奇跡の作り方

 時刻は午前七時三十分。
 民家の庭から塀を越えて伸びる夾竹桃が鮮烈な色を放ち瞳に焼き付く七月の中旬。
 早朝にも関わらず気温は摂氏三十度を保ち、燦然と輝く太陽はランドセルを背負って重い足を引き摺る私達に容赦なく照りつける。

 半袖から伸びる腕がひりひりと痛み、無意識に掌でさすれば暑さにぐったりとしていた春千夜が「痛いの?」と問うて来た。

「ちょっとヒリヒリするだけ」
「ちゃんと日焼け止め塗って来た?」
「塗ってない。臭いもん」
「じゃあ痛いのも自業自得だね」
「…うるさいなあ。別に痛いから助けてなんて言ってないじゃん。関係無いのに口出さないでよ」

 ただでさえ暑くて気が立っているのに何となくした行為を深く掘り下げられた挙句正論をぶつけられ思わずきつい言葉が出てしまい咄嗟に春千夜を見やれば、案の定彼は不機嫌そうな顔をしていた。
 
「関係なく無い。名前ちゃんが痛がってんの見たく無いし」
「ああそう。心配ありがと」
「それに怒ってる名前ちゃんちょっと可愛いから意地悪言いたくなんだよね」
「何それ、ウザ」

 他愛もない話をしながらさして長くも無い通学路を歩み入った校内は日差しがない分幾らか涼しかった。
 春千夜とは別のクラスなので各々の下足箱に靴を入れ、一緒に階段を登って教室に荷物を置きに行ってまた廊下でお喋りをすると言うのがこの五年間の登校後のルーティンであった。
 小学校は基本的に三年に進級する時と五年に進級する時の二回クラス替えが設けられているが、私と春千夜は六年間一度も同じクラスになる事は無かった。
 どう言った基準で決めているのかは分からないが、入学当初から私達の仲が非常に良かった事が要因の一つとしてあり得る気がしてならない。
 この様に毎日顔を合わせているのだからお互いに話題など特には無い。ただ隣り合って通学路での会話の延長だったり給食の話など然も無い話をするだけだ。
 それでも、私と春千夜はお互いの教室の丁度中間位の場所に決まって集まる。

 夏休みまであと一週間を切り、教室内の空気は休み時間のみならず授業中ですら何処か浮ついていた。
 そんな中、朝のホームルームで先生が口にした「中庭の飼育小屋の兎が三羽死んだ」という事実は子供達の意識を冷めさせるには十分すぎる言葉であった。
 先生は死の詳細については一切語らなかったが、その声色は暗く重くただ死んだのではないという事は小学生の私達にも分かる。というのも、自然死であればが頭生き物が死ぬのは仕方のない事」だという一種の諦めが見える筈であるのに、先生にはそれが無い。それどころか表情からは狼狽や恐怖すら感じられた。
 兎が死んだ。たったそれだけの事実ではあるが、学校という狭いコミュニティではありとあらゆる噂が瞬く間に広まり口伝の度に尾鰭がついて行くものだ。

「中庭の兎、殺されたらしいよ」
「小屋の中に大人の足跡があったみたい」
「バラバラにされてたって。耳だけないんだってさ」

 子供というのは想像力が豊かである。小さな事件を小説や漫画の世界で起こる様な猟奇犯罪に仕立て上げ、代わり映え無く辟易する日常に色を足しては黄色い声で盛り上がっている。
 とは言え冷めた物言いをする私もその一人であり、噂を耳にした直後の行間休みに春千夜にも話してみた。

「へー。兎、死んだんだ」
「そっちのクラスでは先生何にも言ってなかった?」
「中庭が如何とか話してた気がするけど…忘れた。興味無ェし」
「でもバラバラになってたって。耳だけ持ってったんだって。犯人は絶対変質者だよ」
「…でも、考えてみ?兎が見つかったのって昨日の放課後から朝にかけての数時間だろ。放課後は先生が居て部外者は入れないし、夜は鍵が閉まってる。この学校は警備会社と契約してるから忍び込むなんてまず無理」
「春千夜?何が言いたいの」
「兎殺った犯人は学校奴って事」

 休み時間の廊下の喧騒がやけに遠くに聞こえる。
 皆が思っていても言わない考えを臆する事なく言い放った春千夜が私には恐ろしく見えた。
 私が何も言わないから、春千夜もそれ以上は何も言わない。平素は安寧を感じる二人だけの空間が酷く居心地の悪い物に思え、私は春千夜を置いて逃げる様にトイレへ駆け込み、予鈴が鳴るまで教室に戻ることはしなかった。


