「ろー、ろー」
「は?」
「やだー、だっこ!」
「へ?」
「ふぇ、うっうっ……」
「な、泣いちゃうよ?!」



 次の瞬間、船内には大音声の甲高い鳴き声が響き渡った。



「ぅわあああ!どうすんのこれ!どうすんのこれ?!」
「ほらほらっ高いたかーい!!」



 パニックで叫ぶしかないシャチと、とりあえず自分の頭より高くそれを抱き上げてクルクル回るベポ。
 ペンギンはその様子を呆気にとられて見ていて、ギギギ、と音が付きそうな歪な動作でキャプテンを振り返った。



「で、これが、レキ?」
「あぁ……全くおれも信じられねぇが」
「いや、ただのガキじゃないですか、やっとオムツ取れたくらいの」
「……おれも嘘だと思いてぇよ」



 この異常な光景の中、真剣な表情で俯くローは、深く重いため息を吐いた。

 話はこうだ。ローと一緒に眠っていたレキが、朝起きればどういう訳かこんな姿になっていた、と。

 いやいやそんなん信じられない、ただのキャプテンの隠し子でしょ、なんてそれはそれで問題な発言をするシャチに、ローは真剣な顔で子供を抱き上げ、仕方なしに着せたと見える自分のパーカーを捲った。



「これが証拠だ……」
「それは……レキの刻印、ですか」



 ローに抱かれて嬉しそうな子供の、まだどこが背中で肩なのか分からない様な丸い後ろ姿には、その柔らかい肌に似つかわしくない禍々しい刻印が刻まれていた。 

 それはローとペンギン、そして不慮の事故で目撃したシャチだけが知る、レキの過去の柵、戦闘奴隷であった時の烙印だった。

 ローはあんまりそれを見せるのが嫌なのか、すぐに捲っていた服を下ろした。



「ま、マジですか……お前、ほんとにレキなのかよ」
「しゃち!」
「うぉぉ!おれの名前呼んだァァァ!」
「べぽ!」
「うわーうわー可愛いねぇ!」
「ぺ……ぺん!」
「おい、おれだけ適当じゃないか?」



 それぞれを指差してきゃっきゃと無邪気に笑う子供。ベポだけはすんなりとこの状況を受け入れていてレキ……だというその子供をぎゅうぎゅう抱きしめていた。



「おれは原因を調べてくる」
「心当たりでも?」
「あぁ……だからその間面倒見てろよ、テメーらが」
「「は?」」



 何だか良い笑顔でペンギンの肩を叩いたローは、本当に彼女……少女を置いたまま出て行こうとした。慌ててシャチが止めるも、思いっきりローに足蹴にされる。



「キャプテンも面倒見て下さいよ!レキですよレキ!」
「悪いな、いくらレキでもガキは嫌いだ」



 そうぴしゃりと言い捨てて、本当にローは出て行ってしまった。
 残された男二人はどうしたものかと、楽しそうにベポの耳を引っ張っているレキを見る。



「なぁ……面倒見たことってある?」
「ガキの頃に近所のを見たくらいだな」
「おれも……」



 保父スキルなんて全くない二人は頭を抱える。とりあえず小さいんだからあやしてやってれば、自然と疲れて眠るんじゃないかという淡い期待を抱くことにした。
 きっと暫くすればローが解決策を持って帰ってくるだろう。

 しかしそう思ったのも束の間、レキがキョロキョロと当たりを見回し始めた。
 どうしたの?とベポがもふもふの手で頭を撫でている。



「ろーは?ろー!」
「キャプテンなら出て行っちゃったよ」
「う…っ、わぁぁぁん!!」
「げっ!」



 ローがいないと分かるやいなや、レキはまた大声で鳴き始めた。大きな瞳から、これまた大粒の珠の様な涙を流して泣きじゃくる。
 さすがはレキ、ローがいないのはやっぱり嫌なのか、なんて呑気な事を考えるペンギンをよそに、シャチがいないいないばぁ〜をするが、残念ながらその効果は無い。

 ペンギンはため息を付くと、ベポに抱かれて暴れるレキの目線まで顔を下げ、できるだけ優しく言った。



「レキ、キャプテンはお前の為に元に戻る方法を探しに行ってくれてるんだ。だから大人しく……」
「ガキにそんな言い方してもわかんねーって」
「いやー!ろーがいい!そんなこというぺんなんてきらい!」
「っ……!」
「あ、ペンギン固まってらぁ」



 きらいきらい!と言いながらベポに抱きつくレキ。そして石のように固まるペンギンをシャチが突いた。

 常日頃から過保護な程にレキを溺愛(本人は否定するが)しているペンギンにすれば、レキと名のつく少女から「きらい」と言われるのは相当のダメージがあるらしい。ペンギン、と声をかけても返事がない。

