白い吐息も召し上がれ2

 いつものドレスを脱ぎ捨ててArtsTシャツとショートパンツの上にエプロンを身に纏い厨房にて食材を眺める彼女にとって、今日は大一番の勝負の日である。
 ミスが許されない緊張感の中、私も今日は制服でも白衣でもない普段着を着て、その上にエプロンをつけた格好で皇女の脇に控えていた。
 22:00の食堂に居るのは私と彼女だけである筈だったのだが、予期せぬ来訪者により料理に取り掛かる時間が少し押している。

「ちょっとぉ!なんでそんな面白そうな話にこの私を誘わないのよ!」

 彼、いや彼女はスカンジナビアペペロンチーノ。デイビットやカドックと同じAチーム所属する、アーチャーのマスターだ。

「あの、妙漣寺さん何故此処に?」

「その呼び方やめて!!…デイビットに聞いたのよ。今日はやけにカドックに構ってるみたいだったから問い詰めたら教えてくれたわ。」

「ええと、手伝いに来てくれたんですか?」

「勿論!恋する皇女様の為にひと肌脱ごうじゃない!」

 やる気に満ちた彼女を追い出す事もできず皇女を見ればうんうんと頷いていたので、彼女が此処に留まる事を許していると判断して厨房に招き入れ料理の段取りを説明した。

「では私はブリヌィとピロシキの準備をしますので、皇女様はメインに専念してください。ペペロンチーノさんはシチー作りと皇女様の補助をお願いします。」

「分かったわ。…貴女、イヴァンの様ね。」

「光栄です。」

 彼女の言う「イヴァン」とは確か宮廷の料理長の名前だ。優秀なな料理人に喩えられて鼻が高い私は、皇女に向かって恭しく首を垂れてから薄手のニットの袖を捲り作業に取り掛かる。
 ピロシキの生地は、人肌に温めた牛乳と常温で柔らかくしたバターを用意して、ボウルに強力粉とドライイースト、砂糖、塩、溶いた卵を入れ、牛乳を少しずつ加えながら、ヘラで混ぜ一纏めにする。次にバターを入れて、手で練る。ある程度まで練り上がったら丸めて耐熱ボウルに入れ、ラップをして30℃のオーブンの中で1時間程度発酵させて作るのだが、これは時間がかかるので皇女の許可を得て予め作っておいた。
 今日は具材から作り始める。牛肉挽肉とみじん切りした玉葱を入れ、バラけるまで炒め、塩こしょうで味付けをする。ボウルにとって冷まし、細かく刻んだゆで卵とイタリアンパセリを加えて混ぜ、パン生地の量を見て等分する。これで中身は完成。
 まな板に打ち粉をして生地をとり、塊を転がして細長くして大体の大きさに切る。それぞれを丸め、乾燥しない様に乾いたふきんとラップをかぶせておく。
 切った生地をひとつずつめん棒で楕円形にのばし、真ん中に具をのせ、半月形に生地を合わせて餃子の要領でしっかり閉じる。他の生地ものばしては具を包み、乾いたふきんとラップをかぶせ、室温に10分ほどおいて休ませる。オーブンを200℃に余熱しながらピロシキを休ませている間に次はブリヌィ。ブリヌィは非常に簡単で、砂糖と卵を混ぜたものに小麦粉と塩を入れ、少しずつ牛乳を足してゆっくり混ぜる。オイルを加えて馴染むまで10分程度待ち、バターを溶かしておいた熱したフライパンに生地を落として丸く形を作って焼き上げる。
 粗方支度が終わったところで洗い物をしていると、皇女の手伝いをしているペペロンチーノから不安げな声が聞こえて来て其方に視線をやる。彼女と皇女は整った眉尻を下げ、2人で私を見ていた。

「ねえ名前ちゃん。これってこういう料理なの?」

「記憶の中のストロガノフはどろどろしていたの。どろどろしているものといえばチョコレート。チョコレートを入れたらこうなってしまったわ。」

 彼女達が覗き込む鉄鍋を見れば、やたらと甘い芳香が漂い、ぐつぐつと煮立ったチョコレートが出来ていた。
 溜息を飲み込み、ガックリと肩を落とす皇女を励ます様に明るい声を意識して声を掛け、今度は私が手伝いながら漸くビーフストロガノフを作り終える事ができた。因みにペペロンチーノに頼んだシチーはきちんと出来ていた。

「これよ…!私の霊気がそう叫んでいます。皆の顔が思い浮かぶ様だわ。」

 ビーフストロガノフを少しとった小皿に口をつけて味見をする皇女の表情は晴れやかで、納得のいく出来だった様だ。ピロシキも焼き上がり、全ての料理が完成した頃、私は皇女の背中を押して着替えを促し、デイビットに連絡をした。
 着替えを終えいつもの正装に身を包んだ皇女が戻ってくると、間もなくデイビットに連れられ警戒しながらもやってきたカドックが食堂に姿を現した。しかしその表情も、自身のサーヴァントの姿を認めると途端に和らぎ柔らかい声をもって彼女に呼びかける。

