「やったね、お姉ちゃん、チカパシ! 私たちで取り返したよ!」
「もう私達も一人前と言っても過言ではないね」
「……んん? 杉元ニシパ……?」
「杉元、白目剥いてない……?」
おしゃべりロシア人に勝利した私たちは早速イソホセタとリュウにひかせて氷上を滑り倒し、悠々自適に宿までまっしぐらしていた。エノノカがスキー板のようなものをここまで持ってきていたようで、強かな女の子である。ワンコ二頭でも女子供三人ぽっちだと軽々と運べるらしい。こちらも頼もしい限りだ。自分たちの功績を讃えながらスキーもどきを堪能していると、森の奥からゆらゆらと覚束無い足取りの杉元が上裸で現れた。疑問を感じたチカパシが止まるべきじゃないと英断しそのまま突き進むが、目と鼻の先には猛突進してくるクズリである。無理に急ブレーキをかけたエノノカだが、そのおかげで後ろにくっ付いていた私とチカパシは弾き出される形となって雪に体を打ち付けた。そのおかげでクズリが私たちに標的を変えたのが雰囲気ですぐに伝わった。
こんな子供であるチカパシを危険に晒す訳にはいかない。いやここまで二人を止められていない時点で監督不行きとどきであることは明白なのだが、だからこそここは何としてでもクズリを止めなければならないと心のどこかで覚悟が決まった。クズリの首元を上から抑えてはいるが、じたばたと暴れる両手足が怖い。すぐに形勢逆転され、今度はクズリが手を大きく振りかぶる。慌てて顔を覆った私の手のひらをクズリの爪が深く抉った。
「あっち、行け!!」
「ヴワン!!」
「リュウ、チカパシ!!」
見かねて参戦したチカパシと、クズリの尾に噛み付いたリュウのおかげで一旦は逃れられるものの、今度はチカパシに襲いかかる。しかし先程まで様子がおかしかった杉元もいきなり交戦し始め、クズリの標的は杉元に移った。我々よりも遥かにクズリの相手になる人選である。
わんこから振り落とされた時に散らばった銃の弾を震える手で必死に詰めるチカパシを見て、手のひらの痛みなんて忘れて私も必死に手伝う。寒さと恐怖で手が震える。悴んでろくに掴めない。谷垣の手入れで見ただけの装填は、一弾がやっと。このまま他の弾も詰め込んでいいのかどうかわからず、覚悟を決めるしか無かった。
「チカパシ。やろう、撃つよ」
「……お姉ちゃん、」
グッと銃を持ち上げて照準を合わせる。合わせ方なんて分からないけど、とにかく狙いを定めた。ダメだったらその時はその時である。しかし私もチカパシも手が震えて、思うように覚悟が決まらない。さっき鍵を撃ったとき、自分が知っている銃の反動ではなかったことを思い出す。こんなに大きい銃だと、反動もここまで違うのかと心底考えさせられた。怖い。当たらないかもしれない。外したらどうしよう、杉元に当たるかもしれない____
「……ナマエ、チカパシ」
ガタガタと震える私たち二人を覆うように後ろから現れたのは谷垣だった。慣れた手つきで銃を持ち直す。私たちの手の上から銃を持って、私たちが合わせていた場所よりも少し高く持ち上げた。
これが、この距離の、角度。
「一発だ。勝負は一発で決めるぞ。そのまま引け、チカパシ、ナマエ」
「っ、……」
パァン!
