Bibliotheca01
カルデアの廊下には幾つかの植木が設置されている。草木の種類は分からない。私は花屋じゃ無いから。
私が名も知らぬ草の隙間から覗いているのは愛しい友人のオフェリア・ファムルソローネだ。彼女は人理修復の為に選り抜かれた正規マスターでありながら一介の一般職員である私にも優しく、友人として振る舞ってくれる素晴らしい女性である。毎日の様にお茶をしたり、昼食をとったりしていた。のに。最近お茶の頻度が下がり、昼食の時間になっても食堂に姿を見せない事が度々ある。怪しんだ私が彼女のチームメイトであるスカンジナビア・ペペロンチーノに話を聞いてみたところ、なんでも「最近誰かを追いかけ回している」のだそうだ。
つまるところ、これは私の嫉妬から来る行動なのだ。私に会う時間を削って追い回されている者への妬みで、私は今こうして植木に身を隠して彼女を尾行しているという訳だ。
いつもお茶に誘いに来る時間に、彼女の部屋から倉庫しかないこの区画まで尾行してきた。彼女は気づいていない様で、るんるんと足取りを軽くさせて廊下を歩いている。
「いったいどんな人間なのかな…」
「こんな場所で何をしている」
私の小さな独り言の後で聞こえた声に驚き其方を見れば、いつの間に近づいてきていたのか、彼女のチームメイトであるデイビットがしゃがんで私を見ていた。足音どころか気配すら感じさせず、対象の真横に立ち座り込む動作をする事が可能なのだろうか。
正直な所、私はこの男があまり好きではない。私を追いかけ回してオフェリアとの時間を邪魔するし、いちいち距離が近いのだ。恋人面で振る舞うところも好きじゃない。
「今忙しいからあっち行ってよ」
「いつから探偵になったんだ」
「五月蝿い。消えて」
不快です迷惑ですという気持ちがはっきり伝わる様に顔を顰めたというのに、全く気にしていないのか聞いていないのか、彼が立ち去る事は無かった。
「それで?何故オフェリアを尾ける」
「…オフェリアと最近お茶出来てないの。ペペロンチーノに聞いたらそれは誰かを追いかけてるからだって言ってて、オフェリアが追いかけてる奴を一目見てやろうかと」
「直接聞き出せば良いものを」
「“ねえオフェリア。私と会う時間を削って誰に会ってるの?”って?聞ける訳ないでしょ。私はただの友達で、恋人でも家族でも無いのに。貴方って結構無神経だよね」
「酷い言われようだが、理由は分か」
「しっ!!」
オフェリアが不意に振り向いた為、話し続けるデイビットの口を反射的に掌で覆い黙らせた。植木がきちんと役目を果たしたおかげで、彼女には私達の姿が見えなかったのかまた前を向いてキョロキョロと誰かを探し続ける。バレなくて良かったと息を吐き、彼の口を塞いでいる手を離してやろうとした刹那。掌にぬるりとした粘性の感触が這い、私はその場を飛び退いて彼から距離を取った。
「うわ!」
「大声を出すな」
空気に触れてすうすうする手の平を見てみれば、彼の唇に触れていた辺りの一点だけが照明を受けて光っている。
「舐めた!」
「口を塞ぐな」
「なんで舐めたの!」
「こうすれば離すだろう。実際におまえは手を離した」
「子供か!」
「成人男性だが。」
「名前?デイビットも。そんな所で何をしているの?」
頭の悪い応酬の最中で聞こえた、凛々しくも愛らしい声が聞こえた方向へ視線を移せば、植木の向こう側から私達を見下ろすオフェリアの姿があった。
「あ…ハロー、オフェリア…」
「ハロー、名前。貴方の声が聞こえたから来てみたのだけど」
「おまえの所為で見つかった」
「はぁ?お前のせいだろうがよ」
そもそもお前が掌を舐めなきゃ声なんて出なかったんだよ、と睨みつけても当の本人は素知らぬ顔をして立ち上がっているから尾行がバレたのと余計に腹が立つ。
とは云えいつまでもしゃがみ込んだまま彼女を見上げているのはしんどいので私も制服のスカートを払って立ち上がり、不思議そうな顔をしているオフェリアに渋々ながらも状況の説明をした。
すると彼女は一瞬きょとんとしてから「ぷふ」と吹き出して、からからと笑い出したのだ。一頻り笑った後で、目尻の涙を淑やかな指先の動きで撫でて言った。
「私が探し回っていたのはフォウよ」
「フォウ?」
「カルデア内に白い栗鼠の様な獣が居るだろう」
「ああ、あれ。でもなんで?…あ、噛まれたから躾する為に探し回ってたとか?」
「違うわ。あの子、マシュ以外に懐かなかったのに最近は私にも心を開いてくれているみたいだったから、お菓子をあげたくて探していたの」
