また会いましょう
運命とは何か。意思に関わらず訪れる、幸や不幸を齎す力である。星の巡り合わせ、導きとも呼ばれる其れは、科学では証明する事が出来ない概念である。
『女の子って何で出来てるの?』
『お砂糖とスパイス、』
『それと、何か素敵なもので出来てるのよ。』
マザーグースは強ち間違っては居ないと、幼児ながらに思っていた。
女の子という言葉は、未成熟の生物学上の女性を指すので有るが「女の子」という概念はそれとは違う。背丈が低く控えめで、甘い香りと綺麗な髪の毛、白い肌にふっくらとした薔薇色の頬。大きな瞳を縁取る長い睫毛。華奢な四肢と柔らかい桃色の唇。これらを持つのが「女の子」である。
幼少期の私は、母親の趣味で「女の子」らしい見た目をさせられては居たが元来勝気な性格であった。幼稚園や初等部の男の子というのは、自分より弱いと判断した人間を追い回し、ちょっかいをかけて楽しむ性質にある。(当てはまらない人間も勿論居るが)見た目に吸い寄せられ、私の髪を引っ張り物を盗む者も居たが私は其れ等に尽く反撃をしてきた。髪を引っ張られたのなら耳を引っ張り、物を盗られたのなら言葉で問い詰め罪を認めさせる。目には目を、歯には歯を。そういう子供であった。これは、魔術師の家系に生まれた気位の高さと意地がそうさせたのかもしれない。魔術師たるもの泣き言は許されない。私は誰に相談するでも独りで泣くでもなく自力で問題に立ち向かった。
けれども、出る杭は打たれるのがこの社会である。私はクラスの男の子に目の敵にされ、女の子達の交友からも省かれる様になった。そんな私とは反対に、男にも女にももてはやされるのは控えめでしおらしく何をされてもにこにこと笑みを浮かべ重要な場面では涙を見せて弱さを出す完璧な「女の子」だ。自尊心を捨てて他者に求められる生き易い姿を選ぶ其れは、私には理解できない生き方であった。
初等部2年の秋。私はイギリスに引っ越す事になる。前述した通り、私は魔術師の子供である。大家の次期当主として魔術を学ぶ義務があり、将来は時計塔への入学を約束されていたから英語と生活に慣れる為の引っ越しであった。
居心地が悪かった学園から抜け出す事が出来るという事もあり移住は特に嫌ではなかったし、海外は初めてであるから私の胸は期待と興奮でいっぱいであった。
「猿が来た。」
私が編入したのは魔術とは関わりの無いごく普通の学校だ。新品の制服を身に纏い、辿々しい英語で挨拶をした私を出迎えたのは心無い差別の言葉だった。1人の男子生徒が発したその言葉に、他の男子生徒も大笑いする。女子生徒も数名クスクスと意地の悪い笑みを浮かべていた。
此処でも男という生き物が私の邪魔をする。国は変われど排他的な人間の性質は変わらないのだ。自身とは違う、ただ気に入らない、自身の理解の及ばない者は排除する。そういった狭見さは人間の本質なのだろうか。
「あいつに近寄ると肌が黄色くなる。」
そう言う癖に、彼らは積極的に私の傍に近寄って小賢しい嫌がらせを繰り返した。物が無くなるのは日常茶飯事で、一部の女子生徒からの陰口や、頭を叩かれたり足を蹴られたり等の身体的な暴力も有った。此処で私がか弱い女の子のフリをして泣きながら「やめて」「ごめんなさい」と言えば此処からひどくなる事は無かったのかもしれないが、日本にいた時と同じく私は決して屈しなかった。
誤算だったのは、いくら抵抗しても嫌がらせはなくならなかった事だ。彼らは私を見て「いじめ甲斐が無い」ではなく「泣くまで痛めつけてやる」という思考に至った様だ。
あらん限りの嫌がらせを受け続け、疲れ果てたプライマリースクール4年の夏。大食堂で昼食を摂っている最中の事だ。編入して2年が経つのに未だ友人と呼べる者が居なかった私は一人で黙々と食事をしていた。冷えて僅かに固まった味気ないラザニアとパサつくパンをミルクで流し込んでいると、編入初日に猿と呼んだ男子生徒とその取り巻きが左前方からやってくるのが見えて思わず溜息が漏れた。私が腰掛ける席に来た彼は案の定私を嘲る言葉を投げ掛けたが真面に取り合っている時間が惜しいので私は無視を決め込んでラザニアを口に運び続ける。