「キャスター?姿が見えないと思ったら…。」

「何も聞きたくありません。貴方はこの席に座って食事をする為だけに此処に呼ばれたのです。」

「そうよ。皇女様が貴方の為に腕によりをかけて作った料理よ!冷めないうちに食べなきゃもったいないわ。」

 皇女の言葉に、彼は溜息をつきながらも彼女に言われるがまま食事が並べられたテーブルにつきカトラリーを手にした。その瞬間に彼のお腹がひもじい音を立てたものだから、皇女とペペロンチーノは笑み、カドックは赤面する。

「言われた通り、カドックにはクラッカーしか与えていない。」

「お前もグルかよ、デイビット。」

 私の側に寄って腕を組み様子を眺めて言ったデイビットの言葉に、恨めしそうに彼を見るカドック。気持ちは分かるが今回は彼女と彼の為の催しであるのだから此方に意識を向けられるのは本意ではなく、皇女に視線をやれば彼女は咳払いをして食事を促した。

「前菜はブリヌィ、スープはシチー、メインはピロシキとビーフストロガノフです。」

「君の故郷の料理か。…しかしなんで突然料理なんだ?」

「貴方には日頃から私の世話を焼かせているでしょう。ほんの感謝の気持ちよ。いつもありがとう、カドック。」

 皇女の言葉と雪融けの微笑みに、カドックは唇を引き結び、笑みを堪えている表情をしている。二人を包む華やかな雰囲気は紛れも無く親密な者同士が出せる物だった。

「良い雰囲気なんじゃない?」

「ゼムルプスさん、嬉しそうですね。」

 ペペロンチーノの耳打ちに頷きながら肯定する。そして皇女が此方に視線を向けたタイミングで出口を指差し、指だけで退出を伝えて食堂を後にした。

「名前ちゃん、皇女様と仲良しなのね。」

「そういう訳では無いんですけど…。」

 居住区画へ向かう道すがら、ペペロンチーノが口を開く。斯く言う私は彼女ともロクに口を聞いた事が無いのだが、デイビットの恋人であると知っているからか、今回の様に一方的に話しかけられた事は何度かあった。
 いつかにデイビットが言っていた通り、私はあまり人付き合いが得意では無く、私とは階級が異なる正規マスターとの会話ともなれば尚更億劫に感じてしまう。
 2人は私を部屋まで送ってから自室がある上階へ続くエレベーターへと消えていった。

 時刻は深夜0時を回っていたが不思議と疲労は感じられない。それに勝る達成感があったからだろう。兎も角、皇女の笑顔が見られて良かったと、満足しながら簡単にシャワーを浴びて眠りに着いた。


 翌日。その日はオフであったから昼近くまでベッドに居た。一度起き、ぼんやりした頭でニュースを確認し、水を飲んでまた眠り起きるを繰り返す。そろそろお腹が空いたので食堂へ行こうと適当な服を着て扉を開くと、そこには皇女が居た。
 人形の様にぽつんと立ち、突然現れた私にいくらか驚いた顔を見せている。

「皇女様!?」

「…今起きたの?」

「一体いつから此処に?」

「今日は貴女に伝えたい事があって来たの。気にしないで。」

 宝石の様に透明で光が幾重にも重なり屈折している美しい瞳が私を捕らえる。

「名前、貴女に感謝を。」

 彼女の言葉は、昨夜の出来事を指しているとすぐに分かった。そして、うっとりと微笑む彼女に向かって私は首を横に振り、感謝は必要無い事を告げる。

「料理を作ると決めたのも行動に起こしたのも皇女様ですよ。」

「いいえ。貴女の助力が無ければ施しの勇気も出なければ料理も完成していなかった。本当にありがとう。心から感謝します。」

「皇女様の恋を皆応援しています。皇女様は今のままで充分に素敵ですよ。」

 私の言葉に真っ赤になり、「其れではこれで。」と残して扉を閉め去っていった皇女は、英霊でも悲劇の女性でも無くただの恋する乙女に見えた。
 閉じた扉を再度開き食堂へ向かうとお昼時である為に食堂内は混み合っている。食事を手に取り空席を探すと、丁度デイビットが居たがヴォーダイムと何やら話している様だったので、入口の近くに居た同期の席へと相席させて貰い食事を取った。世間話や仕事の愚痴を零しながら食事を口に運び、ふと視界の端に映り込んだ銀色を瞳で追うと、食堂の外には皇女とそのマスターの姿があった。その姿を見たのは、彼女等が入口の前を通って廊下の先へ進む一瞬だったが、2人は寄り添い、仲睦まじく微笑みあっていたように思える。
 きっと既にこの恋は成立しているのだ。関係を変えるか否かは彼ら次第ではあるが、其れが変わっても変わらなくとも彼らの絆は尊く、何者にも邪魔できない。彼女が言う恋人という関係以上に彼女達は通じ合っていて、きっと私とデイビットよりも深く理解しあっている。皇女に伝える事は一生無いが、私からすれば彼等が羨ましい。
 食事を終えたらしいデイビットが、席に寄り私の頭を軽く撫でる。顔を向ければ軽く微笑みヴォーダイムと共に食堂を出て行った。その様子を見ていた同期は色めきだち揶揄いの声を投げられる。彼と私は真に理解しあっては居ないが、其れもまた愛の形の一つに過ぎないと、憂いを払い真直ぐに笑って食事を進めた。この恋がいつまで続くかは分からないが、いつかきっと彼の深層に触れることができるであろう日が来ることを信じて。