「……おい、ナマエ、そろそろ」
またしてもポンポンと背中を叩いてみる。全く離れる様子が無い。おいおい泣くナマエから離れるのは大層心苦しいが、月島も谷垣もあと囚人の白石由竹も見てる。特に月島の視線が刺さる。意識があるかどうかは知らんが尾形だってこの場にいるのだ。このままでは戻ってきた杉元とアシリパにも見られることは必須だろう。急を要するため、月島の応急処置を終えた谷垣を呼び付ける。
ナマエを離すよう伝えると谷垣は私の背後に回り込み、ナマエに何度か声をかけた。反応がない。ややあって谷垣はもう一度私の前まで戻ってきて、訳の分からんことを言い始める。
「ナマエ、寝てるぞ」
「え……?」
「あんなに頑張ったんだ。寝かしてやった方がいい」
ウンウンと谷垣が一人で納得し始めるとほぼ同時刻に杉元とアシリパは帰ってきた。何故か岩息舞治を引き連れて。
そんなこんなで、ナマエは私が、月島は岩息が、尾形は杉元が。縦抱きしたり横抱きしたり背負ったりしながら移動する運びとなった。月島と尾形はまだわかる。重症だ。一人で歩くのは難しいだろう。しかしナマエはなんだ?私が生きていて安心して眠った?何を言っているんだ?都合のいい妄想か?
「鯉登少尉殿。ナマエは多分、拳銃の才があります」
「……」
「護身用にでも……持たせてみては、どうでしょうか」
「……無理だ」
「……でしょうね」
岩息に横抱きされている月島が言う。出血量が酷く、意識も朦朧としているはずなのによくもまあそんなことが言える。月島はきっと知らないのだ。ナマエが銃を撃った時の表情を。
瞳孔が開いていた。あれは人を殺す覚悟を本当に決めた時の人間の顔だ。結果的にナマエは殺してはいないからまだ保っていられるものの、あれは一度でも人を殺めてしまうと堕ちるところまで堕ちてしまうだろう。そういう人間を何人も見てきた。ナマエにそのようなことは絶対にさせられない。そんなこと、あってはならない。それ以前にきっと、人を殺めたという事実を背負って生きていくナマエを見ることは……私自身が耐えられない。
ずり落ちてきたナマエの身体を揺すって抱き直す。見かねた谷垣が変わろうかと提案してきたが考えるまでもなく断った。今の私にはこの重みが必要なんだ。
____亜港監獄から離れて数時間後。
亜港近辺、ニヴフ族の集落に辿り着いた。ニヴフ民族の冬の家だというトラフお邪魔させていただき、怪我人の月島と尾形を寝かせる。今後のことも話し合わなければならないため一度ナマエを起こした。さすがにもうそろそろナマエをずっと抱きしめて支えていた腕が攣りそうである。
ぽやっと寝ぼけていたナマエだが数時間ずっと私の腕の中で眠り続けていたと知れば慌てて謝り倒してきた。本気で叩き起こそうと思えば簡単にできたのに、そうしなかったのは私の意思なのだ。気にしなくても良いのにナマエは眉を下げてしょげていた。
「どうして尾形はキロランケと組んでいたのか……。この男が少数民族の独立に共感するとは思えないが」
「本当に純粋に金塊が欲しいだけなんだろうか」
「そうであってほしいね。気兼ねなく殺せる」
私たちが尾形について話す傍ら、月島はスヴェトラーナに両親宛ての手紙を書くようにと伝えているようだった。外にいる子供たちとナマエ、岩息がきゃあきゃあと戯れる声が聞こえる。きっと大柄な岩息にでもひっついて遊んでいるのだろう。
「……鯉登少尉殿」
「なんだ、月島」
「北海道へ戻れば、私達は鶴見中尉殿の元へ戻ります」
「そうだな」
「……ナマエのことも考えなければならないんですよ」
「ああ。……わかっている」
今から約百年後の未来から来た女。欠伸が出るくらいどうしようもなく平和ボケした場所に、何がなんでも返してやらなければならない。
あの夜桜が舞うような、木漏れ日が揺れるような笑顔を思い浮かべる。頭の中で何度も何度も私の名を、桜色の唇が形をなぞる。願わくば、どうか彼女の行く末に幸せだけが降り注ぐように。本気でそんなことを願っていた。
+
「初めまして、ミョウジナマエです」
「アシリパだ。よろしく、ナマエ!」
ぎゅ、と手が握られる。岩息とスヴェトラーナの二人が大陸に進み出すのを皆で見送ったあと、私たちは杉元に見守られて初めましての挨拶をしていた。初手から呼び捨てで呼ばれることにちょっと興奮する。私も呼び捨てで呼んで距離詰めていいってことだよね……?
