花瓶の花 02

 名字名前といったら、僕の幼馴染みであり、この辺りで一番古く大きいお屋敷の主人でもある。切れ長の瞼に納まった黒い瞳と白い肌を持つ勝気な顔の名前は、意地悪のそうな見た目とは裏腹に、非常に社交的で愛想も良く、地域清掃などのボランティアにも積極的に参加していたから近隣の住人は、幼い頃に両親を亡くし家名を継いだ孤独な彼女をとても気にかけ、愛していた。
 しかし、彼女はある日を境に家から出てこなくなった。買い物に出る姿すらも見られないので、近所の老婦人方が心配して何度か訪ねたそうだが、体調を崩したと追い返されたらしい。
 彼女達曰く、背の高い黒髪の美丈夫(辞書で調べたが今で言うイケメンみたいな意味らしい)が玄関口に現れたとの事。其の男もまた愛想が良く、追い返されたというのに悪い気は全くしなかったと言っていた。
 先述した通り、僕と名前は幼い頃から仲が良く、当然の様にいつも一緒にいた。小中と同じ学校に通い、頭の良い彼女に合わせるのは大変だったが地元で一番の高校に進学したし、卒業後は彼女はイギリスに留学し、僕はこの地で就職したから離れてしまったが、彼女が帰国してからは変わらず親しくしていた。
 高嶺の花の彼女からしたら僕は取るに足らない友人Bだったかもしれないが、僕は彼女を異性として見ている。だから彼女の家に見知らぬ男が居るなんて考えただけでゾッとした。
 其の美丈夫は、僕もこの目で見た事がある。自室の窓を開け、気紛れに外を眺めていた時の事。名字邸の広い庭先に、彼女と其の男の姿を見た。
 彼女は男に身を預け、異様に小さな靴を履いた足で辿々しく歩いている。利発そうだった顔は死人の様に表情を無くし、薔薇色の頬は青褪め、光を反射してきらきらと輝いていた瞳は生気を失ったが如く暗澹としていた。
 時折男が、彼女の口元に顔を寄せ、何かを聞き貌を僅かに歪めて笑っているのがとてつもなく気に食わなくて、僕は窓を乱暴に閉め、名字邸まで走り、玄関の戸を何度もノックした。
 怒りと僅かな緊張に拳を握りしめた僕の目の前の戸は、少しの間を置いて内側から開かれた。

「はいはい、何方様?」

 軽薄な印象を受けるセリフを吐きながら扉を開けたのは件の男だった。間近で見ると上背があり、下手をしたら俳優よりも整った顔をしている。綺麗な顔ではあるのだが、瞳は琥珀で、黒い長髪は何処か浮世離れして見え、其の不自然さに、僕の額を汗が伝った。
 何も言わずに睨みつけるだけの僕を不審に思ったのか、開け放たれた戸に手を掛けたままへらへらした笑みを貼り付けて此方を見下ろしている。

「もしかしてマスターに用事だった?」
「マスター?」
「そ、此処の主人。」
「…あんた誰だよ。なんで俺の幼馴染みの家に居る」
「んー、それは秘密って事で。マスターは体調崩して寝てるから出直してくれ」
「嘘をつくなよ。こっちは彼女が庭に居たのを見てんだよ」

 睨める視線は滑稽なものを見る様に厭らしく細められた男の瞳から一切逸らさず言い放つ。男は、僕の言葉を聞いて片眉を上げ、宝玉の瞳に侮蔑の色を浮かべた。

「って事はあんた、他人の家をコソコソ覗いてたって訳だ。ならわかる筈だよなぁ?マスターは今人と話せる状態じゃない。それに覗きをする様な男を、大事な大事なマスターに近付けるなんて恐ろしい事俺には出来ないね」
「この…っ!」
「じゃ、そういう事で。あんたが来た事はマスターに“一応”伝えとくよ。あんたに会いたきゃ本人から連絡するだろうしさ」

 ぺん、と音を立てて閉じられた戸の前で、僕は血が出るくらい唇を噛んだ。あの男が名前とどんな関係なのかは分からないが、長い時を共に過ごし彼女をよく知っているのは間違いなく僕の方だ。
 気丈な彼女がああなってしまったのはきっとあの男のせいだ。清廉で気高い彼女を廃人にしたのは間違いなくあの男だ。僕の名前を奪ったのは彼奴だ。
 頭に血が上った僕は、同日の夜半に再度彼女の家を訪ねていた。新月の今宵は、道路に整然と並んだ街頭以外の光源はなく、一切の灯が灯らない名字邸は、どの家庭よりも深い闇に包まれている。スマホのライトを頼りに呼び鈴を押すが、壊れているのか音が鳴らない。日中の様に扉を叩いても誰かが出てくる様子は無かった。
 痺れを切らして戸に手を掛ければ、施錠がされていない其れはカラカラとレールを滑る音を立てながら意外な程にすんなりと開いた。
 靴を脱ぎ、上がり框を跨いで廊下を進めば、其処は嘗てに訪れた屋敷と何一つ変わっていない。この敷地で変わってしまったのは彼女だけなのだ。 
 闇をライトで照らしながら、彼女の部屋を目指して足を進めた。板張りの床は、僕の体重で僅かに軋み不気味な音を立てている。
 漆喰の壁に囲まれた角を曲がると、突き当たりの障子から行燈の柔らかな灯かりが漏れ出ているのが見え、足音を立てない様、全身に力を入れて息を潜めて近づいた。
 室内からは小さな話し声が聞こえてくる。

