四角い窓の向こうには薄墨色の雲が立ち込めていて、今にも泣きだしそう。この季節独特の湿気と、雨の降りだす前兆の様な篭った香り。

 それでも海は穏やかで、きっと涙が零れる様に静かな雨が降るだろう。



「あいつ出てったよ。見えてたか?」
「うん、何もこんな天気の日に出て行かなくてもね」
「決めたら聞かないからな。誰に似たんだか」




 外の洗濯物を取り入れてくる、なんて声が聞こえた。
 静かな室内で一人きり、膝に置いた編み物の続きをする気にもなれなくて、窓の外に目をやり続ける。

 ああ、やっぱり振ってきた。
 大慌てでシーツをくしゃくしゃにして取り込もうとしている後ろ姿に苦笑する。あんな風にしたら、また洗濯しないといけない。晴れ間なんて滅多にないのに。



「洗濯、いっつも色が移るからって別で洗ってたな」



 窓際の淵に僅かにあるスペースに置かれた、透明な瓶に生けられた華奢な赤い花を指でつつく。
 私が好きだと言った花を、あの子が毎日摘んできてはこうして牛乳瓶に生けてくれた。
 それも今日で終わりだなぁ、なんて。



「初めてくれた花。薬草に混じって採ってきただけの癖に、花言葉まで添えて」



『君ありて幸福』

 今思えばくさすぎる。似合わなさすぎる。
 それでもあなたの声で囁かれる言葉が、優しく私の耳を撫ぜたのは、もう何年前だっけ。



「やっぱり降ってきた、シーツとりあえず入れたけど」
「皺くちゃでしょ。また洗うわ」
「今日はこれで我慢してくれな」



 寝室へと運ばれるシーツは、やっぱり皺くちゃ。

 あなたの部屋のシーツは、いつも太陽の香りがいっぱいになる様にお日様に当てていた。深い海のそこに潜った時は干すことができなくて、ちょっと不機嫌になる。知ってた。

 だから、浮上して一番の洗濯はシーツ。
 太陽をいっぱいに吸い込んだシーツに、二人して沈んだ。

 その重みが一つになったのは、いつからだったっけ。



「よく昼まで二人して眠って、怒られた」



 一年目は涙も出なかった。
 あなたがいないなんて、信じられなかった。

 二年目は忘れようとした。
 あの子が産まれて、育てる事にだけ没頭した。

 三年目はあなたを責めた。
 どうして、わたしを置いていってしまったの。

 四年目は彼がやってきた。
 あなたの刀を届けに。

 私はやっと、声を上げて泣いた。



「雨上がったら、街に飯でも食いに行くか……ん?寝てるのか」



 私は度々この切り取られた窓の向こうの海と地平線を見つめる。いつかあなたが、私を迎えに来てくれるかもしれないなんて、幻想を抱きながら。
 昇る朝日を、沈む夕日を、眩しい朝を、星降る夜を、どれくらい一人で眺めただろう。

 いつの間にか、彼は私と一緒にあの子を育ててくれていた。


 
「眠るなら、ベッドへ行くか?」
「……ううん、ここがいい」
「じゃあ、何かかけるもの持ってきてやるよ」



 でも私はこの窓から世界を見る時はいつも一人だったよ。心が、ひとりぼっちだった。
 寄り添おうとしてくれるものを拒絶して、殻に篭って、それでも海を眺めた。

 ああ、雨が上がった。



「膝掛けで良い――、レキ?」



 切り取られた古い窓が、キィと切なく鳴く。
 頬を撫でる風に身を乗せて、雨上がりの空に飛び立った。


 薄墨色の世界に手を伸ばせば、それはとても暖かい何かに包まれるように導かれる。
 それでも碧く揺れる世界に吸い寄せられる度、遠くで誰かの声が引き留めた。

 ねえ、私がもし今あなたの処へいったら、あなたは私を叱るんでしょう。でも、しょうがねぇな、なんて言って、許してくれたりしないかな?


 でもね、久しぶりに会うなら、やっぱり怒られたくなんてないよ。
 お願い、私の大好きなその声で。

 精一杯やりきるから。
 だから。

 力いっぱい抱きしめて、そして、私の名前を呼んで。

 




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