Happy Happy Happy

※レフがいなくて事故も起こらなかった
※Aチームもロマニも大人ダヴィンチちゃんもオルガマリーも生きてる世界


 高校時代のクラスメイトが私の席まで来て「消しゴムを貸して欲しい」と言った。その子は、あまり話した事もなく、何より私は消しゴムを一つしか所持していなかったから当然のように断った。

「私の事が嫌いだから断るんだ」

 これで諦めてくれるだろう。そっか、なんて言ってこの場から去ってくれるのだろうと思っていた私は、予想だにしなかった返事に驚き、また何故か酷く機嫌を損ね愛想笑いは吹かれたように消えた。
 大声で喚き散らかす彼女を、私はただ見ていた。クラス中から注目されようとも、相手の歪んだ顔だけに視線をやって、一言だって話はしなかった。

「私が誰からも愛されてないから、貴女も私を除け者にするのね」

 また彼女は喚く。
 いい加減煩くなってきた。

「あぁ…煩い…」

 目蓋を開くと、瞳に映ったのはいつもと変わらぬ真っ白な自室の天井だった。煩い煩いと思っていたのもクラスメイトの声ではなくて私が設定した時間通りに鳴り響いたアラームの通知音だ。
 夢だったのだ。消しゴムを貸さなくても良いし、あの子との騒動でクラスで浮いた存在になる事も心配しなくて良い。私が心配すべきなのは今から向かう仕事場が荒れていないかという事だけだ。
 それにしても懐かしい。あの頃の私は優等生だった。友達は多くなかったけれど、それなりに楽しい学生時代だった。戻りたい。

「…起きないと」

 現実逃避は何の問題も解決してくれない。かわりに仕事に行ってもくれない。喧しいアラームを止め暖かい布団から這い出てベッドサイドに置いてあるバナナクリップで髪を纏め、端末を使って今日の予定を確認する。本日は午後から、正規マスター・マスター候補生全チーム合同演習の予定が組まれている。シミュレーターは各マスター及び候補生のレベルに合わせて設定され、万が一の場合は中断する事も可能である為、大怪我をする心配はないのだが、多少の怪我は仕方が無く、怪我を負った全員が医務室に押し寄せれば通常業務が滞るという事で、医療スタッフがシミュレーションルームへ派遣され仮設医務室にて彼等の手当てをする事となっている。
 その本日の担当が私である。
 頼むから皆元気で無傷で楽しく終わってくれ。前の担当日は地獄だった。小さな怪我でも問診と消毒と薬の塗布はワンセットであるから一人に対しての時間が絶妙に長く取られる。加えて正規マスターであるAチーム以外全員が仮設医務室に訪れ、それを一人で捌かなくてはならないのだからこれが地獄以外なんだというのか。(終了後、Drロマンからの労いの言葉が無ければ死んでいた)

 化粧もそこそこに居住区画を出て、時間に余裕があるので出勤前に食事をしようとキッチンへ続く廊下に出て気がついた。
 緑と赤のモール装飾や、モミ枝のリース。感覚を置いて設置された、オーナメントがあしらわれた小さいツリー。
 今日はクリスマスイヴだ。
 年中吹雪を見て生活しているので季節感を忘れないようにと、所長の計らいで世界中のイベントを行う事にしているカルデアであるが、如何にも感覚は狂ってしまっているようだ。
 トマト祭りやザリガニパーティと比べたら、クリスマスは日本人の私も馴染みが深いイベントだ。私の家でもイヴの夜はローストチキンとケーキ、クリスマスキャロルを歌って祝ったものだ。
 そっか、クリスマスだ。と出勤の憂鬱さに沈んでいた気分が一気に浮き上がり、軽やかな足取りで、半ばスキップでキッチンへ向かった。そして見事にずっこけた。
 浮き足立って足元が完全に留守になった女にハイヒールを履かせてはいけないのだ。今回の場合はハイヒールを履いた女が浮き足立って調子に乗ってスキップしてはいけない、となるがそんな卵が先かめいた話は如何でも良い。医療スタッフがいの一番に負傷して如何する。
 床に伏した顔を恐る恐る上げ前方を確認するも、幸い誰も居らずこの痴態は誰の目にも映らなかったのだと安心して即座に立ち上がった。丈がやや短いタイトスカートを履いていたから誰かいたら確実に下着が見えていた。テロか。そんな事にならなくて良かったしストッキングも破けてないし掌の擦り傷以外は怪我も無い。このまま歩き出せば無かった事に出来る。

「おい、大丈夫か」

 出来なかった。
 後方から掛かった声は見知った人物のものである。前には誰にもいなかったが後ろには彼がいたのだ。恥ずかしすぎて後ろを向けない。でも後ろを向いていないから私が誰かはまだ気づいていないのかもしれない。聞こえなかった事にしてこの場を去ろう。他人のフリをしよう。

