Evil woman Supper 01
ベランダに続く大窓を開くと、電車の通過音と共に冷たい風が室内に吹きこむ。身震いをし、物干しに下げていた適当なパーカーを羽織ってから置きっぱなしにした薄汚れたスリッパを突っ掛けコンクリートに足を踏み出せば生乾きの髪の隙間を縫って冷気が頭皮を冷やした。
取り出した煙草を咥えジッポーで火をつけ、一口を吐きながら天を仰げば、視界に広がる濃紺の澄んだ夜空には、針先で開いた穴の様に無数の星々と丸々とした満月、そして月光にぼんやりと照らされた布切れの様な雲が浮かんでいる。
片手に煙草を挟み、片手はスウェットのポケットに突っ込んでスマホを取り出し適当にSNSを流し見る。好きなバンドや芸能人の宣伝投稿や学生時代の友人の何気ない投稿をみてから、アプリを閉じ、その隣にあるピンクの背景に炎の形が白抜きされたアプリを立ち上げる。読み込みの後で女性の写真が映し出され、無作為に写真を左にスワイプするとまた新たに別の女の顔が現れる。
これはマッチングアプリという奴で、設定した距離の範囲内で同じように出会いを求めアプリを入れている人間が表示されるのだ。しかしここに集う人間に、真面目に恋人を探していたり結婚相手を探している者は数えるほどしか居ない。皆、自身に都合良く身体を差し出す異性を求めコンタクトを取り合っている。
斯く言う俺も、彼女と別れて3ヶ月が経ち女体が恋しくなって登録したクチだ。恋人は煩わしいがセックスはしたい。後腐れなく割り切れる女を探す為に夜な夜なメッセージを確認しているのだ。
右スワイプは「気に入った」、左スワイプは「いまいち」、下から上へのスワイプは「是非」となり、相手の写真と簡単なプロフィールを見て淡々と指を動かす。
この女は拗らせていそうだから左、この女は趣味が合いそうだし写真に写る胸がでかいから右。とこの様に審査していく。
15人ほど見た後で俺の指が止まったのは、ひとり、気になる女を見つけたからだ。
写真は恐らくブランド物であろう琥珀色の香水瓶。プロフィールには「映画と本と煙草と猫が好き。お友達がほしい。」とだけ記載されている。彼女の名前は「kiki」。年齢は24。この短い文章には「趣味の合う話が出来るセックス込みの友達が欲しい」と言う意味が込められている。
この女の目的は俺と同じらしい。こういった「自分は他の女とは違う」というポーズを見せる奴に限って性に奔放で快感に従順だ。必ずヤれるという確信があったから、迷わず「是非」の方向にスワイプすれば、すぐにメッセージが飛んできた。
「マッチありがとうございます。よろしくお願いします」
「こちらこそ!よろしくお願いします。kikiさんは映画がお好きなんですね。俺も良く映画を見るんですが、どんな映画が好きなんですか?」
「古い映画をよく見ます。今日はフェノミナを見ました」
「良いですね!ホラーがお好きなんですか?」
「好きというほどでは無いですがそれなりに見ます。今度一緒に映画に行きませんか?」
適当に話を合わせただけで誘いが来るあたり、やはりこの女は性的に飢えている。休みを伝えるとそれに合わせた都合の良い日程が届き、結果として今週の日曜に会うこととなり、久々のセックスに心を躍らせ、俺は上機嫌で1週間を過ごした。
当日は彼女の最寄りだという駅で待ち合わせをしていたので、約束の20分前には到着したがやはりkikiはまだ来ていない様で、手持ち無沙汰になった俺はスマホを取り出し、癖の様にSNSを開いていた。下らない討論や馬鹿な動画を見て時間を潰していると、到着から10分程経った頃だろうか、側に立つ人影に気がついた。
右手はそのままに視線を其方へ向けると、其処に居たのは小柄な女であった。艶やかな髪と控え目な化粧は清潔感を与え、たっぷりとした上向きの睫毛と瞳を覆う縁の細い眼鏡は彼女を知性ある女性に見せていた。そして身体のラインが出る黒い薄手のニットワンピースと、ハイヒールを履きこなした細い脚が色香を放つ。ふわりと香る香水は写真にあった物だろうか。
「失礼ですが、りょうさんですか?」
薄いながらも艶めいている唇から溢れたのは、アプリで使っている俺の名前であり、確認するまでもなく彼女がkikiである事は間違いなかった。
