「上映会に芝居小屋を借りることができた。鯉登少尉どのに感謝だな」
「金持ちはやることが違うねぇ」
「またナマエに転ばれては困るからな」
「転ばないよ、もう」
至って真面目ですがみたいな顔でこっちを見るな。撮影を終えた私たちは早速映像を見ようと場所を移動し、現在は少尉が借りてくれた芝居小屋に集まっている。やったね貸切だ!パタパタと手動でジュレールが機械を動かし、暗がりのこの部屋の壁に投影される。撮影したものが次々に登場し、杉元の金玉や少尉がチンポを斬るシーン、ぽよぽよとたわわに揺れる軍曹の偽乳なんかはワッと賑わった。どの時代もみんな下品なものが好きなんだな。場面がぐるぐると移ろい、先日アシリパが倒したクズリの映像が流れ、次はアイヌの集落が映し出される。
「あれ? これもこないだ撮ったやつ?」
「いや……」
「樺太アイヌの家じゃないよね?」
みんなが指で指しながら口々に話す。たしかに私も見覚えがない。樺太アイヌの家なら私だってお世話になったから知っているとしたら記憶に残っているはずである。スクリーンの映し出される先には、全く知らない藁の家が建っている。稲葉が言うに、これは10年以上前に小樽で撮影したものだそうで、ジュレールの要望で今ここに流されているらしい。
「これ……私の村だ!」
「へえ。アシリパは小樽出身なんだね」
「ああ。ナマエも今度来ると良い!」
実はもうアイヌの集落での生活はわりと懲り懲りで、できればここ、豊原のような栄えた場所で宿生活を送りたいものだが。年相応のキラキラした表情でアシリパに言われては断るなんてこと出来そうになかった。なにせ、アシリパの表情を曇らせるとめちゃくちゃガン飛ばしてくる怖ぁいセコムが彼女には着いているので。
場面が移り、次は青い瞳を持った男性が現れる。穏やかだったアシリパの表情が打って変わる。
「……アチャ!?」
「え? これがウイルク?」
「のっぺら坊はこんな顔だったのか」
「アチャって?」
「お父さんのことだよ」
「じゃあこの隣の女性は……」
青い瞳の穏やかそうな男性と、笑顔が太陽みたいに眩しい女性。どちらもアシリパによく似ていた。スクリーンで映し出された映像に齧り付くように前のめりで見つめるアシリパを見るに、まあ、きっとご両親はもうお亡くなりになっているのだろう。しばらく二人のターンが続いて、それから映像の中の二人は今度は赤ん坊と一緒に現れる。赤ん坊は眉間に皺を寄せていて、そういえばアシリパもよくこういった表情をする子だな、とアシリパに視線を寄せた。稲葉から語られる両親二人のエピソードを真剣に聞いているようである。アシリパの端正な横顔に、シネマトグラフの光源が反射して眩しい。
その後すぐにシネマトグラフは発火してしまい、軽いボヤ騒ぎになった。フィルムも燃えやすい材質だったようで、こうやって燃えてしまうことは少なくないのだとか。辛うじて大火事を防ぎきった芝居小屋を眺めて、私も現代の家族に会いたいなあとぼんやりと考えていたら、いつの間にか隣に立っていた少尉に手を引かれる。
「ナマエ、大切な話をしよう」
「……少尉」
人だかりから離れて改めて向かい合うと、月の光に照らされた少尉の深い藍色の髪が夜風で揺れた。真剣な顔して、どうしたのいきなり。思ったままに口に出すと、少尉ははくはくと口を開けて何かを言いかけては噤み、唾液を飲み込むのと連動して喉仏が動いた。
「……私は、ナマエを大泊には連れて行けない」
「……」
思わず黙ってしまう。絶句するわけでも、呆気に取られたわけでも、はたまた逆上するわけでもなかった。妙に達観して今の現状を考えられる脳に、むしろ私が一番驚いたくらいだ。
じゃあ、私はこれからどうすればいいの。誰とこの明治時代を生き抜けばいいの。帰る手立てを見つけようって、言ってくれたのに。
そんなことが頭を過ぎらなかったと言えばそれは嘘になってしまう。それでも今、何を言わなければならないか、それだけは手に取るように分かった。
「大丈夫だよ、わかってる」
私を射抜くその瞳が、表情が、何を意味するのかは分からなかった。彼には私に悟らせるような詰めの甘さもなければ、私には少尉の心境を見抜けるような技量もないのだ。私たちはちぐはぐでいて、その凹凸がうまくはまることも無い。当たり前のことだった。
鯉登音之進少尉殿は、決して決断を誤らない。過ってはいけない、間違うことができない人だ。
+
結局、私はエノノカとヘンケが住む樺太アイヌの村にお世話になることになった。今日で豊原での生活も終わり、とうとうみんなともおさらばである。昨日、妙な空気で少尉との会話を終えてしまった私であるが、ひとつ忘れていることがあった。ここまであれこれと世話をしてくれた少尉にお礼を言うことである。わかってる、とデカい口を叩いたは良いが、それを伝えることでいっぱいで、少尉への恩義には何一つ言及していないのである。よくない、これよくないぞ。
樺太アイヌの村に到着後しばらくして、大泊に行くという馬橇を見つけてきた軍曹がこちらを見ると、おもむろに口を開いた。ヘンケとエノノカと、ナマエとはここで別れる、と。はっきりとそう言った。私の処遇については少尉と軍曹からすれば決定事項だったことが伺えたが、杉元と谷垣の顔を見るにここは共有されてないことが分かった。組織内情報共有しっかりしてよ。目玉が飛び出すほどの勢いで目をひんむき、杉元は私と少尉へ視線を行ったり来たりさせる。