彼女の話を聞くに、どうやら私の嫉妬の相手は体長たった30cm程度の小動物だったらしい。オフェリアは植木の向こう側から此方に来て、気が抜けて深いため息を漏らす私を優しく抱きしめてくれた。
「かわいい友人に寂しい思いをさせてしまったみたい。ごめんなさい」
「…別に、私が勝手にやきもち焼いただけだし」
オフェリアは、ぐずる子供をあやすみたいに附子くれた私の背をぽんぽんと軽くたたいて落ち着かせる。私よりも少しだけ背が高い彼女の肩口からは花の様な柔らかな芳香がっした。
「でも、どうして貴方まで?」
「オレが名前の傍に居なかった事があったか?」
「…いいえ」
オフェリアは二の句が告げないといった様子で首を振って、一度強く抱きしめてから私を離す。彼女から一歩離れると何故かデイビットが両手を広げて待っていたので無視した。
「それじゃあ名前。今からお茶でもどう?」
「勿論。この間申請したキャンディの茶葉が届いたからそれ煎れよう」
にこやかに笑いながら差し伸べられた彼女の手を取って隠蓑にしていた植木の前から移動しようと歩き出し、ふと後ろを振り替えると、倉庫から出てきたフォウが心なしか満足そうな顔をして此方を見ていた。
「で。なんで貴方もいるの?」
今、私は非常に不機嫌である。正確に言えばオフェリアと久しぶりにお茶ができる喜び50%、そして招いてもいない男が私達と同じテーブルに付いている不満による不機嫌が50%といった所だ。
私が用意した紅茶は2つだったのに、オフェリアが自分の分をデイビットに回してしまったから仕方がなくもう一杯煎れた。オフェリアの慈悲で回ってきたティーカップに口をつけて平然としている彼に腹が立ち、テーブルの下で彼の足を蹴飛ばすも僅かに身体が振れた程度でお茶を零すには至らなかった。
「痛い」
「痛いなら痛いって顔したら?」
「名前、行儀が悪いわ」
「…ねえ、貴方のせいで怒られたんですけど?」
「オレは何もしていないが」
「お茶の味は何人で飲んでも変わらないわ。それに彼だって私のチームメイトだし貴女の友人でしょう?」
「友達じゃない!」
「友人ではない。恋人だ」
「彼氏面ほんとやめて。多少イケメンでもストーカーは無理」
「多少…?」
「美形の自覚があるんでした。どうもすみませんね。その顔やめてむかつく」
眉を寄せて「何言ってんの」みたいな顔をするデイビットに更に腹が立つ。“多少”というのは確かに過小評価だったかもしれない。この男は所内でもかなり人気のある部類だ。同期は「顔も素敵だけど寡黙でミステリアスでクールなところも素敵」だなんて言っていたが、正直気は確かかと問いたくなった。顔が並外れて整っているのは認めるし謎が多いのは確かだけど、こいつは寡黙どころか余計な事までベラベラ喋りやがるし何よりストーカーだ。
以前、私が彼に抱く印象と他の人が言う印象の齟齬を彼に聞いてみた事がある。そしたら何て言ったと思う?
「オレに興味があるのか。良い兆候だ」
いや五月蝿えよ。
話が逸れたが兎に角デイビットは厄介で変な奴なのだ。話をしていても会話が噛み合ってない感じがするし、話も聞かずに隙あらば触れようとしてくる。
歯を食いしばりながら彼を睨みつけていると、オフェリアが咳払いをして諫めたので私は不貞腐れてお茶請けのクッキーを一気に2枚頬張った。
「デイビット、貴方も。名前を気に入っているからといって追いかけ回すのはやりすぎよ。それに許可なく触れようとするのも紳士的ではない。好かれたいのなら彼女が嫌がる事をしてはいけないわ」
「…善処しよう」
「名前も子供みたいに不貞腐れてそっぽ向かないの。デイビットは貴女へのアプローチを控えるそうだけど、貴女はどう?」
「…デイビットに対するキツい態度を改善します」
「良いわ。これでこの話はおしまいね。紅茶が冷めてしまうわ」
オフェリアの口振りはなんだか喧嘩した兄弟を叱る母親のようだった。デイビットはオフェリアを認めているから、彼女の言う事であれば聞くだろう。それに私も追いかけ回したりするから彼のことが苦手なだけで、彼と神話の話をするのは嫌いでは無くも無くも無いと言うか何と言うか。
偏見(全て彼の行動からみた印象なのでこの言葉は適切で無いと後から気付いた)から過剰に拒絶し過ぎていたかもしれない、とほんの少しだけ反省した。
ティーポットに残った紅茶をカップに移してミルクを注げば赤の中に緩やかに白が広がり軈て溶け合って淡い色になる。渋みの抑えられたこのミルクティーみたいに、彼の気持ちを受け入れたら私の渋みも抜けるのかな。
なんて昨日は思ったけど、こいつは全く反省していない様だ。私は現在、カルデアの廊下を走っている。受け入れるなんて思った私が自分で恥ずかしい。全部あいつの自業自得じゃないか!
