今更であるが、名前は葬儀屋が出す茶を飲んだことがない。
彼が差し出すクッキーに手をつけたこともない。
彼はその職務の特性上、手が器用であるのか、さすがにセバスチャンには劣るとも茶の淹れ方がなかなかに上手い。
香り立つ芳香は日によってはアールグレイであったり、ディンブラであったりするが、どちらにせよ香りが消し飛ぶこともなく、いつまでも続いている。
茶菓子のクッキーの方も、バターの柔らかく甘い香りがふわりふわりと漂っていて素朴な味がしそうである。
どちらも口にすれば、素直に”美味である”と表現できるだろう。
しかし、いくら美味な香りが立っていたとて、一方はビーカーにいれられ、一方は人骨をかたどっていたとあれば、ただでさえ奇妙な葬儀屋の手によるものであるから、口にしようという気はみるみるうちに萎んでゆく。
当の葬儀屋本人は気にもせず茶とクッキーを口にしているので、飲み食いしたとて死にはしないだろうが、この見た目ではなんとなく忌避したくなる気持ちは大体の人間が理解してくれるであろう。
それはマダム・レッドも同じであったのか、彼女も差し出されたビーカーの茶を一口も赤い唇に触れさせていない。
「―さて、聞きたいのは切り裂きジャックのことだろう?今頃になってヤードは騒いでいるけれど……」
かぱっ、と軽快な音を立てて、骨壺(おそらくは本物の骨壺である)から骨の形をしたクッキーを取り出し、幾分真面目に見える表情で葬儀屋が語り出す。
白くシュガーコーティングのされたそれをぼりぼりと、それこそ骨を砕くように食べながら、彼は続けた。
「小生がああいうお客を相手にしたのは今回が初めてじゃないよ。」
「初めてじゃない?どういうこと?」
「昔から何件かあったんだよ。娼婦殺しが。」
「……それは、同じようにホワイトチャペルの近辺で……、ですか?」
「そうさ。もともとそう治安のいい場所じゃあないからね。娼婦の死体くらいはごろごろ転がっているような街さ。」
尋ねた自分が言うのもなんだが、聞いたことを後悔した。
お貴族の生まれである名前も、当然そうそうイーストエンドの貧民街に足を踏み入れたことなど数える程度にしかない。
しかし、このグレーター・ロンドンに人間の死体が恒常的に転がっている地区があるとは、やはりにわかには信じたくない情報であった。
それも、叔母の勤める病院の近くであるなど。
「叔母様……、そんなに昔からあの辺りは殺人事件が頻発しているのですか?」
「さあねえ、私たち医者は生きている人間しか相手にしないから、まさか娼婦殺しが昔からあったなんて私も初めて知ったわ。」
「身よりのない娼婦が死んだとて誰も気にも留めんからな。ヤードが騒ぎ出してようやく気が付いたというわけか。」
「そう。ただ、どんどん手口がハデで残酷になってる。」
シエルの言葉に頷いて葬儀屋は人骨のクッキーを勧めた。
無論、スイーツ好きとはいえ弟もこのような残虐な事件の話の最中に人骨の形状をしたものを口にするほどは図太くない。
僕も姉さんもいらん、と勧めを秒で断った。
葬儀屋はそうかい、と特に気を悪くしたような素振りも見せずに話を戻す。
「最初はそんなにスプラッタじゃなかったから警察も気づいてなかったけど、ホワイトチャペルで殺された娼婦には皆共通点がある。」
「共通点?」
「ですか?」
この新情報には、先ほどまでは澄ましてその隣に立っていたセバスチャンも会話に加わるようにやや前のめり気味である。
訝し気に眉をわずかに寄せ、葬儀屋の方を見据えた。
しかし、こうしてシエルのみならずセバスチャンまでもが彼の話に食いつき始めた段階で、なんとなく名前にはこの先の展開が予想でき、非常に嫌な予感が身体中を駆け巡り始めていた。
共通点、それは女王の命を全うするためにシエルが何としてでも知りたい情報。
そして彼は葬儀屋であり情報屋。
その情報には必ず対価を支払う必要がある。
