奇跡の目
私達の生はいくつもの奇跡の上に成り立っている。それを偶然と呼ぶものもあるが、私は奇跡と呼称する。
名字家の代々一番はじめに生まれた女に脈々と受け継がれている霊媒治療術と私の魔眼はその奇跡に拠って齎されたのだと母は言っていた。
魔眼といえど、私のそれは大して希少ではない。
私のそれは、対象を見るとそれが“近づいてはいけないもの” “私に危険を齎すもの”なのかどうかが分かると言った単純なもので、未来視の下位互換でしかない。
例えば、子供の頃に同じ学校の子が車に轢かれて重体になった通学路の四つ辻も、妹がつまづいて転んで足の骨を折った自宅の庭も、私はそれを“見て”回避し難を逃れた。
誤解のないように言っておくと、私に見えるのは事故や事件のビジョンではなくその場所や人物によって何が起こるのかは分からないし私が避けたことにより誰が巻き込まれるのかは皆目判らない。
私に見えるのは青い光。それだけだ。
光は、核反応の際に発せられるチェレンコフ放射光に近い。小さな破裂音と共に青い光が私の視界いっぱいに広がり、波のように退いていく。経験から言うと、事の大小に問わず被害を被る未来があれば光は現れその青の瞬間が長ければ長いほどに危険性が高くあるのだ。これは私にしか理の無い魔術で、利用価値は0に等しい。そんな私に、機関は早々に医療班への配属を決定した。適性検査にて、私のレイシフト適性が著しく低く、コフィン内で「バラけて」しまう危険性があるのだと検査担当が口籠もりながら説明していた。
元々霊媒医師をしていた事もあり、私も、家族も、人類史存続へ「マスター」として貢献できなくとも、間接的に補助として関わることができるのであれば充分であると考え、決定に異議を唱えることはしなかった。
医療スタッフとして働き始めて半年ほどだったある日のこと。
「奇跡の目」は彼を「駄目な人」と認識した。
夜間シフトの担当になっていた私は、夕食時に賑わう食堂で注文した軽食を手に、医務室へ向かっていた。
この施設はとにかく広く人が多いというのに、この時間帯の医務室近辺には誰も居らず、静寂に包まれた廊下には私の足音しか聞こえない。
何故こんな離れた区画にに医務室を作ったのかと疑問を抱えながらもロックを解除する為ドアに手を翳した。
聞き慣れない電子音が鳴り、思わず声が漏れ出した。普段は小さく一度しか鳴らないのに、エラーでも出してしまったのだろうかという焦りからくるものだ。そしてもう一度手を翳そうと認証機械に向かって指を持ち上げた刹那、スライドドアがいつもの様に開いた。エラーでは無かったのかと安心する間も無く視界に飛び込んできたのは、純白の室内ではなく人型をしたシルエットと、破裂音と共に「奇跡の目」が齎す警告の青であった。
その上、今回の青はいつもとは違っていた。
青の時間が異常な程に長いのだ。四つ辻の事故の時でさえ3秒程度であったのに、眼球をぐるりと彷徨わせてもまだ青以外が視界に入らない。今までに無い事態に驚愕しながらも、私は悟った。
“駄目な人”が目の前に居る。
恐怖が滲み出すこの感覚で、喉がひくりと動き背中には汗が浮いていた。この場から離れたい。離れなくてはと頭では理解しているのに足が竦んで動けない。
「どうした。」
動こうとしない私を不審に思ったその人物が発した声で青が退き、世界が戻ってきた。
目の前には、私に目線を合わせ表情を窺う男性の姿がある。室内のLED照明が照らして影を落とす、凛々しく端正であるが感情が読めない顔に寒気がした。無礼を承知で視線を逸らし、出来る限り平静を装いつつ適当な返事をしその場を駆け出していた。極めて無礼で厭な女だと思われただろうがそんな事は些事であり、これから起こり得る災厄を回避する為に私は一刻も早く彼から離れなくてはならなかった。
そして当直の為、理由を説明し同僚について来てもらい再度医務室へ足を運ぶと既に彼の姿は無く、シフト中も怯えながら過ごしたがその夜に彼が此処へ来る事はなかった。
