなら森の中。人を隠すには人の中。
そして、このロンドンで人を探すならばあそこ以上に基礎情報の揃った場所はない。

シルクハットを小さな頭にそっとのせ、セバスチャンは自らも外套を羽織る。
ウェストベルトをきゅっと細身の腰に結んで、彼は意味ありげに片眉を吊り上げて笑んだ。


「さあ、我々も参りましょう。」


再び開け放された扉の外は、出立前に彼が想像していた通りのどんよりとした曇空。
薄黒い煤煙が縞模様の如く空を横切り、ロンドンの街を重苦しいグレースケールに塗り潰す。
肺の底まで入り込むような息苦しい煤煙を振り払う。
姉の平穏な日常を壊させなどしない。
焦げ臭いコークスの燻りに身を任せるニューゲート監獄を鋭いままの眼光で睨みつけ、シエルは口を開いた。


「どこの誰かは知らんが、必ずあそこにぶち込んでやる。」




(Lurid pinky chocolateU/sebastian)




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