刹那、トレイだけを一心に見つめていた私の脳天に冷たい何かが降り注ぎ、頭皮を伝って顳顬から額から顔にかけて液体が落ちていく感触が広がった。テーブルに触れた滴と匂いでやっとミルクを掛けられたのだと気が付くくらいに、彼の行動は私に屈辱を与えた。
「白くなったじゃん。良かったな。」
ケタケタと笑う彼らを、殺してやりたいと思った。殴られても蹴られても謂れの無い罵声を浴びせられても意に返さなかった私が初めて反応を見せ震えて耐えている姿が彼らには酷く愉快だったのだろう。
顔に熱が集まり涙が溢れそうで、きつく目蓋を閉じて膝の上で拳を握りしめながら「この位何ともない」と自身に言い聞かせた。弱みを見せてはいけないと、感情を押し殺そうとしたのだ。
ふと私の肩に触れた手に、殴られるのでは無いかと身体が跳ねた。けれどもいつになっても衝撃は来ず、不審に思って目蓋を開けば、目の前に純白のハンカチが差し出されていたのだ。驚きつつもハンカチを受け取って顔のミルクを拭き取り、ハンカチを差し出した人物を見やれば、其処に居たのはひとりの男子生徒であり、彼は無表情でミルクをかけた犯人を見つめて立っていた。
「くだらない。」
私と彼らの間に立ち吐き捨てたその言葉は無関心で冷たい響きをしている。突然現れた、私を擁護し自身の邪魔をする存在に主犯の彼は怒りを露わにしたが、彼は只々じっと軽蔑の視線を向け続けていた。
「ヴォイド、その猿はお前のペットかよ。生意気で人間のいう事も聞けない馬鹿な猿はちゃんとしつけてくれよ。」
「出来損ないが自身より優っている者の足を引っ張るさまは見ていて滑稽だな。自身の行為が無駄だと気付く事も出来ず時間を浪費し努力すらしないお前の様な人間を世間一般では愚者と呼ぶ。覚えておくといい。」
紫色の瞳が鋭く射抜くと、嫌がらせのメンバー達はそそくさと退散していった。残された主犯の彼も幼稚な暴言を吐いて消えた。私はというと、とても同い年とは思えない彼の語彙と落ち着きぶりに驚きながらも、立ち去ろうとする彼に声を掛けた。
「あの、ハンカチありがとう。買って返すから。」
「必要ない。オレが勝手にした事だ。」
「じゃあ名前だけ。教えて。」
「…デイビット。」
庇ってくれた事に対してでは無く、あくまでも私物を差し出した事に対しての感謝だけを告げた可愛げのない女の願い通り、彼は名前だけを告げてその場を後にした。
それが彼と私の出会いだった。
翌日、彼のクラスへ赴いて買ったばかりの白いハンカチを手渡した。最初は受け取らなかったが、受け取るまで付き纏うと宣言すれば渋々受け取ってくれた。
彼は素っ気ないのだが話し掛ければ会話をしてくれるし、根気強く話しかけた結果昼食を摂っていると此方に来てくれたり、帰路を共にする事もあった。いつも一人でいる私を気に掛ける素振りすら見せる。何より彼は私を勝手に評価しようとはしなかった。女の子の型から外れた可愛げのない奴ではなく、只の「名前」として私を見たのだ。彼と行動を共にする様になってからは嫌がらせがぴたりと収まり、主犯とその取り巻き、そしてその両親からも謝罪の言葉があった。私一人で打開した訳ではないから複雑ではあったがデイビットは「今までが不当だっただけだ」と、慰めるわけでも憐むわけでもなく事実として言ったのだ。そんな彼の傍は居心地が良くて、セカンダリーに上がっても彼との関係は続くのだとばかり思っていた。
「此処を離れる事になった。」
プライマリースクールを卒業した日、共に下校していた彼の口から出た言葉は、私の心を酷く揺さぶり傷つけた。ロンドンから離れると言う事は同じ学校には行かないという事で、それは私と彼の交友の終わりを意味する。もっと早く教えてくれても良かったとは思うのだが、彼を責める権利は私には無い。私と彼はそういう仲に無いのだから。
短く返事をして、私達は別れた。二度と会えないかも知れないのに、私は自分のプライドの為に聞き分け良くあっさりと彼を置いて家に帰ったのだ。
