薔薇一輪で崩壊
イギリスと言えば、しきたりと伝統、女王陛下。そしてご飯が美味しくない。
デイビットに連れてこられたレストランは、内装と接客共に満点の非常に上品な場所であった。しかして提供される料理は美食大国出身である私の口には合わず、されど不味いとも口に出せず、黙々と食べ進める彼を前に微妙な気持ちで味の薄い食事を詰め込んでいた。
何故彼と食事に赴く事になったのかと言えば、単純に誘われたからである。伝承科に所属する生徒は数える程しか居ないのだが、各々が強い個性を持っているので科の中で気のおける友人を作るのは非常に困難である。斯く言う私もあまり人付き合いが良い方とは言えないので其れに対してはあまり言及は出来ない。
「日本の伝説や神話を聞かせてはくれないだろうか。」
無謀にもヴォイニッチ手稿を解読しようと躍起になって机に齧り付いていた私に声を掛けたのは、食事に誘った張本人で天才と謳われるデイビットゼムヴォイドであった。面喰いな私は彼の顔がかなり好みであり、「顔のいい男が居るなぁ」と度々遠巻きに眺めては物思いに耽っていた。母国で平たい顔ばかり見ていれば、目鼻立ちのはっきりとした綺麗な顔を持つ人間が魅力的に見えるのは仕方が無い事だと思う。しかして私は伝承科の生徒である。この世ならざる遺物を扱う学問を追求する人間に、この世に存在している人間が語り継いだ神話だの伝説だのを聞かれても困ると言うものだ。
「詳しくないし役に立てるとは思えないけど。」
「知っている範囲で構わない。食事をしながら、どうだろう?」
「行きます。」
即答した。別に食事に釣られた訳ではない。“イケメンとの”食事に釣られただけだ。考えても見てほしい。料理を食べるイケメンを眺めながら食事が出来る。そしてレストランへ向かって帰る道のりを、イケメンを横に引き連れて闊歩出来るのだ。それに見合った話を出来るのかはさておいて。
前菜のサラダを食べ終えて次に手を着けるべきは、メインは白身魚のソテーだ。イギリスの料理は基本的に味が薄い。それは自分好みに調味料を足して食べる文化が残っているからであると誰かに聞いた事があったが、それを差し引いても下味くらいはつけても良いのではないだろうかと言うレベルで味気ないのだ。
「聞きたいのは主に神話についてなんだが。」
すっかり忘れていた本題を切り出した彼に憂鬱気に料理を眺めていた瞳を向けると、手にしていた銀食器を行儀良く揃えて置き、炭酸水の入ったグラスを傾けて私の言葉を待っていた。
そんな目を向けられても困る。生まれてこの方、神話なんいう御伽話じみた物にはほぼ触れてこなかったのだ。私が彼に教えられるのは故郷の妖怪についてくらいだ。
「あの、天井舐めって知ってます?」
「なんだそれは。日本の神か?」
「いや、妖怪なんですけど。夜中に民家の天井を舐めるっていう…。」
自分でも分かっている。何故天井舐めをチョイスしたのか。絶対に話が広がらない。天井舐めに関する物語だとかエピソードはまったく知らないのだから、雪女だとか刑部姫だとかいうメジャー妖怪を選べば良かったのに。しかも名前がださい。安直すぎる。なんだ天井舐めって。小豆洗いに並ぶ適当な名付けだ。
「天井舐め、」
「え、ふふぅっ!あ、すみません。」
神妙な顔で「天井舐め」なんて言うから吹き出してしまった私を、彼は訝し気に眺めている。自分から振ったのに少し失礼だったかもしれない。
「妖怪というのはモンスターだろう。吸血鬼や人狼、魔女の様な。」
「そうですね…。すみません。」
「君の故郷に伝わる神話は無いのか。地方であれば祭りもあるだろう。祭りがあれば、神を祀っているという事だ。」
「ああ…祭りは幾つかありましたけど。あれは何を祀っていたんだったかな。」
私の故郷はど田舎である。遊園地もなければ水族館もない。しょぼいショッピングモールが田んぼのど真ん中にあるだけのしょっぱい街だった。