迷いもなくこちらに向かってきたクズリのお陰なのか、それとも私たちを支えてくれた谷垣のおかげなのか、完全に一発で脳天直撃。倒すことが出来た。銃声だけがまだ鼓膜を揺らしているかのように頭をこだましている。支えてくれる谷垣のおかげで反動が怖くなかった。銃を撃って、チカパシがほうっと感嘆の息を零す。白くなったそれはやがて空中で消えた。
「これが……これが、勃起……」
「そうだチカパシ。これが勃起だ」
「ねえ。マジ撃たなきゃよかった」
はあ、と溜め息をつくとチカパシも谷垣も私をからかうように笑う。あれこの人全裸だな、と気付いたのはこの辺りだった気がする。ひくりと口角が引きつって、務めて目線は下に向けないように谷垣の顔を見る。
あのさ、と口に出そうとしたとき、異様な体格の変な刺青を入れた男性が現れた。つぶらな瞳がキュートであるが、彼もまた全裸であり、様子がおかしい上裸の杉元とタイマンで勝負を始める。いつの間にか来ていた全裸の軍曹と全裸の少尉も観戦の姿勢に入り、止めるか否かの議論が始まったそれを話半分に聞いていると、トントンと肩を叩かれ、なんだなんだと振り向くとチカパシがしょぼくれている。
「……お姉ちゃん、ごめんね」
「え? なんで?」
「手、怪我しちゃった」
「ふふ。そんなこと。銃撃つのに必死で痛くなかったよ、大丈夫」
ぎゅう、とチカパシを抱きしめる。それからチカパシの手を引いてしれっとフルチン集団から抜け出し、心配そうなエノノカがそわそわと待機する場所まで移動した。平気そうな私たち二人をみたエノノカが嬉しそうに笑う。華やぐような笑顔とはこういうものを言うのではないだろうか。
「お姉ちゃん、チカパシ! クチリやっつけたね! かっこよかった!」
「谷垣とチカパシのおかげだよ。私じゃ歯が立たなかったから」
「えへへ、お姉ちゃん銃撃った時びっくりした顔してた」
「そんなとこ見ないのよ」
「チカパシも目瞑ってた!」
「エヘ……」
「そろそろ宿にもどろうか。エノノカ、私の手当てお願いしていい?」
「うん! まかせて!」
「僕もやる!」
きゃあきゃあとわんこに引っ張られて宿まで移動する私たちの背後で、大きな氷穴が空いた上に全員まとめてドボンしたらしいがそんなことはどうでもよかった。私がこの旅に参加したことで課せられた使命はきっと、この小さき命たちをあらゆる害から守ることである。
+
「____キエエエエエエッッ!!!! 銃撃ったじゃと!? ない考えちょっどわいは!! 危なかことはすっなちゆたじゃろうが!? 人ん言いつけも守れんのか!? こん小せびんたん中は空っぽか!? だいたいいつもいつも人んこっを振り回してばっかいいっどん、あたいんきもっを考えたことはあっとな!?」
「な、なな、なに? 何を言ってるの? ねえ軍曹!」
「聞かないでください。私にもわかりません」
激痛の消毒が終わり、さてさて寝ますかと布団に横たわったタイミングである。軍人四人衆が帰ってきて、谷垣が私とチカパシの頭をガシガシと雑に撫でた。チカパシには私を助けた時の勇気を褒め、私には銃の扱いを褒めた。
「俺の手入れを見てたのか、よく一人で装填できたな。」
こう言ったのだ。私とてチカパシを守って手のひらを怪我したのである。お褒めの言葉を頂いても良いだろうと思っていたのだ。苦しゅうないぞ。
しかしこの一連の流れをみて黙っていなかったのが少尉だった。私の頭をワシワシ撫でる谷垣を吹き飛ばして、流れるような動作で私の肩を掴んではガクガクと前後に揺らす。どえらい早口の方言は一言も聞き取れなかったが。
ゴン!!とあまりのやかましさに隣の部屋から怒りのノックが飛んでくる。
「銃撃っただけじゃなく手まで怪我しっせぇ、こげん綺麗じゃって痕残ったやいけんすっど!? 残っじゃろ!? 考え無しに動ったぁやめ!! 反省せんか!! 谷垣も谷垣じゃ!! 自分の銃ぐれ自分で管理せーこんバカタレがぁ!!」
「エッ今俺の名前呼んだか!?」
「まだなにか言ってるよぉ……軍曹ぉ……」
「寝付けないので黙らせてください」
「キエエエエエエッッ」
話半分に聞き流しているのがバレたのかそうでは無いのか知らないが、また叫んだかと思えば少尉はいきなり大人しくなって私を後ろから抱き枕でも抱きしめるかのようにギュウギュウと両腕を締めて寝息を立て始めた。背中にズリズリと頬を押し付けられている。この少尉、少し奇行が過ぎるのではないだろうか。これでは軍曹の苦労が浮かばれないぞ。
こうして開幕した強制樺太旅行。まだまだ序の口である。