「名前ちゃーん。春千夜君が呼んでるよ」

 中間休みも残りわずか。五分もすれば予鈴が鳴るという頃、自分を呼ぶ声がして机の中から教科書とノートを取り出していだ私は視線を遣った。
 声の方向を見遣れば私を呼んだクラスメイトの女の子はもう自分の席に着いていて、扉が開け放たれた教室の入り口にぼうっと突っ立っている春千夜が取り残されていた。
 正直、今は春千夜とは話したく無い。さっきの会話の件もあり、中間休みは彼から逃げる様に図書室で過ごした。
 本当はそろそろ先生が来てしまうから私も席に着いて大人しくしていたかったのだが、彼とはしっかり目が合ってしまっているしここで無視すれば絶対に拗ねるだろう。それにクラスの子の目もあるので渋々立ち上がり彼の元へと駆け寄る。

「どうしたの」

 私の問いかけに応えない春千夜は長い睫毛を伏せ、唇を尖らせながらもじもじとしている。
 その姿は確かに可愛らしいのだが、こちらとしては今に先生が来るので早いところ要件を聞いて席に着きたい。中々口を開かない春千夜にやきもきしながら待てば、彼は蚊の鳴く様な小さな声で何かを漏らした。

「め…なさ」
「え?」
「ごめんなさい」
「何が?」
「中間休み、名前ちゃん来なかったから…さっきの話で怖がらせちゃったんだと思って…」
「…春千夜は悪くないよ。私こそ逃げてごめん」
「オレの事許してくれる?嫌いになんない?」
「許すもなにも怒ってないよ。嫌いにもなんない」
「よかったぁ」

 私の一言で彼の表情は顔色を窺う怯えた物から歓喜に変わり、私の手を強く握り締めて誰もを魅了する笑顔を見せる。
 温かい手に安堵したのも束の間で春千夜の背後に現れた先生が何か言いたげな顔をしているのを見て、私も彼も飛び上がって各々自分の居るべき場所に戻った。



「なんか教室の中変な匂いするよね」

 兎が死んで二日ほど経ったある日。掃除の時に誰かが言ったその言葉にクラスの皆は満場一致で同意した。
 変な匂いは昨日登校して来た時から臭っていた。何かが腐った様な匂い。
 ただし、それ程強く匂ってくる訳でもない。ふとした瞬間に鼻を掠める程度の物だ。

「給食残したの机に入れてる人居るんじゃない?」

 確かにこの茹だる様な気温では机に隠した残飯は痛んで臭う。
 なんて迷惑な話だろう、と雑巾掛けが終わった辺りまで机を運び始めると向こう側で同じく机を運び始めた女の子がよろめいて机を倒してしまった。
 大きな音とともに中身をぶちまけた机はえっちゃんの物で、倒れた女の子は黒板の掃除をしていたえっちゃんに謝罪しながら散らばった教科書達を掻き集める。私も運んでいた机を置いて、転がっていったクーピーやクレヨンを拾っているとあの臭いが鼻を突いて思わず顔を顰めた。

「ごめーんえっちゃん!今全部拾うか、ら…」

 不自然な途切れ方をした言葉に不思議に思って振り返れば、彼女はある箱に手を伸ばした状態で凍り付いており彼女の周りにいた男子達もそれを凝視し青褪めている。
 一言も発しない彼らが気になって集めたクーピー達を持って近寄り同じようにそれを覗き込めば、彼女達が見ていたものが分かってしまった。

 可愛らしい箱から転び出ていたのは六つの兎の耳だった。
 匂いの原因はこれだ。完全に変色し、毛も疎らに抜け落ちている。

「きゃああああああっっ!!」

 女の子が耳をつん裂く悲鳴をあげ、私達も我に帰った。そして、女の子は駆け寄って来たえっちゃんを突き飛ばし指を刺して非難する。

「中庭の兎、耳だけ見つかってないって…!あんたがやったの!?」
「なっ、違う!私知らない!」
「じゃあなんであんたの机から耳が出てくんの!?」
「知らないってば!」

 えっちゃんがどれだけ否定してもパニックになった子達は耳を貸さない。
 がなり立て、罵倒し、泣き出す子まで居た。

 悲鳴を聞いた誰かが呼んだ先生がその場を収め、掃除は中途半端なのにうちのクラスだけすぐに下校させられる事となった。
 次の日は普段通りに登校したがやはり教室内はえっちゃんの話で持ちきりで、えっちゃんは学校に来なかった。

