わたしはゆうわくができない

ピリピリと痛む鼻。指で触るとじんわりと血がついた。うら若い乙女の顔に傷をつけたのは、紫色の装束を来た太眉のクソガキ。なんともキャラの濃そうな風貌の少年だ。

「尾浜勘右衛門先輩!あなたもこの女の毒牙にかかったというのですか!」
「毒牙?ぷっ、夜子ちゃん、毒牙だって」

そんな大層な女じゃないのにね!と私に笑う勘ちゃん。ぶん殴ってもいいんじゃないだろうか。
もう今日は面倒ごとは勘弁してくれよと大きくため息をつくと、紫の装束の少年はカンに触ったらしく、再び戦輪が私の目の前を横切る。それは狙ったように前髪をかすめ、ハラハラと髪がおちていくのが視界にうつった。
なんて短気なガキだ!大きな声で怒鳴り、思い切り少年の頭を殴る…姿を妄想しながら私は見事に腰を抜かしてしまったのだった。ひええ、という間抜けな声とともに。

「ふふふ、私の戦輪に恐れおののいたようだな!」
「か、勘ちゃん!こいつなに!なんなの!?」
「だから四年の平滝夜叉丸だって」

平滝夜叉丸?なんて仰々しい名前なんだ!高飛車な性格のようだし、すこぶる気に入らん!
勘ちゃんの手を借り、産まれたばかりの小鹿のように震えながら立ち上がる。その姿を見て「くっ、男に媚びるのが上手いようだな!」なんて、お門違いなことを言う滝夜叉丸を、ギラりと睨みつけた。

「女の子の顔にキズなんかつけてんじゃねーよ!この童貞野郎!」
「どっ!ど、どう、…な、なんて品のない女だ!!」

真っ赤っかに顔を染める滝夜叉丸に、ケラケラと楽しそうに笑う勘ちゃん。
ははん、滝夜叉丸、図星だったというわけか。
ともあれば、急に強気になるのがこの私。
クスクスと笑い滝夜叉丸ににじり寄る。この時、戦輪を投げられたら死ぬだろうな、ということなんて全く考えてはいない。

「可愛いわね。お姉さんが女を教えてあ、げ、る」

うふん。と、これでもかというほど色っぽい声を出してみた。くねくねと腰を捻らせ、滝夜叉丸の腰に手を回す。これで童貞くんなんてイチコロよ。とニヤリと滝夜叉丸の顔をうかがうと

「おい、なんて顔をしてるんだよ」
「……いや、こんなにも気味の悪い女がいたもんだと」
「あっははは!!夜子ちゃんサイコー!!!」

滝夜叉丸の私を見る目は蔑むというより、もう憐れみに近いものだった。
なんて失礼な連中なんだ。こんな美少女つかまえて。
滝夜叉丸は大きなため息をつく腰に回された私の腕をほどく。そしてさりげなく装束を叩きやがった。

「この女が脅威にもならない、しょうもない女だということは充分に理解できました」
「わかってくれたか、滝夜叉丸」
「はい。先輩がたが暇つぶしに使ってるのも納得です」

うんうん。とお互い頷きあってるのはいいことだが、結構失礼なことを言われている。私は全く納得出来ない。

「では。私はこれから輪子の手入れがありますので」
「おー。またな」

すたすたと何事も無かったように滝夜叉丸は去っていく。
じゃあ俺もみんなのところ戻るね。と勘ちゃんもすたすたと去っていく。
私は一人ぽつんと残されたまま、しばらく呆然とそこに突っ立っていた。


(わたしは誘惑ができない)