Third
厨房というのは料理人にのみ立ち入りが許された神聖な場所である。という事も無く、此処ナイトレイブンカレッジ 大食堂の厨房は希望があれば生徒にスペースを貸し出す事もある。彼等が此処を利用して作るのは、先輩の夜食だったりお菓子だったり様々であるが今日来た彼は幼馴染みへ献上するタルトらしい。
三年生でハーツラビュル寮の副寮長であるトレイ君は度々此処へ来てはお菓子を作って行く。何でも、規則に厳しい寮長のお気に召すタルトは自分の手作りでなければならないとの事だ。
「ナマエさんこんばんは。」
「こんばんは。今日は遅いのね。」
「アーリーモーニングティーの時に出すタルトを作らなくちゃいけないんですよ。ナマエさんは朝食の仕込みですか?」
「朝の仕込みは終わったんだけど、新メニューの試作をしなくちゃいけなくて。私と一緒に厨房を使う事になっちゃうんだけど良いかな?」
「勿論。邪魔にならない様に気を付けます。」
彼は5つ以上年下である筈なのだが、私よりも大人びて見える。時々疲れた顔をして溜息を吐いているのを見掛けるが、気遣いも出来て何より優しいお兄さん気質の彼は面倒見が良さそうに見えるので後輩達の面倒や寮長に関して気苦労が絶えないのだろう。
やはり何処か草臥れた表情を浮かべながらもオーブンを温め始めた彼を横目に、私も早速自分の作業に取りかかった。とはいえ今日の料理は前日に仕込みをしておいたので簡単に出来上がる。
昨日のうちに2時間煮込んで置いた凧糸で括った豚脚を取り出して水気を拭き取り、オーブンで20〜30分程焼き上げるだけだ。トレイ君が使うオーブンとは別に温めておいた料理用オーブンに豚脚を並べて突っ込み、今日の調理は完了である。
「トレイ君、手伝おうか?」
「でもナマエさんも作業があるんじゃないんですか?」
「焼き上がりを待つだけだから今は手が空いてるの。ぼうっとしてるのも暇だしする事があれば。」
窯の蓋を閉じて彼に振り返れば、生地を練る手を止めて僅かに思考し「それじゃ、苺を飾り切りしてもらえますか。」と言う。その言葉に頷き、彼が作業している調理台まで移動してまな板と包丁をとり出し、籠の中から数十個の苺を取って一つづつヘタを落としてから細かく包丁を入れた。実は彼のタルト作りを手伝うのはこれが初めてでは無い。彼の幼馴染みであるハーツラビュル寮寮長は苺のタルトが好物の様で、その飾り付けに使う苺の処理を何度か仰せ遣っている為其の勝手は分かっていた。
「ローズハート君は本当に苺のタルトが好きなんだね。」
「色々事情があるんですけどね…。」
「お家が厳しかったんだっけ。でも一番初めに食べたのがトレイ君のお家のタルトだったのなら好物になるのは分かる気がする。いつも持っていくタルトも宝石みたいにキラキラしてて味も最高なら誰だって虜になってしまうもの。」
「俺のはまだまだですよ。だからこうやって練習してる訳ですし。ナマエさんみたいに料理を職業にしてる人の方がずっと凄いです。」
「面と向かってそう言われるとお世辞でも嬉しい。ありがとう。」
泡立て器がボウルに触れる軽い金属の音と包丁がまな板を打つ音が、私達の会話に混ざって溶け合っている。普段無心で流れ作業の様に料理を熟している身としては、誰かと共に会話をしながら一つのものを作るというのは新鮮で心が躍る物がある。さもない会話を続けながら手の動きは止めず、着々と段取りが進む中、ダイニングの方から物音がして、私達の視線は後方へ注がれた。
確かに消灯した筈のダイニングは明るく照らされ、厨房の入り口には先程まで無かった大きな人影が立っている。
「あれ、お前はディアソムニアの。」
「セベク君?早いね。そんなに急がなくても大丈夫だったのに。」
入り口から調理台までは僅かに距離があるものの、冷たさを孕む彼の瞳ははっきりとこの目に焼き付いた。それでいて眉尻は下がっているのだから、彼が今どんな感情を抱いて私達を見ているのかは読み取れない。
私の言葉にもトレイ君の言葉にも返答せず只黙って立ち尽くす彼に違和感を覚え手にしていた包丁を置いて彼の元に歩み寄ると、彼はハッとして引結んでいた唇を静かに動かした。
「今日は約束の日では無かったか?」
「うん?」
「僕との約束が有りながら、何故貴女は人間と菓子を作っている。」
いつも大きな声でハキハキと話す彼らしくない、しおらしくも噛み殺す様な呟きに驚いた。けれども、その内容を聞くに彼は自分との約束を反故にされたと勘違いをしている様であったので、トレイ君に対する怒りを沈める為にもすぐに弁解に努めた。