「生き物殺すとかありえない…しかも飼育委員だったよね。普通餌とかあげてたら愛着湧くもんじゃない?それをあんな殺し方して…絶対頭おかしーよ」

 仲良しのちーちゃんが険しい顔でえっちゃんを非難する。
 私はうんともすんとも言えなくて、只ちーちゃんの言葉に相槌を打っていた。
 あの時。皆が一様に喚く中、私は一人納得していた。
 兎の事件とえっちゃん。校内の人間が犯人だと言った時の春千夜の得意げな顔。
 全ては春千夜の仕業だったのだ。

 えっちゃんという女の子、いや女はどうにも以前から私の勘に触る人間だった。
 顔も可愛くて頭もそこそこ、絵も上手いから友達も多くて皆の人気者なえっちゃん。
 それだけなら私だってえっちゃんの事が好きになってたし、疎む理由も特に無い。
 ただ、この女は私の一番の仲良しであるちーちゃんと一等仲が良かった。
 私がちーちゃんを遊びに誘えば「ごめん、先に約束しちゃったから…」と彼奴の名前が出てくるし、課外学習の班分けも彼奴と組むからと断られた。そして彼奴は決まって、ちーちゃんの後ろで得意げな顔をして私を見下す。
 一年生の頃からそうだ。ちーちゃんの中の優先順位はえっちゃんが一番で私がその次。天秤はいつも彼奴に傾いている。

 それが気に食わなくて私はえっちゃんの事が大嫌いだった。
 いつだか、課外学習の班分けでちーちゃんを盗られた日。憎悪が積もりに積もって酷く不機嫌だった時があった。
 一緒に下校していた春千夜はそれにいち早く勘付いて、私に問う。

「何か怒ってる?」
「別に怒ってない」
「嘘。なんかあった?」
「…クラスにムカつく奴がいるの」
「誰?」
「うちのクラスのえっちゃんって奴。いっつも私からちーちゃん盗るんだもん。しかも私の事ナメた顔で見下すの」
「友達盗られたから機嫌悪いんだ?可愛い」

 自分から聞いておいて茶化す物言いに鋭く睨み付けても、春千夜は臆す事なくヘラヘラと軽薄に笑ってみせた。

「ちーちゃんとは五年間同じクラスで女の子の中では一番仲良しなのに、幼稚園がおんなじだっただけのあいつの方が仲良しなんて意味わかんない。親友だと思ってたのは私だけなのかな」
「総合したら?」
「は?」
「女も男も全部合わせた中で名前ちゃんの一番の仲良しは誰?」
「それは春千夜だけど…」

 今それ関係ない、そう続けようとして止めたのは、春千夜がとても“良い顔”をしていたから。
 何かを企んでいる時の彼の顔が私は好きだ。それは見た人全てが美しいと評する眩い笑顔であるから。そして、その企みは必ず私を喜ばせる物であるから。

「わかった。近々良いモン見せてあげる」


春千夜はいつも私の期待に応えてくれる。私が大嫌いな女は消え、その評価は地に落ちた。私より彼奴を優先していたちーちゃんですら彼奴を「最低」と罵り冷たく突き放している。
 ざまーみろブス。ちーちゃんが話している間、私は何も言えなかった。少しでも口元を動かせば口角が上がってしまいそうだったから。

「名前ちゃーん。春千夜君が呼んでるよ」

 私を呼ぶ声に顔を上げれば、声の主であるクラスメイトの脇で手をひらりと振る春千夜の姿があり、私はちーちゃんに断りを入れて彼の元へと向かった。
 にこにこと何かを待ち侘びるその顔は幼稚園の時と変わらない。彼は褒めて欲しいのだ。
 私の為に挙げた成果を認め、その健闘を賛美して欲しいのだろう。

「良いモン見せてくれてありがと」
「名前ちゃんの為なら何でもするよ。だってオレは名前ちゃんの一番だもん」

 花の綻ぶ様な笑みを湛える春千夜は夾竹桃だ。
 美しい見て呉れをしているのにその全てに毒がある。不用意に触れれば忽ち毒に侵され中毒を起こすが、扱いを間違えなければ薬にもなる。
 春千夜も適切に、慎重に扱わなくてはならない。彼の前ではどの命も平等なのだ。きっと私もお気に入りを外れれば兎の様に簡単に“手段”として殺められてしまう。
 緊張感に喉が鳴ったが彼を怖いとは思わなかった。
 私には間違わない自信がある。私が臆して彼を裏切らない限り、彼は私に従順なのだから。