「あ゛っ、ァ…ヒュッ、」
「これ、そんなに好きかい?突っ込んだだけでそんな顔して」

 ライトを消して障子に映らない様柱に隠れ、耳をそば立ててみると、二種類の声が聞こえてきた。ひとつは昼間の男の声だ。もう一つの、喉の奥から絞り出す様な声は誰のものだろう。指先を舐め、障子紙に小さく穴を開けて覗き込めば、和室の隅に設えられたベッドの上で、皮膚いっぱいの刺青を晒した男が女性の上にのし掛かっている姿が見えた。男は緩やかに腰を動かし、それに合わせて女性が呻く。其の声は手負いの獣の様だった。

「うぅ、あ゛っ、ー、ーーー」
「んー…ちがうちがう。教えたよな?家の中では俺の事、なんて呼ぶんだっけ」
「…ーー、ーー。」
「はい、良く出来ました!さぁすが名前。誠実な良いマスターだ」

 額に脂汗が浮いて酷く不快だ。あの男はなんと言った。聞き間違いであって欲しいが、この耳には確かに「名前」と聞こえた。激しくなった血流が、耳の奥でやけに大きく聞こえている。注視した先に見えたのは、男の脇腹に咲く真紅の牡丹に手を添えて真白い裸体を投げ出し、嗚咽とも取れる声を出している名前だった。
 白いシーツに散る黒髪は油絵の様な模様を描き、律動の度に形を変えた。細く滑らかな腿は男の腰を固定して、黒地に真っ赤な牡丹の刺繍が入った小さな靴を纏う爪先は快楽に耐え忍ぶ様に張り詰めている。

「かはっ、はァ、あっ」
「あ゛ー…あ、そうだ。昼間にさあ、アンタを訪ねて隣の家の男が来てた」
「ひゅぅ、ひィ、」
「そうそう隣の男だ。あんたの幼馴染みなんだって?」
「ぎゃっ、や、」
「ヤダって言ったってなぁ。アンタの中は離れたく無いって言ってる、しっ」
「あ゛あ゛ッ、ぇん゛」

 自身の話が出た事も気にならない程に、僕は彼女達の情事に魅入られていた。肌を打つ乾いた音と共に彼女の声も激しさを増し、喉を反らせて金魚の様に口を開閉している。
 唐突に男が彼女から腰を離し、今度は下になった自身の身体に彼女を乗せる。反り立った陰茎は、少し離れたこの位置から見ても異常に大きかった。
 ゆっくりと埋まっていく禊に、彼女は男の腹に手を添えながら胸元を高く反らせ、また呻き声を上げる。

「い゛ァ、あ゛んッ」
「この体位だともっと奥まで入って気持ちいーだろ?」
「う゛ぅん、」
「…喉潰したのは勿体無かったかねぇ。」

 腹の上で彼女が髪を振り乱しながら踊る様に腰を揺らす。柔肌を惜しみなく晒している癖に異様に小さな靴だけは脱がないでいる彼女の姿は、室内の薄暗さと其の声もあって最早異形の者に見えた。
 乳房に触れながら彼女に話しかけていた男が、ふと此方に顔を向けた。眼孔に嵌った黄金は情欲に燃え爛々と光っている。薄い唇を引き上げて歪に笑み、彼女の細腰を掴んで浮かせると下から思い切り腰を打ち突き上げた。衝撃で喉を反らせた彼女もまた、暗澹の闇を抱えた光のない瞳を此方に向けていた。助けを求める訳でもない黒々としたその目は、どこまでも深く、空虚だった。知らない女に成り果てた名前を見て、とうとう僕は逃げ出した。