「あの、違うのよ。料理はもう出来てるわ。焼き上がりを待つ間、トレイ君のタルト作りを手伝うって私が言い出したの。勘違いさせたのなら謝るよ。ごめんね。」
「…え?」
「なんだ、ナマエさんの試作を食べられるのはセベクだったのか。」
助け舟の如く発せられたトレイ君の言葉も相まって、自身の勘違いだと気付いたらしいセベク君の白い肌が首元から紅潮していき手の甲で口元を押さえている。そして大きく息を吐き腕を引いてトレイ君が待つ調理台へと私を連れて行くと、私とトレイ君に対して深く腰を折り頭を下げたのだ。
突然の出来事に私もトレイ君も激しく動揺し彼に声を掛けたが、セベク君は頭を垂れたままいつもの大きな声で謝罪を述べる。
「勝手に勘違いをして機嫌を損ね、上級生や女性に対して失礼な振る舞いをしてしまい申し訳ない。」
「お、おい。気にするなって!俺としてはそんな理由で別の寮の後輩に頭下げられる方が困るっていうか…!」
「そうだよ顔上げて!謝る必要ないよ。私がお願いしておいて料理用意してないなんて、勘違いでも腹立つに決まってるし!」
口々にフォローを入れても頭を下げたままのセベク君に全て跳ね除けられてしまい、平行線を辿る攻防は20分程度続いた。選ぶ言葉も尽きて辟易した私はオーブンから漂う香ばしい香りで閃き、頑として頭を上げないセベク君に向かって「そろそろ焼き上がるからダイニングで座って待っててよ。」と努めて優しく声を掛けた。やっと顔を上げた彼に、トレイ君は一層草臥れた顔を見せている。彼の本命であるタルト作りは全く進まず、要らぬ気まで使ったのだから当然だろう。
セベク君の背を見送って、引き出しに閉まっていたミトンを取り出してオーブンの窓を覗き込むと、こんがりと良い色になった豚脚が時折油を跳ねさせて、皿に盛り付けられるのを待っている。窯の蓋を開けば、外に漏れていた香ばしい匂いはより濃密になり熱気と共に私の顔を掠めて抜けていった。
この素晴らしい出来のローストを皿に乗せ、脇にはザワークラウトとベビーコーンのピクルスを添えてシュバイネハクセは完成する。香草や香味野菜と共に2時間煮込んだ風味の濃い豚脚を仕上げにローストする事により、皮はぱりっと中は解ける様な舌触りになるのだ。
「そうだ、トレイ君も味見してくれない?タルトは完成まで私も手伝うから。」
「良いんですか?実は良い匂いがしてたんであわよくば俺も御相伴に預かりたいなと思ってたんですよ。」
「もしかしたら夕食のメニューに並ぶかもしれないから、気になることがあったら教えてくれると助かる。」
我ながら非常に出来の良い其れを背筋をピンと伸ばして姿勢良く腰掛ける彼の前に運び、その隣に腰掛ける。カトラリーを握って皿の上を凝視する彼の瞳は、トレイ君が作る苺のタルトの様にキラキラと煌めき、きっと私が「召し上がれ」と言うのを待っているのだろう。律儀に“ステイ”する彼が、クルーウェル先生ではないがまるで仔犬の様で食事を勧めるその言葉をすぐに言ってしまうのは少しだけ惜しい気がして焦らしてしまう。
そわそわする彼が面白くて眺めていたら不意に彼が此方を向き、望む言葉を中々口にせずにやつく私が期待の色味が強い彼の瞳に写っていた。
白々しく「ん?」と声を上げれば、彼は唇を結び瞬きを繰り返す。犬の様な彼が可愛らしくていつまでもそうして居たかったのだが、なんだか可哀想になってしまい遂に彼が待ちわびる言葉を掛けた。
仔犬のように良い子で待っていた彼は、犬の様にがっついたりはせずお行儀良くナイフとフォークで豚脚を切り分け一切れを丁寧に口に運んだ。
「む、美味しい!」
簡潔に、率直な意見を頂いた。そうか美味しいか。まだ試食に付き合ってもらい始めて2日しか立って居ないが、この笑顔を見る為に眠い目を擦りながら料理を作っている節がある。眉尻が上がり瞼は猫の様に細められ、大きな口はその端が引き上がって年齢よりも幼く見える無邪気な笑顔が、業務に疲れた私に堪らなく喜びを与えてくれるのだ。
暫くしてトレイ君が厨房から此方へやって来た。彼は私とセベク君の向かい側に腰掛け、カトラリーを手に取って肉の欠片を口の中へ放り込む。数回咀嚼してから眼鏡の奥に光る金色の瞳を大きくして口角を上げて此方に視線を向けた。
「美味いな…。」
「それは良かった。食堂で出しても大丈夫かな?」
「大丈夫どころじゃ無いですよ。もし出すなら多めに作っておいた方が良いですよ。絶対捌けるから。」
