帰命に捨身

春霞




 ____それにしても酷い有様である。

 ちょうど欠員が出そうだから、少尉たちにも出演させるという条件付きで杉元のハラキリショーは許諾された。軽業師、長吉の手本を幾つか見て杉元たちは見様見真似でやってみるも尽く上手くいかない。側面で立てた大桶の中に入って、さながらハムスターの回し車のようにゴロゴロと転がして遊び始める始末。いや、全くバランスを取れずにひたすら回されている時点で、遊ぶというよりは大桶に遊ばれていると言った方が正しいのかもしれなかった。

 ただし、一名を覗いて。

「ええ? ウソ……!? なんという身体能力……!!」
「思った通りだ」

 大桶に両手を着いて、そのままゆっくりと片手を離す。支える腕をバネのように曲げ、大桶から軽やかに飛んだかと思えば、すぐ側で待機している土台となるベースのおじさんの上にピタリと乗って見せた。思わず拍手。鯉登音之進、思わぬ才能の開花であった。

 次にお出しされたのはサイコホールと呼ばれる演目の、筒状の大きな舞台。この筒の中を自転車に乗って垂直にひたすら回るらしい。遠心力で普通に出来ることではあるのだろうが、それは理屈の話であって、じゃあ今すぐやってみろと言われて簡単にできるものでもない。まずは自転車に乗るところからスタートである。

「……」
「ナマエさん!!! 今バカにした顔したろ!?!?」
「……いや、」
「勃起!  勃起、勃起、勃起!!」
「うるっっせぇ!!!」

 谷垣のやかましさに気が逸れたのか、ガッシャン!と音を立てて二人とも倒れる。そんな二人の間を有り得ない自転車の乗り方で駈ける少尉が通り過ぎた。少尉ばかりが活躍することへの焦りからか杉元に余裕が無い。杉元も谷垣も全くもってダメダメである。プルプルと子鹿のように震えて軍曹の支えなしじゃサドルに座っていられない杉元を見て、キュッと閉じた口元が震える。いやだって、あまりにもこれは面白い。

「なに笑ってんだよ、やってみろよ!!!」
「いいけど……。うーん、私にはちょっと高いかな。軍曹、最初だけ後ろ持っててもらっていい?」
「いいが、転けると危ないぞ」
「まあ、まあ。見てて」

 片足を掛けて、よっ!ともう片方を上げる。収まるべきところに両足が収まって、あとは身体の思う方向へ自然とすいすい進んだ。久しぶりに漕いだな、自転車。高校生になってからは通学も電車ばかりだし自転車なんて使う機会がなかったのだ。ブランクはあったものの脊髄に刻み込まれていたお陰で問題なく自転車に乗れた。幼い頃に練習に付き合ってくれた家族に感謝である。

「片手ぐらいなら離せるよ」
「危ないってナマエさん!!」
「そうだぞナマエ! 転けても知らないぞ!!」

 杉元と谷垣の心配する声が聞こえる。なんだこれ!き、気持ちいい……!!フリフリと手を振るとチカパシが振り返してくれた。かわいい。座長にはサイコホールに出てみないかと誘われたけど、あれは本当に怪我しそうだから丁重にお断りさせて頂いた。自転車から降りた頃には軍曹と谷垣は端に追いやられ、まさかの少女団の仲間入りである。谷垣は少女団でもうまくやれていないようで、振り付け担当の先生に有り得ないいびられ方と詰られ方をしている。時代が時代ならパワハラセクハラで一発起訴できるレベルである。

 ふと中心部を見やると今度は少尉がパカパカ走る馬二頭にそれぞれ片足を置いて立っている。不安定な足場なのに本当によくやるなと感心した。彼は軍で人を殺している場合ではないのでは?

「どうしたナマエ、羨ましいか?」
「あの、その芸はそんなにやりたくないんだけどね、馬に乗ったことなくて」
「……馬に?」

 信じられない、と言う顔をした。やっぱりボンボンのお坊ちゃまってみんな乗馬でも習ってるもんなのか?それとも軍では義務教育のような扱いなのだろうか。少尉はうろうろと視線を彷徨わせ、一旦馬から降りてそのうちの一頭を柱に繋げる。何が始まるのかと思えば残ったもう一頭の馬を引き連れ、上機嫌に私に手を差し伸べた。

「教えてやろう。馬の乗り方を」
「え、……いいの!?」
「軽業には飽きていたところだ。いい暇潰しになる」

 軽い身のこなしで先に馬に乗った少尉はグッと私の手を引く。現代で乗るポニーの乗馬体験みたいにサドルも足をかける鐙(あぶみ)もない。どうやってよじ登ればいいのかと思案していると、両腕の下、いわば脇の部分に手を滑り込ませて持ち上げ、軽々と少尉は私を馬に乗せた。横乗りする形になって、自然と少尉と顔が近付く。