 自身達の情交を覗き、自らの好奇心に殺された猫を見た燕青の心中は愉悦に満ちていた。障子に穴を開けたのは昼間に来ていた猫だろう。身も心も犯され、見知らぬ男に作り替えられた幼馴染みを見た猫が壊れゆく姿は、容易に想像出来た。
 自身の禊を咥え込み、腹の上で踊り狂う“主人”は、最早この地に喚ばれてすぐに出会った女では無い。逃げ出さぬ様に足を潰し、喉も潰した。気位の高い魔術師である主人は高尚故に、心を壊す事も簡単であった。
 一番初めの交わりは酷く抵抗していた。止めろと怒り泣き叫んだ。膝を固く閉じ、迫る龍の刺青に何度も掌を叩きつけていた。しかし、非力な女があの燕青に力で敵う筈もない。蕾は無理やりこじ開けて、頬を打って黙らせた。
 二度目は喉を潰した後だった。呼吸の仕方も忘れ、はくはくと喘ぎ濁音を漏らす主人の姿は、何とも哀れで、それ以上に愛らしい。瞳は溶け出して顳顬を伝い落ち、身体は強張っていた。彼が身体を舐る度、彼女の意志は折れていく。自身の足では何処にも行けず、自身の声は彼しか聞かない。家から出る事もできず彼と二人で過ごす時間は、永遠にも感じられた。
 燕青は決して、女を屈服させたかったわけでは無い。全ては、自身の霊基に「主人からの裏切り」に対する恐怖が刻み込まれているが故に起こした行動だった筈であったのに、花瓶の花の手入れが如く甲斐甲斐しく彼女の世話をしている内に、愛着と執着が入り混じる粘性の高い感情が胸中に溜まり、今や愛憎で満ち満ちている。
 この女を掠め取ろうとする者があれば、彼は間違いなく其れを排除するだろう。

 ふうふうと息を吐きながらも腰の上下を止めない彼女を抱き上げて上体を起こし、先程と同じ様に彼女を倒して組み敷いた。騎乗位をとったのは猫に見せつける為であり、彼が本当に好きなのは、喘ぐ顔も吐息も全て確認できるこの体位であった。
 名前は言われる迄も無く、そうするのが自然であるかの様にそろりと膝を開いて燕青に秘部を見せつける。整えられた茂みの中心は、良く熟れた無花果のようにぐずぐずと濡れそぼりひくひくと呼吸をしていた。
 燕青は股座の猛りを数回扱いてから、その泥濘に張りのある先端をゆっくりと埋める。熱が肉壁を擦りながら進む度に名前は吐息を荒くした。

「俺が初めてなんだから元々好色って訳でもあるまいに、此処の具合は良くなるばっかりだなぁ…っ」

 行き止まりに鬼頭がぶつかる度、名前の顳顬を玉のような涙が伝い落ちた。そして口を開閉させ、燕青に対して何かを訴えている。彼は髪紐を解いていた為にはらはらと遊ぶ髪の毛を耳に掛け形の良い耳殻を、彼女の珊瑚色をした唇に近付けて吐息を拾った。潰れた喉では雉の様には鳴けないのだ。

「どうした?」

“もっと”

 声にならない言葉に気を良くしたのか燕青は形の良い唇をニタリと引き上げ、細やかに揺れる乳房に自身の厚い胸板を押し当て、欲望のままに律動を速めた。彼女の涙と声も、腰の動きに合わせて激しさを増す。色のついた彼の背に爪を立て、房飾りのついた纏足靴を腰に擦り付けて自身の絶頂が近い事を仄めかした。彼は手を後ろに回して其の脚を掴み、上体を起こす。お互いがお互いを求め、肉欲を隠そうともせずに肌を重ねる其の姿は獣そのものであった。

「ぁ゛は、はははは!!」
「嬉しいの?そりゃよかった。アンタが大口開けて笑ってるのは初めて見たなぁ!」

 名前は口の端から涎を垂らして、切れ長の瞼から涙を溢しながら笑っていた。燕青は、彼女の笑みの真意に気付かぬ程鈍感では無かったが、肉棒を抜く事なく彼女を犯し続け先端を膣の奥に押し付けたまま種の無い精液を放った。
 吐精後の倦怠を感じながらも禊を引くと真っ赤に腫れた陰唇の下部から白濁が溢れ出す。
 名前はもう笑って等いなかった。虚な目で宙を眺め、唇をかたく閉ざして白痴のようにぼんやりとする彼女の髪の毛に触れながら彼も其の脇に横たわる。僅かに染まった頬に唇を落としてもなんの反応も無かったが、彼女が“逃げない”のなら満足だった。
 此度の亜種聖杯戦争に喚び出された「燕青」という英霊は、本来の「燕青」とは少し違う。霊基に混じり込んだ不純物は、彼の性格や気性を変化させただけでなく、其れを彼自身に気取らせない狡猾さを孕む者であった。
 彼は自身が壊れている事に気がつかないまま自らの主人を壊している。
 聖杯を手にしたとして、燕青も、名前も、自身が本当に望んでいた事を叶える事はできないだろう。