「名前」

 他人のフリは不可能。真名看破。もう観念するしかない。余りの気まずさにぎこちなく後ろを向けば、其処には予想通りの人物がいて、予想通りの表情で私を見ていた。

「…見てた?」
「見ていたも何もおまえの後ろに居たからな。下着も何もかも見えていた」
「間が悪すぎる。どうして後ろにいるの。というか、なんで転んですぐ声掛けてくれないの。一瞬安心した私が馬鹿みたいじゃない」
「演習前に昼食を摂る為に居住区画からキッチンまでの最短である此処を通った。おまえと同じ考えだ。それに、転んで手を差し伸べてもおまえは自分で立てると言うだろう」

 私は理屈っぽい男が嫌いだ。大嫌いな叔父がそうだったからだ。そういう男は何かにつけて屁理屈を捏ねて、此方が面倒臭くなりお情けで同調してやると此処ぞとばかりに「論破してやった」と得意げな顔をするから、類の人間を心の底から嫌悪していた。
 この理屈っぽい男はデイビット・ゼム・ヴォイドと言うのだが、意外や意外、彼は私の恋人である。
 第一印象は悪く、むかつく男だと思っていたのだがある日唐突に彼に交際を申し出られ、ほぼ初対面の私は意味がわからなすぎて「どこが好きなんですか。」と面倒臭い人間のテンプレートを投げかけた。デイビットは少し考える素振りを見せ「誰からも愛されていないと思っている所。」と言った。「なんだこいつ気持ち悪。」と思ったし「関わっちゃいけないタイプかも。」とも思ったのだが、実は、この男は顔がとても良いのである。正直に言うと私はデイビットの見た目がとても好みで、初めて見た時から容姿は良いと思っていた。自分の平たい顔と華奢な身体付きを毎日見ている私からしたら、彫りが深く整った顔立ちと、上背があって筋肉がついたしっかりした体躯は魅力的であり、逃すのは惜しく、結婚なんて考えてもいないし短い付き合いだろうと深く考えず「まあ、そんなに言うなら?」とかなり上からの目線で返事をしたのを覚えている。
 しかしこの男は完璧だった。多少の理屈っぽさは顔が帳消しにしてくれるし、場所や時間関係なく私を見つければそれと無く寄ってきて周囲に聞こえない程度の声で甘い言葉を囁いたり、二人きりの時は目一杯甘やかしてくれる。それは私が、寂しがり屋の癖に面に出さないで抱え込む長女だったから嬉しかったのかもしれない。次女だったら耐えられなかった。
 何はともあれ、続かないと思っていた交際は今年で2年になる。
 恥ずかしさと怒りで立ち尽くした私に、ため息を吐いて寄ってきたデイビットは私の両手を取り、良すぎる顔を近づけて掌の傷を確認した。

「おまえは気分が良い時ほど注意力が散漫になる。気安く傷をつくるな」
「別に作りたくて作ったんじゃないですけどね~!」
「此処で油を売っている時間はないな。後で手当てしておけ」
「はい」
「あまり心配させないでくれ」

 彼が呟いた言葉は確り聞こえて、腰の辺りから熱が顔元に上がってくる感覚に襲われる。そういうところだぞ、デイビット・ゼム・ヴォイド。お前はまたそうやって私を喜ばせる。
 それでいて本人は一切気にしていない様子で私の脇を歩いているし、私だけがときめいて、時々「私は馬鹿なのかも」と思う時がある。

 デイビットは正規マスターのAチームであったから、彼と交際している私はそのメンバー達とも交流があり、見かければ話をするし、女子メンバーとはお茶をしたりする程度に仲良くしてもらっている。お陰で、キッチンで相席になったぺぺに冷やかされ、オフェリアには温かい笑みを向けられ、気恥ずかしさで身体がむず痒くなった。

 演習は滞りなく終了し、怪我人も一桁でそれほど慌ただしく無く比較的暇な日であったと言えるだろう。問題は無かったので報告書も特筆事項の欄は空欄でDrロマンに提出し、今日の業務は無事終了した。
 これで自由の身。残り数時間のクリスマスイヴを、医療スタッフの同僚達とキッチンの特別メニューとプディングでお祝いし、嗜む程度に飲んだワインでほろよいのまま自室に戻ってきた。
 あとは眠るだけ。シャワーは朝にしよう。化粧も明日落とそう。なんといっても今日はクリスマスイヴ。早く寝ないとサンタクロースが来られない。目蓋を閉じて3つ数える間に深く落ちていき、あっという間に眠りについた。
 また夢の続きを見るのだろうか。そういえばあの子は誰からも愛されていないと言っていた気がする。あの子の名前は覚えていない。悲痛に叫んだ彼女の顔は、そういえば私に似ていた気がする。

「起きろ」

 耳元ではっきりと聞こえた声と仄かに香るムスクの香りに、微睡も無く意識が覚醒し目蓋を上げた。酔いはすっかり冷めたようだ。
 脇にはデイビットがいた。添い寝の格好でこちらを向いて黙っている。
 そのままにしていた筈の照明は消えており、枕元の間接照明だけがぼんやりと私たちを濡らしていた。