「オフェリアに約束したじゃん!追いかけ回すのやめるって約束したじゃん!」
「善処すると言っただけだ。止めるとは言っていない」
「ふざけんな!」
「善処する」が「いいえ」なのは日本人だけだと思っていたが違った様だ。私は全力ダッシュなのにリーチの差なのか何なのかあいつは競歩で着実に距離を縮めて私に追いつこうとしている。
そして後ろに振った手が掴まれて身体がガクンと勢い良く後ろに傾き、動きを封じられてしまった。
「離して!オフェリアー!」
「毎度捕まる事が分かっているのに何故逃げる。無駄だと学習しないのか」
「これからはちょっと優しくしてやろうと思ったのに、っ…!」
喚く私の腰に手を回し唇が触れる程顔を近づけられ言葉を失う。ゆったりとした手つきで頬を撫で、彼はうっとりと柔和に微笑んだ。
「ちょ、」
「見えるか?此処は人が多い。今口付けをして見せれば、おまえはオレの物なのだとカルデア中に知らしめる事が出来るかもしれないな。」
「そ、そんな事したら本当に嫌いになるから!」
苦し紛れに叫んだ言葉に、今度は彼が言葉を失いぴたりと動きを止めた。そして何処からやってきたのか、フォウがデイビットの頭の上で飛んだり跳ねたりした事で彼の腕の力が弱まり私の身体は解放され、距離を取るべく一歩退く。
「フォウフォーウ!!」
短い前脚でてしてしと頭を叩き続けるフォウの襟首を掴み、デイビットはムッとした顔でフォウを放り投げた。フォウは空中で身を翻して着地し、尚も彼に向かって威嚇を続けている。そして軽い駆け足が聞こえて来たと思ったら、私と彼の間にオフェリアが仁王立ちで立ち塞がっていた。
「デイビット!」
私に背を向けているので彼女の表情は此方からは窺えないが、その声には怒気を孕み気迫があった。
「昨日、貴方は私と名前に“彼女を追いかけ回すのを控える”と約束した筈よ」
「善処するとは言ったが、」
「言い訳は無用です。貴方は聡明な男だと思っていたのに…情けない!無理矢理唇を奪おうとするなど言語道断です!名前を愛しているのなら彼女が嫌がる事はやめなさい。紳士たる者!愛する者を慈しみなさい!尊重なさい!」
私は拍手していた。素晴らしい演説だ。その通りだデイビット。私を追いかけ回すのはやめろ。不用意に触れるのはやめろ。顔の良さを活かして私を懐柔しようとするな。
「名前は嫌がってはいない様だったが」
「えっ、そうなの」
「怖くて硬直していただけです!都合良く解釈しないで!」
「潤んだ瞳がオレを求めて止まないと語っていた」
「気持ち悪いあの男…!」
自意識過剰を拗らせたデイビットを蒼白として見ていたら、オフェリアが不意に振り向き私の肩を抱く。
「さ、名前。食堂へいきましょうお昼の時間よ」
「う、うん」
歩きながら後ろを振り返れば、またフォウに頭を叩かれるデイビットの姿があった。ざまみろ。
「ねえ名前。本当はどうなの?」
「何が?」
「デイビットの事。付き纏われたり許可無く触れられるのは嫌でも、彼自身の事はそんなに嫌いでは無いんじゃない?」
「うーん…。まあ紙魚よりは嫌いじゃないけど…」
「ふうん?それなら、挽回の余地はあるのね」
「彼の態度次第だけどね」
オフェリアは何処か嬉しそうな顔をしている。彼女が喜ぶ理由が分からないけど、オフェリアが嬉しいならまあいいや。彼女にあんなにきつくお灸を据えられたのだから、彼も少しは真面になるだろう。
ああ良かった一件落着と、呑気に考えていた正午。
食堂に着き食事を持ってテーブルを探していると、私達に置き去りにされた筈のデイビットが席を取って此方を見ていた。オフェリアが其方に行くから私も行くしかない。
テーブルについた私に彼が放った一声で、先程までの考えが甘々の甘であった事を深く反省する事になる。
「オレの居る場所に自ら来ると言うことは、好意を抱いているからに他ならない」
まじでふざけんなよデイビットゼムヴォイド。