セベク君とはまた違う、何故か異様に説得力のある褒め言葉に表情を緩めていると不意に名を呼ばれ、隣を見遣れば目の前にはフォークに刺さった豚肉が突き付けられていて思わず寄り目になってしまった。昨日も似た様なことがあったな。
「セベク君、これは。」
「今日も自分の分は用意して居ないのだろう?」
昨日リリア君がした様に「あーん」しようとしているセベク君を、向かい側に座っているトレイ君が口を開けて凝視している。口に入れようとしていた豚肉を取り落とす程度には、セベク君の行動に驚いている様だ。
一向に口を開こうとしない私の唇に少し冷めたシュバイネハクセが触れる。昨日と同じであるが自分の唇に付いた物を「要らないので食べてください」とは言えず、観念して頬張れば、彼は満足そうに微笑んで食事を再開した。トレイ君は未だに此方から視線を離せない様だった。
「ナマエさん。」
「はい。」
「此奴はいつもこんな感じなのか…?」
「いつもと言うほど一緒にいないから分からないけど…。これはリリア君の真似をしただけだと思う。ね、セベク君。」
「其れも有る。」
「其れ“も”、ね…。」
私とトレイ君のやりとりはセベク君にも勿論聞こえているのだろうが、彼は素知らぬ顔をしてカトラリーを持つ手を止める事はしなかった。そして本日も皿の上には野菜クズひとつさえ残らず、二人は綺麗に完食してくれた。
「じゃあ私はお皿洗ってトレイ君のお手伝いして帰るから、セベク君とはここでお別れだね。」
「いや、終わるまで待つ。」
「時間掛かるよ?」
「構わない。」
「あー、ナマエさん。タルトは俺一人で作れるから手伝って貰わなくて大丈夫ですよ。」
言い出したら聞かないセベク君に困っていると、トレイ君は何処か気不味そうな表情で目を泳がせながら言った。私が強引に試食に付き合わせたのだからそうはいかないと食い下がるも、必死に断られてしまえば此方としてもこれ以上はでしゃばる事が出来ず、私はさっさと食器を片付け、トレイ君に謝罪の言葉と消灯をお願いして大食堂を後にした。
「…トレイ君、なんだか様子がおかしかったね。」
「…ああ。」
「様子がおかしいと言えばセベク君も。今日はあんまり元気が無いみたいだけど、具合悪いの?眠い?」
鏡の間までの静寂に耐えかねて声を上げると、今まで一歩前を歩いていた彼が突然歩みを止め、止まり損なった私は彼の硬い背中に鼻を思い切りぶつけてしまった。じわりと痛みが滲む箇所を手で押さえ、思わず後頭部の辺りを仰ぎ見れば彼は徐に振り返り私を見下ろした。細い瞳孔が沈むグリーンの瞳が月明かりを受けて鋭く光り、しっかりと私を捉えている。彼の表情は先日鏡の前で見せた物に良く似ていて、私はその小さく動く唇が言葉を紡ぐまで何も言わずにその顔を仰ぎ続けた。
「こんな事を言う権利が無いのは分かっているんだが。」
私を捉えていた視線が下方へ逸れたと同時に漏れ出した短い言葉は、やはり彼らしく無い弱々しい響きをしている。
「試作品を僕の為に用意しているなら、他の者には与えないで欲しい。」
「理由を聞いてもいい?」
「理由、は無い…。ただ僕の為に作った料理を他の者が食べているのはその、見ていて胸騒ぎがする。」
下尖った犬歯で唇を噛み二の句を継がない悲愴と困惑の混じった複雑な表情をした彼に、私は僅かにだが顔に熱が集まる感覚を覚えた。
勿論彼にそのつもりは無いのかもしれないが、その言葉は聞き様によっては自分の為の料理を他の男に食べられて嫉妬しているとも取れるのだ。確かに、これは妄想な発想かもしれない。歳の離れた子供の言葉にときめきを覚えるのは異常だとも思う。
「あ、わ、分かった。次から気をつけます…。」
「本当か!?」
「私がセベク君にお願いしたのに、セベク君のお願いを聞かないのは不公平と言うか…あの、他意は無いから。断じて。」
煌めく瞳から、今度は私が視線を逸らしてしまった。成人の癖に女学生の様に胸を弾ませ動揺してしまう自分が酷く恥ずかしくて、ただの申し出を深読みして自分に都合の良い方へ解釈する自分が浅ましく感じられ居た堪れなかったのだ。
彼にとって私は只の食堂の料理人。あの日のお昼の出来事を恩に感じて私の頼みを聞き入れただけ。分かっているのに鼓動は速まる一方で、どくどくと鼓膜を揺らしている。
「どうかしたか?む、顔が赤い様な」
「あ、あ…!な、なんでもない!此処で大丈夫です!おやすみ!」
それ以上何も言わずに俯く私を不審に思ってか、腰を屈めて顔を近づけた彼に向かっておざなりな返事をし、彼を置いて半ば逃げる様に私は寮へと戻ったのだった。