「なんで居るの?」
「今日はクリスマスイヴだろう。イヴはFather Christmasがプレゼントを配り歩く日でもある」
「…ようするにデイビットが私にプレゼントを持ってきたって事?」
「そうだ」

 普段合理性主義であるのに回り諄い言い方をするのもこの男の癖だ。ともあれ貰えるものは貰っておこうと、起き上がって目を瞑り、両手を彼へ差し出してみる。自分の為の贈り物は、幾つになっても心が躍るものだ。
 浮世離れしていて、そのくせ誰よりも情熱的な彼は、私の為に一体何を用意してくれたのだろう。掌に載せられるであろう品を想像して、心待ちにしていた。しかし、触れたのはかさついた包装紙ではなくデイビットの掌で、驚きのあまりに目を開けると端正な顔がどんどん近づいてくるのが見え、一瞬のうちに影になって見えなくなった。
 柔らかく少し乾燥した唇が、リップメイクを落としていない潤った私の唇に触れては離れを繰り返す。私と彼の間で生じた小さなリップノイズが耳に触れ、鼓動が鼓膜まで届いているのが分かった。
 キスの間、デイビットの指は私の肩や髪の毛をゆるりと撫で、背中から腰へと移動して愛撫を止めようとはしなかった。

「え、待って。プレゼントってもしかして」
「オレがプレゼントだ」

 息継ぎの隙に、口づけを受け入れながらも脳を駆け巡っていた疑問を口にすれば、デイビットは案外あっさりと身体を離してその顔に似合わない台詞を吐いた。
 私が理解できないという顔をしていると、それに気づいたデイビットは補足の様に声を出す。

「こう言えば、おまえはきっと喜ぶだろうと妙漣寺が言っていた」
「誰だよ妙漣寺」
「スカンジナビア・ペペロンチーノだが」
「すごく日本人の名字じゃない?日本人なの?」
「いや、今は妙漣寺の話は良いだろう」
「君が妙漣寺の名前を出したんだけど」

 それなりに仲が良いと思っていた人物が偽名を使っていて、更に同郷であった事実を知り混乱していると、デイビットはまた良すぎる顔を近付けて宝石の様な淡い紫の瞳で「目を閉じろ」と合図をする。良すぎる顔面には勝てないので、言う通りに瞳を閉じて、その先の快楽すらも甘受した。
 行為中の苦しそうな吐息も、首を伝う汗も、張りのある筋肉も、彼の全てが美しい。美しい彼の目には、私はどう写っているのだろう。人種も国籍も所属も何もかもが違うのに、彼は私の何に惹かれたんだったか。律動と共に揺さぶられ、熱に浮かされた脳では何も思考できない。ただただ気持ち良くて、今のひとときが幸せで、このまま死んでも良いとさえ思えた。
 汗ばんだ身体でシーツの上に寝転んで休んでいる間、私は行為中に意識に割り込んできた事柄を整理してみた。

「ねえ、私に告白してくれた時に私の何処が好きなのか聞いたじゃない?」
「オレは、誰からも愛されていないと思っている所だと答えたな」
「それ、どう言う意味?」

「例えるなら、おまえは罅の入ったグラスだ。友愛や親愛という水を注がれても素直に受け止める事が出来ず、欠陥品故に満たされず、常に枯渇していた。出会った時の瞳には輝きも煌きもなく、虹彩の黒色は暗澹とした精神的な闇そのものだった。交際を申し出たのは、おまえの罅を塞ぎ水を注いで器を満たしたいというオレの傲慢だな。」

 彼は柔和な笑みを浮かべてそう言った。

「それって、結局私の事好きでもなんでもないって事じゃない?」
「それは違うな。オレは手負いの獣が好きなんだ。おまえの欠陥を修繕したとは云え、おまえが罅入りのグラスであることには変わりない。それに、オレの国では態々相手に交際を申し出て付き合いを始める習慣などない。おまえ相手にそれをしたのは、日本ではそう云った慣しがあると聞いたからだ。異国の習慣に倣らう程に、おまえを手に入れたかったんだよ」

 理屈っぽくてほぼ何を言っているのか分からなかったが、一応私を愛おしく思っている様で良かった。
 彼の言葉で引っかかるのは、当時の私はそんなにギラギラしていただろうか。友人とも家族とも良好な関係を築けていた筈だ。此処に来てからも職場の人間とは諍いも無く平穏に過ごしていた筈だが、彼の目には私がそう見えていたらしい。
 一部誤解はありそうだが、彼と過ごして行くうちに、今まで感じた事のない幸福感や安心感を得る事が出来たのは事実であるしこの際それは捨て置いても問題ないだろう。
 容姿だけで好意を抱いていたと思っていたらずぶずぶと彼に嵌ってしまっていた事に気付き、自制する自分は未来にいるのだろうか。
 意図せず性夜となってしまった神聖な夜に私も彼も身を預け、本当のサンタクロースは部屋に入る事も叶わないままイヴが終わっていく。ブランケットに包まって胎児の様に眠る私たちが次に目覚めるのはきっと時計の短針と長針が仲良く天井に届く頃だろう。