「少尉、みて! すっごい高い……!」
「フ、ちゃんと両足で跨がれ。落とされても知らんぞ」
「うん!」

 姿勢を正して、目線はまっすぐ前。手網を持って、馬が歩くリズムに合わせて腰を持ち上げる。手ではなく脚でバランスをとって、腰で揺れを吸収するイメージ。ただただ馬に乗ってるだけでは馬に負担がかかることもあるらしい。知らなかった。

「はは、上手いぞナマエ!」
「ほんと!?」
「才能あるんじゃないか?」
「ふふ、これ、楽しい……!」

 私が万が一にも落ちないよう、少尉がずっと腰を両腕で掴んで支えてくれる。凄まじい安定感と安心感である。勝手に曲馬団の中を馬で一周していると、少女団が練習している場所の近くを通った。まだ谷垣はダンスをうまく踊れず苦戦しているようである。なにかミスをする度に振り付け担当のお姉さんに叱られている。だんだん不憫になってきた。かける言葉も見つからなかったので素通りする。視線が刺さるが気にしない振りをした。あ、と声が出る。

「杉元とチカパシじゃん。どう? ハラキリショーの出来は」
「おい何遊んでんだ? なに上から見下ろしてんだ!」
「やだな遊んでないよ」

 現れたのは杉元、チカパシ、座長である。いや現れたのはこちらの方だが。手網を引いて馬をその場に止める。遊んでるも何も、少尉が教えてくれるって言ったことだし。そう思って上から杉元を見下ろして笑っていると、座長がいいこと思いついたと言わんばかりに手を叩いた。

「お二人で肩車して馬に乗るのはいかがですか? 若い男女二人組というのは、必ず! 人気が出るんですよ!」
「えぇ……」
「彼ほどの体幹があれば簡単なはずです! ナマエさんも華奢ですし! どうです?」

 言わずもがな、お二人というのは私と少尉である。さっきの馬二頭に片足ずつ置いて立つやつかな。私まだ馬に乗れるようになったばかりだから怖いんだけど……。チラ、と少尉を見上げると、腰に当てられていた少尉の手にグッと力が入って身体を引き寄せられる。

「悪いな、座長。万に一つでもナマエに怪我をさせるようなことはできない。諦めてくれ」
「ごめんね座長」
「そうですか……。残念ですが仕方ないですね」

 意外と座長は聞き分けよく引き下がった。多分今回の目玉商品である軽業の天才、鯉登音之進の機嫌を損ねたくなかったのだろう。懸命な判断だ。現に私たちが勝手に馬を乗り回してることだって何のお咎めもなしである。少尉が踵で馬のおしり部分を蹴ると馬は緩やかに歩き出した。さっきまでと同じ要領でバランスを取って、元いた場所に戻ってくる。

「私が先に降りて馬を固定する。少しの間だけ一人で乗っていられるか?」
「うん!」

 言葉通り、慣れた動作で少尉は先に降りて、馬の手網を握った。少し歩いてから柱に手網を固定し、少尉は私を見上げる。片手を握って支えてもらって上手く横乗りの体制にまで持っていくと、今度は少尉は両手を広げた。

 あ、と思う。思ってしまった。絶対に今じゃない。今じゃないのに、何かが凄まじい速さで心を支配する。

「降りてこい、ナマエ」

 彼なら絶対に大丈夫だと思った。そもそも停止している馬から落ち損ねた位できっと人はどうこうならないのだが、それでもこの人なら、と思わせる何かが少尉にはあった。全幅の信頼で軽く飛び降りて、ぎゅうっと抱きしめられる。足を浮かせたまま、少尉の首元に擦り寄って彼を呼んだ。内緒話をするみたいに。

「あのね、少尉」
「なんだ?」
「少尉は断ってくれたけどね、わたし、」

 自然と言葉が出てきた。怖いとも思わなかった。

「少尉になら、命、預けられるよ」

 言うやいなや、ガッと少尉から身体を引き剥がされる。依然として足はぶら下がったまま、少尉は私の脇の下に両手を差し込んで距離を取った。ポカンと口を開けて待つこと三秒ほど。少尉は深く息を吸った。

「なぁいをゆちょっどこん、馬鹿すったれがァ!!!!」
「えっ」
「あたいがっ……! あたいがどしこ、わいんこっを……!!」

 キィンと耳にダイレクトに響く少尉のお国言葉。昨日ほど早口で捲し立てられてるわけではないのでなんとなく意味は掴めそうである。なに、馬鹿すったれ?これは聞き捨てならないぞ。とにかく罵倒されたらしいことだけはわかった。
 むっとして言い返そうとした時、ゆっくりと私の身体が地面に下ろされる。今度は両肩を掴まれて、言葉を詰まらせた少尉は奥歯を噛み締め、やがて絞り出すように息を吐いた。

