酷熱の海
密林の半ば、月面を思わせる窪みと灰がかった白色の石灰岩が聳える場所にセノーテはある。
セノーテとは石灰岩が雨により侵食され形成された洞穴に地下水が溜まった泉を指し、神聖で生活に密接した水場として古より信仰されてきた。そして、儀式にも用いられ、雨の神チャクへ生贄を捧げる場として利用されていた場所もある。
デイビット曰くマヤ文明において、この閉じた水場は地下世界の入口と信じられてきたそうだ。マヤにおける宇宙観では、この世は天と地、そして地底の三層から成っており、中でも地底は生命の起源と考えられていたため非常に重要視されていた。飢餓や疫病がもたらされることを恐れた民草は地底の神々へ供物を捧げ、平和を保とうとしたそうだ。
そもそもが地下世界だというこの異聞帯におけるセノーテは一体何処に繋がっているのだろうと、この場所に来るたびに考えてしまう。
この場所へは、今の拠点に住まう様になってから毎日の様に訪れている。拠点の傍に小さな水場が一つあるが貴重な飲み水を身体の穢れで汚す事は憚られる上、井戸よりも小さい為水浴びには適さない。私に気を使っての事か、デイビットは拠点から一番近いこの水場に頻繁に連れ出した。水浴びは一人が良かったが此処は密林の中にあり少し拠点から離れており、この周囲には脅威となる生命体が出現する可能性もある。一人での来訪は不可能だった。
厳粛な雰囲気を纏う周囲を見回してからミリタリーブーツから足を引き抜く。身に纏うの黒色のノースリーブのリブニットとカーキのカーゴパンツ、下着もすべて取り払い、濡れていない岩の上に雑に重ねる。
趣味に合わないこの衣服は全てデイビットがコヤンスカヤに用意させたものらしい。衣服に限らず、私の生活に必要な品は彼が全てNFFに運ばせ、向こう二年は不便なく生活できるように手配したと以前聞いたことがある。そのおかげで、水浴びに使う洗剤類やタオルに至るまで全てがNFF産であり商品の端には例外なく狐の頭を模したロゴマークがプリントされている。彼女の私に対する仕打ちを思い返すと余り良い気分はしないものの、頼らなければ一切の物資が手に入らないのだし、そもそも仕打ちと言うのなら手配したデイビットにだってこの上ない辱めを受けているのだ。この過酷な環境では自尊心を守るよりも彼の支援に迎合することの方が重要だ。
木々の騒めきと鳥に似た原生生物の叫びが遠くに聞こえる。ざり、と石を踏む音は、入り口付近で警邏するデイビットの物だろう。彼は水場へ共に来るとはいえ一緒に水浴びをする訳ではない。ただ私を連れてきて、私の水浴びが終わるまで周囲を警戒するだけだ。
一つに結っていた髪の毛を解き、安定した岩の上に腰かけて爪先を静かに水面に沈める。ミクトランの高い気温を以てしても絶え間なく湧き出る地下水が完全に温まる事はなく、熱い肌に触れればひやりとする。少しずつ水温に身体を慣らしていき、とうとう胸の上までが泉に浸る。このセノーテは奥に行くほど深さを増すが、手前であれば腰かけても肩が出る程度の深さである。身体が水温に慣れていくと浸りきらない首や顔に水を梳くって掛けたり、足を伸ばしてゆったりと上を見上げ息をつく余裕が生まれてくる。仰ぐ天井にはぽっかりと大穴が開いており、高く伸びた羊歯や糸杉の葉が青空を遮り木漏れ日が泉へ注いだ。水面は日光を反射させ煌めき、エメラルドブルーの水底は色鮮やかに光輝いている。
熱がこもりやすい部位が冷えた水に晒されると僅かに身体が楽になる感覚がする。深部体温が下がる為、茹だる暑さにも対応する事が出来ているのでこの水浴びは清潔さを保つだけでなく生命維持にも役立っている。
ミクトランは常に灼熱であり、魔術が得意でない人間であれば恐らく十分も持たずに命を落とす程の危険な暑さだ。魔術師ではない私も例外ではなく、死なずに済んでいるのはデイビットに齎された首飾りに拠る。首飾りと言っても、華奢な銀のチェーンに同じく銀の枠で囲まれた青いメダイユのペンダントトップが通されている簡素なネックレスだ。所謂奇跡のメイダユは、以前私が持っていた物とは異なり黒塗りのマリア像が青色の樹脂に包まれ水底に沈んでいるかのようなデザインをしている。一種の護符として機能しているようで、肌身離さず身に着けなくては私は忽ち脳が茹り死に至るだろう。