暗い顔で帰宅した私を母親は心配していたが、返事はせずに自室に駆け込んでクローゼットの引き出しに大切に仕舞い込んでいたハンカチを取り出して顔に押し当て静かに涙を流した。ほろほろと止まらない水滴を再現なく吸い込むハンカチからは、洗濯をしたのだから有り得ないとは分かっていながらも彼の香りがした気がした。
其れから8年後。セカンダリーを卒業した私は招待通りに時計塔へ入学した。学業に加えて、父による厳しい魔術修行を耐え抜いた私にとっては決められた道であったし、家督を継ぐという事は長女に生まれた宿命であるから疑問にすら思わない。天体魔術を極めて大成し、1500年続く名字の名を守る為だけに鍛錬したのだ。
魔術師の世界は存外肌に馴染む。必要以上に他者へ干渉せず、自身の目的の為だけに精進する空間では下らない嫌がらせが起きる筈もなく(貴族特有の家同士の諍いはあったが)平穏に生活する事が出来ていた。
その日も、私はオープンスペースで自主学習に励んでいた。夜に備えて魔術の基礎と星詠みのおさらいをしていたのだ。あっという間に時間が過ぎ、気が付けば次の講義の時間が差し迫っていた。慌ててテーブルを片付けて立ち上がり踵を返すと、背後に居たらしい人物に強くぶつかってしまい、折角纏めた荷物が床中に散らばってしまった。
謝罪の言葉を漏らしながら荷物を拾うべく床に座り込むと、その人物もまた荷物集めに助力してくれた。
「ありがとうございます。すみませ、」
手渡されたノートを受け取りながらその人物に向かって顔を上げると、其処に居たのはあの日私が突き放した彼だった。身長が随分伸びていたが、柔らかな金の髪と瞳の色は少しも変わらない。瞠目しつつも、彼が私に気付いている確証が無い為、私が彼を認識していると言う事は悟られないようすぐに俯き平静を装う。
彼が差し出したペンケースを受け取れば私の荷物は全て拾い終わるのだ。大きく跳ねる心臓を抑え、ペンケースの端に手を添えて手元に引き寄せようとしたのだが、彼の手の力が強くて其れは叶わなかった。
「見つけるのに苦労した。」
「…ペンケースを、ですか?」
「おまえを、だよ。名前。」
思わず顔を上げると、彼は優しげな笑顔を見せあっさりと手を離して言った。
「デイビット…気付いてたの。」
「他人の振りを通されるのかと思った。」
「貴方が気付いてないと思ってたから。…それに、」
「それに?」
「満足に見送りもしないまま貴方と別れてしまったから、声を掛けていいのか分からなくって。」
尻すぼみになる言葉は我ながら情けないと思う。けれども、彼は私に気付いてコンタクトを取ってくれたのに、嘗て酷い態度を取った張本人である私が逃げようとした事の方が恥ずかしくて、顔に熱が上がっているのを感じた。
「さあ、講義があるんだろう。急がなくては。」
「あっ、そうだった!…また会える?」
デイビットはまた微笑み、自身の胸元からペンを取り出して私の手を持ち上げさらさらと数字の羅列を書き記した。そしてペンの頭で軽く数字をノックして「連絡してくれ。」とだけ残し、その場を去っていった。
講義の内容が全く頭に入ってこなかったのは言うまでもない。
お互いが魔術師であると知った事以外は、私達の関係はプライマリースクールの4年生に戻った。いや、あの頃以上に親密になったと言えるだろう。
彼は伝承科、私は天体科で其々なすべき事を為し、開いた時間は共に過ごした。食事へ出掛けたり、アパートメントを行き来する事もあって、再開してから短期間の内に彼は人生で一番の友人になっていったのだ。
からりと晴れた青空の下。昼食を持ち寄って、私達は中庭でランチをしていた。
暖かな日差しと爽やかな風で満ちた空間には、生徒達の話し声が響いている。
スプリンクラーの水飛沫がキラキラと光る芝生の中央で、1人の女子生徒を囲む男子生徒達の姿を眺めながら私はぽつりと声を漏らした。
「私ね、“女の子”って言葉は一種の呪いだと思うんだ。」
其の言葉に彼は手にしていたホットサンドを口元に運びながら、私の視線の先にいる彼女を見やる。