「……違う、逆なんだ」

 少尉の小さな頭が、額が私の肩口に埋められて、それからぼそぼそと小さな声で続ける。

「私がお前のことを、命を懸けて守らなければならないんだ」
「……少尉、」
「命を預けるなんて簡単に言うな。昨日のように、危ないことに自ら飛び込むことはしないでくれ」

 ぎゅ、と大きな体躯を抱き締める。何がここまで彼をそうさせるのか、私にはさっぱり分からなかった。一方の私は小さな声で、わかったよと応えることが精一杯。執着されるにしては日が浅く、余りにも異様であった。
 どうしたもんかと一人で考えていると、ひょっこりと柱の影から誰が顔を出し、あ、いたいた、とこちらに向かってきた。長吉である。

「鯉登さん! 次の技の説明しますから、そろそろ戻ってきてください!」
「少尉、長吉が呼んでるよ」

 一呼吸置いた。それから表情を切り替え、軽業の練習に戻る。彼、もうプロなんじゃないか?現代なら天才軽業師として情熱大陸にでも出演してそうだ。しかも顔も良いと来た。山田曲馬団はなかなかの集客が見込めそうである。

 そうして各々が練習に打ち込み、翌日の昼。ついに開演だ。私はというとヘンケ、エノノカと一緒に列に並んで観客席である。少尉の尽力もあって私は何の出演も無し。四人の練習を他人事のように昨夜は眺めて、先に綺麗な旅館で爆睡した。髪も肌もツヤツヤ。豊原、最高!

「楽しみだね、お姉ちゃん!」
「お、始まるみたいだよ」

 少し薄暗くなって、座長が開演のご挨拶をする。開演早々、まずは軽業だ。長吉が大小様々な桶を重ねていき、頂上に立ってハイポーズ。会場のボルテージはマックス。初っ端から大盛り上がりである。

「あ! 鯉登ニシパ!」
「絶好調だね」

 続いて、またまた軽業。鯉登音之進。竹のような長い長い棒の頂点に足を引っ掛け、とんでもない体幹で空中に滞在する。こちらを見下ろす少尉とバチッと目が合った。

「チュ……」
「とんでもないサービス」

 投げキッスのお見舞い。これによってここら一帯の女性はメロメロになった。全く罪な男だ。お次は軍曹と谷垣のいる少女団のダンス。よくもまああんなフリフリでコストの高そうな衣装をムキムキ成人男性二人分作ろうと思ったものだ。存外愛されていそうで、ちょっと、さすがに面白すぎるな……。大独楽回しではぐるぐる回るデッカいコマからチカパシが登場。ぐるぐる回っていたので出てきた途端にゲボ吐いていた。マ、通常運転である。体を張ったチカパシに会場はどよめきと控えめな拍手で包まれた。

「お次は鯉登音之進の『坂綱』でございます!!」
「あ、昨日の夜練習してたやつだ」

 私は練習しているみんなを置いてさっさと旅館に帰ってしまったため、これがどんな演目なのか知らない。気分はさながら息子の発表会を見守る母親のよう。
 まずは鬼の体幹で綱を渡る。しかし渡り切る前に突如として叫び声を上げ、綱から飛び降りてしまった。危なくないか、これ。しかし少尉はというと、崩梯子上乗芸、紙渡り、ロシア式飛びと次から次へと別種の演目に混ざって、最後は華麗な着地で終わらせた。

「す、すごい……!」
「さすが鯉登ニシパ!」

 この次はいよいよ不死身の杉元ハラキリショー。この会場の熱を少しも逃がさないよう、つなぎの少女団が懸命にダンスを踊る。可愛い可愛いと叫ぶ声もチラホラ聞こえる。よかったね、ゲンジロちゃん……!
 そして大トリ、ハラキリショーのスタート。ワアッ!と会場も拍車をかけて盛り上がる。チカパシが杉元に水をかけ、冷たい冷たいなどと余計な前情報をいれつつ、いざ入刀。

「痛だだッ!!」

 あれだけ座長から痛いと言うなと言われてたのに。ピタリと動きを止めた杉元がキョロキョロと当たりを見渡し、そして覚悟が決まった顔で次は足も切る。

「すっごいリアルだね、エノノカちゃん」
「りある?」
「本物みたい、ってことだよ」
「うん、りある! ほんとに切ってるみたい!」

 最後に杉元が刀身を腹に突き立てようとした、その時。今度は別の演者が三名、杉元の前に躍り出た。そこからはあっという間で、その三人が杉元に斬られておしまい。妙に迫真めいた芝居の締めだったな。あれはあれで面白かった。最後に全員で挨拶して、山田曲馬団の公演は無事終了したのである。

「面白かったねぇ、エノノカちゃん」
「ね! また観たい!」
「観よう観よう。ヘンケが元気なうちにね」
「うん!」

 エノノカもご満悦。来た道を戻って今日もさっさと旅館に帰って温泉に浸かった。極楽、極楽。
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