水底を一段奥へ歩み出ると水中の光の帯は体の動きに合わせて散り絹の様に揺らめいてまた像を結ぶ。この辺りは一気に水深が深まり私の身長では底に足が届かない。浮力に任せて全身の力を抜き水面に揺蕩えば冷水がじわりと髪の毛の隙間に染み入り心地良かった。
土や植物の匂いとこの静けさは凌辱の日々の数少ない癒しだ。
瞼を下ろせば日光が皮膚を透かして視界が白む。深く息を吸い込み、新鮮な空気が肺に満ちた。
初めは聞き間違いを疑った。音楽幻聴という現象がある。実際には鳴っていない音や旋律が聞こえる現象だ。ゆったりと吐き出した呼気、虫か原生動物の声、風の音に交じって音楽が聞こえるのだ。調和の取れない音の連続。微睡を誘う、優しくも底知れない不気味な旋律。
楽器か、人の声なのかすら分からない。霧掛かった音の輪郭は徐々に明度を増し、耳へと入り込む。それはまるで紙にインクが滲むように脳にじわりと映像を齎した。
脳裏に浮かぶのは男女が睦合う幻影。暗闇の中、薄白い月明りが二人の汗ばむ肌に光る。儀式の様に丹念に、そして野性的に互いを貪る二体の生き物。女の顔は悦びに満ち溢れ更に快楽を求めている。唇からは唾液が漏れ銀の月光に光る。音楽に重なり、陰部から鳴るにちにちという体液の音と激しい息遣いが鼓膜の中で淫靡に響いた。
「名前」
いつの間にか水際まで来ていたデイビットの声で我に返った。その手には短機関銃が収まっている。慌てて体勢を起こし足が届く辺りまで戻った私に向かって、彼は静かに待機する事を命じまた洞穴を出ていった。
彼の姿が日光に消え、間を置かず何か獣の様な咆哮と地鳴り、そして短機関銃の銃声が鳴り続く。あまりの轟音に耳を塞いで洞穴の入り口を注視していると、暫くしてデイビットは何事もなかったかの様に悠々と戻ってきた。その姿は全身が血に染まり髪の毛からは鮮血が滴り落ちている。絶句している私に気が付き血液の重さで額に落ちてきた髪の毛を掻き上げ平然として歩み寄る。
「その血は、」
「オレのじゃない、気にするな」
「…あの、一体誰が?もしかして虎の仮面の?」
「今回のは無知性化したディノスだ、大した脅威ではない」
ブーツを脱ぎ裸足で水際へやってきた彼に合わせ、こちらは彼の死角に入る様に少しずれた。ディノスとはどんな生物なのかを尋ねるよりも先に、このまま裸を晒すことは避けなくてはならない。対して彼は私の意図など関係なく無遠慮に泉に入り髪の毛や顔に被った血を洗い流している。鼻先や髪の毛、水をすくう手の平から零れ滴る水は赤を含み、雫は水面に落ちて溶けていった。挙動を見逃さない様視線を彼に固定していると、ふと此方に視線を向けた為に目が合い反射で頭を下げ視線を逸らしてしまった。身体は見えていない筈だがそれが返って不自然だったのか、彼はざぶざぶと音を立て此方にやって来た。
「何故そんな所に…ああ」
すっかり私の姿を瞳に収めた彼は挙動不審な様子を訝しんだが、すぐに合点が行った様で全て見透かした様に小さく笑った。そればかりか衣服を全て脱ぎ始め一糸纏わぬ姿になって私の隣に腰かける。彼が座った瞬間に反対へ逃げようと腰を浮かせるも、手首を力強く握られそれは叶わなかった。
「何処へ行く」
「なんで、貴方まで入ってくるん、ですか」
「血を洗い流す以外に理由があるのか?」
「隣じゃなくても、いいのに」
「問題ないだろう」
膝を抱き寄せてかろうじて胸と股間を隠しながら睨みつけるもささやかな抵抗などまるで意味をなさず、彼が掴んでいた手を強く引き後頭部の髪の毛を掴んだ為、強制的に顔が持ち上がる。
張りのある滑らかな肌に水滴が滑る。彫刻の如く雄々しい体躯に星の髪、細められた瞳は慈しみに満ち、天井の円から注ぐ眩い光を背負う彼は、アウレオラの差す天使の肖像を思わせる。
「頬を染めて悩ましく身を隠す、か。それで抵抗しているつもりか?」
天使が発したのは嘲笑にも似た問い。いや、問いの形を持たせた辱めだ。羞恥を誘い弄ぶ顔(かんばせ)のなんと美しい事か。
藻掻く余地も与えられず、彼の手はいつの間にか私足の間に伸びており、腿で隠していたはずの秘部に長い指が触れる。ぬるりとした感覚がして初めて、先ほど見た幻影に浅ましくも欲情していたと思い知らされた。
