ブラック・ジョーク
”nandeyanen!" "oatogayoroshiyoude”
―なんでやねん、―お後がよろしいようで。と発音するのだったか。
以前にタナカから教えてもらった日本の上方?お笑い?文化が名前の脳裏を巡る。
とは言え、知ってるのはその言葉の発音だけで、どういったタイミングで使えばよいかも何もわからないのだが。
弟にペチコートを没収されてしまったためにどのネタで葬儀屋を笑わせようかと暗青色の頭で思案するものの、元来葬儀屋もそうそう簡単に笑う人間ではない。
上流階級英語でお上品なジョークしか飛ばしたことのない名前では、やはり腹踊り意外の手段は思いつきそうもなかった。

「やはりこうなるのか……」

大きく引いているシエルはそれ以上は言葉も出ないらしい。
その隣で無言のまま事態を見ているセバスチャンも、ここまでの奇人変人っぷりを見せつけられては何も言えないらしく、否定はしなかった。
しかし、彼らがどれだけ”ドン引き”したとて、そうこうしているうちに葬儀屋はハアハアと一人でにボルテージとハードルを上げている。
これは早いうちに手を打たなければ、ちょっとやそっとしたことでは本当に笑わなくなってしまう―、

「ふ……、伯爵、レディ・名前、そういうことなら我に任せなさい。」


そうして身体を小さく小刻みに揺らして気を揉んでいる名前の様子を見て察したかカツン、と平べったい中華靴を鳴らして颯爽と劉が名乗りを上げる。
くるりと振り向いて目にした彼は、いつにも増してなぜかキリリと恰好をつけていた。


「上海では新年会の眠れる虎と呼ばれた我の真髄!とくとごらんあれ!」



―ふとんがふっとんだ。
期待に満ちたこの空気の中、彼が発した一言である。
この誰もが耳にしたことがあるであろう一文で少しでも笑声をもらす者があるか?
答えは否。
名前自身も、これには酒が入っていたとしても笑わないだろうと思われた。
店内も水を打ったように静まり返る様子には、今日という一日が始まってから劉に振り回されっぱなしのマダムもあきれた様子である。
―だらしないわね、劉。仕方ない。
きっちりとルージュの引かれた唇からこぼれ落ちたその言葉は、たしかに自身に宿る自身の表れであった。


「社交界の花形、このマダム・レッドがとっておきの話を聞かせてあげるわ!!」

びしりと髪と同じく真っ赤なハットをかぶりなおし、得意げにポーズを決めてみせる叔母に、先ほどまでの嘆息を脱ぎ捨てて名前は思わず立ち上がった。
なんと!なんと雄々しく美しく、頼りになる姿でしょうか!
思わず叔母に駆け寄り、そのくっきりとくびれた腰に抱き着いた。


「アン叔母様!どんなお話をきかせてくださるのですか!?」
「ふふ、名前。これは私が数多のパーティで聞き集めたとっておきの笑い話よ。さすがにここまでの話は、夜会慣れしていないと聞けないわね。」


ふふん、と帽子のツバから流し目をのぞかせるマダムに、名前はくらくらとする心地がした。
社交界の花形、夜会の女王、どれも社交的で誰からも好かれ、異性人気一番の叔母のとる異名である。
さぞや愉快で、それでいて上品で、ウィットに富んだ話が聞けるに違いない。
きらきらと叔母とそろいの赤い目を瞬かせて、その第一声を待った。


「……坊ちゃん、失礼を」
「……?なんだ?っておい!なぜ耳を塞ぐ!?」


でねーーっ!そいつったらピーッがピーッだったの!!さらにブーッがバキューン☆だったワケ!でさあーー、ピーがピーでピー、ピー、ピー……。
以下省略。
”ピー”と”ブー”と”バキューン☆”でしか成り立ちえぬような話を、それからマダムは一時間にわたり続けた。
いわゆる下ネタ、である。
最初こそ大人のレディのたしなみなのだ、と名前もやや顔を赤くして聞いていたが、次第に耐えきれなくなり、しまいには顔を手で覆ってうつむいてしまった。
弟にはしっかりと話が始まる前にセバスチャンが耳栓をしていてくれたようで、それだけが唯一の救いである。


「……シエルは、無事なようですね。よくやりました。褒めて差し上げます。セバスチャン。」
「お褒めに預かり光栄です。……お嬢様はご無事では済まなかったようですが。」