再度青を見たのはシフト明けの朝、朝食を摂りに食堂へ向かう廊下での事である。
「名字名前。」
呼び声に振り向いた瞬間に広がる青が、昨夜の人物を思い起こさせた。漣の様に青が引き、現れたのはやはり昨日の男性であった。しかし、当然ながら自身に危険を齎す人物と、私は交流を持とうとは思わない。彼は見知らぬ人間だ。何故彼は私の名を知っているのだろうか。そして、何の目的があって私を呼び止めたのだろう。
視界が晴れて元の風景が戻ってくる。彼は昨夜と同じ様に、立ち尽くす私を覗き込んでいた。その顔は、造型は美しいのだろうが、彼に対する恐怖が大きい私にとってはあまり見たくは無いものだ。
目を逸らして廊下の隅を見つめる私を余所に、強張っているであろう顔を彼はジッと眺めていた。
「あの、何か。」
「何に怯えている。」
その視線に耐えきれず戦慄く唇で言葉を紡げば、質問には答えずに私の様子を問い正す。
それもそうだ。まともに言葉を交わした事も無い人間に、顔を見る度にビクつかれては不愉快だろう。私だって彼の立場になったら鬱陶しくて敵わない筈だ。
「怯えてなんて…少し驚いただけで、」
「オレの顔を見た瞬間の君の様子は、狼に遭遇した旅人其の物だった。その弁解は通用しないと思うが。」
「私に用があったのでは…?」
「此れが用だ。オレを見て逃げ回る理由を教えて欲しい。」
如何あっても引く気の無い彼に辟易し、小さく溜息が漏れる。この人物が、自身に怯える女に詰め寄る為に早朝から探し回り、此処で無益な時間を費やす事に何の抵抗も無い人間には見えない。 シフト明けの眠気と此の言いようの無い圧から開放されるのであれば、理由を話してしまっても良いとさえ思えてくる程にこの空間は居心地が悪かった。此処の職員であれば魔術や魔眼についてもある程度の知識がある筈だ。
「私の眼が貴方を危険だと言っているからです。」
「…君は未来視の魔眼持ちなのか。」
「未来視と呼べる程の物じゃありませんけど。貴方が私にどんな形で危険を齎すのかは分かりません。ただ青を見せただけで。」
「青?」
「…産まれた時から、私に危険を齎す可能性のある場所や物を見ると、視界に青が広がるんです。その大小は青の持続時間で測られますが、昨夜貴方を見た時は、人生で一番長く青が見えました。貴方は私の人生の中で最も危険な人物だと認識している。だから貴方を恐れる。それだけです。もう良いですか。」
早口で捲し立ててから後悔した。あまりに失礼な物言いをしてしまったのでは無いかと。危険人物であるのなら刺激しない方が良かった。もっと暈した言い方があったかもしれない。逆上して、彼が「予定通り」に私に危害を加えるのでは、と背筋が凍る私を余所に、彼の口から発せられたのは意外な言葉であった。
「そうか。」
「…え。」
彼はその一言だけを残し先程までの執着を一切潜め私を置いて去っていった。遠ざかる背中を茫然と見つめながら、私は暫く、その場から動く事が出来無かった。
「名字さん、彼と知り合いだったの?」
あの出来事から、彼からの接触は無かった為私への興味が失せたのだろうと思っていた。しかしその期待は杞憂であったと、すぐに打ち壊される事となる。
残業を片付けていたDr.ロマンが、深夜シフトの為に医務室を訪れた私に言った言葉。
Dr.の言う「彼」に、特に心当たりのなかった私は、その人物について尋ねると彼の表情は一瞬驚愕の色を浮かべたがすぐに微笑み「またまたぁ」と言葉を続けた。
「マスター候補生Aチームのデイビット・ゼム・ヴォイド君だよ。友達なんだって?君に会いにさっきまで此処に来てたんだよ。」
「デイビットって、誰ですか…?」
「え…。」
顔面を蒼白とさせ紡ぎ出た私の言葉に、彼は、今度こそ其の顔に驚愕を浮かばせ言葉を失った。
「もしかして、金髪で背の高い男の人…ですか。」
「う、うん。」
