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森の中を駆け抜ける信乃は、振り返ると頭上を鬼が飛んでいる。けど不思議なことにその鬼からは人の匂いがした。信乃は不思議な思いで森を抜けだし、大きな川の上に設置された広い橋の上で振り返り、場所を決めたようだ。
「ここら辺でいいか」
そう言うと利き腕に忍ばせている村雨を呼び起こし、刀の形状にして鬼と対峙する。
「あんた鬼?それとも人?」
その問いかけに鬼は目を見張るが、鬼の本能に呑まれる。
「 喰う。喰らイタイ 」
それだけを只管呟くように鬼は雷撃を信乃へと繰り出す。その雷を避けながら信乃は鬼の腕に未だ抱かれたまま微動だにしない汐慧を見据えた。
「汐慧!起きろ!」
避けながら声をかけても、彼女の瞼は重たく閉じられている。一体何があったというのだ。誘拐されたときと同じ症状なのか?傍にいなかった自分が歯痒い。信乃は奥歯を噛みしめ跳躍するように後方へ飛び去るが、鬼への異変に気がつく。
「…?コイツ……もしかして」
鬼が啼くように叫ぶその地響きが起こりそうな程のその雄叫びと共に、一際大きな雷撃が地面に叩きつけられ、砂埃が舞う。視界が悪くなったそこから上へ避難するように跳躍した途端。その経路を先読みされていたのか、煙幕から伸びて来たその強靭な腕に首元を掴まれてしまう、信乃。
「ッ…!」
だが、触れた場所から走馬灯のように断片的な記憶が流れ込んで来た。一瞬だけ映った綺麗な女性が灯篭を持ちながら微笑むその姿に、信乃は想到した。
「 沼藺 」
その時。ピクリと彼女のまつ毛が揺れた。薄い瞼がゆっくりと開き、紫安の瞳が揺れていた。
『だ、め…っ、傷つけちゃ、だめ…』
「 ッ…汐慧 」
鬼が彼女の気配を察し、信乃を投げ捨てる。弾き飛ばされた信乃は綺麗に着地をして。その後ろから四白の姿をした荘介が駆け寄ってくる。
「信乃?!」
「荘介」
「汐慧は大丈夫何でしょうね!?」
「……俺は二の次か」
「当たり前です。信乃は斬っても死にません」
「即答かよ……あれ観ろ」
肩から落ち込む信乃は荘介に指を差す。その指し示された方向を荘介が向くと、固まる犬が居た。
「スゲー大事そうにさっきから護ってるぞ、あいつ」
意識が少しだけ戻った汐慧の様子を鬼が見つめる。強面の顔をしているというのに、汐慧は悲鳴すら上げず、挙句の果てに鬼に身を預けていた。
「ありゃ人だ。あんな姿になったからじゃない。あんな姿になっても泣くんだよ、……俺らと何も変わらない」
信乃の言葉に荘介はもう一度鬼を見据えた。苦しそうに啼く鬼を真白な手が撫でる。汐慧にも判っているのだ。彼が鬼ではなく、人だと―――。
「それでも…殺しちゃったらまずいですかね」
「人だぞ?!」
荘介の危うい発言に信乃は油断も隙もないと息を吐きだした。すると、遠くの方から橙色が斑点のように連なっているのを目撃する。
「なんだ?」
「こちらに大勢人がやってきます。鬼狩りだそうです」
「鬼狩り?!」
信乃が呟くと同時に、翅の羽ばたく音がしてそちらへ村雨を凪ぐと、一刀両断された蟲が地面に落ちる。
「何コレ…?蟲…?」
異形過ぎて気色悪さを際立たせたような蟲の死骸に信乃は眉を寄せた。
背後側に沢山の同じような蟲を従えた青蘭たち笙月院の坊主たちが横一列に並び、立ち塞がった。松明を灯して。その異様な光景に、信乃も荘介も息を呑む。
「鬼が狙う妖。どこのどいつかと思えば…成程。村雨か」
青蘭のその言葉に信乃が険しい表情をする。未だ啼く鬼を慰めている汐慧は青蘭を静かに見据えていた。そんな彼女に視線を移すと一層寒気を増す様な怪しい視線に、彼女の眼光も鋭くなる。そんな彼女を遮るように信乃が立ちまわる。
「道理で蟲たちが騒ぐ訳よの。小僧、その刀一体どこで手に入れた?」
「小僧だと?このクソ坊主。趣味悪りぃ蟲なんて引き連れやがって、そっちこそどこの化物だ」
「口の訊き方がなっていない子供だな。ああ、いや…所詮お前も人ではないか」
鼻で笑うかのような青蘭の吐き捨てる台詞に、信乃は苛立ちを隠せない。傍にいる荘介も臨戦態勢に入る。そして再び視線がかち合うと、青蘭は妖しく口元を三日月型へと釣り上げる。
「神子よ。天地天命を司る神子よ、貴方ともあろう御方がそのような者達と一緒に居てはただの堕ち神よの」
『鬼はあなた。醜く哀れな鬼…あなたは誰も愛したことがない。可哀想な人』
「小娘がッ…!」
青蘭が握る刀には嗅いだ事のある血の香りがした。その時初めて信乃と荘介は気がつく。こいつが汐慧に怪我を負わせた人物だと。あの酷い有様をした人物が目の前にいるこいつだと。
青蘭に振り返った信乃は、怒りを露わにして村雨から禍々しい気を放った。
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