 このままでは我らがハートのブレーンが化石になってしまう。

 

「レキ、きらいなんて簡単に言っちゃだめだ。好き嫌いは駄目なんだぞ」
「だって、だってぇ」
「ペンギンだって、レキにきらいって言われて悲しいって。レキのこときらいになっちゃうぜ?」
「ぅ〜」



 口を尖らせていたレキだったが、ベポにしがみついていた身体を離し、ペンギンの頭を小さな両手でぽんぽん、と叩いた。そのまま落ちかねないので、ベポが慌てて抱き直す。



「ごめんね、ぺん……ごめんなさいするから、レキをきらいにならないでね」
「っ!あ、あぁ……大丈夫だ」
「レキ、すき?」
「……あぁ」



 魔法が解けて、石にされたペンギンが息を吹き返す。
 ベポの手からペンギンの腕へと移ったレキは、えへへ、と言いながら胸にぐりぐりと頭をくっつけた。

 なんて機嫌の移り変わりが早いんだと思うも、まんざらでも無さそうなペンギンに少し犯罪の匂いを感じるとは言えないシャチ。



「ま、泣き止んで良かったな」
「どうしてこうなっちゃったんだろうね」
「おれ達が考えるだけ無駄だなー」
「おい、シャチ」



 レキを腕に抱いたペンギンが、声をかけてきた。案外さまになってる様で、にやにやして見上げる。



「レキがホットケーキ食べたいらしい」
「は?なんでおれが」
「コックいないだろ」
「お前がやれば――」
「はやくはやくー!」
「ほら、早く」
「え、何、お前の過保護ってそのチビにも有効なの?どんだけなの?」





***





 シャチ特性の三段ホットケーキ(小さめ)を平らげたレキは、その後も何かとペンギンの後ろをついて歩いて回っていた。

 海図室に行こうとすれば、ひょこひょこ。
 部屋に航海日誌を取りに行けば、ひょこひょこ。中に入るのはシャチにより全力で阻止された。

 驚くことに最初に大声を上げた以来は泣き出したりすることはなく、ペンギンの言うちょっと小難しい注意もお利口に聞く。
 なんだかそれは小さな雛が親を追いかけているようでちょっと可愛い、なんて呑気なことを考えられる程にシャチはレキに放置されていた。

 ちょっと寂しいなんて思ってない。



「レキー、お馬さんごっこするか?」
「おうまさん?んー……」
「おれはここで航海日誌を書いてるから、遊んでやれ」
「うん!」
「いや、おれが遊んでやるんだからな?」



 何故かペンギンの顔色を窺ってから返事をするレキ、まるで彼氏に遊びに出かけて良いか聞くようなそれに、若干口元を引きつらせながらも、飛びついてきたレキを受け止める。

 しかしこの後すぐにシャチは後悔する。
 底知れぬ子供の体力に、まるで奴隷の様に食堂の机の周りを這いずり回らされ、ちょっとでも腰が落ちると叱咤のビンタが尻に入る。

 結局20分程のお馬さんごっこは、馬の故障の為強制的に中止された。



「えーもうおわりー?」
「死ぬ、死ぬ……」
「シャチ、まだレキがしたいって言ってるだろ」
「おれお前に一回くらい怒っても罰あたらねーと思う」



 ぴょん、とシャチ馬の上から飛び降りたレキは、ペンギンが座る長椅子の隣によじ登ろうとして短い手足を懸命に伸ばした。
 ペンギンはしばらくその様子を見ていたけど、割とすぐに抱きかかえて椅子にあげてやる。
 えへへ、と嬉しそうにペンギンに寄り添ったレキの頭を撫でてやるペンギン。

 あ、なんか何でかおれの胸が切ない!



「お前、レキのこと好きだよな」
「は?つまんないこと言うな」
「いやいや……おれはちょっと切ないよ」
「疲れすぎて可笑しくなったか」



 ペンギンは何故か自分がレキに過保護すぎることを認めないし、レキが好きなことも認めない。誰がどう見てもレキのことが好きだと思うんだけど、それはローの手前認めないのか、本当に自覚が無いのか、自覚があるうえで認めないのか。

 いずれにせよ、こんなおチビになったレキですら、あんなに優しそうに頭を撫でてやっている。今の自分の顔を、鏡で見せてやりたい。
 
 しばらくすれば、小さな寝息が聞こえだした。



「やっと寝た……」
「あとはキャプテンが早く帰ってくるのを待つばかりだな」



 床を這いまわり過ぎたせいで掌と膝がじんじん傷んで仕方ない。ぱんぱんと掌を叩いていると、ペンギンに何かかけるものを持ってこいと命令された。まあそれには素直に従うことにして、立ち上がる。

