きたないあし、わすれたひと

「ボアアアアアアア!!!」

自分でも耳を塞ぎたくなるほどの喚声。私の喉から出てきたとは思えない。それほどのことが、私を襲っていたのだ。

「うんこ踏んだぁあああ!!!」

そう、うんこを踏んでしまったのだ。犬なのか猫なのか牛なのか猿なのか分からんが、ちょうど私の部屋の前にある縁側のすぐ下に、糞。私はまんまとそれを踏んでしまったのだ。なんと、素足で!しかも結構な大きさだ。もしや人間の糞なのではないかと、思うほどだ。

「なっ何事だ!」

足音も立てずに現れたのは黒装束の男。なかなかにハンサムであるが、私の大声に驚いたのか慌てて来た様子がわかる。
ばちりと目が合い、お互いにしばらく固まる。
どちらが先に動くか。どことなく場の雰囲気は、張り詰めていた。

「うんこ踏んだあ」

しかし私は空気が読めないのだ。
我慢出来ずにふ抜けた声を出すと、男はズデンと転んでしまった。
なんだこの人。お笑い芸人か何かかしら。

「あ、あのねえ」
「このうんこはあなたのうんこですか!?」
「そんなわけないだろ!」

胃が痛い、と男は腹をさする。確か黒い装束は先生の色ではなかっただろうか。

「あなたは誰先生ですか?」
「……私は土井と申します。あなたに伝達が」
「この学校はどこかしこにうんこが落ちているんですか」
「えっ、いや、そんなことは」

いたずらか!ふつふつと怒りが湧いてくるが、土井さんがすみませんと頭を下げてくれたのを見て、怒る気分も殺がれてしまった。こいつはいい奴を装う悪い男に違いない。まるで山田だ。ああ、またムカついてきた。
謝ってくれているのをいいことに、少しだけグチグチと文句を言ってしまったがあまりやりすぎてしまうと命が危ないのでほどほどにしておこう。

「伝達を聞く前に、足を洗ってきます」
「え、ええ。そうですね……」

ドスドスと乱暴に歩き井戸へ向かう。この行き場のない怒りをどうしてくれよう。
しかもなぜうんこなのだ。小さな子どもでもあるまいし、潮江くんや鉢屋くんくらいの子がやったとは考えにくい。
おのれ、絶対に許さん!
と分からぬ犯人に殺意を少々感じていると、物陰からクスクスと笑い声が聞こえてきた。

「ほ、ほんとに踏んだよ」
「あいつ本当にバカだなっ」

声をおさえているつもりなのだろうか。丸聞こえである。
本当に踏んだ。本当にバカだな。
それはつまりうんこを踏んだ私のことを言っているに違いない。
ああ、そうか。こいつらが犯人であるわけですか。

「悪い子はいねがー!!」
「「きゃああ!」」

できる限りの低い声でぬっと物陰に顔を出せば、対照的に可愛らしい甲高い声が私の耳をつきぬける。
井竹模様の青い装束。1年生が2人。逃げようをしたのですぐに首根っこを掴み捕まえた。1年生にはさすがの私も負けないぞ。

「なんかさあ」
「は、はなせー!」
「くっせえんだよなあ」
「やめろー!」
「なんで臭いと思うー?」
「たっ、たすけてー!!」
「私の足にうんこがついてるからだよー!!!」
「「すみませんでしたああ!!」」

ふむ。どうやら本当にこの二人が犯人のようだ。
パッと手を離してやると彼らは子猫のごとく素早く私から離れ、少し遠くで私をのぞく。
しかしこいつらはどうやってうんこを手に入れたのか。考えるとゾッとして聞く気にもなれない。
怖がっているようだし、仕方ない、私も心の広い観音菩薩のような淑女であるからして、許してやろうじゃないか。
と思ったのだけど。

「こ、このあばずれ!忍術学園から出ていけ!」

許すまじ、クソガキども。
私の堪忍袋の緒が切れたどころか堪忍袋が破裂した。

「誰があばずれじゃあああ!!」
「ばっ、バケモノだあああ!!」

うんこが付いているのも気にせず二人を追いかけると案の定二人も走り出す。しかもあばずれからバケモノにグレードが進化していた。
もうバケモノでもなんでもえいわい。あの二人にゲンコツの一つや二つお見舞いしてやらないと気がすまない!
そしてその二人 対 私の逃走劇が始まった。それは昼休み終了の鐘の音と共にあっさりと終わる。私はついにその二人を捕まえることはできなかった。
しかし名前はしかと覚えた。
1年のデンキチとサシチ。逃げている途中にお互いがそう呼んでいた。
覚えたぞ。覚えたぞ二人とも!

ちなみに、土井先生のことはすっかりと忘れている。
ちゃっかり風呂にも入り、体をピカピカして部屋に戻ると書き置きがおいてあった。
【授業があるので放課後にまた】
その一文を読み終え、そこでようやく彼のことを思い出した。


(汚い足、忘れた男)