「淑女とはまた違う、男が挙って欲しがる女性像が“女の子”で、“女の子”を求める男から見たら気が強くて負けず嫌いな私みたいな人間は女性ですら無いんだろうなって。…別に私は男に欲しがられたい訳じゃない。“女の子”なんて呪いに私は負けないけれど、髪が長くて身体が女ってだけで“女の子”を押し付けられるのが子供の頃から嫌だったんだ。」
「くだらない。」
パンを飲み下した彼は、吐き捨てるように言う。
「男女など生物学上の違いに過ぎない。一個人の嗜好ならいざ知らず、他者に押し付けるのは只の傲慢だ。」
「デイビットは一切そういう話しないよね。好きなタイプとか。」
「他人の見てくれに興味が無いからな。」
「私には?」
「お前に対しては…そうだな。気の良い友人だと思ってるよ。」
私の友人は、やはり私を評価したりはしない。全てに置いて合理的で的を得た事しか言わないのに、私に対しては「理」よりも「感覚」で考えてくれる。私は彼のそういった所がとても好きなのだ。
運命とは巡るものだ。良い事も悪い事も。そして其れは星に拠って定められている。
デイビットが伝承科を追放されたと知ったのは、彼と連絡が取れなくなってからひと月が経った頃であった。彼は非常に優秀で天才と謳われていたから、成績不振での追放は有り得ない。講義の後で駆け付けた彼のアパートメントはもぬけの空で、初めから誰も住んで居ないかの様に埃一粒だって残っていなかった。
酷く落胆し、食事も喉を通らない日々を過ごしたが、私と彼は巡り合う運命だと為るならば、きっとまた星が私を彼の前に導く筈だ。そう信じてその機を待っていた私に届いた小包。其れは学科長が所長を務めていた人理継続保証機関 フィニスカルデアからのものであった。心当たりが無かったので宛名を確認したが、間違いなく私宛であり、封を切って中身を確認した。中には一通の手紙と小さな袋が入っていた。
手紙の内容は、デイビットゼムヴォイドの死亡についてであった。
彼は伝承科を追放されてからマリスビリー学科長にスカウトされカルデアに籍を置いていたらしい。そして途方もない話であるという前置きの後、長い間人類史は白紙になっており、この手紙が私の手に渡っているという事は、或るマスターが汎人類史を取り戻したからなのだと記載されていた。デイビットが敵側に回り、そのマスターに因って屠られたのだという事も。
魔術師として理解しようと努力はしたが、私の存在が今まで消え去っていて或るマスターのお陰でまた存在出来ているというのは如何にも飲み込めなかった。
2枚目には、何故彼の死亡通知が私に送られてきたのかという説明があった。カルデアに入所する際、マスターは危険な任務故に遺品や遺書の送り先を指定させられていたのだと言う。その指定先が私だったのだ。
箱の中を見る限り遺書と思しき封筒は無い。小さな袋は遺品なのだろう。ブラウンのリボンで閉じられた其れを開いてみると、中には白いハンカチが入っていた。
これは、彼に買って返したハンカチだ。なんの特徴もないそれを両手で掴んで鼻に押し当てれば今度こそ彼の香りがして、飲み込み切れていなかった彼の死を突き付けられた気がした。涙を堪えながら視線を戻すと、テーブルの上に先程までは無かった紙切れが落ちている事に気が付き、手にとって開いた。
『唯一の心残り』
端正な文字で書き記されたたったそれだけの一言に、私は沢山の意味を見出した。
もっと会話を重ねれば良かった。追いかければ良かった。離れなければ良かった。気持ちを伝えれば良かった。其れらは全て私の心残りである。呪いなど下らないと言ってくれた一番の友人にまた別れを言えず、今度こそ二度と会えないなんて。
星は思わぬ形でまた私と彼を引き合わせた。これが運命であるなら、彼の死もまた運命。私が欲しかった言葉をくれた大切な人を失う事も運命なのだ。けれども、運命を信じていた私は今回ばかりは都合良く運命という星の巡りを憎んだ。こんな形で再会したくは無かったと、持ち主の居ない白いハンカチに顔を埋めてひたすらに泣き叫び続けたのだ。