全員が天ぷらそばを平らげ、満腹になったところで店を出る。いやー美味しかったね、また来たいなぁとそれぞれが口々に話しながら少し歩いた時。杉元があっと声を出した。
「危ない危ない、荷物置いてきちゃった」
「何をしているんだお前は……」
「よかったね杉元。出てすぐ気付いて」
「ああ。ちょっと行ってくる」
急いで店に戻ると、杉元と入れ違いで少年が蕎麦屋から出てくる。急ぎみたいでパタパタ掛けていくのをなんとなく眺めていると杉元がデカい声だして蕎麦屋から出てきた。さっきまでの穏やかな杉元くんはどこに行ったんだろうか。
「待てコラァ!!!」
「え」
「おいまさか」
「誰かそのガキを捕まえてくれ! 置き引きだ!」
少尉が肩にかけていた私と自身の荷物を問答無用で私に預け、言葉を交わす暇もなく三人で走り去ってしまった。この旅はトラブル続きである。呑気に彼らが走っていった方向に向かって歩いていると、谷垣とチカパシが見えてきた。どうやら二人も走っていく三人組と杉元の荷物を盗った少年を見かけたらしく、谷垣に私と少尉の荷物を持ってもらってやや駆け足で追いかける。暫くして遠くから銃声が聞こえてきたのであわてて走った。
「杉元、なんの音……」
「今日!! この場で責任を取らせて頂きます!!」
「ギャー!!」
なにやらサーカス団の設営でもしていそうなテントの山である。入ってすぐの場所でおじさんが盗っ人少年を斬り付け、頬に血が飛び散った。そこからは阿鼻叫喚、驚いて勢い余った杉元がおじさんを殴り付け、谷垣が子供に駆け寄った。私はというと一頻り可愛くない叫び声を上げたと思えば コアラさんよろしくチカパシにしがみついてぎゅうぎゅうと抱きしめている。斬られた頬、痛そう。タマヒュンとはこういう気持ちを言うのではないだろうか。持たざる者なので合っているかはわからないが。
「……あれっ、切れてない。」
「偽物の血か!」
「へへ……こっちは本物ですけど……」
「……」
杉元に殴られた男性は鼻からダラダラと血を流しておどけたように笑う。話を聞くと、少年を斬りつけたのは場を和ませようとしたことであり、刀は小道具だそう。何を隠そう、彼らは各地を転々とする曲馬団の座長、山田と花形である軽業師の長吉。言わば芸人である。令和では芸人というとバラエティ番組やM-1なんかに出るようなコメディアンを指すが、ここでは違うようだ。
「我々はロシア各地での巡業を大盛況のうちに終え、日本に凱旋! ここ樺太での公演を控えております」
「えっ見たい」
「これだ!」
私と杉元の声が被る。谷垣は「なにが……?」と困惑気味に声を出した。そんなことは無視して、グワ!と杉元が腹の底から声を出して提案する。
「俺を樺太公演に出せ! 『不死身の杉元ハラキリショー』でこの大都市豊原に俺の名を轟かすんだ!!」
+
____それにしても酷い有様である。
ちょうど欠員が出そうだから、少尉たちにも出演させるという条件付きで杉元のハラキリショーは許諾された。軽業師、長吉の手本を幾つか見て杉元たちは見様見真似でやってみるも尽く上手くいかない。それどころか側面で立てた大桶の中に入って、さながらハムスターの回し車のようにゴロゴロと転がして遊び始める始末。いや、全くバランスを取れずにひたすら回されている時点で、遊ぶというよりは大桶に遊ばれていると言った方が正しいのかもしれなかった。
ただし、一名を覗いて。
「ええ? ウソ……!? なんという身体能力……!!」
「思った通りだ」
大桶に両手を着いて、そのままゆっくりと片手を離す。支える腕をバネのように曲げ、大桶から軽やかに飛んだかと思えば、すぐ側で待機している土台となるベースのおじさんの上にピタリと乗って見せた。思わず拍手。鯉登音之進、思わぬ才能の開花であった。
いつまでも桶で遊ばせている訳にも行かない。ということで次にお出しされたのはサイコホールと呼ばれる演目の、筒状の大きな舞台。この筒の中を自転車に乗って垂直にひたすら回るらしい。遠心力で普通に出来ることではあるのだろうが、それは理屈の話であって、じゃあ今すぐやってみろと言われて簡単にできるものでもない。まずは自転車に乗るところからスタートである。
「……」
「ナマエさん!!! 今バカにした顔したろ!?!?」
「……いや、」
「勃起! 勃起、勃起、勃起!!」
「うるっっせぇ!!!」
谷垣のやかましさに気が逸れたのか、ガッシャン!と音を立てて二人とも倒れる。そんな二人の間を有り得ない自転車の乗り方で駈ける少尉が通り過ぎた。少尉ばかりが活躍することへの焦りからか杉元に余裕が無い。杉元も谷垣も全くもってダメダメである。プルプルと子鹿のように震えて軍曹の支えなしじゃサドルに座っていられない杉元を見て、キュッと閉じた口元が震える。いやだって、あまりにもこれは面白い。
「なに笑ってんだよ、やってみろよ!!!」
「いいけど……。うーん、私にはちょっと高いかな。軍曹、最初だけ後ろ持っててもらっていい?」
「それはいいが、転けると危ないぞ」
「まあ、まあ。見てて」
片足を掛けて、よっ!ともう片方を上げる。収まるべきところに両足が収まって、あとは身体の思う方向へ自然とすいすい進んだ。軍曹の手を離すタイミングも完璧である。
久しぶりに漕いだな、自転車。高校生になってからは通学も電車ばかりだし自転車なんて使う機会がなかったのだ。ブランクはあったものの脊髄に刻み込まれていたお陰で問題なく自転車に乗れた。幼い頃に練習に付き合ってくれた家族に感謝である。
「片手ぐらいなら離せるよ」
「危ないってナマエさん!!」
「そうだぞナマエ! 転けても知らないぞ!!」
杉元と谷垣の心配する声が聞こえる。なんだこれ!き、気持ちいい……!!フリフリと手を振るとチカパシが振り返してくれた。かわいい。座長にはサイコホールに出てみないかと誘われたけど、あれは本当に怪我しそうだから丁重にお断りさせて頂いた。
自転車から降りた頃には軍曹と谷垣は端に追いやられ、まさかの少女団の仲間入りである。谷垣は少女団でもうまくやれていないようで、振り付け担当の先生に有り得ないいびられ方と詰られ方をしている。時代が時代ならパワハラセクハラで一発起訴できるレベルである。なんだか不憫になってきたな。自転車の乗り方でも教えてやろうかな。ちょっとだけ考えたけど、面倒臭さが勝ってすぐに考えるのをやめた。