そんなことよりも気がかりなのは、チカパシとの別れにショックで涙を流すエノノカのことである。もうみんなは出発してしまうというのに、私とヘンケの足元に隠れては出てこようとしない。それでも見送りには来るものだから、律儀な子である。この年頃の女の子には、好きな子に行かないでと声を掛けることは難しいのだと思う。だったら私が空気を作ってやりたいと、気分はもうエノノカの姉貴分である私は腹を括るのだ。肌を刺すような冷たい空気を吸い込んで、覚悟を決める。
「少尉!」
「……ナマエ?」
さてソリに乗り込もうか、という動作の少尉がこちらを振り返る。私の足元にしがみつくエノノカに断りを入れ、私は少尉に駆け寄った。見切り発車で声を掛けたので、頭の中に言葉は何一つとしてまとまっていないが、それでも私の気持ちを伝えたいと思った。少尉なら伝わると、傲慢にもそう思えたのだ。
「少尉のおかげで、私、ここで頑張って生きようって思えるよ。今日まで面倒を見てくれて、気にかけてくれてありが」
少尉の革手袋の感触を両頬で受け止める。無遠慮にもいきなり片手で顔を掴まれ、私の唇はひよこのクチバシみたいに中央に押し寄って不格好に尖ってしまった。黙った私を見てやっと手を離した少尉は、さっきまで己で掴んでいた頬をむにむにと揉む。
「……おい待て」
「あえ?」
「人が黙って聞いていれば、なにを今生の別れのように神妙な顔をしている」
きゅむ、と凛々しい眉が、眉間が寄せられて皺ができる。下唇を突き出して、不満だと言外にも表情で語った。てっきりここで少尉とは別れ、私はここで樺太アイヌの下っ端として、少尉は軍人としてそれぞれの道を歩むターニングポイントだと思っていたんだけど。
ひっきりなしに頭にクエスチョンマークを浮かべ始める私を見た少尉は楽しそうに目を細めて笑ってから、すこし強すぎるくらいの力で抱き締めてくれた。声を上げる暇もなく引き寄せられて、瞬く間に視界は彼の胸元で埋まってしまう。彼の匂いも、声も、体温も、私を撫ぜる手のひらの重みも、身体の方が先に覚えてしまった。この旅で随分と慣れ親しんでしまったものだなと俯瞰的に考える。
「私とといえしよう。ナマエ」
「? といえとは?」
「ふふふ、ここは黙って頷いておけ」
「やだよ。あとで意味調べるからね」
あとでというか、帰れたらだけど。いつも通りの意味の無い応酬に少尉は曖昧に笑って、惜しむようにゆっくりと身体を離した。私の身体に残る温もりは、早速冷たい空気に晒されてしまってもう既に跡形も残っていない。
「必ず迎えに来る。エノノカと仲良くするんだぞ」
「……また逢えるの?」
「当たり前だ。ナマエが望むのなら、私はいつでも逢いに行こう」
相変わらず私は彼の言葉の裏と表を見分けることができないけれど、この言葉だけで私はきっといつまでも生きていける。私の中に少尉がいるだけで、それだけでいいのだ。
改めてソリに乗り込む彼らをしっかりと捉えた。
「それじゃあ、みんな。怪我しないでね、気を付けてね」
「ああ」
「ありがとう、ナマエさん」
ぱたぱたとソリから離れて、ヘンケとエノノカの元に戻る。ほら、とエノノカの肩を揺すった。まだちょっと不貞腐れているらしい。少しずつ離れていくみんなが口々に別れの言葉を放つ。今言わなきゃ、もう届かない場所に行っちゃう。覚悟を決めたエノノカが、私とヘンケの間から出てきた。
「チカパシッ!!」
「エノノカ!」
「……あっ」
すってんころりん。ソリの最後尾に位置していたチカパシは手を滑らせて雪に転がり落ちてしまった。谷垣がソリを止めるように叫んだおかげでそう遠くない場所で停滞し、谷垣、白石がそれぞれ戻ってこいと叫ぶ。落ちた場所から動けないでいるチカパシを見て思うところがあるらしい谷垣がソリから降りてきた。
チカパシの前に立って、その巨体が幼い彼に影を落とす。あまりよく見えなかったが、それでもぽたぽたとチカパシの頬に落とされる谷垣の波だけは鮮明に見えた。谷垣はいつも大切に手入れしている小銃をチカパシに渡して、二人でいくつか言葉を交わしてからすぐに谷垣だけがソリに戻っていく。チカパシは雪山に一人、立ったままだ。
「アシリパをちゃんと連れて帰ってね! フチを元気にさせて!」
「ああわかった!」
「あばよチカパシッ!」
「元気で暮らせ!」
ソリが離れていく。じわじわと実感が湧く。心に大きな風穴が空いてしまったようで、それがじくじく痛んだ。離れていくソリとは対照的にチカパシが私たちに向かって駆け寄ってくる。そんな彼を迎えに行くように、私もエノノカも走り出した。
今、アイヌでの生活が、幕を開ける。
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第一章 ヒエロファニーに触れる【完】← - back - →
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