一時間が経過しても依然として顔を真っ赤にしている名前をあざ笑うように上から見下ろす彼にプツンときて、いつも通り”黙りなさい!”と噛みつこうとするにはした。
しかし、その整った顔を見た瞬間に気恥ずかしくなってしまい、しょぼしょぼと日輪に枯れた植物のように怒りがなえてゆき、ふい、と顔をそらす。
先ほどのマダムの下ネタを聞いたばかりでは、いやでも自身と彼の性別の違いを意識してしまい普段では目につかないところが気になってしまう。
例えば、その男性らしい長い脚であるとか、先ほどまで彼女も隠れていた意外にしっかりとした肩幅であるとか。手袋に覆われた骨ばった手であるとか。
いや、これ以上回想するのは危険である。
ごほん、と咳払いをして熱を持ち続ける顔の赤みを誤魔化した。


「さて、残すは伯爵とお姉さんのみだよ。」

キヒヒと笑う彼に目を向けられ、ぐっと姉弟して言葉に詰まる。
マダムと劉は”もう喋るな”という葬儀屋の意思の表れであるのか、赤く×印の書かれたマスクを装着させられていた。


「前回はチョットおまけしてあげたけど……今回はサービスしないよ。」
「くそ……」
「〜!!シエルっ!!こうなっては仕方がありません!!あのペチコートを私に!!」

もうこうなっては、意地である。
敬愛する叔母がスベり、劉は仕方ないとしても、彼もおなじくだだスベリした。
こうなっては、彼女自身が多少の恥を晒してでも仇を討つしかない―!
決意してがばりと仁王立ちしてみせる。
恥ずかしいのは一瞬だ。それで事は終わる。
さあ!とシエルに手を伸ばし、そして彼が渋い顔でポケットから純白の絹の切れ端を取り出した、その瞬間。
視界をひらりと燕尾の裾が舞った。

「仕方がありませんね。」
「「セバスチャン!?」」

綺麗にそろったその声は、ファントムハイヴ姉弟のものである。
つかつかと進み出た漆黒の彼の姿に、一同は雷にうたれたような衝撃を受けた。
セバスチャンはそんな彼らの様子を気に留める素振りもなく、ついと背後を振り返っては姉の方に目を向けると、自然な動作で立ち上がった彼女の背に手を寄せ、シエルの隣に座らせた。
そして、同じく自然な動作で件のペチコートを奪い取り、燕尾服のポケットへ滑りこませる。

「お嬢様、ここは私が。」
「へえ……、今回は執事君が何かしてくれるのかい?」

首をかしげて面白そうにしている葬儀屋に、セバスチャンは神妙に頷いた。
正直、助かった―、というのが名前の本心であるが、セバスチャンがこうして汚れ役を引き受けるのは非常に珍しい。
彼の自尊心を心配する気持ちもありつつも、純粋に興味を惹かれたのは名前だけでなく、シエルも劉もマダムもおなじであろう。
唯一、バーネット邸の執事だけはきょとんとした顔をしていたが。

「みなさん、どうぞ外へ。」
「セ、セバスチャン……」
「絶対に中を覗いてはなりませんよ……」

絶対に、の部分をいやに強調して、執事は一同を店外へ追い出した。
ぱたむ、としまった扉の向こうは変わらない静寂が続いている。
ロンドンの煙った空気は相も変わらず、呆然と扉の外で立ち尽くす彼女たちの頬を生ぬるく撫でてゆく。

「セバスチャン……大丈夫でしょうか。」
「さ、さあ……?」
「彼、そんなに三枚目のイメージはないんだけど…。」

マダムが口にしてから、ほんの一秒。

「ギャハハハ!!ブフォ!!ア”ハハハハ……ヒィ〜〜!!も……やめ……!!」
「「「「「!?」」」」」


唐突に葬儀屋のけたたましい笑い声が壁を突き破るようにあたりに響き、ついでに店の看板を盛大に傾けた。
突如として響いた笑声なのか叫び声なのか判別のしがたい大音量に一行がビクリと肩を震わせたかと思うと、同時にガチャ、と店の扉が再び開いた。


「どうぞお入り下さい。お話しして頂けるようです。」

いい笑顔で微笑むセバスチャンと、その向こうでは笑いすぎて痙攣している葬儀屋。
何をしたのか皆目見当もつかないが、とりあえずこの執事のポテンシャルの高さを思い知ったという他ない。


「さて……話の続きだね。ぐふっ……。なんでも教えてあげるよ……」

えふぉ……、ぐへへ……、小生は理想郷を見たよ……などなど。
座ることすら困難であるのか、やや身体を倒し気味に笑っている葬儀屋に、マダムの執事が怯えている。
葬儀屋が苦手な名前にもその気持ちもわからないではないが、彼女にはそれ以上に執事が密室の中で何を披露したのかという一点が気にかかっていた。

「ねえ、シエル。」
「なんです、姉さん。」
「セバスチャンは、あのペチコートを使ったのでしょうか?」
「……使っていない、と信じましょう。」

そんな姉弟の斜め上へ突き抜けた心配はともかく、何とか事件の糸口と成り得る情報が得られそうで何よりである。



(ブラック・ジョーク/
Book of jack the ripper Y)
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