「…Dr.は私の魔眼についてご存知ですよね。」
「未来視の魔眼だよね?危険がある物を見ると青が見えるっていう。」
「そうです。昨日のシフト前、医務室に彼が居て、彼を見た瞬間に青が見えたんです。それも、今までに無いくらい長い時間見えていて、私怖くてその場から逃げ出してしまいました。そうしたら今朝彼がその様子を問い詰めてきて、魔眼について話してしまったんです。でも、それを聞いた彼はあっさりと離れていったから、興味も失せたんだろうと思ったんですが。」
耳に届いた自身の声は驚く程冷ややかで落ち着いていた。たったあれだけの接触であるのに、友人と偽ってまで執拗に嗅ぎ回る人物がいるというのは酷く気味が悪く、心の底から恐ろしい筈であるのに。
「僕から話そうか。」
「え、」
「君が怖がっているから接触しないようにって。」
真剣な面持ちで言う上司は、非常に心強かった。医療部門トップという役職にいる彼の言う事なら、あの青年も聞かざる終えないだろう。
「良いんですか?」
「部下が安心して職務を全う出来るよう手を回すのも上司の務めだよ。」
「ありがとうございます…!」
「うんうん。名字さんには暗い顔は似合わないからね!さて、僕はそろそろ部屋に戻ろうかな。」
Dr.は、書類を纏めマグに残ったコーヒーを煽りながら立ち上がり私の肩に手を置いて医務室を出て行った。
此れで彼の存在も、関係と呼べる程でもない関わりも、人生に於ける数少ない奇妙な経験のひとつとなって記憶の片隅に追いやられ、今回もまた青のお陰で危機を回避出来たのだと思い込んでいた。
「失礼する。」
深夜の医務室の扉が開く、ほんの数時間前までは。
声を上げる間もなく押し入って来た人物の姿は青の後で視覚的に識別出来たが、私は青を見た瞬間にそれがデイビットという青年である事を知っていた。
彼は、青に目が眩む私の目の前に腰掛けその様子を観察している。
数回の瞬きの後で、私の瞳が自身を捉えていると認識した彼は今度こそ決定的な言葉を投げかけた。
「君の眼は素晴らしい物だ。是非手元に置いておきたい。」
彼は、私の眼が欲しいと言った。眼をくり抜いて移植したいのか、この能力を利用したいのか、その真意はこの際どうでもいい。私の一部が彼の所有となる運命に、この眼は警鐘を鳴らしていたのだ。
「嫌です。もう関わらないでください。」
「まあそうだろうな。」
「帰って。」
毅然と言い放った言葉。その声は震えていた。
「君が見る青は、破裂音を伴うのではないか?」
彼の言う事は正しかった。教えた筈のない眼の性質を言い当てられ、私は今度こそ閉口した。
「例えるならば核融合の際に見られるチェレンコフ光の様な青。君のそれは、魔力に事象が反応しで起こるものだ。つまり、核融合のエネルギーに匹敵する魔力が、対象に遭遇した瞬間に体内で生成されているという事になる。」
淡々と述べられる見解が正確な物なのかはわからない。この原理には誰も到達できなかったのだから。
この男に接触する度に青を見る私と、私の青を手に入れたい彼。彼が私を側に置けば、青を見る度に生成される魔力を利用する事が出来る。謂わば死ぬまで膨大な魔力を作り出す永久機関となるのだ。
「君の承諾は必要ない。身の安全も保障しない。まあ、ある程度の望みは叶えても良いとは思っているが。」
「ど、Dr.に報告してますから…!職員に対する振る舞いにはもう少し気を使って、」
「所長には話をつけてある。」
「は…?」
「彼女は君の眼を未来視の魔眼の下位互換だと断定したのだろう。その可能性を鑑みず一般職員として採用するなど、機関を統括するものとしてあるまじき行為だ。君が捨てた物に利用価値を見出したと進言したら、好きにしろと指示が出た。今日を以て君はオレの研究対象であり、所有物だ。医療部門のトップが何を言おうがこの事実は揺るがない。諦める事だな。」