 それと同時に、食堂のドアが勢いよく開かれた。



「たっだいま〜!!」
「「…………は?」」



 元気に扉を開け放ったのは、両手に紙袋をぶら下げてほくほくした笑顔を振りまく女性。今日の問題の中心人物である筈のレキだった。

 勿論そこにいるのはおチビな姿ではなく、見慣れたつなぎ姿。



「は?は?」
「?どうしたのシャチ、馬鹿みたいな顔して」
「ペンギンおれがおかしいのかな……ってペンギンー!」
「……」



 シャチ以上に放心したペンギンは、また石のように固まってしまった。
 そりゃもうレキだと思って溺愛してたのに、急に本物が出てきたショックといえば、シャチのそれをも凌駕するのだろう。今回の魔法はどう解いて良いかわからず、シャチはとりあえずレキに向き直る。

 こくんと首を傾げたレキは悪びれる様子も無い。
 しかし、ペンギンに凭れて居眠りをするレキが目に入ると、両手いっぱいに持った紙袋をシャチに押し付けて、嬉しそうに近寄った。



「レキったら寝てる、可愛いっ!あ、起きちゃうよね……っ」
「は?レキ??え?もうおれついてけないんだけど」
「??何って……レキの面倒をシャチとペンギンが見ててくれたんでしょ?だからキャプテンとのデート楽しかった、ありがとー」
「レキって誰?」
「この子」



 レキはチビ(ややこしいのでもうこう呼ぶことにする)の頬を突っつきながら、にっこり笑う。

 シャチはもう脳内処理が追い付かなくて、とりあえず整理しようと頭をひねった。

 このチビは、大きなレキが突然小さくなったらしい。それで肩にはレキにしかない烙印がある。それなのに大きなレキが突然帰ってきて、このチビも、レキだという……。

 あ、無理だ、おれには無理。



「ペンギンペンギン!起きろ!解決して!!」
「む〜〜……」
「ああ!先にチビが起きちまった!」



 石になったペンギンの魔法は頑として解けず、先に目を覚ましたのはチビ。
 ぷにぷにした手で目を擦っていたが、目の前にいるレキを見つけるや否や、満面の笑みを浮かべて飛びついた。



「あー!おねーちゃん!」
「おはよう〜、たくさん遊んでもらった?」
「うん!ぺんに!」
「おれに!!!」



 思わず突っ込むが、そんなことお構いなしにレキと戯れるチビ。
 もうこの状況をどう収集つければ良いかわからなくなって、机によろよろと倒れ込むと、一番の元凶であるローがゆったりした足取りで食堂に入ってきた。



「ろーだ!おかえりなさい!」
「おう、賢くしてたか」
「うん!」
「キャプテェェェェェェンンンンンン!!!!!」
「……大丈夫か、お前」



 ローが冷たい視線をシャチに向ける。
 全てを知っているであろう男にシャチが叫びながら飛びつくと、先程宜しく思いっきり足蹴にされた。しかしそんなことも気にならないくらい動揺しているシャチは、その脚にすら縋る。



「どういうことっすか?!もうおれわかんない!!!」
「キャプテン、何て言ったんですか、レキのこと」
「出掛けるから面倒見とけって」
「肝心なとこ抜けてるぅぅぅぅぅ!!!!」



 シャチはもう半泣きを通り越してガチ泣きだ。
 レキにことの経緯を説明し、ローが言ったことも間違いなく伝えると、最初はふんふんと聞いていたが、最後には腹を抱えて笑い出した。
 笑い事じゃねぇ!



「あはは、まぁ名前が同じだもんね。でもレキは私じゃないよ、そんなことあるわけないじゃん」
「だってよ!肩にその、あの……っ!」
「肩?」



 レキが抱っこしているチビのパーカーをぺろりと捲り上げる。
 しかし当然そこに現れると思ったものは無く、刻印があった丸い背中には、茶色い汚れがついているだけだった。
 服の裏にもべっとりと汚れがついていて、まるでそこにあったものを擦ってしまったような。



「あ、なんか汚れちゃってるね、なんだろ」
「うえぇぇぇぇ?!?!?」



 それは明らかに自分とペンギンが見た刻印の痕で、近寄ってごしごしとチビの肌を撫ぜれば、シャチの手にはその茶色い汚れがいとも簡単についた。
 乱暴に擦られたからかチビは嫌そうな顔をして、レキにまたくっつく。