「はい。はじめまして」
「良かった。ちゃんと会えて。最寄りまで来てもらってすみませんでした」
「いえ。この辺りの方が店も多いし遊びやすいでしょ?」
「思った通り、りょうさん優しいですね」
梅色の唇を引き上げて笑う様が、綺麗系の顔に可愛らしさを与えて彼女がとっつき易い人物である事を著している。そして右手のピンキーリングを弄っている様子を見るに、俺の顔色を伺って話題を探っているのだろう。あまり気を使わせては可哀そうなので、俺は彼女に声を掛け、約束通りに映画館へと向かった。
今日見るのは話題の和製ホラー映画だ。
俺は映画を最初からエンドロールまで大人しく座って見ていた筈であるのに、映画の内容をこれっぽっちも覚えていない。それは、上映中にずっと彼女の百合の様に華奢な手が俺の脚に触れ続けていたからだ。
驚いて彼女を見ても、彼女は口元で微笑むだけで何も言わず此方に視線を向けようともしない。その素っ気なさとは裏腹に、手は際どい所を触れては離れを繰り返していた。
映画館を出た後に行く先は一つしかない。
「私が誘ったとは云え、性急ですね」
飲みかけの安い緑茶をそのままに、入室してすぐに重ねた唇が離れた瞬間に胸を押され、余裕の色を湛えて言うその顔は妖艶である。その余裕を奪ってやりたくて再度唇に触れると、先程は受け身だった彼女は口を開き舌を受け入れた。捕食の様な貪欲な口づけに劣情を催し、俺は彼女の着衣に触れていた。彼女は俺の手にやんわりと自身の手を重ねて静止し、耳元にその柔らかい唇を寄せて吹き込む。
「私よりも貴方が先に脱いでください」
聖女の瞳で女王の様に毒婦の言葉を吐く彼女の声のなんと甘美な事か。
俺は自身の服の裾を掴み引き上げベルトも外して、素っ裸で彼女が待つベッドへと飛び込んだ。kikiは艶やかな爪で飾った指先でゆっくりとスカートの裾を持ち上げて、ストッキングに包まれた白い腿を露出させオレを誘っている。彼女に覆いかぶさりもう一度唇を重ねようとすれば、またもや拒絶され、彼女は俺の下から抜け出して俺の腹に乗りながら愉快そうに笑っていた。
「りょうさんは映画がお好きなんですよね」
「え?…うん。それなりに」
「じゃあこんなホラーも知ってるかな?出会い系サイトで知り合った男に殺される女の話」
突然持ち出された映画の話を、俺はぼんやりと聞いていた。高まった性欲で興奮していたとはいえ、こんなにも眠気を催すのは異常である。彼女は尚も笑っている。
「こ、ころ、おれ、ころ、ころふ、ころすの?」
「うん?私は貴方を殺したりしませんよ。私が欲しいのはコレだけですから」
触れられている感覚はなく、意識が朦朧とする中で視線を向けると、彼女の指は俺の腹部をなぞっている。
酒を山ほど飲んだ時よりも酷い眠気で目蓋を開けていられなくなった俺の意識はいつのまにか暗い闇の中へと落ちていた。
苺にさくらんぼ、ラズベリーにクランベリー。甘酸っぱくてキラキラしている私が大好きなもの。
目の前に広がる、艶やかで瑞々しくって柔らかい、温かい臓物も、私が大好きなもの。
自分から裸になってくれて助かった。股にぶら下がる醜悪な肉の塊に脳を支配されたバカな生き物を、私が昇華(消化)してあげる。
ベッドの上は潮の匂い。生体の芳しい甘やかな香りがする。私の唇より赤いビシャビシャのシーツが端の方から茶色に変色していってる。
「…ね?って、死んじゃったの?ごめんね。殺す気は無かったよ。本当に」
私は殺しがしたいのでは無い。ただ少しだけ‘分けてもらう’だけだ。でも人は大量に出血したり内臓を損傷したり肉を取りすぎると死んでしまう。採取の過程で死ぬだけで本当に殺したいわけじゃ無い。
「ま、死んでもらったほうが楽なんだけどね」
私は、持っていた容器に今日の収穫物を詰めてから真っ赤になってカピカピする身体をシャワーで洗い流し、ウィッグも取って服を着替えて部屋を出た。
このホテルは独立型だから監視カメラなんてない。そんな事も知らないなんてやっぱり愚かな人間だった。
「貴方も私の中で生まれ変わるのよ」
バッグをするりと撫でながら、うっとり微笑んで帰路へついた。
今日はどんな料理を作ろうかな。