存外よく喋る男だと思った。寡黙そうな雰囲気であったのに、目的と結果だけをつらつらと並べ、表情を変えずに機械的に「諦めろ」と言った彼に、体温が下がる感覚を覚えた。
「オレが何処へ行こうとも、君は逃げられない。逃れられたと思うのならば其れはただの希望的観測に過ぎず、結果としてオレの元へ戻ってくる事となるだろう。」
震える私の頬に触れ、恍惚と言い放った彼は、目的を遂げたのか医務室を出て行った。
触れらた箇所が穢らわしくて手の甲で頬を擦れば、何故か濡れていて、驚いて再度手を当てれば瞳を伝い水滴が零れ落ちていた。
私と彼はそれ以降会っていない。何故なら、あの後すぐにあの事故が起きて、彼の肉体は冷凍保存されていたから。そして、世界を救ったとある少女の敵として、異聞帯なる領地を収める存在になってしまったから。
彼が生死の境を彷徨いながら眠っている間は、このまま目覚めなければ良いと何度考えた事だろう。例え目覚めたとして、人理修復を遂げた後、私が此処から去って仕舞えば二度と彼と接触する事はないのだから。
「オレからは逃げられない。」
それでも彼は夢にまで出て来て、横たわる私の瞼をなぞりながら、温度も抑揚もない声で言うのだ。腐った果実を押し潰す如く、その指はゆっくりと眼孔に突き刺さる。泥濘となった私の眼に触れ、ずるりと引き抜いて満足そうな面持ちを見せる彼の姿が、瞳などない私にははっきりと視認できた。その姿はまるで私が抱く希望を粒子になるまで打ち砕こうとしている様であった。
「名前さん?」
ノウムカルデアの医務室にて、彼方へ意識を飛ばしていた私は、藤丸さんの声に引き戻された。
彼女の健康管理は管制室が行っているから、彼女が此処にくる理由はカウンセリングに他ならない。世界の為に死闘を潜り抜けて来たとはいえ、本質は年頃の女の子なのだ。
カウンセリングとは言っても、お茶を飲みながら適当な話をするだけ。それで彼女の気が少しでも晴れるのならと、カウンセラーという体裁を以て彼女の話を聞いている。
「珍しいですね。名前さんがぼーっとするなんて。」
「少し考え事してたの。ごめんね。」
「さっきまで私がしてた話も聞いてなかったって事?」
頬を膨らませ机に顎をつけて此方を睨む藤丸さんに、私は慌てて弁解した。相談相手が話を聞いていなかったなんて、私の存在理由が無くなってしまうから。
それを見た彼女は、むくれっ面を一転させて悪戯な笑みを浮かべ体勢を立て直し、手元にあった緑茶を一口飲み下した。
「じゃあ教えてくれますよね?」
「何を?」
「だから!名前さんの恋人の事ですよ!」
「恋人…?そんなの居ないよ?」
「えー?だってマシュや他の職員の方達、それにカドックも言ってましたよ。」
Aチームのあの人と付き合ってたって。
彼女は、太陽の瞳を私に向けてそう言った。あの人って誰?何て聞くまでもない。
あの男は、カルデア中に根回しをしていたのだ。私と自分自身の関係を概念として皆に植え付け、私が彼と深く繋がっているという虚偽を真実として確立させた。口止めまでして。
「はは…。」
「…名前さん?」
彼の言った通りだった。私は逃げられない。ゼムルプスが私の話をしていたという事は、クリプターがカルデアから姿を消した後もアナスタシアの襲撃を生き延びていると認識しているという事だ。
「オレが何処へ行こうとも、君は逃げられない。」
デイビットのあの言葉は嘘ではなかった。彼がこの世にいる限りこの青が消える事はないのだ。
「藤丸さん。」
「なんですか?」
「デイビットに会ったのなら話し合いなんて考えないで、私の為に殺してよ。」
彼女にこの言葉が届いたかは分からない。医師である私が人の死を願う事は許されない。それも、輝かしいこの少女に殺して欲しいなんて。
けれど私の本心だった。私か彼、何方かが生きている限り私が逃げ延びる未来はない。汎人類史が彼に敗れ淘汰されたとして、私は彼に奪われる。唯一の道は彼の死のみ。
彼が異聞帯と共に死にゆけば、あの長い青は彼の存在と共に消えるだろうか。