「水浴びの最中に一人で楽しんでいたのか?」
「ゃ、ちがっ」
拒絶を示している癖に股座のぬかるみは骨張った太い指を飲み込み、快感を取り零すまいと刻まれた襞をうごめかせて締め付けている。指の腹で腹側の肉壁を擦り圧迫されると、あまり刺激に漏れ出した声が広い空間一杯に響き渡り、増幅された嬌声が耳に入り血の気が引いた。
「声が、」
「好きなだけ騒ぐといい。嬌声を判別できる生物はこのミクトランでは限られている。この辺りには誰も来ないよ」
耳殻に触れた唇は甘やかな吐息と共に絶望を吐く。中に埋まる指は絶え間なく蜜をこぼす肉壺を丹念に捏ね、執拗に好い所を擦るので、抗うことも出来ず呆気なく絶頂に達した。快感を隠そうともせず無様に喘ぐ唇を、彼は躊躇せず長い舌で舐り渇いた舌に絡ませ深く口付ける。指が引き抜かれ塞ぐものが無くなった膣口が侘びしく痙攣していた。
唾液の音をさせながら離れた唇、熱に浮かされたアメジスト、ごくりと唾を飲み下す突出した喉仏。噎せ返るムスクの香りに交じる鉄錆と汗の匂い。私は今明確に彼に発情している。その事実が受け入れられず、密着した胸に腕を立てれば案外呆気なく彼は手を放した。
「物欲しそうな顔だ」
「そんなわけ、っもうやめて」
「発言が行動と伴わないな。オレの服をベッドにして続きを待ちわびている様に見えるが」
「はなし、てえ゛っ、い゛ゃ、あっ、あ」
「明るい場所での情事は医務室での事を思い出す。催淫の香に酔う君は積極的で妖艶だった」
泉から這い出そうと腹這いになって息を正している私を押しつぶすが如く覆いかぶさり、足を抉じ開け獣の様に後背位をとり熱い蜜壺に杭を埋める。ずるりと襞を擦り乍ら、怒張の先端は最奥の臓腑を叩く。粘膜同士を馴染ませる緩慢な動きは最奥の快感と相俟って発狂してしまいそうだ。呼吸は淫猥な呻きに変わり喉を仰け反らせて必死で悦に耐えようとしたが、阻むように律動が早まり動きに合わせて声の珠が零れ落ちた。激しく跳ねる水など最早意識の外にあり、留め金が壊れた口からは汚らしい音と共に銀の糸がまろび出る。筆舌に尽くしがたい詬辱を受けている筈なのに、快楽の波に溺れ彼の熱が愛おしいと感じる側面に混乱し泪が溢れた。
「う゛あ、きらいッ、ぁっ!あぅ、だい…きらいッ、!」
解放されたと同時に放たれた幼児の癇癪にも似た絶叫に抽挿が止んだ。熱い手のひらを冷たい私の肌に押し付けたまま凝然と。荒く呼吸をし異変に恐恐としながら、顔だけを背後にいる彼に向け様子を盗み見た。
愕然とした。視界の端に一瞬だけ写った彼の顔。すぐに動きは再開し更に激しく最奥へ向けて腰が打ち付けられるのでたので何かの間違いだと思った。この男が、傷ついた顔をするなんて。きっと、見間違いだ。
「い゛や、だ…あ゛ぁ゛っ」
「はは…っ、大丈夫だ、まだ掛かるが、もうすぐ、」
「も゛ぅすぐ…」
「そう、もうすぐだ。絶望、悲嘆、憎悪、様々な君の感情など関係なく、確実に狂気に堕ちている」
肉茎は硬度を増し腰を握る手にも力が籠められる。肉を握られる鈍い痛みよりも供与された悦が勝り、激しく 熱を摺りつけられた最奥が戦慄き、はしたなく汁を漏らしながら極致感を得た。短く呼吸を繰り返し苦悶の声の後に、だくだくと腹の中に精が放たれた感覚がした。
汗か泉の水か、しとどに濡れた背中に逞しい胸板が張り合われ互いの息遣いと、行為によって立った波が対岸に当たる水音が良く聞こえる。
「わたしは、何になるの」
「以前に一度説明したと思うが、覚えていないのならそのままで良い。君はオレと共にある人生が一番良いんだ。能動的できっと一番安全だよ」
「そうね、ありがとう」
いつもより僅かに幼い口調で語る彼の言葉に返すように口をついて出た言葉は明らかに私の意志に関係なく漏れた。手の甲で口を押えても遅い。
デイビットはまるで贈り物を賜った少年のような、酷く穏和で歓喜に満ちた表情で私を見つめていた。
「そろそろ戻ろう」
彼に取られた手は酷く震えていた。水に長く浸かり過ぎたからではなく、私に巣食う何かが私の身体を使い明確に意思を示した事が恐ろしくて堪らなかったのだ。
私は何に、なりかけているのだろう。