揺れる肖像、
後光が差して

春霞




 音之進くんの手に握られているカフェオレを引き寄せ、一口味わう。うーん、美味しい。

「ナマエちゃん、ないん話すっ?」
「んん、そうだなあ。兄さぁの話とか?」

 ぷらぷらと足を揺らす音之進くんに、彼が楽しく話せる話題を探す。行き道の車内では家族の話を楽しそうに語っていたことを思い出して、一番印象に残っている桜島大根の兄さぁを召喚してみた。桜島大根ん似ちょって真っ白なんじゃ、と脳内では音之進くんがくふくふ笑っている。しかし音之進くんから返ってきた言葉と声色にはやけに寂しさが含まれており、想像したものとはかけ離れていた。

「……兄さぁは今、戦争行っちょい」
「せん、そう……」
「前にこけ来た時から、半年くれ経っちょい。そん間に戦争が始まってしもた」
「……」
「じゃっで、兄さぁが帰ってきたやよかひこ遊んでもらうど」

 アクセルを踏み込む。毎秒変わる景色の端で、カフェオレをぎゅっと握りしめる指先が見えた。お國のために死ぬことは名誉なことだ。かつての日本はそういう考え方が横行していたと歴史の授業で習った。だとしてもこの歳の男の子には辛いのだろう。

「兄さぁとは何して遊ぶの?」
「メンコ!」
「めんこ」
「帰ったや、おいんメンコにナマエちゃんの顔を描いちゃる」
「エッ!?」

 明るい話題に戻そうとして話を振ったところ、思わぬ場所に着地してしまい素っ頓狂な声がまろび出る。そんな私の声を聞いて音之進くんは楽しそうに笑った。一先ず曇った表情が晴れてよかった。本当によかったけど、でもあれって床に叩きつける遊びでしょ!?私を叩きつける音之進くん、割と嫌なんだけど……!?そんな話をしていると、いつの間にか家の近くまで来ていたらしい。慣れた動作でレンタカーを返却し、そこからは二人で手を繋いで徒歩で帰った。
 道すがら教えてくれた事だが、今の音之進くんが所持するメンコの中では父上が一番お強いらしい。音之進くん曰く、その父上を抑えて私のメンコを最強にしてくれるそうだ。やめてほしいかな。

 一人暮らしなので、安全性を考えてセキュリティがしっかりしてるマンションを選んだ。その結果、予算がオーバーしそうになったため泣く泣く広さを捨てたのである。セキュリティと利便性だけはどうしても捨てられなかった。そんな手狭な1Kでは坊っちゃまは閉塞感あるだろうなと思う。こればかりはどうしようもないけど。

「ほら、もう寝るよ」
「んん、もうちょっと」
「夜更かしはだめ。こっちおいで」

 部屋に帰ってきてからすぐに風呂に押し込んで、さらさらつやつやになった音之進くんの髪を撫でる。もう時刻は十時だ。ローテーブルにかじりついて、私のノートに次々にイラストを描きこんで遊んでいるのを中断させ、抱えあげてベッドに無理やり寝かせた。同じように私もベッドに横たわり、リモコンで部屋のライトを消す。さっきまで楽しそうに絵を描いていた音之進くんの意識は覚醒しきっており、そわそわもぞもぞと身体を動かしている。大人しくさせるためにもぎゅうっと抱き締めてみた。

「……ナマエちゃん」
「んー?」
「はよ帰ろごたっど」
「……うん。そうだよねぇ」

 ぎゅ、と音之進くんの腕が私の背後に回される。こんな場所に放り出されて、さぞかし不安だろう。そりゃあ帰れるものなら早く帰りたいだろう。

「そしたや、」
「うん」
「そしたや、いっかナマエちゃんに追いつくっ」

 思わず目を見開いて、胸元に顔を埋める音之進くんを見つめる。しかし音之進くんは頑なとして私にそのかんばせを見せることはしなかった。
 車の中での音之進くんの話が正しいのならば、ここが数日しか経っていないことに比べ、音之進くんがいる明治は半年も進んでいたということになる。そしていつか。そのうち、彼は樺太で私と出会うことになるのだろう。

「……きっとすぐ、私のことなんて追い越しちゃうよ」

 指先で髪を撫ぜる。小さな声で、うん、と返事をした音之進くんはやがてすぐに寝息を立て始め、それを聴きながら私もいつの間にか寝落ちてしまった。アラームが鳴り響いて朧気ながら瞼をこじ開けた翌朝には、やっぱり、もう音之進くんの姿はそこにはなかったのだ。









 テント内の照明がいやに眩しかった。

 馬に乗った経験がないと零すナマエを馬に乗せてやりたくて、……いや、違うな。ナマエの言う「馬の乗り方を教えてくれた人」になりたくて仕方がなくて、曲馬団の誰にも許可を取らずに馬を一頭拝借してしまった。

 案外すんなりと乗馬をこなしてしまうナマエには申し訳ないが、あまり面白くなかった。もう少し慌てた顔や困った顔なんかを引き出して見たかったし、そんな時には私が完璧に補助してやったのに、とも思ってしまったのだ。

「降りてこい、ナマエ」

 曲馬団を馬で一周だけして、最後に馬を手網で柱に繋いだ。万が一、億に一つでもナマエを傷付けることなどあってはならない。馬から降り損ねて怪我などさせるまいと腕を広げた。安心して飛び込んでこい、という意志を込めて。

 ナマエの背後では爛々と照明が光り輝いている。馬に横乗りして私を見下ろすナマエがなんだか、後光が差しているかのように見えてしまって、ああ、やはりお前は私のかみさまだったのか、と場にそぐわない惚けたことを考えてしまう。

 私に向けたその微笑みが、慈愛に満ちた眼差しが、私を真っ直ぐに射抜く。ナマエが明治に舞い降りてから初めて見せたそれは、私がかつて彼女が生きる百年後の令和で何度も見た表情と寸分も変わらない。

 予備動作のあと、軽やかに私の腕の中に飛び込んで見せたナマエは私の肩口に顔を埋め、楽しそうに笑っていた。どうしようもないほど可愛い。愛らしくて仕方がない。

「あのね、少尉」
「なんだ?」
「少尉は断ってくれたけどね、わたし、」

 ナマエと私の二人での出演をここの座長から提案された時の、ナマエの不安そうな表情を思い浮かべてみる。思ったことは何でも口に出すナマエが真っ先に頼った先が自身である事実に、骨の髄まで満ちるほどの歓喜が沸き立った。そんなことを考えながら、ナマエの言葉に耳を傾ける。

「少尉になら、命、預けられるよ」
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