「杉元から話を聞いていたよ。よろしくね、アシリパ」
「ああ! ナマエの話もこれからたくさん聞かせてくれ!」
「っていってもアシリパさん、ナマエさんは記憶喪失だから少し世間知らずな部分もあるみたいよ」
「そうだったのか……!」
杉元が補足する。記憶喪失の設定、役に立ってるのか立ってないのかわかんないな。アシリパからは大変だな、と慰められてしまった。傍から見れば確かにそうなのかも。記憶喪失になったかと思えばアシリパ奪還作戦強制参加だもんな。ハードモードにも程がある。
「ナマエさん、白石とも挨拶しとく?」
「あ、うん。どこに居てるの?」
「多分その辺に……あ、いたいた」
「白石には挨拶しなくていいぞ、ナマエ」
アシリパ、辛辣だなあ。身内ノリみたいで楽しそう。私にはそんなことできる相手はここにいないし。ワンチャン少尉相手だったらできなくもないか?いやこれで引かれたらいよいよ立つ瀬がなくなってしまう。余計なチャレンジは辞めておこう。
杉元が呼んでくれたお陰で白石由竹とも初めましてのご挨拶ができた。
「ミョウジナマエです。よろしくね、白石」
「ピュウ! 若い女の子がいるなぁと思ってたんだよね! 一途で情熱的な男、と書いて白石由竹と読みます。よろしくね、ナマエちゃん」
「白石。ナマエさんは鯉登少尉が唾つけてるからやめときな、痛い目見るぞ」
「唾て」
わかりやすく項垂れる白石に、女の子だったら誰でもいいの?と聞くとハッとした顔で私を見た。距離を詰められて両手で私の手を握り込まれる。
「そんなことない……! 俺の心は今この瞬間からナマエちゃんだけのモノだ……!!」
「都合のいいヤツめ」
「ナマエ、こいつは女郎屋の通いすぎでチンポが汚い。絶対にやめておけ」
「ワ……」
「ナマエさんが見たことない顔でドン引きしてる……」
握られていた手を剥がした。クーンと泣き真似を始めるが泣きたいのは割とこちらの方である。しかも女郎屋、いわば風俗通いであることを否定していないのも良くない。マジで行ってるしそれも周知の事実なんだな……。まあ元気を出して欲しい。これほど人とコミュニケーションを取れる力があれば結婚くらいできるだろう。女郎通いを許してくれる心の広い女性とくっついてくれ。
「アシリパさん、あれ何やってんのかな?」
やんわり白石と距離を取りつつ四人で話していると、不意に杉元がニヴフの子供たちが何か布のような、皮のようなものを叩いて伸ばしている。たしかにあれは何をしているのだろうか。
「魚の皮をナメしてる。あれは子供の仕事と決まってるそうだ。あっちもやってる」
「ほんとだ」
「へえ、魚の皮」
「こっちの人たちは北海道のアイヌより靴や服やカバンまで魚の皮をたくさん使ってるから、いっぱい必要なんだろうな」
興味本位で杉元が魚の皮で作られたらしい帽子を被っている。似合う似合うとアシリパに囃され、呑気に笑っていた。なんだかんだ、杉元のこういう表情はあまり見てこなかったな。どこまで行っても彼と私たちはビジネスパートナーのようなものなんだろう。ビジネス関係になれるほど私は杉元に何かを提供できる訳でも無いのだが。
二人の掛け合いを眺めていると、帽子を外した杉元がこちらに一歩二歩、歩みを進める。いたずらっ子みたいにわらった。
「はは、ほら、ナマエさんも」
「あ、え」
「いいねナマエちゃん!」
「よく似合ってるぞ、ナマエ!」
「ナマエさんも若いんだから。遠慮せず楽しまないと」
思わずぎゅっと帽子を握って、目深に被ってしまう。ここにきて久しぶりに受けた年相応の扱いになんだか照れてしまう。今までの旅は良くも悪くもずっとずっと対等で居てくれたから。それを黙って見ていないのが杉元である。ツンツンと頬をつつかれた。ええい鬱陶しい!!私に触るな!!