「さてねえ、なんだろう。なんだろうなあ。気になるねぇ……。」
かぽっ、かぽっ、と骨壺を開けたりしめたりしながら、葬儀屋はやはり予想通りににやにやと口元を歪めた。
それに我意を得たり、と言わんばかりに劉がしたり顔で頷く。
「成程ね。そういうことか。葬儀屋は『表の仕事』という訳ね。」
突然だが、ファントムハイヴ家の総資産は英国有数である。さらにマダム・レッドは亡くなったバーネット男爵の資産すべてを一人で相続しているし、自身も医師として働く身。
劉本人とて表向きの仕事―『崑崙』の支店長としての顔以外に、窟でもかなり稼いでいる身である。
意外にも自分たちの力が及ぶ範囲で事を解決できそうだと踏んでいるのか、彼の口元は穏やかに弧を描き始めていた。
もちろん、葬儀屋はそう甘い男ではないのだが。
「いくらなんだい?その情報は」
そう聞く劉が棺桶の上で足を組み替える様子には、資産を持つ者としての余裕すら見て取れる。
しかし、それにぴくりと身を震わせて隠れた目を爛爛と鋭く光らせ、ずずずいっと興奮冷めやらぬ様子で劉に迫る銀糸の髪を見て、名前はやはり、と落胆した。
「いくら?小生は女王のコインなんかこれっぽっちも欲しくないのさ!!」
やはり無償で聞けるのはここまでですか……。
諦めたように、名前はドレスのポケットに手をつっこみ、上質の絹の感触を得て、掴み引っ張り出した。
シエル―、
隣に腰かける弟に前回使用した腹踊り用のペチコートをみせる。
黒いインクでお世辞にもうまいとはいえない女王ヴィクトリアの似顔絵が描かれたそれを目にし、シエルはみるみるうちに青ざめ冷や汗を見せた。
そして目にもとまらぬ速技で、もはや小道具と化したペチコートをマダムや劉に見られないよう、自身の身に纏う半ズボンのポケットに押し込んでしまった。
「姉さん……。これ、持ってきていたんですか。」
「必要になるかと思ったのですけど……。」
こそこそと姉に口元を近づけて、呆れたように言う。
姉は姉で、良かれと思って持参したものがどうも空ぶった空気を感じ取り、申し訳なさそうに肩をすくめてみせた。
シエルも、彼女が自分の仕事を円滑に進めるためにこうして要らぬお節介を焼いていると重々承知はしているので、そんな風にしょぼくれられては何も言えない。
ふう、と小さくため息をついて、よりポケットの奥深くにペチコートを押し込み、言った。
「それは……、あー、その、最終手段です。まずは使わない方向で考えましょう。」
こそこそと会話するファントムハイヴ姉弟にぐるりんと向き直る葬儀屋の興奮しきった瞳を横目で見て、シエルは更にペチコートを奥深く、それはもう深くに押し込んだ。
この様子では、ペチコートは中で皺くちゃになっていることが容易に見てとれる。
しかし、事態はそんな些末な事を気にしているほどうまく進んではいない。
その証明のごとく黒い喪服が稲妻のように駆け抜け、瞬間移動でもしたのかと疑いなくなる速さでシエルの前へ崩れ込んだ。
「さあ伯爵……、小生にあれをおくれ……」
ハアハア、心臓が止まるほどの勢いで高ぶってしまっている葬儀屋がシエルの頬を掴んだ。
そのサイコ染みた様子には、普段であれば”シエルに近づかないでください!”と勇敢に吠え立てたであろう名前も、手も口も足も出ない。
もはや、目を合わせることですら少々怖い。
そうこうしているうちに葬儀屋は興奮が極地に至ったのか、ハアハアと息遣いをさらに荒くし、自身の両腕でその身を抱きしめ、言った。
「極上の『笑い』を小生におくれ……!!そうしたらどんなことでも教えてあげるよ……!!」
変人め、とシエルの憔悴したような声が鼓膜を打つ。
目の前で身体をくねらせている男には、名前もこの場から立ち去りたいような気まずさしか感じ得なかった。
(劇場型犯罪/Book of Jack the ripper X)