永世の病



 体が渇く様な倦怠感と異常な熱さに目を覚ました。起き抜けでぼんやりとした視界には真っ青な天井が広がっている。数回鈍く瞬きをして身動ぐと、圧迫感のある頭痛が後頭部を覆って私はまたきつく目を瞑った。
 此処はどこだったか。
 鼻腔に触れる香りは嗅ぎ慣れたものであったし、身体を包むブランケットの肌触りも心地よいものであるのに、自分がこの場所にいる事への違和感が拭えない。
 眠る前は何をしていたか。
 それはもっと思い出せない。私は何故、買った覚えのないクイーンサイズのベッドに沈んでいるのだろう。
 考えなくてはいけないのに熱に浮かされた頭ではどうにも思考が纏まらず、ぼう、と天井のどこまでも深い青を見ていると、不意に
、横たわる私の左側にある白木の扉が、小さな音を立てて内側に開いた。

「目が覚めたか。具合はどうだ?」

 入ってきた男は、やけに親しげに声を掛ける。
 彼の事は知っていた。けれど、容姿も声音も覚えがあるのに、名前が喉につっかえてしまう。
 男は眉根に皺を寄せ思案する私に微笑み、手にしていたトレーをベッドサイドに置いて、ベッドの空いているスペースに腰を落ち着けた。

「私、何故…眠っていたの。」
「昨晩浴室で倒れたんだ。体調が悪かったようだな。」
「ああ、どうりで身体が怠いと思ったら…。」
「食欲は?」
「…何も食べたくない。」

 囈言の様にぼそぼそと話す私に、男は「その様だな。」とまた微笑んで、私の頬に掌を添える。彼の手に私の熱が吸い取られて、ほんの僅かではあるが怠さが抜けた様な気がした。

「やはりまだ熱がある。薬を飲まなくてはいけないから、スープだけでも胃に入れてくれ。」
「テイストは、」
「ミネストローネ。安心しろ、セロリは抜いた。」
「…ふふ。」

「何か必要なものがあれば呼んでくれ。オレは書斎にいる。」

 優しい顔をした彼は私の汗ばんだ額に唇を落とし、来た時と同じ様に白木の扉から出て行った。
 真鍮のノブが上にあがるのを見届けて、重い身体を無理やり起こし彼が置いて行ったマグとスプーンを引き寄せて口をつけた。
 温かい液体に内臓が温まる。酸味と甘味が絶妙で、非常に美味しいと感じる。あとひと口、もう一口と匙をすすめれば、気づけばマグは空になっていた。
 満足した私はトレーに残っていた薬を水で流し込みまたベッドに潜り込む。
 きっと私は、この家で彼と暮らしていたのだろう。あの態度を見るに、彼は私を慈しみ、真心を持って接していたはずだ。もっと言えば、牢愛を受けていたのだ。
 何故思い出せないのだろう。
 食欲が満たされ臓腑が温まったからか、途端に眠気がやってきて、争う事なく瞳を閉じる。
 目が覚めたらまた彼は来てくれるだろうか。



「なまえ、起きているか?」

 私を呼ぶ声がする。
 くぐもっていたが、はっきりと耳に届く。
 眠りから覚め、頭まで被っていたブランケットをそろそろと顎の辺りまで下げると、目の前には声の主がいた。

「…デイビット?」

 真っ暗な室内に差し込む隣室の灯り。照明を背に受け、逆光で顔はよく見えなかったが、この家にいる私以外の人物といえば恋人であるデイビットしか居ないので名前を呼ぶ。
 彼は私が起きていると分かると、部屋の1番暗い照明のスイッチを押してベッドサイドに寄って来た。

「具合は?」
「食べて寝たら楽になった。もう大丈夫そう。」
「そうか。…熱もひいたな。」

 私の頬に触れながら、声音に安堵の色を浮かべて言う。照明の橙色に濡れた彼の顔は慈愛に満ちていて、本当に心配していたのだと今更ながらに思った。

「まだ夕食までは時間がある。もう少し眠っていろ。」

 話し方も顔色もいつも通りの私を見て彼は踵を返そうとしたから、咄嗟にブランケットの裾から出ていた手で彼の手を掴み引き留めた。デイビットは少しだけ驚いた顔をしていたが、何も言わずに私が包まっていたブランケットを捲り上げて侵入して私の背中に手を回し自身の胸に私の頭を抱き込んで目を閉じた。私はというと、自分でこの状況を招いたとはいえ病人の癖に至って健康な人間に感染のリスクがある行為をさせている事が悩ましく、彼の緩やかな鼓動を感じながら恐る恐る声を上げた。

「風邪、感染るかも。」
「そんなにヤワじゃない。」
「今眠ったら、夜眠れなくなるんじゃない?」

 デイビットはどうあってもベッドから出る気は無いらしく、はやく眠れと言わんばかりに背中を数回軽く叩いて私を黙らせようとしている。
 静寂と人肌の温もりが心地良い。外界の音はなにも届かず何者にも阻まれる事のない二人きりの空間で、ブランケットをかぶってひっそりと睦み合う私達は、身を寄せ合う弱い小動物にも似ていた。
 発熱は治った筈であるのに、胸の内側にじわりと熱が広がっていく感覚がして、これが幸せってやつなのかななんて馬鹿げた事を考えながら瞼を閉じて、眠りへと落ちて行った。

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