5月の後半に三日間行われる大きな祭りがある。前夜祭、本祭り、後夜祭に分けられており、本祭りの日は小中学校は休校になって祭りに参加をさせられるのだ。
街の真ん中にある大きな神社の参道から、1km程の路地が封鎖されて歩行者天国になり無数の屋台が立ち並び人で溢れかえる。その神社は確かウカノミタマを祀っていた。
「ウカノミタマって知ってます?豊穣の神様なんですけど。」
「いいや知らないな。」
「良くお稲荷様って言われるんですけど、狐を連れた穀物の女神様です。」
「ほう。それで?」
「え、それだけですけど。」
知っている範囲で構わないと言われたので知っている範囲で答えたら期待外れみたいな顔をされた。不純な動機でほいほい着いてきた手前、そんなに神話が聴きたけりゃ天体科にでも言って聞いてこいよとは思っても口に出せず、彼の視線から逃れる様に銀食器で魚の切り身を解して口へと運んだ。やはり味が薄い。
「宇迦之御魂神は、古事記ではスサノオ、日本書紀ではイザナミとイザナギの子とされている。司るのは君が言った通り穀物や豊穣。ある文献では蛇の姿をしていると記されている。」
「へえ。詳しいですね。」
「少なくとも君よりはな。」
「あはは、は…あれ。」
つらつらと述べられたウカノミタマの説明に感嘆しつつも違和感を指摘した。「ウカノミタマ知ってますか」といった私に対して彼は「知らない」とはっきり答えたのだ。ウカノミタマが誰の子供かとか、どんな姿だとか、存在すらも知らない人間が空で言える筈がない。
ハーブを除いて綺麗になった皿を、ウェイターが持っていく。それに対して軽く会釈したら、ウェイターが少しびくりと肩を跳ねていた。お辞儀はこちらでは馴染みのない文化なのである。
「何故オレがウカノミタマについて知っているのか。そう言いたげだな。」
「はい。」
「オレの知り合いに神話に詳しい男が居る。オレも各国の神話や伝承に興味があり、少々嗜んでいる。」
「つまりは神話に詳しいと。」
「理解が早いな。」
「そりゃどうも。」
寂しいテーブルクロスの上に、先程驚かせてしまったウェイターがデザートを置いた。飾り包丁が入れられた苺とメレンゲ、アイスクリームが綺麗に盛り付けられた其れはイートンメスというイギリスのデザートである。こんなに綺麗な見た目なのに、食べ方は若干乱暴で、可愛いメレンゲとアイス、苺を皿の上で全てごちゃ混ぜにしてこの料理は完成するのだ。
「じゃあなんで神話に詳しくもない私を態々こんな良いレストランに連れてきたんです?この食事は話に対する報酬でしょ?私は報酬に見合った対価を払えていない。」
スプーンを握って彼を見遣る。私だって魔術師だ。魔術師は理の無い事はしない。施しを受けるのであれば、それ相応の対価を支払わなくてはならないのだ。現に私はただ彼からの施しを受けているだけで、何も提供出来ていない。後から回収されるであろう対価がなんであるのか分からない不安を抱いているのだ。
震える声音に気付いたのか、彼は首を傾げて、警戒する必要は無いと言う様に唇を持ち上げて表情を緩めた。そして彼の前にも並べられた甘い彼らに、鈍く光るスプーンを突き立てて姿を乱す。
「対価はもう貰っている。君がオレの前に居る。それで十分だ。」
「…は?」
「賢い筈なのにこういった事には鈍感だな。神話を聞きたいと言うのは口実に過ぎない。オレはただ、君と食事をしたかっただけだ。」
彼の視線は原型を留めていないイートンメスに注がれているが、唇から紡がれる言葉は確かに私に向けられている。そこまではっきりと言われて真意を理解できない程鈍感では無い私は、じわりと熱が滲む頬を隠す様に俯いて溶けかけたアイスクリームとメレンゲに苺を馴染ませるようにイートンメスをかき混ぜた。