「この子、知り合いの海賊の子供なの。私と同じ名前にしたって聞いた時は吃驚したんだけど……で、ちょっと戦争してくるからって今日預かってて」
「何その、ちょっと飲みに行くからみたいなノリ」
「そういうことだ。まあ、軽いジョークだな」
「ハイレベル過ぎるんですけど!!!」
「シャチ、テメェの胸に手を当てて聞いてみろ。今日は何日だ」
「は……?」



 ローの意地悪な言葉に、言われるがままシャチは胸に手を当てる。
 しかし普段から日にちを意識する生活なんて送っていないもんだから、3月?後半??くらいしかわからない。
 そこで食堂の壁に以前レキが張り付けたカレンダーを見る。終わった日にちには赤ペンでバツが打ってあるから、今日は……。

 今日は、4月1日。
 そしてその下に書いてある言葉。



「…………エイプリルフール」
「クルーを退屈させねぇとするおれに感謝しろ」



 何故かふんぞり返って言われ、シャチは一気に疲れが押し寄せてきて脱力した。
 ようはローの悪戯だったわけだ。それに騙され、体よく面倒を押し付けられたというわけで。

 このチビはレキでも何でもなくて、ただレキという名前の、名も知らぬどっかの海賊の子供。



「まあ、レキに何もないならよかった」
「あ、ペンギン復活した」
「ちょっと事態を呑み込むのに時間がかかった」
「おう……おれまだ胃もたれでできねぇ」

「ぺん!」



 やっと復活したペンギンに、チビは手を伸ばした。
 そっちに行くと言わんばかりに暴れ出すので、レキが少し困ったような顔をする。でもペンギンは「かまわない」と言ってチビを受け取り、その腕に抱いた。

 チビはいっちょ前にペンギンの首に手を回すと、顔いっぱいに笑ったと思えば、いきなりチュッ!と頬にキスをした。



「ぺん、だいすき!」
「!」
「おーおーペンギン、可愛い彼女羨ましいー」
「……シャチ」
「良かったじゃねぇか、若い女で」
「キャプテン……」
「なんなら、もうちょっと預かっとく?」
「レキ、お前までそんなことを……」



 ペンギンだけが笑いの的にされ、苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。
 それでもチビに「どっかいたいの?」と言われれば、苦笑して「なんともない」と言うもんだから、これまた皆の笑いを誘った。



「もー、ペンギンもレキも可愛い」
「ほんとほんと、なんかおれもホッとする」
「どこが、なにが」



 何故チビがペンギンに懐いたかはよく分からないが、その後もべったりだったのは言うまでもなく、親だというやっぱり顔も知らない女海賊が引き取りに来た時だって、帰らない、と当然の様に駄々をこねた。

 シャチが無理やりペンギンから引き離そうとすれば手を噛まれる始末。つくづく今日は役回りが悪い。
 ペンギンの言うことなら聞くだろうということで、レキと女海賊が雑談している間に説得が行われることになった。

 シャチはちょっと離れたところで甲板の手すりにもたれ、ペンギンとチビのやりとりを眺めていた。
 声は何となくしか聞こえないけど、恋人同士の別れに野暮だな……なんてちょっと格好良いことを考えて見守っていた。



「ほら、我儘言ってないで母さんのところへ戻るんだぞ」
「う〜……ぺんといたいの」
「また今日みたいなことあるかもしれないだろ」
「…ぺん、」
「ペンギン、な」
「ぺんぎん、ねぇ、レキ、すき?」
「……」
「レキのことすき?」
「……あぁ、好きだよ」
「じゃあちゅーして。すきなひとにはちゅーするんだよ」
「教育があんまり良くないな」



 ねぇねぇねぇねぇ!
 チビが何かを、ペンギンにせがんでいる。
 よくあれに付き合ってやっているなぁと思うも、それがレキと名のつく少女故なのかと思うと少し複雑だ。



「もっと大きくなったらな」
「むー、やくそくだよ」
「あぁ」
「じゃあ、やくそくのちゅーね!」
「どっちにしろ、それなのか」



 突然チビが背伸びをして、ペンギンにチュッ!とキスした。キスなんて色気のあるもんじゃなくて、どっちかというとブチュッ!て感じの勢いで。
 そしてチビはタタタタッと軽い足音を鳴らして、女海賊の方へと走っていった。

 シャチはずるりと滑った尻を持ち上げ、ため息をついたペンギンに近寄ると、優しく肩を叩く。



「酒、つきあってやろうか?」
「は?」



 シャチのよくわからないテンションに、ペンギンはぱしりと肩に載せられた手を払いのけた。



「おれが慰めてやるってー!」
「離れろ、気持ち悪い」

 




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