帽子はニヴフの子供たちに返して、そのままアシリパに手を引かれながらトラフにお邪魔する。ここ、ニヴフ民族の伝統料理には魚の皮を使ったものがあり、それを今作ってくれているそうだ。魚の皮を煮込んでこねて潰して、コケモモとかガンコウランを混ぜてアザラシの油で味付けした後に外で冷やし固めると完成。この冬にしか食べられないお菓子は『モス』と言うらしい。コケモモとガンコウランも知らないし、アザラシの油を食べる文化も知らないけどもう慣れてしまった。
「寒天みたいで美味しいよ」
「んん、生臭さが無くて香ばしいね」
美味しい美味しいと食べる私たち。心做しか少尉がご機嫌である。もすもす、と呟いてはうふふと笑っている。
「ごきげんですね、鯉登少尉殿」
「父上を思い出した。アシリパを奪還して、先遣隊としていい結果を出せた。それを父上に報告できるのが嬉しい……」
ふうん、と他人事みたいに見ていた。誇らしく思ってくださるはずだ、鶴見中尉殿もさぞかし喜ばれるでしょう、と軍曹が述べる。それに感激したらしい少尉は手に持っていたモスをあろうことか軍曹の顔面にそのまま乗せた。
「……」
「ああっ、軍曹! 可哀想に!」
食べ終わった私の器に軍曹の顔に乗ってるモスを慌てて移し替え、一口ずつ分けてあげる。感謝されたのち、軍曹は『ぬるい……』と呟いた。そりゃ顔面に乗ればぬるくもなると思うよ。モスが乗ったところがベチャベチャに濡れている。
「少尉、ハンカチある?」
「あるが。なぜだ?」
「や、軍曹の顔が濡れてるから拭いてあげようと思って」
「!? 貸さんぞ!? あれだけは貸さん! これでも使っていろ!」
「なんでよ少尉かわいいハンカチ持ってんじゃん!」
可愛いハンケチ?と杉元が目を輝かせてこっちを見る。狙われてると思ったのか『これは見世物じゃない』と少尉は持っていたハンカチを慌てて懐に隠した。
どれだけハンカチ汚すのが嫌なんだよ。もうそれハンカチの役割を果たせてないだろ。そもそも私の頬の血を拭ったのだからモスの汁くらい拭いても良いでしょうが。これでもかと嫌がる少尉がその辺に落ちてた布を投げつける。落ちてた割に清潔だったので使うことにした。
もちゃもちゃゴックン、もちゃもちゃゴックン、と次から次へと親鳥と雛鳥のように食べさせていると背後の少尉から声を掛けられる。
「よかったな月島? ナマエからのアーンだぞ!」
「そんなの誰も喜ばないよね、軍曹。はいアーン」
「……。鯉登少尉殿にもしてやったらどうだ、ナマエ」
「ふふ、少尉。アーンして」
「キエ……」
緊張したような面持ちで口を少しだけ開ける。なんか表情が硬いな。和ませるために『よかったね少尉、軍曹と関節キッスだよ』とふざけて言ってみると、少尉は咀嚼しながらもキッス……?と神妙な顔で考えた後、山田曲馬団で学んだ投げキッスを思い出したのか顔を引き攣らせていた。軍曹に大変失礼である。← - back - →
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